非幻想異端的日常
2004年 1月 1日 (木)
 時計の針が深夜12時を通りすぎ、ホームページの更新作業をさっさと終わらせ、悠里と初詣に出掛けた。
 俺は初詣はやらない主義なので、悠里のおつきあいである。
 熊野神社はすごい人だった。俺たちは列に並んだ。20分ほど並んでやっと賽銭箱の前に辿り着いた。つきあいで俺も賽銭箱に5円だけ投げいれ、垂れ下がっている極太の縛り縄のようなものを振り回し、じゃらじゃら鳴らすと、両手を合わせ、何ごとかを拝んだ。その後、悠里があれこれ矢やら札やらを購入している間、俺は暇つぶしに巫女さんたちを眺めていた。おみくじを引いたら「末吉」だった。さっさと近くの木に縛りつけ、タイ料理の屋台がでていたので、悠里とタイ風ラーメンとタイ風おしるこを食べた。タイ風おしるこはココナッツとかぼちゃで出来ておりとてもうまく、二杯も食べた。その後、帰ってすぐに寝た。

2004年 1月 2日 (金)
 初夢は確か散歩をする夢だった。

 この日記を毎日欠かさず読んでいる方は、年末年始の日付けの扱い方に普段との相違を見出し、違和感を感じている方がおられるかもしれないが、気になさらぬように。去年の出来事は去年の日記のうちにまとめたかったのである。解らない方は、やはり気になさらぬよう。

 元旦から仕事。
 仕事で軽いトラブルがあり、夕方クライアントに電話。年明けから慌ただしい。
 夜、デニーズで悠里と食事。新年なので何か新しいメニューでも出ているのかと期待したが、普段と同じだった。
 深夜、お雑煮を作った。肉は入っておらず、ほうれんそうと十三種の穀物が埋め込まれたモチを使ったヘルシー雑煮で、至極うまかった。
 食事中、ちらっとテレビを見たが、年末年始のテレビほどつまらないものはない。もともと映画と格闘技と僅かな例外を除いてあまりテレビを見ないが、年末年始は特にテレビ離れが顕著になる。近頃つらつら思うが、作家を目指すならテレビはなるべく見ない方が良い。テレビは作家にとって百害あって一利くらいしかない。テレビを見るだけで、作家として成功する可能性は三割くらい下がると見てよかろう。特にこれと決めた番組を見る分には構わない。あてもなくただテレビをつけ、目に付いた番組を眺める行為は愚の骨頂に等しい。作家に限ったことではないが、意味なくテレビを眺める暇があったら人はもっと活字を読むべきだ。

 つぶらからメールで年賀状が届いた。どうせなら「どんと来い! 2004年」とか書いてほしかったな。なぜベストを尽くさないのか。

2004年 1月 3日 (土)
 仕事してました。

2004年 1月 4日 (日)
 寝てました。

2004年 1月 5日 (月)
 「スカーレット・ディーバ」というイタリア映画を見た。監督・脚本・主演はかのイタリアのホラーの巨匠ダリオ・アルジェントの実の娘アーシア・アルジェントである。
スカーレットディーバ すっかり駄目になったダリオ・アルジェントの小娘が撮った映画なんて、誰が期待して見るというのか。俺は少なくとも最悪を覚悟して見た。ところが、これがなかなかどうして良く出来ている。ストーリーは下らないが、雰囲気とか演出とかカメラワークとかその他の表現手法など、テクニック面および芸術面において、それなりに完成度が高いのだ。よく考えてみれば映画の巨匠の家庭に生まれ、幼少の頃から映画の撮影現場などを訪れ、親から映画の話をたっぷり聞かされ、映画俳優や映画関係の人間たちに囲まれ、映画制作の真っただ中で育ち、恐らく大学かなんかでも映画学科かなんかを専攻し、それなりに優秀な成績かなんか納めたりして、若い感性で、それなりにバカじゃないわけで、父親が老いて映画のクオリティが落ちていることくらい感じていて、反面教師なんかにもなってたりして、まあこの程度の映画のひとつやふたつ、撮ったっておかしくはないと言えばおかしくはない。
 内容は主人公の映画女優が、女優をやめて映画監督になろうと野望を持つが、女だということでなかなかうまくいかず、現実と理想のギャップにあえぎ、ドラッグに溺れ、ミュージシャンに遊ばれて子供を宿し、そこになぜか希望を見出すが、最後には挫折するという、変にストーリーがあるだけにボロが出たような破綻ぶりが楽しい物語だった。ダリオ・アルジェントの娘なんだから、大人しくホラーでも撮ってくれれば、この感性ならそれなりのものが出来るんじゃないだろか。
 次はホラーでね、アーシア。

 カレーを作った。今回は前回の問題点を克服し、余計なもの(ココアパウダー)は入れなかった。墨森先生のアドバイス通り、生姜も入れた。深江師匠の助言通り、人参はすべてすり下ろした。年末の「どっちの料理でショー」(カレーライス vs ラーメン編)で参考にした通り、玉葱はペースト状になるまで根気よく炒めた。これで失敗しない訳がないと思いきや、調子に乗って作り過ぎてしまい、カレー粉が少なすぎて、ずいぶんとコクのないカレーになってしまった。悠里はうまいうまいと言いながら食べてくれたが、俺の中ではいまいちだったな。

2004年 1月 6日 (火)
 仕事の帰り、コンビニでカレー粉を買い、家に帰って昨日の残りのカレーにぶちこんだ。やっと、ちゃんとしたカレーになった。

2004年 1月 7日 (水)
 カレーの残りに水を入れ、昆布ダシの元を入れ、醤油を入れ、別の鍋で蕎麦をゆで、カレー蕎麦を食った。うまかった。

2004年 1月 8日 (木)
 昨日のカレー蕎麦の汁の残りに市販のカレー粉をひとかけらだけ入れ、味を濃くしてまた蕎麦を湯でてカレー蕎麦を食った。昨日よりもうまかった。

2004年 1月 9日 (金)
 通販で買ったインド映画のDVD「Dilwale Dulhaniya Le Jayenge」を見た。日本では「シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲッ ト作戦」とか「DDLJ 花嫁は僕の胸に」とかの邦題で呼ばれている。まあ通常話題にするときは単純に「DDLJ」でよい。
 かの「ムトゥ/踊るマハラジャ」と同じ年に制作された作品ながら、あちらはタミル映画、こちらはヒンディー映画ということで、同じインド映画でもまったく違う。ストーリーはどちらかというとリアリズム。道ならぬ恋をものともせず花嫁奪取の恋愛ものである。
カージョル これが出来は「ムトゥ」に匹敵する傑作中の大傑作だった。ストーリーテリング、ユーモア、娯楽性、象徴性、ドラマ性、キャスティング、音楽、脚本、演出、最初から最後まですべてが完璧に無駄のない完成度で、三時間飽きることなく、最後は見事に泣けた。歌と踊りも最高で、頑固おやじがいきなり歌い出すシーンや、離ればなれになったふたりが別の場所でお互いの幻想を抱きながらそれぞれの帰路につく場面や、カージョルが雨の中ずぶぬれで踊るマサラムービー定番のシーン(画像)など、見どころは限りない。へべれけになったカージョルが別世界を飛び回るシーンでは意味なく雪山で肌を露出したドレス姿で踊り狂い、プールに飛び込み、街中を走り回る。底抜けの楽しさのなかに絶妙な象徴性が隠されている。シャールクのノリノリの演技も絶妙。
 見事としか言い様のないインド映画の金字塔だった。
 DVDは二枚組で、メイキングやインタビュー、映画祭の模様など、おまけがたくさんついててそちらもなかなか美味しかった。

2004年 1月 10日 (土)
 新宿西口でKさんと会う。寿司屋に入り、寿司を食いながら、仕事のことであれこれとした。

2004年 1月 11日 (日)
 ティント・ブラス監督の「背徳小説」というイタリア映画を見た。ティント・ブラスと言えば「カリギュラ」が有名だが、まあこれも相変わらずの映画で、こういう意味のない映画をずっとこの男は相変わらず作り続けていたのかと思うと頭が下がる。ひたすら芸術的なエロスが全編を支配し、かと言って「カリギュラ」のようなサービス精神があるわけではなく、でも退屈はせず、なんとなくただ感心して見ていた。好きなんだな、こういう世界が。
 そもそも何でこんな映画を借りてきたのかというと、団鬼六オフィシャルサイトで官能小説のコーナーが始まったので、俺もちょっくら何か書いてみようかと、参考までに最近このテの映画や漫画や小説をつぶさにみているのだ。でもやっぱり慣れないジャンルだけに四苦八苦。今にして思えば「華の穴」みたいな小説、よく書けたな。

2004年 1月 12日 (月)
 当日になって連休だと言うことに初めて気が付いて、かなり嬉しくなった。だからと言って特別どこかへ行くという訳ではなく、遅くまで寝て、起きてからもずっと家にいた。これからなるべく休日はもう少し早く起きてちゃんと予定を組んでどこかへ出かけるようにしたい思う。生来出無精でいけない。

2004年 1月 13日 (火)
 満月さんの「フラワー」を今頃になってつらつらと読んでいるが、意外と男の俺が読んでも面白くためになる。

2004年 1月 14日 (水)
 シルビア・クリステルの「さよならエマニュエル夫人」なんぞを借りてきて見ていた。
 単になんとなくゲンスブールの音楽が聴きたくなっただけで、音楽以外は早送りした。でも単純な内容だったのでストーリーは解った。脳みそカラッポな夢を追いかけエマニュエル夫人が去ってゆくラストシーンはゲンスブールの音楽と相まって、なかなか趣があったな。この後エマニュエル夫人がどうなってゆくのか、見る者に「考える気にもならない」気分にさせる白々とした虚無感が印象的である。いいラストだ。
 ちなみに監督はジャスト・ジャカンじゃないのか。

 今日は何だか朝から悠里がやたら調子が悪かった。前日チャットかどこかでまたなにかあったらしいが、とばっちりをうけるこちらにみにもなれっていったいだれにいってんだ。

2004年 1月 15日 (木)
 相変わらず悠里の調子が悪かったので事務所に出勤せず、ずっと家でiBookで仕事をしていた。
 また新しい仕事の話が舞い込んできて、あまりにも同時にやっていることが多くなりすぎて大変だ。実際、微妙に細部がこなしきれていない感じでかなり気持ちが悪い。
 問題は山積み。でも夜はしっかりインド映画のDVDを見て心なごやかに就寝。
 近々床屋に行こう。

2004年 1月 16日 (金)
マドゥーリ DVDでインド映画「Devdas」を見た。主演はアイシュとシャー・ルクとマドゥーリ・ディクシット。監督は「ミモラ」と同じ人。字幕は英語。かなり文学的な脚本で、英語が難しく苦労したが、何とかストーリーはつかめた。
アイシュ 先日インド映画の最高傑作「DDLJ」を見たばかりだが、これもまたスゴい傑作だった。特に映像がスゴい。これほどまでに美しい映画を俺は見たことがない。全編に流れる赤い炎と血のイメージが強烈で、ストーリー自体は大したことないながら、ひとつひとつのシーンが目に焼き付くような妖艶美を放つ。ミュージカルのシーンも圧巻。インド映画は歌と踊りがみどころだが、この映画のようにすべてのミュージカル・シーンが極上の出来というのは初めだ。演出もカメラワークも究極の域。もう何もかも完璧すぎて、駄文しか書けない。これは人智を超えている。まいった。敗北だ。死んだ。
 「ミモラ」をあれだけ大々的に公開したんだから、これこそ日本で公開しなきゃバカだ。これこそ映画館の大きなスクリーンで見るべき作品だ。映画芸術の最高峰だ。インド映画、恐るべし!
 悠里もこの映画をえらく気に入っていて、最近、暇さえあれば自分のiMacにDVDをつっこんで繰り返し見ている。字幕なしでここまで人を引き付ける映画もない。

2004年 1月 17日 (土)
 インド映画で癒されたのか、悠里の体調が回復に向かっている。よかったよかった。

2004年 1月 18日 (日)
 テレビで「ボボボーボ/ボーボボ」がアニメでやっているのを見つけた。こんなものがゴールデンタイムでアニメになっているなんて驚き。ジャンプだからか? 人気があるのか、これ?
 ちょっと見ていたが、あまりの寒さに死ぬかと思い、すぐにテレビを消した。消す寸前、あるギャグが天文学的な確率でツボに入り、微かにクスッと笑いかけた自分を殺したくなった。

2004年 1月 19日 (月)
ミーナ 通販で注文したインド映画のDVDが四つ到着。悠里とインド料理を食べに行った後、腹ごなしにひとつを観賞した。
 「Avvai Shanmughi」というタミル映画で、主演はミーナ。監督は「ムトゥ」と同じ人。ムトゥほどのパワーはなかったが、まあ普通に楽しめた。
 ミーナがひたすら可愛いかった。ヒステリックな役所ががまたハマっててチャーミングである。
 ミーナは俺をインド映画にひきずりこんだ張本人で、暫くヒンディー映画ばかりにかまけて遠ざかっていたが、今宵の映画鑑賞は本当に俺の好きだったものを再認識させられたような感激があった。

2004年 1月 20日 (火)
 恵比寿に行く。先方が俺とアポがあることを忘れてて、ついでにその後に予定していた品川が中止になり、結局、外出した意味がなかった。

2004年 1月 21日 (水)
 新しい仕事の打ち合わせで新橋へ。新しい仕事と言っても、ほとんど俺は部外者というか、傍観者というか、とにかく微妙な位置づけだ。まあいろいろと新しい出会いがあり、良い意味で刺激になった。
 新橋のついでに某クライアントの事務所に寄り、前から頼まれていたパソコンのトラブル処理をする。大した問題ではなく、すぐに片付いた。でもここは広告料金を一年以上滞納しているところなので、手数料はきっちり頂いた。
 池袋へ。最近、広告のクライアントで担当者が女性だと、何かとパワーストーン販売の話をもちかけているのだが、これが意外とよく売れる。今日もひとつ目玉商品が売れた。
 池袋のついでに薬局に寄り、痔の薬を購入。さらについでに古本屋に寄り、高島俊男のエッセイ集や、下らないムック本などを三冊ほど購入。帰りの電車の中では至福の時をすごした。

2004年 1月 22日 (木)
 東京ビッグサイトで行われた第15回国際宝飾展に悠里とでかけた。
 これは簡単に言うと、日本全国そして世界各国から石の商人たちが集まって、石を見せびらかし売りまくり人脈を広げまくるというイベントである。巨大な場所に世界35ヶ国、1,200社が参加し過去最大規模になるらしい。
 当社が最近、石を売りはじめたのは既記の通りだが、その仕入れ業者のひとつから招待券を貰ったので、見聞を広げ、いい業者があったらつながりを持ち、いい石があったら幾つか仕入れてこようと、出席した。
 会場入りすると、大地のエネルギーを発散する力強い石たちに囲まれ、悠里がいきなり化学変化を起こしてしまった。まったく環境に影響を受けやすい奴だ。
 展示してあるのはほとんど宝石ばかりで我々が売っているようなパワーストーンは一角しかなく、すぐに見終わった。特に新たな人脈につながりそうな業者はなく、面白そうな石もなかった。せっかく来たことだしこのまま帰るのも何なので、ちょうどちょっと高めの置き物をそろえたいと思っていたので、水晶やらラピスラズリやらルチルクォーツやらの売れ線で手ごろなものを選んで購入した。
 この日は初日で去年のジュエリーベストドレッサー賞に選ばれた芸能人が何人かゲストで訪れてきていて、会場をぶらぶら歩いていたら、伊東美咲とかいうモデルが目の前を歩いていった。「誰だ?」と思ったが、後で聞いたら結構有名らしい。それよりも十朱幸代が六十代ながらえらく美人だったのには驚いた。
 実質的な収穫はあまりなかったが、面白いことは面白かった。ゆりかもめに乗ったのも久しぶりだったし。

2004年 1月 23日 (金)
 インド映画「ヤジャマン/踊るマハラジャ2」を見た。
 ずいぶん前に見たことはあるのだが、すっかり内容を忘れてしまったので、もう一度借りてきたのだ。主演はインド映画の花形、ラジーニとミーナだし、見たのに思い出せないのは何だか悔しかった。
 見てみて納得。俺の口には合わなくて、無意識のうちに記憶から削除されていたのだ。どう考えても納得のいかないシーンが幾つか。村人から聖人と崇められるほどの人物が、なぜ弁当泥棒をするのか。また、中盤でヒロインが死んで、後半別の女優にヒロインが入れ替わるのだが、ふたりの美貌になぜここまでギャップがあるのか。
 前半のヒロインはミーナ。言わずと知れたインド映画界最強最大の美人女優である。後半は誰だか名も知らない、地味な顔立ちをした小太りの貧弱な、言ってしまえば醜女である。
 ミュージカルはキレがないし、ストーリーはやたら暗い。駄作とは言わないが、つまらない映画であることは確かである。
 やっぱりもう一度忘れよう。

2004年 1月 24日 (土)
 アホな一日だった。どのようにアホだったか、それはあえて語るまい。

2004年 1月 25日 (日)
 本屋で「団鬼六論」などという本が発売されているのを見つけて購入。
 書いたのは堀江珠喜という大阪府立大学の教授さんである。サド侯爵やマゾッホなどの西洋のSM観との比較からはじまり、その本質を関西文化に焦点をあてて、団鬼六のSM官能美学を論じておられる。
 タイトルの割にはあまり学術的な本ではない。

 深夜放送で「Jam Films」という前から見たいと思っていた日本映画がやっているのを見つけ、途中からだったが見てみた。
 これは堤幸彦や岩井俊二などの7名の若手監督が好きに監督したショートフィルムを集めたオムニバス映画である。どれも短いだけに中途半端なもので、大した面白い映画ではなかった。
 それなりによく考えてあると思ったのは堤幸彦の「HIJIKI」で、ちょっと笑った。最後の岩井俊二の「ARITA」は短編としては最も適切な脚本だと思ったが、映像化で失敗していて、退屈でだらしない作品になってしまっている。「PANDORA」はやりたいことは解るがとにかく下手で稚拙で寒くつまらない。一番面白かったのは「JUSTICE」で、一番微妙な感じにうまくまとまっている。前半の三つの短編は見ていない。
 もうちょっと面白いものが見たかったな。

 最近、映画の感想ばかり書いている。
 いかんな、楽することばかり考えてて。

2004年 1月 26日 (月)
 今週号の週刊モーニングを読んでいて、ある漫画で俺がいずれ書こうと思っていた物語がそっくり掲載されていた。事の発端から展開、オチにいたるまで、寸分狂いなく同じだった。よく考えてみれば誰でも考えつくようなネタだったのだが、俺は長編で考えていたので、数ページの短い漫画で先にやってくれて、やることが減ったと言う感じで、ご苦労様としか言い様がない。ちなみにどの漫画かはあえて語るまい。

2004年 1月 27日 (火)
 西新宿で打ち合わせ。ここで現在ちょっと面倒な仕事を頼まれている。近いうちにシステムを変えてもう少し面倒を減らすと言っていたように記憶しているが、面倒は次第に増えてゆくように思えるのはなぜだろう。
 帰り、OG社のM社長とばったり。彼は十年前、僕がまだGP社にいて彼がGT社の課長だった頃からの知り合いで、現在はお互い独立して頑張っている。かなり久しぶりに会ったので、お互いの近況を少し話して別れた。そういえば彼と前回会ったのも2年ほど前、南口でばったり会ったんだったな。次に会うときもばったりだろうか。

2004年 1月 28日 (水)
 大塚で撮影。その後、池袋で打ち合わせ。
 久しぶりにサンシャイン通りに行った。なかなかにぎやかで楽しい場所だった。

2004年 1月 29日 (木)
 レンタルで借りてきたインド映画「地獄曼陀羅アシュラ」を見た。この日本タイトルはあまりよくないので原題の「Anjaam」で呼ぼう。
 この映画は一年前に見た(2003年1月4日の日記参照)のだが、今回また借りてきた理由は他でもない。こないだ見たインド映画の大傑作「Devdas」の主演であるシャールクとマドゥーリが出ているのだ。
 一年前に見たときはシャールクもマドゥーリも知らなかったが、現在ではふたりともインド映画を代表する名俳優であることを知っている。「Devdas」でのふたりの演技は素晴らしかった。今でも毎晩DVDで繰り返し見ているが、本当に何度見ても飽きない。
マドゥーリとシャールク 変わって「Anjaam」はインド映画としてはかなりの異色作で、夫も娘も姉も殺され、無実の罪で投獄された悲劇のヒロインが、最後には復讐の殺人鬼となって憎い奴らに天誅をくだすという、リンダ・ブレアの「チェーン・ヒート」とゾー・タマリスの「天使の復讐」を合体させたようなカルトな内容である。血は出るし、暴力的なシーンも多い。画像を見てもこのギャップ、わかるだろう(左がAnjaam、右がDevdas。うつっているのは同じマドゥーリとシャールク)。
 一年前見たときはあまり面白くないようなことを書いたが、改めて見てみたら非常に面白かった。やはりラストだけは納得いかないが、演出や脚本の細部がとにかくよく出来ている。一年前はラストの中途半端さが勝ってしまったが、今回はディテールの完成度の高さがはるかに際立って見えた。前半でマドゥーリが可愛らしい踊りと歌を披露するシーンがあるが、そのときに歌う詩の内容が、処女が豆畑で犯されたという話で、後に彼女にふりかかる不幸を象徴するものとしてとても暗示的だ。
 インド映画は奥が深い。

2004年 1月 30日 (金)
 東大。六本木。ホタルさん家。

2004年 1月 31日 (土)
ラス・メイヤー 渋谷でラス・メイヤー映画祭が開催されている。
 ラス・メイヤーとは、アメリカのクラシック・ソフトコア・ポルノの巨匠で、そのカメラテクニックと巨乳にこだわった独特のエロチシズムは、後世の映画界に多大な影響をおよぼした。ヨーロッパでは芸術としてかなり高く評価され、全世界の映画ファンと巨乳マニアに尊敬されている。
 ラス・メイヤーは15年来の大ファンで、彼の映画は「ブラック・スネーク」と「The Seven Minutes」以外はデビュー作の「THE IMMORAL MR. TEAS」から「Beneath the Valley of the UltraVIXENS」まで全部見た。
 ところが、今回の映画祭でひとつだけ、見たことのない作品がある。なんでも新作らしい。タイトルは「パンドラ・ピークス」。ラス・メイヤーが数十時間にもおよぶ自己のアンソロジー映画を制作しているというのは十年以上まえからファンのあいだで話題になっていたものだが、どうやらこれがそれらしい。上映時間は72分。キャッチコピーには「14時間の大作になる予定が編集したら72分だった!! 」だって。嘘みたいだがあり得ることだ。
 まあとにかくこれはひとつ見ておかなければと、渋谷にくりだした。見た。
 相変わらず同じフィルムを何度も繰り返し使っては、きれいでのどかな田舎の風景と巨乳しかみどころのない退屈な映像が延々と続く。そして更に眠気を後押しする意味のないナレーション。途中で寝てしまったが、たぶん寝てなくても同じだったろう。途中、眠って起きたら、まだ画面には寝る前と同じ映像が流れていたし。
 タイプ的には「モンドー・トップレス」に似ていたな。でも「モンドー・トップレス」の方がずっといい。どちらにしろ、ビデオでとりとめなく流しておく方がお似合いだ。
 ラス・メイヤー映画祭、好評につき8日まで延長になったらしいので、興味のある方はぜひ行ってみよう。特に「ファスター・プッシーキャット キル!キル!」と「スーパー・ヴィクセン」は最高傑作でおすすめだ。


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