非幻想異端的日常
2005年 1月 1日 (土)
 一年の計は元旦にあり。と言うが、スロースターターな俺としては最悪、終わりよければすべてよし、な気持ちでいきたいもので、とりあえず正月だからどうだというほどのことはあまりない。
 なのに今朝は十時という驚異的な時間に早起きをしてしまった。早起きした理由は初詣である。近所の熊野神社におもむき、賽銭を投げ込み神様の前で手を合わせ、おみくじを引いた。ちなみに神社に行く途中、最近とみに悪化している痔がまた出てきた。「初痔の出」である。
インドの布 帰りは南新宿に行ってインド雑貨のお店で福袋を買った。インド雑貨の福袋は正月の楽しみのひとつである。帰って中を見てみると、期待していた布やお香などはほとんど入っておらず、アクセサリーや洋服ばかりだったので、ちょっとがっかりした。お香はゼロだし、布は一枚だけだった(画像)。よく買うインド雑貨の通販サイトでも去年良質の福袋があったのでアクセスしてみたら、今年はやってないのか、売ってなかった(明日につづく)。
 
 お雑煮を作って食った。大きな餅を六個も食った。ひとつが普通の切り餅の倍くらいの大きさなので、十二個の餅を食ったことになる。さらに最後に鍋に残った汁をもったいないのでどんぶりいっぱい全部飲んだ。お腹がパンパンになり、テレビを見ているうちに眠くなり、眠った。

2005年 1月 2日 (日)
 おしっこがしたくてたまらなくなり、おしっこをするが、おしっこをしても、おしっこをしても、まだおしっこがしたくてたまらない。困って、俺はえんえんとおしっこをし続けた。そして、目が覚めた。
 以上が俺の初夢であった。目が覚めると、本当におしっこがしたくてたまらなかった。すぐにトイレにかけこみ、おしっこをした。来年はこんなバカな初夢を見ないように、前日は水分をひかえ、ちゃんとおしっこをしてから寝ることにしよう。
 それでもちょっと気になって夢占いのサイトを開いて「おしっこ」は何の象徴か見てみた。ひょっとしたら、おしっこでも大変めでたいものである可能性もあるではないか。
 検索窓に「おしっこ」と入れボタンをクリックすると、こんな意味の言葉が飛び込んできた。
 「尿意をもようしているときのおしっこの夢は意味なし」
 正月早々、意味の無い夢を見てしまった。プラマイゼロではある。しかしなんだか少しさびしいのはなぜだろう。

 よく利用するインド雑貨のお店からメルマガが届いて「福袋売り出しました」と書いてあったので早速アクセスしたら、すでに売り切れていた。数時間で。なんと。かなり落ち込む。

2005年 1月 3日 (月)
 ひたすら食ってはインド映画を見て寝るだけの正月休みも刻々と終わりに近づいている。とりとめないながらもなかなか楽しい正月休みだが、仕事がまた始まることに関してもそれほどやぶさかではない。前向きな人生である。

深津絵里といかりや長介 テレビで「踊る大捜査線THE MOVIE2レインボーブリッジを封鎖せよ!」がやっているのを見つけ、途中からだったが見てみた。ちなみにパート1は確か映画館に見に行った。これがとんでもないパート1の焼き直しであった。ここまでパート1とストーリーもテーマも同じだとさすがに呆れる。本筋の事件(1も2も殺人・誘拐)とサブの事件(1は小泉今日子、2は岡村と、キワモノキャラという点で共通)とおまけの事件(署長がらみ)といった具合に、基本的な構成が同じ。クライマックスでメインキャストが撃たれるところも同じ。俺のおしっこの初夢ほどに意味がない。

2005年 1月 4日 (火)
松尾スズキの頭ン中。 レンタルで「松尾スズキの頭ン中。」というDVDを借りてきた。これは去年地上波で放映された松尾スズキ脚本・出演のコント番組に未放映シーンを追加した DVDである。内容はタイトルの通り、松尾スズキが人を感動させる物語を書く過程を通して、松尾スズキの頭の中はどうなっているのか、を解明してゆくというストーリーだ。かなり笑えて、途中「蛇にピアス」の芥川賞作家・金原ひとみとのそれなりに興味深い対談なども交え、最後は話しとしてうまくまとまっていた。釈由美子のキレた演技がそれなりに見ものだった。面白かったが、これを DVDにするくらいならぜひ「恋は余計なお世話・なに怒ってるの深津ちゃん、しのぶ全然わかんないスペシャル」の方をお願いしたい。それにしても“よく茹でた軍手”には笑えた。

2005年 1月 5日 (水)
 わが社の仕事はじめ。業務でいろいろなところに電話したらまだ得意先は休みのとこが多いことが発覚した。しまった。早すぎたか。まあいいや。働こう。

2005年 1月 6日 (木)
 外回りの途中でラーメンを食ったら三分の一くらい食ったところで蟲が入っていることに気がついた。店員さんに言ったら作り直してくれたので、また最初からラーメンを食いはじめた。お詫びのしるしか、タマゴとチャーシューがふたつづつ入っており、うまくて汁の最後の一滴までぜんぶ飲んだ。蟲のせいか、食い過ぎたのか、やたらお腹が痛くなった。
 お腹をおさえて喫茶店にころがりこみ、コーヒーを飲みながらしばらくうなっていた。痛い。とにかく痛かった。死ぬかと思った。お腹が痛いときにコーヒーはいかがなものかと思ったが、食後に一杯程度のコーヒーは胃を活性化させるのでいいんじゃないかと思った。コーヒー飲みたかったし。
 しばらくすると数十人の人間たちがドカドカと入ってきて、またたくまにガラガラだった喫茶店が人間だらけになった。自己啓発セミナーかマルチ商法の勧誘らしく、みな契約書をテーブルに広げ、熱心に説明したり書類に書き込んだりしていた。そんな妖しい雰囲気の中、ひたすら胃痛に耐えていた。胃の痛みに意識が朦朧となり、まるで周囲の連中が黒魔術の儀式を行っているかのような錯覚を覚えた。そのうちようやく歩けるくらいになったので、外にでて、次の目的地へと向かった。

2005年 1月 7日 (金)
 映画「嗤う伊右衛門」を見る。京極夏彦原作。蜷川幸雄監督。唐沢寿明、小雪主演。
小雪 評判悪い映画だということを知らなくて、結構期待して見てしまった。しかしなんてベタな作り方だ。京極の原作の微妙さがベタベタに陳腐化している。愚直なまでに凛とした淑女であったはずの岩が、単なるヒステリックで根性のひん曲がった女になっている。唐沢寿明の伊右衛門はまあいい。
 喧嘩ばかりしていてもお互いを深く理解し合い、愛するが故に別れ、そしてラストの究極の愛につながる岩と伊右衛門の関係がこの物語のポイントなのに、岩がこれでは台無しだ。とくになんで、岩と伊右衛門の喧嘩シーンの後に少しふたりがイイ雰囲気になって仲良くなった感じになるのだ。原作抜きでこれが監督の解釈だというのなら、その後に喧嘩ばかりしていても二人は云々の下りが矛盾するような気がする。
 第一、京極の文学的で難解なセリフまわしをそのまま使い、これだけ原作の要素を無理矢理すべて詰め込んだら、原作なしでは解りにくいこと甚だしい。
 原作を読んだ者には原作の微妙な良さが味わえず、原作を読んでなければ話しが解りづらく矛盾があるという、実に始末の悪い映画であった。
 ちなみに写真は小雪である。別に好きではない。

京極with手袋 ちなみに京極夏彦の写真を見ると、かならず黒い手袋をしている。実は京極を知る前から俺もあれと同じものを冬になるとしているのだ。通称・京極手袋と呼んでいる。
 俺の場合は単に寒いからで、ただ普通の手袋だと指先が不自由でイライラしてくるので、以前車に乗っていたときにしていたものをそのまま冬になると気休め程度の防寒用手袋がわりに使っているのだ。断じて京極の真似をしているわけではない。むしろ大槻ケンヂかもしれない。
 今日は外が寒かったので、いつものように京極手袋をしていた。そのままレンタルに入り「嗤う伊右衛門」を借りたのだが、店員さんに京極の真似をしていると思われていたら嫌だなと後で思って、かなり後悔した。こういうつまらないことを気にする小さな人間なのだ俺は。

2005年 1月 8日 (土)
 最近、スカイプで海外の皆様と英会話の練習にハマっている。一番多く話すのは中国人で、次にポーランド人。ただ双方とも問題があって、中国人は英語が下手な人が多く若干むこうが有利でこちらが不利になるし、ポーランド人はどうもいたずら電話が多い。いたずら電話してくる輩は片っ端からブロックかけたらここ数日間はいなくなったので、なんとか落ち着いた。
 しきりに壊れた日本語の文章を送りつけてきて訳を頼んでくる日本語を勉強しているという台湾人や、金は払うから日本のパソコン機器をたくさん送れとしつこいアフリカ人、何を言ってもただひたすら笑いっぱなしのポーランド人など、いろいろな人と話せて、それなりに楽しい。
 この調子で英会話の練習をしながら人間研究に勤しみ、同時に世界各国に様々な情報網を張り巡らすことができれば文学の道を志す上でも何かと有意義であろう。また、英語をしゃべるという行為は普段使っていない脳の部分を使うので、脳細胞の活性化にも役立ち健康にも良い。
 皆様もスカイプ、インストールしてみては如何だろうか。

2005年 1月 9日 (日)
 深夜オールナイトでついに周星馳の「カンフーハッスル」を見に行った。意外にも俺にはあまり面白くなかった。
カンフーハッスル 周星馳の映画はひとえにギャグが笑えるかすべってるかでその評価が決まる。「少林サッカー」は前半はすべっていたが後半が非常に笑えたので傑作だった。「喜劇之王」は最初から最後まで良質の笑いが凝縮されていて、個人的に一番好きな周星馳作品であった。「食神」はかなりゆるめの笑いにとどまってしまった凡作だった。「008皇帝ミッション」は全編すべりっぱなしだった。これらはあくまでも俺の主観である。
 で「カンフーハッスル」はどうだったかというと、これが最初から最後まですべりっぱなしでぜんぜん笑えなかった。あくまでも俺の主観である。
 周囲の人たちに言わせれば、「少林サッカー」などぜんぜん笑えないという人もいるし、「カンフーハッスル」は笑えたという人もいる。あくまでもそれぞれの主観である。
 ここでつらつら考えた。どうしてギャグセンスはそれほど変わらないのに周星馳の映画は笑えたりすべったりするのだろう。そしてその基準が、見る人の主観によって著しく異なるのだろう。
 結論としては、周星馳の笑いはいつも唐突すぎるのだ。それはもう、ボロアパートの汚らしい大家さんが拳法の達人だったり、可憐な女子高生がキャバクラで耳から蛆が湧いているオヤジを見てゲロったり、太極拳で饅頭を打ってる少女がミュージカルをおっぱじめたり、シャコ入りの肉団子で卓球して一口食べれば肉汁が噴水のように吹き出したりする。この唐突さが爆笑につながることもあれば、笑うことも忘れてあっけにとられるだけに終わったりするのだ。そしてそれは脚本の出来不出来にも大きく左右され、ストーリーの流れにうまく噛み合っているかどうかにもまた大きく左右される。
 しかるにまた、見る人の感性やそのときの精神状態、映画館で多くの人と一緒に見たか、ひとりで自宅で DVDで鑑賞したか、そしてそれまでにどれだけ周星馳の映画を見たことがあったか、などの状況によって微妙におかしさが変化するのである。以上の如きが「カンフーハッスル」の感想をめぐって編集長やコジロウ営業部長と激論を戦わせた末に導きだした俺の見解である。
 まあ斯様な次第で、「カンフーハッスル」は俺にはぜんぜん面白くなかった。「火山高」の方がぜんぜんマシであった。
 何よりもストーリーの破綻ぶりがすごい。前半と後半で物語の設定が変更になり、それがそのまま修復されずに映画を完成させてしまった観さえある。
 それから予告編。つまらなかった「カンフーハッスル」にもわずかながら面白いシーンがあった。それらすべてが、予告編で事前に見せられていたのだ。
 客が入ればそれでいいのか、映画産業。

2005年 1月 10日 (月)
 第八回幻想異端文学大賞の総合結果を発表した。まあ個人的には納得いく結果になった。今回はとりわけ作品のクオリティが高かったとは思わないが、やはり作品数が多かっただけに、単なる参加賞にもなかなか面白い作品が多い。そう言う点で、なかなかもったいない幻想異端文学大賞だったと言えましょう。

2005年 1月 11日 (火)
マドゥーリとシャールク インド映画「Hum Tumhare Hain Sanam」を見た。マドゥーリ・ディクシット、シャールク・カーン、サルマン・カーン主演。あとゲストにアイシュ。
 あたりまえのことになかなか気がつかないのが人間というものである。それはそれで物語の発端としては問題ない。ただそのあたりまえのことに登場人物が気がついてめでたしめでたし、というのはひとつの創作としてかがなものかと。相変わらずインド映画らしいツッコミがいのあるストーリーである。
 マドゥーリはちょっとコミカルで美しかった。シャールクはそれ以上にカッコよかった。歌と踊りもそれなりに楽しかった。映画じたいは凡作でもキャストの華やかさと演出でそれなりに見栄えのする映画ではあった。良くも悪くもインド映画なのである。

2005年 1月 12日 (水)
 歯医者に行った。前歯は無事入ったので、今週からこまごまとした虫歯を治してゆくことになる。今日は左上の犬歯のあたりの虫歯を治した。チュイーンと削ってもらったらやたら痛くて、途中で麻酔をしてもらい、なんとか最後まで治療できた。歯医者を出てタバコをくわえると、麻酔でまだジンジンしていて唇にタバコを加えているという感覚がなく、煙が吸い込みにくかった。

2005年 1月 13日 (木)
 一日中何も食わずに仕事をしていたら、とても疲れた。

2005年 1月 14日 (金)
 今日は一日中俺の中を龍が通り過ぎる音が聞こえていた。こういう日は調子がいい。心なしか書く文字も龍のようにうねっていた。

2005年 1月 15日 (土)
 レンタルでコーエン兄弟の「ファーゴ」とセルジオ・レオーネの「ウエスタン」がそれぞれ三百円で売っていたのでこれは買いだと思い即座に買った。「ファーゴ」はコーエン兄弟でいまのところ一番好きな映画。「ウエスタン」はマカロニ・ウエスタンで一番好きな映画である。「サイコ2」も三百円で売っていたので迷ったが、いま見たらひょっとしたら面白くないかもしれないと思い、踏みとどまった。来週もまだあったら買うかもしれない。少なくとも「サイコ」のオリジナルよりは好きである。そういえばリチャード・フランクリン(「サイコ2」の監督)はいまどうしているのだろう。

2005年 1月 16日 (日)
水晶クラスター 事務所に新しく大きな水晶のクラスターを飾った。形がカッコよくて、なかなか素敵な眺めである(画像参照)。これを機会に事務所にあるすべてのパワーストーンを浄化し、最後にお香を焚くと、たちまち事務所に良い気が流れだした。まるでマイナスイオンに満ちあふれた森林のまっただなかにいるかのようである。今年はうちの会社、去年以上に儲かるだろうか。

2005年 1月 17日 (月)
誘拐 渡哲也主演の映画「誘拐」を見た。お話しは良かったけど演出がちょっと下手で感動できなかったな。いい俳優そろえているのに残念だ。
 俳優といえば、この映画で俳優の岡野進一郎氏を久しぶりに見た。ずっと俳優されていたのは知っていたが、たまたま目にする機会がなく、十五年前にテレビドラマ「花のあすか組」で見て以来である。
岡野進一郎 実は岡野進一郎氏とは十五年ほど昔に知り合いだったことがあり、あまり親しくはなかったが、一度失恋したときに一晩中飲みながら元気づけてくれたことがあり、傷心にうちひしがれる俺の肩を叩きながら「今日初めてお前も人間なんだなあ、と思ったよ」と言われたことを、いまでもたまに思い出す。なぜなら今でも俺はたまにこのたぐいのことを人から言われるのだ。早く人間になりたーい。

2005年 1月 18日 (火)
千石自慢ラーメン 営業でコジロウ営業部長と巣鴨に行き、その帰り彼のおすすめで千石自慢ラーメンを食べた。油っこいのに気持ち悪くならない、うまいラーメンであった。普段食うにはもっとあっさりしたタイプのラーメンが好みだが、たまに食うならこういうラーメンもまた素敵である。とくに豚の角煮の表面がパリパリと香ばしく絶品であった。

2005年 1月 19日 (水)
 去年末は金がなくて忘年会をやらなかったので、そのかわりに本日いつもはやらない新年会を行った。場所は相変わらずスッポン料理である。今回は新しいゲストとしてアメリカ留学のときにお世話になったタケシさんに来ていただいた。最近はスッポンもちょっと飽きてきた感はあるが、今回のスッポンはなかなか元気でうまかったので、これを書いている今はスッポンがまた無性に食いたいという気持ちでいっぱいである。

2005年 1月 20日 (木)
 コインランドリーに洗濯に行った。洗濯機がまわっているあいだ、西新宿にパンツを買いに行った。あまり衣類を買わない俺にしては、パンツは意外と重要な位置を占めている。直接肌のデリケートな部分に触れるものであるし、やはり靴下などはドラッグストアに五足千円で売っているようなもので十分であるが、パンツはちゃんと肌触りの良い、ゴムがきつくない、決して百円ショップなどで買ったようなものではなくて、満足のいくものを選びたい。以前なにげなく西新宿でふらりと立ち寄ったお店で買ったパンツがなんとなくはき心地がよかったので、それ以来パンツといえば、忘年会はスッポン料理というほどに、馬鹿のひとつ覚えのように同じ店のものを買うようになった。ちなみにこの日記を読んでそれはどこのパンツだと聞かれてもなんとなく恥ずかしいから答えないつもりなのでご了承いただきたい。

2005年 1月 21日 (金)
サイコ2 やはり「サイコ2」のビデオを三百円で購入した(1月15日の日記参照)。15年ぶりくらいに見たがいま見てもなかなか面白かった。胸を打つヒロインの健気さとリチャード・フランクリンの恐怖描写の妙が光る名作である。やはりヒッチコックのオリジナルよりこっちの方がどうしても面白いとしか思えない。

2005年 1月 22日 (土)
 歯医者。いつもと違う妙になれなれしく話しかけてくる女医さんが虫歯を治してくれた。これで計三カ所の虫歯を治したのだが、鏡を見てざっと見渡してもまだ虫歯は半分以上も黒々と残っている。親知らずはまだ先になりそうだ。

 珍しく東急ハンズでお買い物。お目当ての品物があった他、いいものを幾つか買った。

2005年 1月 23日 (日)
サウンド・オブ・ミュージック いきなりドレミの歌が聴きたくなって「サウンド・オブ・ミュージック」なんぞを借りてきて見た。冒頭の、上空はるか彼方から近づいてゆくヘリコプターで撮影されたジュリー・アンドリュースのタイミングの良いターンで始まるミュージカルシーンでまずのけぞった。修道院でいきなりはじまるミュージカルシーンでまたのけぞった。その後5分に一度はのけぞるシーンがたたみかけ、ドレミの歌でのけぞりは頂点に達する。やはり名作は名作なのだ。後半は歌と踊りにナチスの恐怖がとってかわり、一抹の不安を残させるラストへとつながる。見終わってもう一度ビデオを巻き戻してドレミの歌とエーデルワイズを聴いたら、なんだか泣けてきた。カラオケのレパートリーに新たに加えたい名シーンである。

2005年 1月 24日 (月)
 完璧に忘れた(2月4日現在)。

2005年 1月 25日 (火)
Akele Hum Akele Tum マニーシャ・コイララとアーミル・カーン主演のインド映画「Akele Hum Akele Tum」を見た。出来がいいとか悪いとか言う前に、ダスティン・ホフマンの「クレイマー、クレイマー」の完全なるパクリで正当な評価は難しい。正当ではなくインド映画として見た場合、インド映画らしいベタな部分が少なくて楽しくなかった。
 それにしてもなんか、マニーシャ・コイララがまともな女性を演じた映画を初めて見たような気がする。マニーシャはその顔立ちゆえか、「ボンベイ」や「Dil Se」や「Lajja」のような、暗く不幸を背負ったような女性を演じることが多い。しかしその反面「Abhay」のような、少しは役を選べといいたくなるような場違いなまでに軽薄な女を演じたりする。ようするに中間が少ないのだ。共演のアーミル・カーンが相も変わらず頑固で愚直なインド男児を演じている事実と対照的である。

2005年 1月 26日 (水)
 わけあって(大したわけではないが)石田衣良という人の「池袋ウエストゲートパーク」という小説を読んだ。なんかどっかで見覚えのある文体だなあと思ったら、ブコウスキーの文章にそっくりだった。言葉の選びかたや文章の雰囲気もさることながら、章をこまめに区切って長い小説を読みやすくするブクがどこかの作家からパクったという独特のスタイルまで似ている。ストーリーはいかにもどこかの外国の犯罪小説に影響を受けたみたいなミステリータッチ。それでいてアイテムが池袋だったり果物屋だったりシャブだったりで、ちぐはぐな感じでいまいちノレなかった。この頃いろいろコンテンポラリーな作家を読んでみているが、これはと思うような文章にはなかなか出会えない。最近では嶽本野ばらが最大のヒットだった。

2005年 1月 27日 (木)
Once upon a time in west レンタル落ちで三百円で購入したセルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタンの金字塔「ウエスタン」を見た。タランティーノはこの映画に影響を受けているとのことだが、それは最初のほうの会話や演出を見ればひと目でわかる。しかしタランティーノは永遠にこの映画の素晴らしさに到達することはできないのだ。それこそが古い映画の持つ超能力というものである。
 つらつら思うに、タランティーノは独特の会話センスと俳優の魅力を最大限に引き出す高度な演出で時の人となったが、まだ映画界が特撮やCGスレしてない70年代までは、こういった俳優の演技と巧みな会話で勝負する映画がごろごろしていた。つまりはタランティーノはある意味で映画界のつんくなのである。我々の世代から見たらやってることはおニャン子クラブと同じでも、いにしえを知らない新しい世代には斬新なものとして目に映るし、現代の感性に合わせて精錬されているから古い世代から見ても面白く、逆にある種のノスタルジーさえ感じたりもする。恐らく人類は何千年も、これと同じことを繰り返してきたに違いない。

2005年 1月 28日 (金)
BLOOD SIMPLE コーエン兄弟のデビュー作「ブラッドシンプル」を初めて見た。“悲しいほど滑稽な殺人”という再編集版リバイバル時のキャッチコピーが、ジグソーパズルの最後の1ピースのようにピッタリくる大いなる勘違い映画で、見ていてかなりじれったいが、ラストでそのじれったさが爽快な面白さに転化する。しかもそれがたったひとつのセリフによってなのだ。これを気の利いた映画と言わずしてなんとしよう。「ミラーズ・クロッシング」以降のコーエン兄弟の演出の妙はまだ出ていなかったが、それなりによかった。

2005年 1月 29日 (土)
 ウンコと葬儀屋と変態とミスワールドと韓国のホームページ制作が一度にやってきて、忙しいことといったらない。忙しいのに、金がない。如何ともし難い。

2005年 1月 30日 (日)
 浅野浩二氏が俺をモデルの小説を書いたそうだ。この日記や俺の小説をよく読みこみ、あらゆる要素を取り入れつつ、暴走している。こういったものを現実と比べることじたい無意味ではあるが、あえて現実と異なる点を語るならば、1)俺は車を持っていない。2)悠里はうちの従業員ではなく、俺のかみさんである。3)俺はSMプレイを一度もしたことがない。4)俺はインド映画とカレーは好きだが、インド哲学やヨガにはまったく興味がない。などがある。反して、俺の内に潜むサド性とマゾ性をあらわにえぐり出したという点はすごいものがあるかもしれない。まあとにかく浅野浩二氏の最高傑作だと思うので、未読のかたは読んでみよう。
 ちなみに悠里とつぶらはこの作品を読んでかなり引いていた(笑)


 編集長が来た。仕事の話しをし、インド料理をぱくぱくと食べて、帰って行った。

2005年 1月 31日 (月)
KungFuHussle よく暇なときにAppleのMovie Trailersのページで映画の予告編を見るのが結構な楽しみになっている。まだ日本で公開前のアメリカ映画や、逆に日本で公開された邦画やアジア映画のアメリカでの予告編が見れてなかなか楽しい。
 それで今日いろいろ見ていたら、「カンフーハッスル」の米国版予告編を見て思わずうなった。日本の予告編よりもはるかに見せびらかさず、しかもはるかに面白そうに出来ている。
 日本版の「カンフーハッスル」の予告編を編集したやつは今すぐこれを見て、切腹でもするがいい。クライマックスも含め、アクションのおいしいシーンをご丁寧に全部見せやがってなあ。


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