時計の針が深夜12時を通りすぎ、ホームページの更新作業をさっさと終わらせ、悠里と初詣に出掛けた。
俺は初詣はやらない主義なので、悠里のおつきあいである。
熊野神社はすごい人だった。俺たちは列に並んだ。20分ほど並んでやっと賽銭箱の前に辿り着いた。つきあいで俺も賽銭箱に5円だけ投げいれ、垂れ下がっている極太の縛り縄のようなものを振り回し、じゃらじゃら鳴らすと、両手を合わせ、何ごとかを拝んだ。その後、悠里があれこれ矢やら札やらを購入している間、俺は暇つぶしに巫女さんたちを眺めていた。おみくじを引いたら「末吉」だった。さっさと近くの木に縛りつけ、タイ料理の屋台がでていたので、悠里とタイ風ラーメンとタイ風おしるこを食べた。タイ風おしるこはココナッツとかぼちゃで出来ておりとてもうまく、二杯も食べた。その後、帰ってすぐに寝た。
すっかり駄目になったダリオ・アルジェントの小娘が撮った映画なんて、誰が期待して見るというのか。俺は少なくとも最悪を覚悟して見た。ところが、これがなかなかどうして良く出来ている。ストーリーは下らないが、雰囲気とか演出とかカメラワークとかその他の表現手法など、テクニック面および芸術面において、それなりに完成度が高いのだ。よく考えてみれば映画の巨匠の家庭に生まれ、幼少の頃から映画の撮影現場などを訪れ、親から映画の話をたっぷり聞かされ、映画俳優や映画関係の人間たちに囲まれ、映画制作の真っただ中で育ち、恐らく大学かなんかでも映画学科かなんかを専攻し、それなりに優秀な成績かなんか納めたりして、若い感性で、それなりにバカじゃないわけで、父親が老いて映画のクオリティが落ちていることくらい感じていて、反面教師なんかにもなってたりして、まあこの程度の映画のひとつやふたつ、撮ったっておかしくはないと言えばおかしくはない。
これが出来は「ムトゥ」に匹敵する傑作中の大傑作だった。ストーリーテリング、ユーモア、娯楽性、象徴性、ドラマ性、キャスティング、音楽、脚本、演出、最初から最後まですべてが完璧に無駄のない完成度で、三時間飽きることなく、最後は見事に泣けた。歌と踊りも最高で、頑固おやじがいきなり歌い出すシーンや、離ればなれになったふたりが別の場所でお互いの幻想を抱きながらそれぞれの帰路につく場面や、カージョルが雨の中ずぶぬれで踊るマサラムービー定番のシーン(画像)など、見どころは限りない。へべれけになったカージョルが別世界を飛び回るシーンでは意味なく雪山で肌を露出したドレス姿で踊り狂い、プールに飛び込み、街中を走り回る。底抜けの楽しさのなかに絶妙な象徴性が隠されている。シャールクのノリノリの演技も絶妙。
DVDでインド映画「Devdas」を見た。主演はアイシュとシャー・ルクとマドゥーリ・ディクシット。監督は「ミモラ」と同じ人。字幕は英語。かなり文学的な脚本で、英語が難しく苦労したが、何とかストーリーはつかめた。
先日インド映画の最高傑作「DDLJ」を見たばかりだが、これもまたスゴい傑作だった。特に映像がスゴい。これほどまでに美しい映画を俺は見たことがない。全編に流れる赤い炎と血のイメージが強烈で、ストーリー自体は大したことないながら、ひとつひとつのシーンが目に焼き付くような妖艶美を放つ。ミュージカルのシーンも圧巻。インド映画は歌と踊りがみどころだが、この映画のようにすべてのミュージカル・シーンが極上の出来というのは初めだ。演出もカメラワークも究極の域。もう何もかも完璧すぎて、駄文しか書けない。これは人智を超えている。まいった。敗北だ。死んだ。
通販で注文したインド映画のDVDが四つ到着。悠里とインド料理を食べに行った後、腹ごなしにひとつを観賞した。
変わって「Anjaam」はインド映画としてはかなりの異色作で、夫も娘も姉も殺され、無実の罪で投獄された悲劇のヒロインが、最後には復讐の殺人鬼となって憎い奴らに天誅をくだすという、リンダ・ブレアの「チェーン・ヒート」とゾー・タマリスの「天使の復讐」を合体させたようなカルトな内容である。血は出るし、暴力的なシーンも多い。画像を見てもこのギャップ、わかるだろう(左がAnjaam、右がDevdas。うつっているのは同じマドゥーリとシャールク)。
渋谷で