非幻想異端的日常
2004年 10月 1日 (金)
 昨日スッポンを食ったせいで、なんかやたら胃の調子がいい。きっと胃の丈夫なスッポンにあたったのだろう。最近胃腸が弱かったのでちょうどよい。

2004年 10月 2日 (土)
 最近レンタルで毎週ジャッキー・チェンの昔の映画を借りてみて楽しんでいる。やはりジャッキー・チェンはいにしえを舞台にした拳劇ものが面白い。とくに「蛇拳」と「酔拳」は双璧であろう。映画的には「蛇拳」の方が完成度が高いが、カンフーを楽しむのなら「酔拳」も捨て難い。次に面白いのが「ヤングマスター」と「笑拳」。「ヤングマスター」はちょっとくどいところがあって賛否両論だが、俺は好きだ。敵キャラのベストは「笑拳」の鉄の爪(フリッツ・フォン・エリックではない)であろう。名前もいいが、闘いもいい。子供の頃一番好きだったのが実は「カンニングモンキー/天中拳」なのだが、今見るとえらく下手クソでつまらなかった。しかも借りてきたビデオはアメリカ版らしく、公開当時に日本が勝手に挿入したとおぼしきタケカワユキヒデの主題歌が影も形もなかった。まあ次は「ドラゴンロード」と「龍拳」あたりを借りてみよう。

2004年 10月 3日 (日)
 現在、かの「蒼天航路」のクロニクル・エディションなるものがコンビニ・書店で毎月発売されている。これは本のサイズも中の文字も雑誌連載時のものをそのまま再現し、一冊に単行本三つ分をつめこんだという、ファンでない方も必見のアイテムである。
 雑誌連載時そのままと言っても、やはり登場人物の名前は曹操孟徳→曹孟徳、劉備玄徳→劉玄徳という風に直されていた。というのは中国のこの頃の名前は例えば曹操孟徳なら曹が姓、操が名、字名が孟徳であり、劉備玄徳なら劉が姓、備が名、字名が玄徳となるのだが、そもそも字名というのは名前を呼ぶ代わりにつけるものなので、曹操孟徳や劉備玄徳という呼び方はあり得ないのだ。ところが連載開始当時の「蒼天航路」では平気で登場人物に「曹操孟徳!」だとか「劉備玄徳!」などと呼ばせていたので、ここはさすがに直されているわけだ。ちなみにおまけでついている電車内中吊り広告は直っていないのでこれもまた貴重である。
 8月発売の第一号はすぐに買ったが、9月19日発売の第二号はなかなか見つからず、ネットでも注文できないので、これは買い逃したかとあせっていたが、先日西新宿でやっと発見できた。一時はどうなることかと思った。
 ついでに「かってに改蔵」のスペシャルセレクションなんてのが売っていたのでそれも買った。

2004年 10月 4日 (月)
ドリュー・バリモア レンタルでスティーブン・キング原作の映画「炎の少女チャーリー」の中古ビデオが五百円で売っていたので買ってみた。主演はかのドリュー・バリモアうら若き十歳の頃で、当時ドリュー・バリモアの大ファンだった俺はこの映画をくり返し見たものだった。そう、俺は昔ロリコンだったのだ。一説によると十代で幼女が好きでもロリコンとは呼ばないらしいが、とにかく早すぎたロリコン少年であった俺にとって、林美穂とドリュー・バリモアは日米を代表するロリータ・アイドルだった。第八回幻想異端文学大賞のテーマをきっかけに最近になって昔好きだったロリータの作品をつぶさに見るようになったが、なんかこの頃街で幼い少女を見かけると少なからず気持ちが萌えるようになってしまい、ひょっとしてロリコン再燃かと心配している。とにかく久しぶりに見た「炎の少女チャーリー」はいろいろな発見があって面白かった。何よりもドリュー・バリモアは当時その年齢に似合わぬ卓越した演技力で天才少女と囃され、俺も彼女の演技の素晴らしさに感動していたものだったが、なぜか今見るとかなり不自然にわざとらしく、むしろ笑える。ひょっとしたらドリュー・バリモアの演技は決してうまかったのではなく、子供なのに大人のような演技をするところが面白くて人気があったのかもしれない。
 当時のドリュー・バリモアの映画ではもうひとつあまり有名ではないが「ペーパー・ファミリー(原題:irreconcilable differences)」という映画が大好きなので、これを機にあのビデオも入手しよう。あの映画は下積み時代のシャロン・ストーンが脇毛の生えたお姉さん役で出ていたり、お母さん役のシェリー・ロングのキュートなコメディエンヌとしての演技に感激し大ファンになったりと、何かと思い出深い映画であった。

2004年 10月 5日 (火)
 鴬谷、池袋と徘徊。ふたつも予定がつぶれた。せっかく時間の効率をはかって外出予定を一日に集中させてもこれでは仕方がない。

2004年 10月 6日 (水)
赤い橋の下のぬるい水 今村昌平監督の日本映画「赤い橋の下のぬるい水」を見た。まあなかなか面白かった。俺が映画少年だった高校の頃、日本映画界にどうも好きになれない監督がふたりいた。相米真二と今村昌平だ。この両監督の映画には共通のドロドロとした救い様のなさみたいなものが漂っていて、感受性の強かったあの頃の俺は彼等の映画を見ていていつも気分が落ちこんだものだった(例外として「復讐するは我にあり」だけは好きだった)。時はすぎ、相米真二はその毒をまんまトーンダウンさせたような形で消滅したが、今村昌平は「黒い雨」あたりから毒がぬけはじめ、暫しの沈黙の後、近年になってそれなりに面白い映画をつくるようになった。「うなぎ」もほのぼのとしてなかなか面白かったが、これもなかなかの佳作である。ようするにこれは一風変わった宝探しの物語なのだ。今村昌平の昔のドロドロした映画はよく噴水のように血が吹き出るシーンがあったが、これは違うものが吹き出る映画で、撮り方が一緒なだけにセルフパロディ的なユーモアを感じた。ちなみに「カンゾー先生」は安吾の原作を読んでから見るつもりなのでまだ見ていない。

2004年 10月 7日 (木)
 渋谷、歌舞伎町、大塚、池袋、西船橋とまわった。
 一日でこれだけあちこちまわったのは久しぶりだ。
 思ったよりは疲れなかったが、それなりに疲れた。

2004年 10月 8日 (金)
 六本木でクライアントの新しい担当者と初対面でご挨拶。仕事の話しが終わり、雑談をしていたら途中でいきなり悠里がやって来て驚いた。ここのクライアントと悠里は顔見知りなのだ。

2004年 10月 9日 (土)
キルビル ネット通販でついにタランティーノの「キルビル」vol.1&vol.2のDVDボックスセットを買った。さっそくvol.1を再見。思いきり楽しんだ。映画館で見た時より楽しめた。気になっていた下手な日本語もこれはこれで笑って聞いていればそれなりに楽しい。ユマ・サーマンだけはやっぱりもっとピッタリの女優がありえたような気がして納得いかないが、なによりも現代のアメリカでこういう映画が作られたという事実を最大限に喜びたい。ゴーゴー夕張とブライドが戦うシーンなど十回くらい見てしまった。

2004年 10月 10日 (日)
 占い師の先生のお茶会に招かれ、悠里と赤羽のタイ料理屋に行った。俺は焼きビーフン、悠里は辛味噌チャーハンを食べた。俺は久しぶり、悠里は初めてのタイ料理で、とてもうまかった。食事のあと占いをしてもらい、いろいろとためになることを言われた。最後にタイの紅茶をごちそうになった。ところが不運にも俺は紅茶が非常に苦手な人間で、飲むと必ずみぞおちが痛くなる。ちょっと飲んでみたらなかなかうまかったので、食事の後だし少しなら大丈夫かと思って二三口飲んだら、夜かなりみぞおちが痛くなって苦しんだ。

2004年 10月 11日 (月)
アジア食堂 昨日のお茶会ですっかりタイ料理好きになってしまった悠里がどうしてもタイ料理がまた食べたいと言うので、近所の「アジア食堂」というレストランに連れていった。ここは広東料理とタイ料理の両方が食べられる。生春巻き、焼きビーフン、エビ団子、タイスキなどを注文した。とってもうまかったことはうまかったのだが、どちらかというと全体的に広東料理よりで、焼きビーフンなど見た目はタイ料理そのものながら味は中華風であった。辛うじてナンプラーの香りがしたタイスキが一番タイ料理っぽかった。うまかったが、二度と行く気にならない店というのがたまにある。その典型だった。次に中華料理が食いたくなったときはそれ専門の店に行くだろうし、タイ料理が食いたくなったらそれ専門の店に行くことだろう。みんなで飲みに行くのでとりあえず無難なものをというときにはちょうど良いかもしれない。

2004年 10月 12日 (火)
恋愛小説家 ジャック・ニコルソン主演の「恋愛小説家」という映画を見た。最初はやたら演出が下手クソに見えてどうしようかと思ったが、だんだんそれなりに見れる感じになってきて、最後まで普通に見れた。でも結局のところあまり面白い映画ではなかった。久しぶりにジャック・ニコルソンの映画を見たが、彼もオーラが薄くなってきたものだ。ふと樹木希林を思った。歳をとるにつれ演技に渋みと深みが増し、オーラを強めてゆく俳優が多い中、昔そこにいるだけでとてつもないオーラを放ったような俳優などは、逆にやわらかく落ち着いてくるものなのかもしれない。

 タランティーノの「キルビル」vol.1、2をDVDでくり返し見るにつれ、俺はこの映画が最高に好きになってしまった。この作品のキモはやはりストーリーとキャラクターだな。復讐劇という単純なモチーフに、それぞれのキャラのバックグラウンドが立体的に描かれ、それがZ軸にそって相互にからみあい、この壮大な大河ドラマを構築している。なぜブライドは復讐しなければならないのか、なぜエルはブライドを憎み、バドを殺すのか、なぜバドはビルと離別したのか、なのになぜビルとバドはまだ仲が良いのか、そもそもなぜ、ビルはブライドを撃ったのか、そしていつどこでプッシーワゴンはクラッシュしたのか。あれらの音楽はなぜそこでかかるのか、どうしてカメラはあんな動き方をするのか、どうしてこんな俳優があんな役を演じ、そんな台詞をしゃべるのか。まるで夜空を眺めながら宇宙の果てを探そうとでもするかのように、そんなことをあれこれ考えながらこの映画を何度も見ていると、この映画の魅力が解ってくることだろう。
 そういえばさっき見ていて思い出したのだが、服部半蔵の側近を演じる大葉健二、こいつはかの漫画が原作の実写映画「コータローまかりとおる!」で天光寺輝彦を演じた俳優ではないか。タランティーノがいかにマニアだからと言って、まさかあんな映画まで見ているとは思えないが、「キルビル」の中で千葉真一に「このハゲ!」とバカにされた大葉健二が「ハゲじゃねえ、これは剃ってるだけだ!」と天光寺ばりに言い返すシーンがあるのは偶然であろうか。

2004年 10月 13日 (水)
 天然石の買い付けに行った。石はひとつひとつ違うので、やはり実際に見て選んで入手するのが一番だ。
 ルチルクォーツはやはり根強い人気があり、先月入荷したらすぐに売れたので、今回もグレードの高いやつから石の透明度や金の筋の入り方のいいやつを特に選んで入れることにした。ラピスラズリも色が濃くて奇麗に金の模様が入ったものを選んだ。
 前から個人的にパイライトの原石がほしかったので、かっこいい手ごろな大きさのものを選んだ。これはいったん店で売りに出し、暫く誰も買わないようだったらサンプル品という名目で俺が貰い事務所に飾る予定である。これは最近よくやる手だ(9月7日の日記参照)。というわけでみんな、パイライトの原石は買わないように。ちなみにラピスラズリにまぶしてある金の模様がパイライトだということを最近になって知った。
 あと何か珍しいものをといろいろ見せてもらったら、ストロベリークォーツのブレスレットが安くあったので三つほど入手した。これはルチルクォーツの金の部分がイチゴ色になっている珍しいもので、希少の割には安いのでお買得である。最後にグリーン・フローライトとレインボー・フローライトで非常に透明度の高い奇麗なものがリーズナブルな価格であったので、それでブレスレットをふたつづつ作ってもらうことにした。これはグレードが高い割には安いので、来月の新商品はこのあたりが要チェックである。
 石を選び終わった後、担当の方と暫く映画や仕事のことについて雑談をし、帰った。帰りの電車では夏目漱石を読んでいた。疲れていたのかそのうち眠くなり、降りる駅を一時間ほど過ぎるまで熟睡した。

2004年 10月 14日 (木)
 何を書けと言うのだ、この俺に。

2004年 10月 15日 (金)
 週刊モーニングを読みながら大江戸線に乗り、本郷三丁目へ。二週間に一度訪れる定番の木曜日である。ゆるやかに飛んできたボールを両手で受け止めるように用事を終わらせ、再び大江戸線に乗り新宿へと帰った。このあと池袋に用事があったのだが、電話をしたら先方が忘れていて月曜日に延期になった。仕方なく暇つぶしに新宿駅を大きくぐるっと回って事務所に戻った。

2004年 10月 16日 (土)
 最近、胃の調子が悪い。すきっ腹の時も痛いし、何か食った後も痛む。痛まなくても、食後は最低限胸焼けをする。知らない間に何か生活上でストレスでもあったのか、悪いものでも食ったのか、原因は定かではない。

2004年 10月 17日 (日)
 布袋と梶芽衣子の曲が欲しくて、レンタルで久しぶりに音楽コーナーに寄り、「キルビル vol.1」のサントラを借りた。
 ついでに他を見ていたら、インドの小室哲哉と言われているラフマーン(日本で有名になったときが小室の全盛期だったため、いまだにこう呼ぶ。いや、俺だけか?)のベスト盤があったので、有無を言わず借りてきた。以前タワレコで注文しようとして廃盤になってたやつだ。よくあったな、こんなもの。
bombay 収録曲で注目すべきは、かの名作「ボンベイ」のテーマ曲である。「ボンベイ」のサントラも廃盤になってしまって買いそびれたが、この名曲にこんなところで出会えるとは思わなかった。さっそくiPodに入れて、一日中聴きまくっている。こいつはインドの歌では「Pardesi」に匹敵する名曲だ。
 「キルビル vol.1」のサントラはかなり雑多だが、それなりによかった。

2004年 10月 18日 (月)
 一日中ゆっくりしていた。

2004年 10月 19日 (火)
 第八回幻想異端文学大賞第二部門【連続殺人鬼を描こう!】の部門賞を発表した。大方の皆様の予想どおりの結果になった。
 まあ、今回新設した第二部門に関する俺の見解は掲示板に書いた通りである(2004年10月24の書き込み参照)。おそらく次回からはもうやらないと思う。

2004年 10月 20日 (水)
 久しぶりに24時間以上眠らず起きていた。

2004年 10月 21日 (木)
パニール・カティ・ロール 昨日24時間も仕事したからか、立て込んでいた仕事がほとんど片付いて、今日はなんか珍しく暇だった。ここまで仕事に余裕ができたのは久しぶりである。おかげでずっと後回しにしていていつ手をつけられるか解らず又ほとんどやる必要さえなかったような仕事をちまちまやっていた。たまりかねて夜、インド料理を食べに行った。
 最近ハマっている食い物がインド料理の「パニール・カティ・ロール」(画像)である。これはクレープの生地に野菜や肉を巻いて、赤くて甘いチャツネをつけて食うもので(これはお好みによる。そのまま食べてもうまい)、それまでインド料理に来るたびにサイドディッシュをメニューの上からひとつづつ試してきたところが、「パニール・カティ・ロール」にぶち当たった日から進行が止まり、それ以来カレーの前菜に頼むのはこればかりになった。

2004年 10月 22日 (金)
 前歯の差し歯がかけたのと、いくつか虫歯があるようだったので、パークタワー16階の歯医者に予約を取り、本日赴いた。近くに歯医者はいろいろとあったが、ここはうちの父が運営している医学機関のステッカーが貼ってあったので、最終的に決めたものだ。ただそれ自体に特別意味はない。
 レントゲンをとったりして、結局かなりの虫歯があることが判明した。それだけではなく、左上に親知らずがあり、これも抜いた方がよいらしい。俺は普通に「ああ、そうですか」と返事をしたが、後で知人に聞いたら親知らずを抜くというのはかなり大変なことらしい。また、前歯の差し歯がかけた部分の歯茎が化膿しており、たまった膿がたえきれなくなり、歯茎の上の方の肉をつきやぶってもれていたりした。どうりでここ数カ月、正面上の歯茎を押すと痛かったわけだ。ボロボロじゃないか、俺の歯。
 今日はとりあえずかけた前歯の差し歯を取り外し、仮の歯を入れてくれた。

 夜、業種は違うが一応社長友達の雅珍公君と懇親会のような飲み会をスッポン料理で開いた。雅珍公君は十年ほど昔俺と同じ会社で働いていたことがあり、その後様々な職を転々として、独立して今に至っている。俺がこうして独立したのは少なからず彼の影響がからんでいる。ちなみに彼はリレー小説「ソドム1999」の第七話を書いたやつだ。
スッポンの刺身 会うのは久しぶりだった。疲れているらしく、ちょっと元気がなかった。元気がないといえば、今日のスッポンはまたえらく元気がなかった。元気のないスッポンは食えばすぐに解る。元気のないスッポンは、食っても元気がでないのだ。おまけに唐揚げにかぶりついた瞬間、今日入れたばかりの仮差し歯がポロリと落ち、みっともない顔になってしまった。そんな間抜けな顔で、雅君とタランティーノについて激論をかわしたりしていた。きっとあまり迫力がなかったに違いない。
 元気のないスッポンだったからか、夜はぐっすり眠れた。ちなみに写真はスッポンの刺身である。見た目はグロいが、非常に美味である。

2004年 10月 23日 (土)
 先日中古で「炎の少女チャーリー」のビデオを買って見たのをきっかけに、また幼少の頃のドリュー・バリモアに萌えはじめ(10月4日の日記参照)、Yahooオークションでかの「ペーパーファミリー」を探したらあったので入札したら、わずか80円で落札できた。これに送料をプラスしてしめて470円である。なにか間違っているような気もするが、まあいい。
 早速見たが、今見てもなかなかの佳作であった。やはりドリュー・バリモアはこの頃の方がずっといい。今もいいが。
シェリー・ロング この作品はドリュー以外にもシェリー・ロング(画像)という俺のかつての最愛の女優が出演している。今でこそ俺はインドのカリシュマ・カプールにはまっているが、カリシュマ・カプールが俺の前に現れるまでの十年以上に渡って、シェリー・ロングは俺が世界で最も愛する女優でありつづけた。コメディ女優としてはゴールディ・ホーンの知名度に遠く及ばないが、才能ははるかに凌駕すると思う。
 シェリー・ロングとドリュー・バリモアが親子なんて、今見るとえらく贅沢な映画に思える。しかもシャロン・ストーンのワキ毛のオマケつきだ。一生大事にとっておこう。

 前歯がないとえらく麺類が食べにくいことが判明。

2004年 10月 24日 (日)
ラ・フランス デニーズに行ったら去年お気に入りだった季節限定デザート、ラ・フランスがまた復活していたので、嬉々として注文した。去年は上にアイスクリームがのっていたが、今年はシャーベットでややポイントが低い。しかもシャーベットが生クリームに埋まっていて(画像参照)、メニューの写真ではわからなかったところがまた気に食わない。

2004年 10月 25日 (月)
 水野晴郎主演・脚本・監督の「シベリア超特急」を借りて見た。この映画、かなり酷いと聞いていたのだが、そんな酷そうな映画をあえて借りてきたのにはささやかな訳がある。
山下奉文 主演の水野晴郎演ずるは山下奉文陸軍大将。ここでいきなりだが、俺の本名は「奉久」という。そしてこの「奉」の字は、うちの祖父が山下奉文の「奉」の字をとってつけたものなのだ。名前の由来になったほどの人なのに、俺は人生35年間、まったくこの人のことを名前以外に完璧に、それこそ工場から出荷したてのまっさらなコピー用紙のように何も知らなかった。遅れた山下奉文探求を、こういういびつな形で初体験してみるのも一興かと思ったわけだ。
 まあ映画は確かにちょっと酷かった。でも思っていたよりがんばって作っていたので思ったよりは悪くはなかったような気がする。山下奉文に関しては、一応事実をふまえた解説などが盛り込まれていたので、それなりに把握することができた。
 まあ世の中にはいろんな映画がある。

2004年 10月 26日 (火)
 いろいろあって、人生に疲れた。
 俺が人生に疲れるなんて、珍しいこともあるもんだ。

2004年 10月 27日 (水)
カリシュマ・カプール 編集長がやってきた。インド料理を食べ、ためになる仕事のアドバイスをいろいろ貰い、ずっと貸していたインド映画のDVDを返してもらった。夜、久しぶりに再会したインド映画の映像をむさぼるように見た。「Dil to Pagal Hai」のカリシュマ・カプールは初々しい美しさがあっていいね、やっぱり。

2004年 10月 28日 (木)
 歯医者二回目。先週、かけた差し歯を抜いたが、歯茎の奥が化膿していたため(10月22日の日記参照)、すぐに代わりの差し歯を入れることはできず、しばらくは洗浄と消毒とを繰り返さなければならないらしい。その間、無数に点在する小さな虫歯をちょこちょこ治してゆく計画である。今日は前歯の差し歯があったところの横の歯の小さな虫歯を治してくれた。しかしゴールはまだかなり遠い。クライマックスは親知らずか。

2004年 10月 29日 (金)
ロブスター 川越市役所に行ったついでに久しぶりにロブスターが食べたくなって、レッド・ロブスターによった。ここは料理する前の生きたロブスターをお客さんに見せてくれるサービスがあり、知らなくて、いきなり銀の皿に乗ったざわざわうごめくロブスターを持ってこられたときは、一瞬生で食べるのかと思って焦った。暫くしてスチームで料理され、おいしそうに真っ赤になったロブスターがでんとテーブルに置かれた。安心して、溶かしバターにレモンをたっぷりたらし、ロブスターをつけてもしゃもしゃ食った。うまくて死ぬかと思った。

2004年 10月 30日 (土)
 「ねえ、ズボンのチャックにおちんちんをはさんだことある?」
 「少なくとも記憶にはないね」
 「ふうん」
 「ああでも忘れているだけで、遠い昔に一度くらいはあったかもしれない」
 「なんでそう言えるの?」
 「だって、僕はそれがどれだけ痛いか知ってるからさ」

2004年 10月 31日 (日)
 なぜか突然、住居がきれいになった。

 やっとたまっていた日記が書き終わった。
 10月19日からここまで一気に書くのは実に疲れた。
 これからはちゃんと毎日書くようにしよう。
 と、まとめて日記を書く度にそう思う。


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