非幻想異端的日常
2005年 3月 1日 (火)
 巣鴨で安いステーキ屋に入った。最近よくある牛丼屋みたいなカウンター式のあれである。800円のハンバーグ&サイコロステーキ定食を食った。ステーキと言っても、こういう激安のステーキ屋は安い肉をひき肉にしてつなぎをまぜてこねて型にはめて人工的に脂を付加した合成ステーキ肉を使用している。つまりハンバーグをステーキっぽくしたようなものだ。こんな店でハンバーグ&サイコロステーキ定食なんぞを食った日には、見かけは左にサイコロステーキ、右にハンバーグでも、目をつぶって食ったら右か左かどちらを食ったものか解らない。しかし何故、このような自分で自分の首を絞めるようなメニューを設けるのだろう。

2005年 3月 2日 (水)
 外出の途中、ホカ弁の前を通りかかり、たまにはホカ弁もよいかと思って焼き肉弁当を買った。ひとくち食ってみて、ゴリゴリッと肉が不快な感触をかもしだし、歯の間にからみついた。恐ろしくまずい。これは肉か、輪ゴムか。間違いなく肉だ。コンビニでも牛丼屋でもこれほどまでにまずい焼き肉弁当は食ったことがない。仮にもホカ弁というからには、弁当の専門店ではないか。コンビニの弁当に負けてどうする。
 俺は肉をすべて蓋にどけ、タレのついたご飯だけを紅ショウガで食った。もう二度とホカ弁は利用すまいと心に誓いながら。

2005年 3月 3日 (木)
 朝から、いや昼まで寝ていたので昼から、憂鬱だった。今日は親知らずを抜く日なのである。なるべく平静を心がけ、病院へと向かった。平静な心は平静な状況を作り出す。落ち着いて受付を済まし、病室へと入り椅子に座る。歯茎に注射を打たれ、麻酔が効いてきたところでついに抜歯が始まった。
 メリメリと音がして、ポロンと舌の上に固まりが落ちる感触がした。歯医者が俺の口の中に指を突っ込み、それを拾った。口を濯ぐよう言われ、口を濯ぎ、おもむろに聞いてみる。
 「もう親知らずは抜いたのですか?」
 「ええ。抜きましたよ」
親知らず 早い。十秒くらいで終わったではないか。あまりにも簡単で拍子抜けした。十九の時、盲腸を切ったときは怖くて泣きそうになり、切った盲腸を見ることさえできなかったが、今回は記念に抜いた歯を貰って帰る余裕さえあった(画像参照)。画像を見てもらえれば解るが、先っぽが虫歯で黒ずんで爛れている。ほとんど腐って落ちたかの如くである。
 誰だ、親知らずを抜くのはほとんど手術と同じで大変なことだと脅かした奴は。この二ヶ月、えらいびびってて損した。

2005年 3月 4日 (金)
 歯医者に行った。親知らずを抜いた次の日は必ず歯医者に行って消毒をしてもらった方が良いと聞いていた。虫歯の治療の後、お疲れさまでしたと帰されそうになったので、「先生、消毒は?」と聞いてみると、「ああっ、す、すいません!」と叫んで消毒をしてくれた。やはり忘れていたらしい。毎週必ず何かしらポカがある(2/5、2/19、2/23等の日記参照)、この歯医者の動向にこれからも目が離せない。


水着少女 深夜テレビで何気なく「水着少女」という番組を見た。えらく過激な番組である。少女が裸体ではなく水着を着ているという点と、挿入シーンがないという点を抜かせばほぼアダルトビデオと変わりがない。このような番組を民放で放映してよいものなのか。このような俗悪番組は即刻放映を中止すべきである。PTAに電話しなければ。

2005年 3月 5日 (土)
Uボート テレビで何げなくヴォルフガング・ペーターゼン監督のドイツ時代の大傑作「Uボート」がやっていたので久しぶりに見た。思えば字幕で見たのはこれが初めてだった。改めて見てみると、潜水艦の中での緊迫感などよく描かれていて、つくづく見事な映画である。こおゆう映画が好きだ。

2005年 3月 6日 (日)
 最近毎週のようにカラオケに行く機会がある。必ず歌うのが浅香唯の「Believe Again」という曲である。この歌の歌詞は俺の創作活動に多大な影響を与え、そしてこれからも与え続けるであろうと思われる重要なテーマが隠されている。そのテーマはこの曲の歌詞のすべての行に輝いていると言っても過言ではない。そして俺は明日も、「Believe Again」を歌うであろう。

2005年 3月 7日 (月)
 DVDを借りてきて「CASSHERN」を見た。言わずと知れた懐かしのタツノコ・アニメの映画化である。“キャシャーン”と発音するのだが、スペルからすると“キャッシャーン”と呼びたくなる衝動を抑えられない。しかしこれは逆に海外に紹介したときに返って“キャッシャーン”と呼ばれないための配慮に違いない。まあそんなことはどうでもいい。
ロボット またもや訳の解らない日本映画を見てしまった。訳の解らないというのは内容ではない。どう評価していいのか解らないという意味だ。訳の解らなさでは「ゼブラーマン」の遥かに上をいっている。まずテレビアニメの「新造人間キャシャーン」を頭から排除しよう。それによって訳の解らなさの一割くらいは整理できる。一割だけでも、血みどろのキャシャーンや、やたら人間臭く全然悪くないブライキング・ボス、テレビアニメを彷彿とさせる心地よいガラクタ観の漂うロボット達(画像)、ただの犬のフレンダー、かぶられることのないヘルメット等等、これだけの要素を語らなくて済む。
 それでもまだかなり訳が解らないことには変わりない。まばゆいばかりの映像美なのに、ところどころアクションや撮り方が嘘みたいにチャチになる。チャチな点は目立つが、俳優陣はやたらうまい。俳優陣はうまいのに、その口からほとばしり出るセリフはところどころ陳腐である。セリフは陳腐でも、全体のストーリ−はかなりメッセージ性が高く重圧である。ストーリーは重圧でも、設定がやたらアホくさい。設定がアホくさいのに、巧みに伏線の張られた構成はなかなかである。構成はなかなかでも……いやもう十分だ。
 これらの極めて調和を欠いたバラバラの要素についてひとつひとつ語っていたら長くなるので、ひとつに絞ろう。注目すべきはヒューマニズムである。やたら力の入ったリリカルな演出が心に焼き付くこの映画は、とにかく一生懸命作られている。なかなか頑張ってもいる。とにかく何よりも“人間”が描きたかったのだな。それはシュールなまでに、制作者は人間にこだわっていたかったのだ。血を流して戦うキャシャーンと、同胞が死んで涙を流すブライキングボスに、すべてが集約されている。訳の解らないラストは「幻魔大戦」の二の舞になろうとも、結果的には「エヴァンゲリオン」のラストと等価である。つまりは続編は期待できなくとも、ここで終わって許せるということだ。いや、許せると言ったらすべてを許してやってもいい。こんな映画を作ってしまったことを俺は許そう。そして明日の日本映画のわずかな可能性にかけて、制作者のやりたかったことを認めよう。
 ここにまたひとつ、輝かしい戦いのドラマが誕生した。かなり出来は悪いが、少なくともこの映画の存在は認めたいし、記憶にもとどめていたいと思う。合掌。

2005年 3月 8日 (火)
 クライアントがいきなりホームページが見れなくなったと電話してきた。調べてみたら、単にサーバの契約期間が過ぎていただけだった。それを教えてあげると、よく解らないのでやってくれと言われた。早速サーバ会社に電話し継続の手続きをとった。こういう人たちがいる限り、商売の種は尽きることがない。

2005年 3月 9日 (水)
 忘却の彼方へと。

2005年 3月 10日 (木)
 野暮用で川越。母とデニーズで食事。ラザニアと蛆(←おお!)緑茶とコーンスープを食った。デザートは何だったか忘れた。

2005年 3月 11日 (金)
 歯医者に行った。右下に大きな虫歯があったので、先週削りに削って穴をあけられ、型を取り、仮の詰め物を入れられていた。今日はここにちゃんとした銀の詰め物を入れてくれる予定だった。
 まず仮の詰め物を取り、ぽっかり空いた穴にプシュッと空気を吹きかける。これがマジで痛い。むちゃくちゃ痛い。チュイーンよりも抜歯のときよりもはるかに痛い。この数ヶ月歯医者に通っていて、これが一番痛かった。
 そして銀の詰め物を入れる。ややサイズがキツい。
 「きついですか?」と歯医者さん。
 「きついです」と僕。
 銀の詰め物を取り、サイズ調整をする。それを再びかぶせる時にまた、神経がむき出しになった穴にプシュッと空気をふきかける。俺は痛くてしょうがない。なかなかサイズが合わず、噛み合わせもおかしくて、なんども外しては調整し、空気を吹きかけてかぶせ、が繰り返された。痛くて痛くて両手が空をわしずかみにしていた。
 最後に歯医者さんがおもむろに言った。
 「どうもサイズがなかなか合わないのでもう一度型を取らせていただいて、来週もう一度やりましょう」
 そして先週と同じように型を取り、再び仮の詰め物がかぶせられ、今日の治療は終わった。どうやら来週もまた痛い思いをすることになりそうだ。
 帰る時、受付で「今日はお代は結構ですから」と言われた。当然だ、と俺は心の中でつぶやきつつ、歯医者を後にした。

2005年 3月 12日 (土)
 コンビニで漫画「あずみ」があったので、買った。最初から読んだことがなかったのである。読みはじめたら面白くて驚いた。去年見た上戸彩の映画版はかなり出来が悪かったものの、ラストのアクションシーンはそれなりに楽しめた。しかしこの漫画を読んだ後にはあんな映画など糞以下にもならない。特にこの漫画の魅力は実写で映像化されてこそ面白くなりそうなものなのに、あの出来は酷すぎる。パート2はもう金子修介監督で出来てしまったようなので、パート3はぜひにもっと人間が描けてアクションもそれなりにそつなく演出できる監督にやらせてもらいたい(いないが)。

2005年 3月 13日 (日)
 行きつけのインド料理屋の店長さんが少し前にかわり、新しい店長さんがどうも感じのよろしくない方だったのだが、最近彼が一番長く勤めていた俺と仲の良かった従業員さんをクビにしたので、もともと事務所から近かったというだけでインド料理としては大してうまい店ではなかったこともあり、そろそろ河岸を変えることにした。
 二番目に近所のインド料理屋があったのでそこに行ってみると、休みだった。しかし店の看板には朝十時から夜十時までと書いてある。定休日も不明である。行っても営業してない可能性があるところではいかんので、ここはやめにして、池袋でよく行くインド料理「グレートインディア」の新宿店があるのでそこに初めて行ってみることにした。
 場所はネットで検索したらすぐに見つかった。中に入ると、なんと店内のテレビでサッカーが放映されている。味はよかった。カレーはもちろん、サフランライスも他のインド料理屋と比べて味が濃く、うまかった。しかし、サッカーが放映されているとは惜しい。
 俺はインド音楽が流れていないインド料理屋は例え味がうまくても食う気にはならないのだ。いわんや嫌いなサッカーが流れていた日にはなおさらである。来週、また違う店をあたってみよう。

2005年 3月 14日 (月)
 ずっと止まっていた「水滸伝」をまた読み出した。平行して高島俊男さんの「水滸伝人物辞典」も読んでいる。「水滸伝人物辞典」は辞典としてだけでなく読み物としても面白いので、新しいキャラが出てくる度に辞典を開いて二冊の本を一緒に楽しむノリである。同時に「水滸伝」本編のストーリーもより明確になって便利だ。

2005年 3月 15日 (火)
 ずいぶん日記をご無沙汰してしまった(現在4月18日)。ほぼひと月放置状態である。頑張って書いて順番にアップしてゆくので、皆様も頑張って読んでくれたら幸いである。

リリアンの由真のジャケット 「スケバン刑事2・3」のDVD三巻目が発売されたので、買った。実は今回のDVDには大きな俺だけの目玉が隠されている。
 実は今回のDVDに収録されているパート3の第24話は、「スケバン刑事1・2・3」、そしてその後番組である「少女コマンドー」、さらにその後番組である「花のあすか組」すべてを通して、唯一リアルタイムで放映を見逃した一話なのだ。つまり俺にとって20年越しの新作というわけだ。だから何だと言う訳ではないが、ファンにとってはかなりの重大事件である。いや、神秘体験に近いものがあると言っても過言ではない。
 夜さっそく鑑賞した。面白かった。しかし見終わってみれば何てことのないスケバン刑事の一エピソードであった。2回見た。

2005年 3月 16日 (水)
いかレスラー 映画「いかレスラー」を見た。近頃連続して見ているわけのわからない日本映画の類いかと思いきや、これはかなりわけがわかる気持ちのよいバカ映画だった。プロレスの世界をひたすら真面目に熱く描いた映画で、それ以上でもそれイカでもなく、ただ単に主役のレスラーがイカであるというだけのことである。しかしイカであることに意味がないわけではない。レスラーを意味なくイカにすることによって、普段ただぼけっとプロレスを眺めているだけでは気がつかない、何か大切なものを浮かび上がらせている。そんな映画である。
 しかと見届けたぞ、プロレスの魂。

 しかしつらつら思うに、プロレスとは本来がこのようなものであったはずだ。プロレスがマンネリ化して古のようなドラマを失い、まんまドラマである映画がこういった精神を見事に表現しているというのは、ある意味哀しい現実なのかもしれない。

2005年 3月 17日 (木)
 「あの人」が近所にやってきた。前からの知り合いだったのだが、ここにきていきなりお会いする頻度が増えた。
 どうも俺の人間関係は幾つかのグループに分かれ、そこから俺の周辺の主要人物としてかわりばんこに浮上しては、いつのまにやら消えてゆくことを繰り返しているような気がする。この度の周期はどれくらい続き、そして次は誰になるのか。誠に縁というのは不思議なものである。

2005年 3月 18日 (金)
 千葉にパソコンのセットアップに行った。俺は客にこういうことをよく頼まれる。根っからのMacユーザでウインドウズのことなど大して知りもしないのに、パソコンならどれも同じだとばかりに解らない人たちは俺に聞いてくる。ちょっと解らないとふりをすると「浅野さんでも解らないことがあるんですか」と言われる。実際、解らないことだらけなのだが。とりあえず適当にやってると、それなりに仕事は片付く。なんだかんだでビジネスの重要な武器になっている。

2005年 3月 19日 (土)
ジンナー 西新宿にうまいインド料理屋を見つけた。チキンカレーを注文したのだが、間違えたのかシーフードカレーが出てきた。でもうまかったから許す。
 ちょくちょく来よう。

2005年 3月 20日 (日)
スリット美香子 去年テレビ放映のときに見逃した「トリック3」のDVDを借りてきて見た。「お前のやってることはスリットお見通しだ!」のエピソードである。今までで一番出来の悪い3だが、この回はそれなりに面白かったかも。

 パークタワーでOLフリマというのが開催されていたので、目の保養に散歩した。しかし夏場じゃないので大して面白くなかった。

2005年 3月 21日 (月)
栗山千明他 オールナイトで「あずみ2 Death or Love」を見に行った。死ぬほどつまらなかった。
 最近漫画を読んで感動し、頭の中があずみモードだったので、思わず見てしまったが、冷静になって考えてみたらこんな映画が面白いはずないではないか。パート1の出来から言っても、上戸彩や金子監督などの要素を考慮しても、「Death or Love」などという能のないサブタイトルからも、最近の日本映画の現状を照らし合わせてみても、この映画が駄作であることを事前に予想できないはずがない。いったい何をやっているのだ、俺は。
 漫画の感動が正確な判断力を完全に狂わせていたとみえる。

 それにしても栗山千明の格をずいぶん下げたな、この映画。

2005年 3月 22日 (火)
 休日だというのに、税理士の先生と経理のバイトをやっている妹がやってきた。我が社の経理システムの確立に向けて、いろいろお願いしている。俺も忙しかったので仕事をしていた。
 仕事が終わり、妹と悠里とイタめしを食いにいった。

2005年 3月 23日 (水)
 最近見た夢を妙によく覚えている。夢などほとんど覚えていることなどなかったのに、どういう変化だろうか。

 昨晩の夢はかなりスプラッタだった。台所で母がゴリゴリと猫を解体している夢だ。「ゴミがたまっちゃって。小さくしてから捨てないと」とか言いつつ、いつまでも母は猫をゴリゴリと解体し続けていた。
 ちょっと気持ち悪いが、猫は嫌いだからまあよい。

2005年 3月 24日 (木)
インド待ち 「インド待ち」という本を読んだ。映画監督の周防氏がテレビの取材でインドに行ったときのことを克明に記した手記である。
 インド映画をまったく知らない人間が書いたものだけに、インド映画への愛がまったく感じられず読んでいて甚だ不快である。特にインド映画の有名監督や有名俳優と会う度に「サンジェイ・ダットを紹介された。有名な俳優らしいが僕にはまったく解らない」「ゴヴィンダと会った。知らない」といった具合に、いちいち「知らない」「解らない」「知ったこっちゃない」という言葉をくどいくらいに連発する。いちいち言わないでも解る。インドがに興味があり、インドが好きであろう読者が手に取る書物になることと知っててのあてつけだろうか。確かにインドの映画関係者へのインタビューの部分でも、自分が理解できないものに対して理解しようという姿勢よりも、拒絶反応を起こしている印象がある。そして最後に勝手に自分本位な解釈をとってつけ、理解した気になっている。彼が日本の有名な映画監督かは知らないが、文章はまったくの俗物であった。
 周防監督の文章は置いといて、インド映画の状況や情報などが満載で、そう言う点では読んだ価値があった。
シルパ・シェティ インド女優のシルパ・シェティ(画像)がインタビューで「美しさの秘訣はなんですか?」と聞かれ、「何もないです。神様からの贈り物です」と答えるところがインド女優らしい素直さにあふれていて印象的だった。彼女はカリシュマ・カプール主演の「Rishty」に出演しており、とても愛らしい演技が印象に残っていて、あまり有名ではないが好きな女優のひとりである。
 この本の中で一番気になったひとことは映画好きなインドのタクシー運転手が漏らしたこの言葉であろう。
 「マニーシャ・コイララ、ワン・ナイト、ファイブ・ハンドレッド・ダラー」
 どおゆう意味だ。

 いかん、ここに貼るシルパ・シェティの画像を探してたら、いつのまにかインド女優壁紙をせっせとダウンロードしていた。日記はまだまだあるというのに。

2005年 3月 25日 (金)
クロス・チャンネル ケンちゃんに借りたアドベンチャー・ゲーム「クロス・チャンネル」をやり終わった。「月姫」や「ファントム」には劣るが、今までやったこの手のゲームではそのふたつの次にくるくらいクオリティの高いゲームであった。
 ジャンルはいわゆるループものというやつで、同じ一週間が繰り返され、選ぶ選択肢によって少しづつ内容が変わってゆき、ストーリーが浮き彫りになってゆくというものだ。小説や映画では不可能な、ゲームだからこそ出来た特殊なストーリーといえる。
 曜子ちゃん(画像中央上)はなかなかの萌えキャラだった。

2005年 3月 26日 (土)
 微妙に書くことがない。

2005年 3月 27日 (日)
 幻想異端文学連盟のオフ会。場所は先日発見したお気に入りのインド料理屋(3月19日の日記参照)。今回は悠里、編集長、夜長さん、つぶら等のレギュラー陣に加え、茶封筒さんと大道寺さんという初参加の方もいた。あと夜長さんがぞろぞろと下僕のように友達を引き連れてきて、夜長さんらしさに自ら花を添えていた。さすがである。
 しばしインド料理に舌鼓を打ちながら、様々な話題に花が咲いた。
 相変わらずうちのオフ会はそこいらの文学部の集まりのように狭苦しい創作文芸の話しなどがあまりなく、関係のない莫迦話しばかりなところがよい。「小説を書く」ということと「作家になる」ことが微妙に内側でズレまくっている人たちの集まりだから、当然のことといえば当然であろう。
 次の幻想異端文学大賞のテーマも決まった。近日発表である。
 夜長さんが意外と早くつぶれ、終電前におひらきとなった。最近のオフ会は終わるのが早い。

 オフ会の後、大道寺さんと編集長が事務所にやってきた。編集長はすぐに帰り、大道寺さんと一晩中事務所で語り合った。フランス語やホームページやポシコやゴーゴー夕張など様々なことを語り合い、明け方、彼は帰っていった。

2005年 3月 28日 (月)
 一日中寝ていた。ずっと眠かった。

 ギブアップである。続きは来週書こう(現:4月18日AM6:00)。

2005年 3月 29日 (火)
フカキョン フカキョンの「死者の学園祭」を見る。原作は赤川次郎の長編デビュー作にして、学園ミステリーの元祖である。
 思ったよりつまらなくはなかったが、出来はあまり良くなかった。最近の若者向けの日本映画の大半がそうであるように、脚本や映像はまあまあだが、演出が幼稚園である。
 俺は赤川次郎は好きだが、この映画の原作はぜんぜん面白くなかったので、最低限原作よりは楽しめた。
 しかしまあ、日本映画はまだ当分ダメだろう。

2005年 3月 30日 (水)
 この一週間ほど毎日インド料理を食っている。なぜかインド料理しか食いたいと思えない。

2005年 3月 31日 (木)
 久しぶりに食堂で日本のカレーを食った。インドのカレーを食い慣れると、食堂などで食べるカレーはダシ汁かけご飯のカレー風味としか思えず、そういう意識も手伝って食っててなんだか気持ち悪い。


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