非幻想異端的日常
2004年 5月 1日 (土)
 仕事で池袋。インドのお店に寄り、こないだたくさん買ったDVDのなかから見れなかったものを交換してもらった。

 インド映画「Chachi420」を見る。これは実に面白かった。
 この作品はこないだ見たタミル映画「Avvai Shanmughi」のヒンディー語版リメイクである(1月19日の日記参照)。多言語国家であるインドでは、それぞれの言語圏にそれぞれ異なる映画産業があり、ある言語圏でヒットした映画が他の言語圏で同じ脚本でリメイクされるというケースは非常に多い。同じ映画を台詞だけをその地方の言葉に吹替えして公開するということと同じくらい(あるいはそれ以上)ポピュラーに行われている。
 面白いのは、オリジナルとほぼ同じ脚本で、同じ俳優も数人か重なっているというのに、映画の雰囲気がえらく違うという点だ。「Avvai Shanmughi」はタミル映画だけにかなり泥臭く、かなりバカバカしいノリだったが、「Chachi420」は典型的なヒンディー映画で、すべてにおいて精錬されたスタイリッシュな出来になっている。ギャグシーンも押さえに押さえられ、その分、登場人物の感情的な面を細やかに描くことに成功している。
 主演・脚本はオリジナルと同じカマル・ハッサン。さらに今回のリメイクでは自ら監督までしている。この男、「ABHAY」のような馬鹿な映画をつくるかと思えば(3月8日の日記参照)、こんな見事な仕事もやってのけるとは。なにせ「Avvai Shanmughi」の演出を手掛けたのは「ムトゥ/踊るマハラジャ」の名監督K・S・ラビクマールだったのだ。それをさしおいて、一介の俳優であるハッサンが、はるかにクオリティの高い演出をものにしているとは。しかもインド映画ではミュージカルの歌の部分はプレイバックシンガーという専門の歌手が歌うのが普通だが、ハッサンの歌はすべて本人の声である。それもかなりの美声なのだ。まさにインド最強のマルチ映画作家といえるだろう。
 ハッサンの他にも同じ俳優が何人か重なっているが、ほとんどはヒンディー映画の俳優に入れ替わっている。一番大きな違いは、オリジナルでは、かのタミル映画の女王ミーナがヒロインだったが、このリメイクではタブになっている。このタブがまた良いのだ。
タブ どこかのインタビューでミーナが「Avvai Shanmughi」のヒンディー語版リメイクに出演できなかったことに対して「どうしてハッサンはわたしを起用してくれなかったのかしら? でもいいわ。子持ちで離婚した主婦の役なんかでヒンディー映画に進出したくなかったもの」とすねたような発言をしていた覚えがあるが、確かにミーナのファンとしては、どうしてミーナを出してやらなかったんだと思わないでもない。しかし、ミーナの代わりに起用されたのはタブなのだ。演技派で美人。個人的にミーナと同じくらい好きな女優である。そして悔しいが、ミーナよりもはるかに良かった。この映画の成功はハッサンの他にもこのタブの演技力に負うところが多い。もうタブが出ているだけで映画に深みが加わるような気がするくらい、味のある演技をする。そもそもタブというのはそういう女優なのだ。
 あとタブの父親役で大俳優アムリシュ・プリが起用されている。これもかなりポイントが高い。ストーリーもごちゃごちゃと解りにくかった「Avvai Shanmughi」と比べて、同じ脚本だというのにずいぶんスッキリして解りやすくなっている。アクションシーンは今まで見たインド映画でもっとも面白いものだ。ハッサンの映像マジックである。
 オリジナルと比べて十倍面白い、カマラ・ハッサンの才能全開の傑作であった。

2004年 5月 2日 (日)
 ゴールデンウィークだというのにどこへ旅行へ行くわけでもなく、近所をぶらぶら散歩してばかりいる。今日は前のパークタワーでOLフリーマーケットというのがやっていたので暇つぶしに行ってみた。行ってみたと言っても十分くらいふらふらと歩いただけだが。あえてOLというテーマにしぼった点はよく解らないが、そそる響きではある。観察してみるとなるほどOLらしい年代の女性たちが洋服だの小物だのを並べて売っている。なかにはOLと言ってもオールド・レディーの略じゃないかと思える女性や、本物のスチュワーデスもいた(スチュワーデスもOLだろうか)。まあ別に大したイベントではなかった。一日も暇つぶしなら日記も単なる穴埋めである。

2004年 5月 3日 (月)
 ゴールデンウィークだというのにどこへ旅行に行くわけでもなく、近所をぶらぶら散歩してばかりいる。今日は前のパークタワーでテレビドラマの撮影らしきことをやっていた。見ていると、テレビでよく見るような男が立っている。あれは誰かとスタッフらしき人に聞いてみると、ソリマチタカシとのことだった。そういえばソリマチタカシは数年前に池袋でもドラマの撮影中に出くわしたことがあった。他に誰が出ているのかと聞くと、長谷川京子とのことだった。長谷川京子はちょっと実物を見たかったが、あいにくスタッフの列にまみれて遠い後ろ姿しか見れなかった。まあしょうがない。縁があればいつか会えるだろう。

2004年 5月 4日 (火)
 ビデオを整理していて、ふと1986年の日本映画「逆噴射家族」のビデオが目に止まり、思わず全部見てしまった。古い映画だが、いま見ても意外と面白かった。
逆噴射家族 この映画は俺の人生でもっとも重要な映画のひとつである。高校のときにこの映画を見た衝撃が俺のバカバカしいものや狂ったものへの執着のはじまりで、二十代半ばくらいまでは俺の生涯ベストワンの映画だった。現在でもこれほど回数を見た映画はなく、映画館にも三回ほど足をはこび、この映画から受けた影響ははかり知れない。
 数年前に一度見て、思ったより雰囲気が古くさかったのをきっかけに、それから一度も見ていなかった。今日、久しぶりに見てみたら、予想以上に面白かった。いま見てもかなりいけるのではなかろうか。やはり後半の戦闘シーンは何度見てもインパクトがある。
 ネットでこの映画の評価をつぶさにチェックしてみると、面白いという意見と、今にしてみると古くさくて色あせているという意見と二通りあり、どちらかというと否定的な意見の方がちょっと多い。確かにこの点はかなり微妙だ。だいたい石井聰亙の演出は微妙にとろくさい面があって、当時からそれは感じないでもなかった。それにとろくさいと言ったら最近の石井聰亙の映画の方がよっぽどとろくさい。「逆噴射家族」は確かに古くさくもあるが、やはりこれほどの底知れぬブラックユーモアをはらんだ映画は現在でも滅多にないと思われ、十分インパクトだけは色あせていないとも言える。しかし俺自身、この映画を古くさいと思ったことがあるのも事実である。ちなみに一緒に見ていた悠里は絶賛していた。
 そういえば昔を思い出す。この映画の熱狂的ファンだった俺は、家族全員をはじめ、家に遊びに来る友達という友達、つきあう女の子に片っ端からこの映画を見せまくっていた時期があった。評価はやはり二通りに分かれ、面白いというやつとつまらないというやつといたが、やはりどちらかというと「つまらない」というやつの方が多かった。
 なんだ結局、昔も今も評価はそれほど変わらないんじゃないか、という結論である。

 編集長に借りた「少林サッカー」のDVDを見る。お目当てのヴィッキー・チャオのインタビューで、ブスな役と可愛い子の役とどっちをやりたいと聞かれ、ブスな方を選んだというコメントがあった。なるほどあれは自ら望んだことであったか。それにしては、記者会見で「最後ブツブツがとれたと思ったらハゲだし」とかすねたような発言をしている。

2004年 5月 5日 (水)
ズベイダー インド映画「Zubeidaa」を見た。「ズベイダー」と発音する。タイトルはプロレスラーみたいでかっこいいが、単なる主人公の女性の名前だ。主演はカリシュマ・カプール。普通によく出来た映画だった。カリシュマの演技もうまいし、とくに退屈もしなかったが、ストーリーはどうも納得がいかない。これは単にわがままで状況に順応できない(する気がない)、ダメな女の一生を描いただけではないか。あるいは自由と希望をつらぬき通したために、かえってその両方を失ってしまった女性の話しか。何にしろ、そんなヒロインのキャラが気になって、この映画の重要なテーマであると思われるイスラム問題もインド独立も王侯貴族の没落も考察する暇がなかった。このヒロインはもっとネガティブな見地で描くべきではなかっただろうか。どうも社会や習慣に翻弄された悲劇の女性といったスタンスに思える。しかるに、こういうタイプの女性は今でもたくさんいる。嫉妬深くて我が強く、男の仕事や人間関係の邪魔をする。頭も悪い。この性格では1950年代のインドじゃなくても何か問題に巻き込まれる可能性は十分にあろう。あくまでも事実を客観的に描きたいだけなら、回想シーンを中心に登場人物の主観を通して描いてゆく手法は不適切である。ましてや、このラストをある意味このヒロインにとってのハッピーエンドだなどと、何をか言わんやだ。俺にこの映画を好きにさせたいのなら、このあたりを誰か納得いくように説明していただきたい。

2004年 5月 6日 (木)
 ゴールデンウィーク最後の日。ほとんど寝ていた。
 この連休、予定がまったくないわけではなかったが、実現することなく終わった。
 午後遅く、悠里と散歩にでかけた。西口で悠里の新しい携帯を買い、寿司を食い、ルミネの食品店でクミンシードとスパイス・ミックスを買い、ハイチ料理店でコーヒーを飲み、帰った。
 とりとめなくビンス・マクマホンのビデオを見たりして夜まで過ごした。

2004年 5月 7日 (金)
 週刊モーニングで「蒼天航路」がいよいよ最終章に突入した。
 最後はやはり曹操と劉備の対決でしめるつもりらしい。
 官渡や赤壁以上の傑作となるのは間違いなかろう。

2004年 5月 8日 (土)
 夕食にインドカレーをつくった。おしりにやさしいカレーを目指したのでカレー粉が少なすぎ、トマトの味ばかりのカレーになった。どうも俺は料理がヘタだ。やけになって仕上げにパウダースパイスをいつもよりちょっと多めにぶちこんだら少しはマシになった。悠里に食わすとそれなりに好評だった。俺のカレーは「いつも違う味で飽きない」らしい。喜んでいいものやら。そういえば前にも同じようなこと書いたっけか。

2004年 5月 9日 (日)
 インド映画「Virasaat」を見た。日本タイトルは「ヴィラサット〜愛と宿命の決断〜」。インドのド田舎の描写がまぶしい傑作だ。以前に「Shakti」というインド映画を見たが(4月2日の日記参照)、前半があれとちょっと似ている。ちょうどこの「Virasaat」の田舎の人たちに銃や爆弾をたくさん持たせたら「Shakti」になるだろう。
 ストーリーは田舎の大地主の息子が、都会の娘を連れて留学から帰ってきたところからはじまる。地主としての後を継がせるつもりの父に反対し、息子は都会の娘と結婚して都会に住むという。ところが息子の軽はずみな行動で田舎の地主同士の抗争が激化、血で血を洗う戦争となる(爆弾でダムを破壊して大洪水を起こしたり、なかなかのスペクタクルである)。最初は「田舎にいると息がつまる」などと言っていた息子も、村への愛に目覚め、都会での生活をあきらめ、父の後継ぎとして田舎で生きる決意をする。そして都会の娘に別れを告げ、田舎の娘と結婚し、村のために戦い続けるというお話しだ。
 まずインドの田舎の描写が素晴らしい。理解不能なまでに素朴で純粋、そして野蛮で残酷な村人たちの生活は、日本の常識など宇宙の彼方にぶっ飛ぶファンタジー空間である。先にあげた「Shakti」といい、この前見た「Lajja」といい、インドの田舎はつくづくすさまじい。
タブ さらに素晴らしいのが後半のヒロイン・田舎の娘を演じるタブだ。演技派の名に恥じぬ、見事な田舎娘の演技だった。俺は今までの人生でこれほど見事な田舎娘の演技を見たことがない。このタブの演技だけでもこの映画を傑作と呼ぶに値する。
 ちなみに前半のヒロイン、都会の娘を演じるのは名前も知らない新人の女優さんで、彼女のそれなりに明るく軽薄な雰囲気は微妙に役どころとピッタリだった。「Shakti」の奥さんは田舎の水が合わず終始ビクビクオドオドするだけだったが、こちらは恋人が村人同士の抗争に巻き込まれても、笑いながらまわりを飛び跳ね写真をとりまくる脳天気さ。こういうたまに出没するアホなところがかなり笑える。
 映像が美しく、アクションシーンもうまい。音楽も良い。かなり完成度は高いが、やはりこの映画の魅力は田舎の描写とタブの演技に尽きるのだ。

2004年 5月 10日 (月)
 デニーズで食事。最近デニーズでは旬の味としてマンゴーに力を入れている。先週食べてみたが、マンゴーに四角い切れ目が入っていて、甚だ食べにくかった。今日はウエイトレスに切れ目を入れない状態ができるなら注文したいと言ってみた。そしたらその通りにしてくれた。やはりこの方が食べやすかった。マンゴーとかメロンの類いはやはり切れ目を入れず、スプーンでズボッとえぐりとって食べるのがもっとも好ましい。

2004年 5月 11日 (火)
 あるネット配信のラジオ座談会というのに呼ばれ、参加した。参加者は同業者が三名。美女1名。われわれの業界についての現状と将来の展望をざっくばらんに話し合った。インターネット配信のラジオ番組というのも良く解らない企画で、企画そのものがピンとこないので果たして面白いものになったのか確信がないが、収録の経験そのものは面白く有意義だった。

 なんだかいきなり忙しくなってきた。最近だらけていたので気を引き締めなおしてがんばろう。

2004年 5月 12日 (水)
 今週は忙しかった。タランティーノの「レザボアドッグス」を2回見返す暇くらいはあったが、さすがに日記を書く暇はなかった。日付けは12日だが、これを書いているのはすでに16日である。以前、日記に「忙しい忙しい」と書いてばかりいたら、俺が本当に忙しいとか仕事熱心な人物であるとか誤解する方が結構いたので、最近はあまり書かないようにしていたのだが、今週は本当に忙しかったのでいいだろう。

 消滅したかと思われた仕事の取り引きが復活した。とりあえず良かったと言っておく。ただ今後の付き合いを慎重に考えてゆかねば、同じことの繰り返しになる可能性は無きにしもあらず。暫くは緊張状態が続くので大丈夫かと思われるが、それはそれで雰囲気的に堅苦しい。すべては俺の頭の中の妄想である。

2004年 5月 13日 (木)
 ホタルさん家を訪問。最近映像制作に凝っている彼女の撮影のお手伝いをする予定だったのだが、話をしているだけで帰る時間が来てしまった。よくあることだ。しかし映像制作の主旨がより深く理解できたので、俺にとっては間接的にだが一応の前進があったと言えるだろう。しかし世界観がアングラすぎてついてゆくのが大変である。果たして、これが収益に結びつく日がくるのだろうか。


 深夜12時すぎ、悠里が発作をおこして睡眠薬を16錠、抗精神薬20錠いっきに飲んで昏睡状態におちいった。慌てて病院に電話をすると、まず命には別状はないが、いちおう胃を洗浄した方がよいと言われた。すぐ119番に電話して、救急車を呼んだ。
 生まれて初めて救急車にのった。後で聞いたら悠里は二回目だそうだ。
 悠里が病院にかつぎこまれ、胃の洗浄が終わるあいだ、俺は廊下でじっと待った。
 ずいぶん時間がたってから、先生がやってきて、ずっと抵抗されて手こずったが、やっと洗浄の管をのんでくれたと言った。いままでジタバタしていたのか。
 また暫くして先生がやってきて、胃から未消化のカレーが大量にでてきたので薬はあまり吸収されていなさそうなので大丈夫でしょうと言った。俺のつくったカレーだ。
 さらに暫くして、やっと洗浄が終わった。
 病室に入ると、悠里がアホみたいな顔で先生と話をしている。頭がボーッとしているらしい。面倒な手続きをさっと終わらせ、タクシーで帰った。タクシーのなか、悠里は相変わらずボーッとしていた。
 さっさと寝かせて、俺は事務所に戻った。

2004年 5月 14日 (金)
 深夜なにげなくテレビで食品の通販番組が目に止まり、下手なグルメ番組よりよほど面白くてずっと見ていた。なるほど確かにグルメ番組というのは食い物を如何にうまそうに見せるかがポイントだから、番組を面白くして間接的にスポンサーCMに視聴者を集めるより、うまそうに見せることそのものが売上に直結する食品の通販番組の方が、いずれここまでのクオリティに達するのは自然の成り行きだったと言えるかもしれない。酒も飲めないのに思わずスルメを注文しそうになった。

2004年 5月 15日 (土)
 事務所の蛍光灯が三つもいっぺんに切れたので新しいのを買って取り替えた。古い蛍光灯は今日、燃えないゴミの日だったので袋に入れて捨ててきた。果たして蛍光灯は燃えないゴミとして捨てて良いものだろうか、一抹の不安があった。
 そんな矢先、いきなりビルの管理人さんから電話があった。
 「もしもし?」
 「管理人ですけど」
 「ど、どうも」
 不安がしだいに形をおびてくる。
 「ちょっとお話があるんですが」
 「ど、どういったご用件でしょうか?」
 心臓がバクバク脈うつ。怒られてしまうのか。
 「実は、今日の四時までにクレジットカードの支払いをしなければならなくてですね」
 「……はあ?」
 「3万5千円たりなくて、どうにかならないかと思いまして」
 「……はあ?」
 「3万5千円でいいんで、ちょっと貸していただけませんかね」
 「……あの、よくわからないんですが」
 「ですから、クレジットカードの支払いに足りないんですよ」
 「誰の?」
 「だから私のです」
 「なんであなたのクレジットカードの支払いを私が?」
 「ええ、ですからちょっとお願いできないかと」
 「もちろん駄目ですが」
 「ダメですかね?」
 「そりゃダメですよ。だってそんな親しい仲じゃないじゃないですか」
 『親しい仲』どころか、一度も話したことがない。何度か「おはようございます」と言ったことがあるだけである。
 「そうですかぁ、ダメですかぁ」
 「お役に立てなくて申し訳ありませんが」
 「いえいえ、いいんです。じゃあ」
 そうして不気味な電話は切れた。頭がクラクラした。蛍光灯の懸念もどこ吹く風だ。
 ここのビル、この管理人さんで大丈夫だろうか。

2004年 5月 16日 (日)
 近所に図書館があるのは知っていたが、行ったことはなかった。今日、悠里に案内されて、行ってみた。早速、登録し、図書カードをつくった。図書館は以前から格好の遊び場だったので、非常に嬉しい。なんでもっと早く来なかったのかと思った。これからは本は買わずにここで借りよう。

2004年 5月 17日 (月)
 カレーをつくったが失敗。ひとくちも食わずにぜんぶ捨てる。

2004年 5月 18日 (火)
 渋谷のSMクラブの店長さんと久しぶりにお会いする。
 彼は、SM業界に知り合いの多い俺のSM業界の知り合いの中でも、もっとも古い知り合いである。つまり生まれて初めて知り合ったSM業界の知りあいだ。
 いろいろ実のある話しをして、新たな展開へと一歩を踏みだした。

 事務所に戻ってサイトをチェックしたら、三ヶ月ぶりに「幻想異端小学校」が更新されていた。誰かと思って読んでみると、ケンちゃんだった。会社で仕事中に何を書いておるのだ。でも許す。

2004年 5月 19日 (水)
 ヤボ用で横浜へ行ったついでに中華街による。
 まずは豚まんを食って腹ごしらえ。前回きたときは店を間違えてまずい豚まんを食べさせられたので、今度はちゃんとした店を選んで食べた。確かにうまかったが、やはり十年くらいまえ生まれて初めて食ったときのあの衝撃的なうまさには程遠いような気がする。中華街の豚まんは味が落ちたのか、それともまだ店が違うのか。しかし中華街で売られている豚まんは大もとは四つくらいだと言う。やはり気のせいか。
 喫茶店でお茶して、ゴマだんごを買い、占いをして、帰った。

キルビル2 なぜかタランティーノの「ジャッキー・ブラウン」の最初と最後に流れてくるあの曲が、朝から脳内BGMでかかりっぱなしだった。
 仕方がないので横浜の帰り新宿で、衝動的に「キル・ビル vol.2」を見にいった。
 さっそく感想だ。
 いや面白かった。
 確かにvol.1とだいぶ雰囲気が違う。この作品の要素をおおまかに分けると、映画オタクであるタランティーノが敬愛する古今東西のB級〜Z級映画(日本のヤクザ映画、香港のカンフー映画、アメリカの60〜70年代のバイオレンス映画など)のオマージュ・パロディ・パクりの寄せ集めと、いつものタランティーノ節(構成、会話など)の二つということになる。vol.1は前者が大きくウエイトを占めており、vol.2は後者が素晴らしく生きている。ただ一回見ただけではそれぞれの要素がとけあっておらず、どちらも映画全体の印象としては甚だチグハグなので、結局はこちらの要素が多い、あちらの要素が少ない、というような量の問題でしかなく、同じと言えば同じだ。
 まったくチグハグもいいとこで、あたかも「パルプ・フィクション」のごときセンスの良い会話のなかに、「師匠はお前に五点掌爆心拳を教えたのか」だとか「服部半蔵の名刀は250ドルで売っちまったよ」みたいなセリフが迷いこむ。ちなみに後者のセリフを発したのは「レザボア・ドッグス」でブロンド役だったやつだ。
 vol.1はザッピー的にはゴーゴー夕張という希代の萌えキャラによって傑作へと昇華されたバカ映画だったが、vol.2は「パルプ・フィクション」や「レザボア・ドッグス」にあった会話や構成のセンスが前面に押し出され、いつものタランティーノだと思って安心して楽しめる。ただその分、バカさ加減は薄まっているし、だいいちタランティーノ的な面白さだったら「パルプ・フィクション」や「レザボア・ドッグス」の完成度にはおよばない。
 結論としては、見ている最中はvol.2の方が面白いが、見終わった後はvol.1の方が面白かったという感じである。
 ちなみにタランティーノは冗談か本気か15年後にvol.3を制作するなどと言っているらしい。vol.1とvol.2、編集しなおして一本の映画にまとめてほしいという願望はいまだに捨てきれないが、これだけ2作の雰囲気が違うと、恐らくタランティーノのことだからvol.3もまたぜんぜん違った感じにする可能性が高いだけに(ジャッキー・ブラウンみたいになるのか?)、ヘタにつなげず分離したまま待っていたいという気にもなる。
 まあ結局なんでもいいのだ。俺はただ出てきたものを楽しむだけだ。

 ああ、ちなみにvol.1の感想は2003年11月10日の日記にある。

2004年 5月 20日 (木)
 日記のcgiがぶっこわれた。しばらく悩んで、なんとか復旧した。またいつぶっこわれるか気が気ではない。

2004年 5月 21日 (金)
 「蒼天航路」の第三十一巻が発売された。早速買って読んだ。週刊モーニングのふたまわり大きな紙面で見た時はさらに素敵だったが、この巻に展開されている孫権みずから率いる呉軍と、張遼が率いる魏軍との合肥での決戦シーンは前代未聞の迫力で、スピード感、重量感、テンポなどとくに面白く描かれている。この漫画、最近は昔とくらべて内容が薄くなったような気がするが、画力は巻をおうごとに目覚ましく進歩していてすさまじい。

2004年 5月 22日 (土)
 エクセシオールカフェで派遣会社の営業と極めて意味のない商談をした。

2004年 5月 23日 (日)
 悠里の体調がよくないので、元気をつけさせようとスッポン料理を食べに行く。ふたりで一匹食べた。唐揚げは俺が脚で、悠里がどこかの肉だった。鍋では俺は首と尻尾と脚と甲羅、悠里は甲羅を中心に脚などを食べた。うまかった。内臓の刺身も最高だった。

2004年 5月 24日 (月)
 デニーズで食事。オニオングラタンスープと豆乳仕立ての野菜ごっそりスープ・サラダとカツカレーをたのんだ。オニオングラタンスープだけはうまかったが、豆乳仕立ての野菜ごっそりスープ・サラダは塩気がまるでなく豆臭いだけでやたらまずく、カツカレーはターメリックが多すぎるのか泥臭くてうまくない。出来の悪い食事だった。口直しに食後はフレッシュマンゴー(切れ目なし)を食べた。

2004年 5月 25日 (火)
 夕方、腹が減って仕事ができなくなったので、さぼてん(とんかつ屋)で少し遅めの昼食をとった。いつもは二杯だけだが、今日はめずらしく三杯もご飯をおかわりした。かなり腹がいっぱいになった。その後、仕事をするのが辛かった。

2004年 5月 26日 (水)
ロロ インド映画「Coolie No.1」を見た。デビッド・ダワン監督のナンバルワン・シリーズで、主演は定番のゴヴィンダとカリシュマ・カプール。いつもながらの同じような映画で、最初の十分で飽き、残りはずっとあくびをしたりめしを食ったりジャンクフードを食べたり寝転がったり考えごとをしたりして適当に流し、面白いところだけ集中して見た。相変わらずカリシュマ・カプールの百万ルピーの笑顔と元気な踊りは楽しかった。それだけの映画だが、それだけで十分なのだ。
 ちなみに画像はカリシュマ・カプールだが、映画とは関係ない。

2004年 5月 27日 (木)
 ちょっとした再会。
 示唆的な忘れ物。
 介護あるいは子守。

2004年 5月 28日 (金)
 悠里を病院に連れてゆく。なぜか今日は眠くて、電車の中や待合室ではずっと居眠りをしていた。先生に入院を強く勧められていたが、彼女の親が反対しているので黙ってさせるわけにもいかず、自分としても最初から気がすすまないので説得する気力もない。けっきょく薬で通院でなおすことになった。当然ですな。

 事務所の蛍光灯のまわりを甲虫が羽音をたて飛び交っており非常にうるさい。

2004年 5月 29日 (土)

おねがい おねがい
キズつけないで
わたしのハートが
クチュクチュしちゃうの


 というわけで、公開初日のオールナイトで「キューティーハニー」を見に行ってきた。
 普通に面白く、普通につまらなかった。まあどちらかというと面白かったかな。とにかくバカバカしい映画だ。こういう作り方だと、欠点もある意味、意図的っぽく思えてトクである。
 ハニーが変身するたびにしゃべり方が変わる演出がよかった。ハニメーションもチャチで楽しかった。「にょ〜」とか「じゃっ」とかアニメ言葉が効果的に使われていてよかった。最初と最後のハニーフラッシュがよかった。佐藤江梨子にとくべつ興味はなかったが、振り返りみれば庵野よりも永井豪よりも佐藤江梨子の映画という印象だった。日曜の朝の子供向けヒーロードラマみたいな安っぽい映像に、たまに垣間みえる創意にみちたカメラワークがよかった。サウンドトラックにちゃんと「夜霧のハニー」も押さえてあったのがよかった。サトエリの露出はもう少しあってもよかったんじゃないかな。とくになんだ、あのキューティーハニーに変身したときのピンクのスーツの下に着ている服は。宣伝用ポスターなどでは生肌なのに(画像参照)、これじゃまるで詐欺じゃないか。
キューティーハニー あと旧テレビアニメで俺が唯一気に食わなかった問題点がクリアされていたのがよかった。というのは、去年レンタルで久しぶりにと旧アニメの「キューティーハニー」を借りてみたところ、どうしても納得いかない点がひとつあったのだ。クライマックスでハニーが必ずまくしたてるあのセリフ。
 「ある時はバイクレーサー、ある時はサラリーマン、ある時はストリートシンガー、そしてその実体は、愛の戦士、キューティーハニーさ!」
 このセリフがでると、パンサークローは必ず「なんと!」と驚く。しかし、ほとんどのエピソードでは、パンサークローはそれらの変装した姿の正体がキューティーハニーであると知っているか、少なくともそのセリフが発せられる前にバレているケースの方が多かったのだ。にもかかわらず、毎回ハニーはかならず定番のこのセリフを吐き、敵は知っていたにもかかわらず、わざとらしく驚いてみせる。十数年ぶりにキューティーハニーを見てみて、俺はこの点がどうしても納得いかなかった。ストーリーでの裏付けをないがしろにして、習慣的にただセリフを言わせるだけの体たらくとは、古いアニメと言えど、許されるものではない。
 余談だが去年あたり子供の頃にみたアニメ作品をビデオやテレビの再放送でひととおり再見してみたが(2003年2月3日の日記参照)、おおまかに四つのケースに分かれた。昔(子供の頃)は面白かったが、今みたらつまらなかったもの、そしてその逆、昔も今も面白かったもの、そしてまたその逆である。
 昔はつまらなかったが、今みたら至極面白かったものの代表では「科学忍者隊ガッチャマン」があげられる。派手な武器やメカの要素にとぼしく、子供の頃はパッとしないアニメだと思っていたが、今みてみるとかなり深いドラマ性と精密なキャラクター設定にささえられた傑作アニメであった。
 昔も今もつまらなかったものの代表では「新造人間キャシャーン」がある。お話しは紋切り型のヒューマニズムを前面に押し出した退屈なドラマが中心で、アクションは毎回同じフィルムを使い回すことがほとんど。今みると設定は大したものだったが、やはり子供の頃と同様、退屈した。
 昔も今も面白かったものではやはり「タイムボカン」が筆頭にあげられよう。子供の頃、毎回テレビの前で腹をかかえて笑ったアニメだが、今みてもその笑いのクオリティはまったく衰えず、かなり驚異的な傑作アニメである。よく考えたらここまではみんなタツノコ・プロじゃないか。
 そして昔は面白かったが今みたらちょっと失望してしまったアニメの代表が、「キューティーハニー」なのだった。話しがだいぶそれたが、理由は先に書いた通りである。だいいいち、あのセリフは水戸黄門の印籠とおなじく、「キューティーハニー」の作品をささえる重要な決めゼリフではないか。すでに公然の事実であることを「その実体は…」などと言ってなんのカタルシスがあろうか。ない。
キューティーハニー で庵野の実写版では、この「ある時は…」のセリフがハニーが初めて登場する冒頭のシーンのみで使われ、それ以降はでてこない。この点はとてもいいと思った。あくまでも個人的な俺のこだわりだ。
 映画をみおわったあと、売店にならぶハニー商品のどれか買えば庵野のサイン入りの色紙とポスターとパンフレットがもらえるというので(別にほしくはなかったが)、商品をみてみると、94年に制作されたOVA「新キューティーハニー」のDVDが目にはいり、思わず買った。昔レンタルで借りてみてかなり萌えた作品で、正直俺は「キューティーハニー」はこれが一番好きである。

2004年 5月 30日 (日)
 悠里がどこぞで無料券をゲットした、「ルミネtheよしもと」を見に行った。これは新宿南口のルミネで毎日おこなわれている吉本興業のお笑いイベントである。まず最初に小一時間ほど長いコントがあり、後半一時間でお笑いグループ達の単発のネタがならぶという構成だ。日本のお笑いはあまり見る機会がないので貴重な体験だった。
 前半のコントでは山崎邦正、今田耕司、山田花子などが出ていた。冒頭からかなりゆるい笑いが連発したが、たまに面白かったり強引だったりでそれなりに笑うところもあった。後半の単発もののネタと比べると圧倒的にタレントの芸風の面でレベルの低さが目につくが、これはこのレベルで定着してしまったまま、ひとりひとりが他の芸人と歩調をあわせつつ、ある一定レベルの範囲内でしか頭をつかうことができずにいるような悪循環のごときものを感じるのだが、いかがなものだろう。
 後半ではペナルティ、陣内智則、B&B、ブラザース、トータルテンボス、ハローバイバイなどが次々と出てきて、それぞれ十分ほどのネタを披露した。全体的に前半よりもはるかに面白かった。陣内智則はテレビで何度か目にしたことがあり、かなり面白いと思っていたので出てきた時は嬉しかった(出演者リストは事前にみていたが、名前は知らなかったのである)。いままでテレビで見たネタと比べて一番レベルは低かったが、本日のイベントのなかではもっとも面白いものだった。B&Bはかつて日本の漫才ブームの中心的存在だった大御所であるが、一番面白くなかった。ただ彼等の漫才は当時から何が面白いのかさっぱり解らなかったので、まあこんなもんだろう。残りの二人組のやつらはどれがどれだか解らないが、どれもそれなりに笑えた。
 また行きたいと思う。というのは嘘である。

2004年 5月 31日 (月)
 洗濯。冷しトマト坦々麺。パルプ・フィクション。


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