非幻想異端的日常
2005年 12月 1日 (木)
 俺はポテトサラダが好きで、一度でいいからポテトサラダだけで腹をいっぱいにしてみたかったので、スーパーで1キロばかしポテトサラダを買ってきた。よって本日の夕食はポテトサラダだけだった。半分も食わないうちにギブアップだった。

2005年 12月 2日 (金)
 ポテトサラダ2日目。まだ全部食いきれない。俺は通常、一日一食しかしないので、この二日間、ポテトサラダだけしか食ってないことになる。いや、おやつにキャラメルコーンは食ったけど。とにかく炭水化物とマヨネーズで肉体を再構成した2日間だった。

2005年 12月 3日 (土)
 川越にパスポートを受け取りに行った。ついでに地元の親友コンゴ氏(中学時代の同級生)と待ち合わせし、以前よく通ったカレー屋さんで食事。ここは大してカレーがうまいというわけでもなく、コーヒーもそこそこだが、椅子が座り心地がよく、落ち着くので、何かと来てしまう。雑談にももってこいだ。
 コンゴ氏は欧風ビーフカレー、俺はジャワ風ひき肉豆腐カレーを注文。カレーに豆腐はわりと合うことを発見。
 食後、川越の街を散歩した。中学時代のクラスメートの話になり、Kというやつが近くの薬屋の息子だったことを思い出し、冷やかしに行ってみた。
 店内を見やると、かなり年配の男性がいた。恐らく父親だろう。Kの姿は見当たらない。とりあえず中に入った。「May I help you?」と日本語で言われたので(もしくは言われたような空気が突き刺さってきたので。記憶がいまいち定かではない)、思わず、
 「あの、痔なんですけど、いい薬はありますか?」
 と聞いてしまった。まあ間違いではない。いきなりクラスメートに会いに来ただけと言うのもなんだかあれなので。するとお父さん、お勧めの痔の薬を取り出し、それから長時間に渡って熱心に健康管理のアドバイスを語り続けた。
 レジで会計するとき、息子さんの中学時代の同級生であることを打ち明けた。お父さん感激してくれて、近況を報告し合った。
 そういえば中学の同窓会って一度もないな。呼ばれてないだけだろうか。てゆうか俺の場合、高校の同窓会も一度もない。かろうじて小学校の同窓会が一度だけあった。同窓会に縁のない人生を歩んでいる。
 さて店を出た我々は、俺の実家に向った。ちょうど母が帰ってきたところだった。コンゴ氏と母の久々のご対面であった。人生思えば遠くへ来たもんだっつっても、この空間だけは二十年間変わらない。コンゴ氏が政治や経済の小難しい話しを一方的にしゃべりまくり、母は無表情で頷き、俺は横で笑っている。
 実家を後にし、8時頃新宿に帰った。

 深夜2時、長島さん主催の文芸仲間の忘年会にちょっとだけ参加。長島さん、夜長さん、その下僕さん以外は知らない人ばかりで、ちょっとびびる。びびって派手な行動を自粛するあまり、カラオケではエーデルワイスしか歌えなかった。しかし返って場違いに大人しい曲で浮いてしまった。墓穴彫りまくりである。
 後が詰まっていたので朝の4時すぎ、退散した。

 それにしても今日は一日の間に数えきれないほどの人と会い、それぞれ面白きことを語り合って過ごした。もともと人と会うのが仕事みたいなもんだから珍しいことじゃないが、ここまでことごとくが面白かったのは初めてだ。
 本日俺と会ったみなさん、素敵な一日をありがとう。

2005年 12月 4日 (日)
 韓国旅行前日。準備で慌ただしく過ごす。準備と言っても旅行の準備ではなく、俺がいない間の会社の業務が滞りなく進むための段取りである。思いつく限り完璧に準備したと思っても、きっといろいろ抜けてるんだろうな。

2005年 12月 5日 (月)
 本日より母と妹と三泊四日の韓国旅行。

 午前中に起きて、旅行の準備をはじめた。余裕をもってやってたつもりが、かなり時間ギリギリになり、あせって午後1時すぎ出立。日暮里駅で母と妹の静香と待ち合わせ、成田に向った。成田でカレーの食い納めとばかりにタイカレーを食い、コーヒーを飲み、飛行機に乗る。飛行機の中では機内放送でずっと古いロックを聴いていた。ちょうど数日前から脳内ミュージックでストーンズのSympathy For The Devilが鳴り続けて困っていたところだった。ストーンズの後、ディープパープルを聴き、ジャニス・ジョップリンにさしかかってきたところで窓の外には韓国の夜景が広がってきた。韓国の夜景は未知の期待を誘う美しさだった。
 ソウルの空港に到着。空港のコンビニで豆乳を買って飲みながらバスを待ち、ソウル市内へと向った。バスの窓の外は雪景色。7年か8年ぶりの海外旅行なので見るものすべてが興味深く輝いている。しかし暗くて何も見えない。そのうち街の灯りが広がり、ソウルに到着した。バスを降りると覚悟はしていたものの、思ったより寒く、上は6枚くらい着ていたのだが、やっぱり寒く、とくに足が凍えるように寒い。この旅行記に最も多く出てくる言葉は「旨い」の予定だったが「寒い」に変更せざるを得ない環境問題にいきなり直面した。
ヨン様とツーショット 地下鉄に入り、とりあえず意味なくヨン様と記念撮影(画像参照)。ソウルの街並は歩いている人々も含めほとんど日本と変わらなかったが、電車の中も同様あまり日本と大差ない。そんなこんなで到着したホテルはオンドルとかいう床暖房で暖かく、インターネットも24時間使え、その日は日本の会社のみんなにメールを書いてすぐに眠った。

2005年 12月 6日 (火)
韓国旅行二日目 韓国旅行二日目。朝起きたら情けないことに風邪を引いていた。何はともあれ、厚着してソウルの街へ出陣。あまりの寒さに六枚重ね着した上、マスク、手袋、フードを被り、本体がほとんど見えず、怪しい人物じゃなかったら生身の部分は目と額だけのサイボーグに違いないような有様である(画像参照)。これでゴーグルでもしたら完璧であろう。
 ホテル近くのレストランでまずは腹ごしらえ。その後、買い物したり、観光したり、あちこち歩き回った。途中、薬屋によって風邪薬と栄養ドリンクとリップクリームを買った。韓国のリップクリームはやはり韓国料理のような風味がした。
 さっき朝食を食ったと思ったらまたすぐ昼食。まったく女はよく食う。まあ旨いから許す。その後また買い物。お土産を買うためいろいろ雑貨屋に入ってみたが、どこも同じものばかり。朝鮮人参1キロ18万ウォンは安いと思いつつ、金がないので断念した。毎日天ぷらにして食ったら旨かろうに。
 風邪は酷くなる一方で、おまけに寒さで血行が悪くなったのか痔が出てきた。終いには歩くのも辛くなり、大量に買い込んだお土産を置くためホテルに一端戻ったとき、俺だけ再び出かけずそのままホテルで寝込んだ。母と静香は嬉々としてまた街へと繰り出して行った。一度インターネットで仕事のメールをチェックし、ちょっと霊子くんとメッセし、戻ってきた母が買ってきてくれたカップ麺を食った他は、俺はそのまま次の朝までずっとホテルで寝ていた。
 韓国旅行二日目にして、暗雲たちこめまくりである。

2005年 12月 7日 (水)
参鶏湯他 韓国旅行三日目。昨日無理せずたっぷり眠ったお陰でかなり回復した。ゆっくり支度して、出陣。昼食は静香おすすめのレストランで参鶏湯を食った(画像左)。参鶏湯はここが一番旨いというだけあって、絶品だった。あまりの旨さにひたすら無言で食いまくり、食い終わったときにはすっかり元気になっていた。
 すっかり元気になった俺は怒濤の勢いで観光を満喫。CDショップでは日本のアニメのDVDを物色し、街頭では焼き栗やら揚げ餅やら買い食いしまくりの、お店に入ってはお土産買いまくりで、疲れたら喫茶店に入ってケーキ食ったり、いろいろやりまくった。しかしこの激烈な寒さでアイスクリームを食う母と妹は気が狂っているとしか思えない。
 夜は焼き肉。俺は牛肉があまり好きではないので、豚肉ばかりで決めてみた(画像右)。ビビンバはまずかったが、肉はなかなか旨かった。食後はコーヒーを飲みながら韓国旅行最後の夜をしみじみ振り返って考えた。世間では韓国韓国とうるさいが、街並も人々も日本とそう変わらず、今までいろいろ海外には行ったが、他の国で感じたエキゾチズムみたいなものは欠片も感じない。人間、所詮皆同じ。それを実感するために、俺は韓国に来たのかもしれない。そういえば、韓国に来てから一本もタバコを吸っていない。風邪でタバコを吸いたいと思わなかったというのもあるが、ホテルは禁煙だし、寒くて指がかじかんで外ではタバコを吸う気にならなかったというのもある。これを機会にタバコでも止めてみるか。そんなわけで、俺は人間の真理と、禁煙するために、はるばる日本からこの国に来たのである。
 そんなバカなことをつらつら思いつつ(本当は思ってなかったが)、韓国旅行三日目の夜は更けていった。

2005年 12月 8日 (木)
 韓国旅行最終日。朝早く起きて、ソウルを後にした。空港でやたらまずいコムタンを食った。これが韓国最後の食事と思うとやや情けない。飛行機に乗り、あっというまに日本に着いた。ジャニス・ジョップリンの続きを聴く暇もなかった。韓国はほとんど日本と変わらなかったが、しかしいざ日本の電車に乗ってみると、やはり日本は日本、韓国とは違うのだった。韓国の地に至りては日本を感じ、日本の地に戻りては日本を感ず。そんなオチで終わった韓国旅行だった。オチと言えば、振り返って先日の日記を読み返すと、韓国旅行二日目と三日目の出来事が、ごっちゃになってるな。

 午後3時頃事務所に戻り、いつものように、仕事を始めた。

2005年 12月 9日 (金)
 一度は治ったかにみえた風邪がものの見事にぶり返した。寒い事務所でうたたねなんてしたら無理もない。

 西新宿のインド料理「シディーク」で食事。カレーはそれなりにうまかった。店内モニタでインド映画も流れていた(ポイント)。

2005年 12月 10日 (土)
 朝起きたら、声がすごいことになっていた。ガラガラと雷のように轟くかと思えば、甲高くひっくりかえる。熱は無いし、むちゃくちゃ具合悪いというわけではないのだが、あまりの酷い声に周囲がやたら心配してくれて有り難い。仕事柄一日中あちこち電話ばかりしているが、枕に「すいません。風邪で声がこんなになってます」と断りを入れないといけないのは億劫だ。

2005年 12月 11日 (日)
江戸川乱歩特集 新文芸座にオールナイトで映画を見に行った。今日は江戸川乱歩特集だ。ラインナップは石井輝男監督「恐怖奇形人間」、増村保造監督「盲獣」、実相寺昭雄監督「屋根裏の散歩者」、塚本晋也監督「双生児」の四本立て。特に最初の二本が目当てである。九時頃、霊子くんと池袋で待ち合わせ、ラーメンを食い、ヴェローチェでコーヒーを飲みながら雑談し、韓国旅行のお土産を渡し、いよいよ映画へと繰り出した。
 まずは「恐怖奇形人間」。これは霊子くんのおすすめで、ツッコミどころ満載でかなり笑えると聞いていたが、思ったよりストーリーはしっかり練られていて、それでいてかなり破綻もしていて、やはり最後は笑えた。とくにこれは原作が「パノラマ島奇談」で、乱歩があまり好きではない俺が唯一面白いと思った作品であるが、この原作はラストがかなりアレだったので、映像ではそのアレをどう表現するのかなと思っていたら、まんまストレートで、ヘタな特撮に、まさに人肉パーツのパノラマというか、それでいてちょっとひねりもあり(お手手つないで仲良くアレで)とにかく笑えた。わけのわからない感想で申し訳ない。とにかく必見の怪作である。
 次が「盲獣」。最近注目している増村保造監督だが、まったくこれも見事な作品で、我が目を疑うような奇怪な美術センスに、原始的な妄想の極限へと至る中盤からクライマックスへの下りは、もう圧巻としか言いようの無いデカダンスの世界であった。増村保造、天才である。
 で、「屋根裏の散歩者」。これは以前ビデオで見た。思ったより映像は楽しめたが、やっぱりストーリーは最後中途半端で煮え切らず、こだわりに満ちた映像センスは素敵でもあり、好きになってやりたいのは山々だが、やはり好きになれない。
 最後に「双生児」。こいつは従兄弟に以前ビデオを借り、ちらちらと見たが、なんだか雰囲気がキモチ悪くてまともに見れず、見ずに返してしまった曰く付きの作品である。今日初めてじっくり見てみて、確かにキモチ悪い作品であることは確かだが、正確にはどこかキモチ悪いようなキモチ良いようなそんな心地よいカタルシスを感じる映像で、その秘密はヒロインのりょうの個性美と、前半に絶妙に挟み込まれる音楽というか効果音に隠されているような気がした。悪くない。ってゆうかなかなかよい。物語も単純でいて得体が知れない。ドロドロしているようで、エネルギーに満ちてもいる。ああ。悪くない。

 映画が終わり、風邪がまたぶり返す前に、さっさと帰って寝た。

2005年 12月 12日 (月)
 自主映画の脚本ミーティング。
 最近仕事が忙しかったり韓国に行ったり風邪を引いたりして、ぜんぜん脚本のリライトを進めることができなかった。当日も土壇場になってバタバタしてしまい、ギリギリで出掛けた。最近の俺の生活は「バタバタ」と「ギリギリ」が非常に仲よい。
 遅れてはあれなのでタクシーをつかまえた。間もなく到着というところでスタッフのtikinさんから携帯に電話があり、とんでもないところで迷子になっていたので、ついでに拾って一緒に歌舞伎町のルノアール会議室入り。結果的に十分ほど遅れた。tikinさんとは初めてお会いしたが、素朴な感じの美人で、どうしてこのコミュニティは美女ばかりなのかと不思議に思う。
 他のメンバーはとみき監督、宇井郎さん、長島さん、由井さん、まるまるさん、いっちぃさん。まるまるさんは遅れて来たが、それ以外は揃っていた。早速会議が始まり、いろいろ意見を出し合い、頭にあった全体図をやや軌道修正した以外は、それなりにまとまり、新しいアイデアも浮かんだりして、それなりに有意義に時間内に終了した。
 会議の後、tikinさんと長島さんととみき監督は帰り、残りは泉焼肉市場で焼肉を食った。焼肉屋という選択は間違っていたようで、肉を焼くのに気を取られ、あまり大した話しは出来なかった。まるまるさんは耳が聞こえないので会議の流れをあまり把握しておらず、この機会に筆談で決まったことを簡単に説明した。由井さんとは最近メッセで二度ほど語り合い、何かと面白かったので、久しぶりに顔を見ながら話せてよかった。
 焼肉の後、由井さんとまるまるさんは帰り、宇井郎さんといっちぃさんで新宿東口前の喫茶店ボアでコーヒーを飲みながら雑談をした。ここではいろいろ面白い意見が出、有意義だった。宇井郎さんが後半、珍しく寡黙になり、頭の中で創作のイメージを膨らませていたようだった。しかし今回の作品なのか、まったく別の作品なのかは疑わしい。
 深夜12時近く事務所に戻り、たまった日記をいい加減な文章で綴りはじめた。

2005年 12月 13日 (火)
 多くの人達とコミュニケーションをとりながら自主映画制作をやっていて、なかなか一筋縄ではいかないことを感じている。人間は一律同じ思考や理解力で統一されてはいないので、自ずと様々なギャップや摩擦がここに生じてくる。まわり道になることも多いが、思わぬ新しい発見もあったりして、面白くもある。

2005年 12月 14日 (水)
 風邪がいっこうに治らないので、病院に行った。軽い肺炎を起こしているようで、薬を貰った。

 アメリカのニュージャージーに住んでいる妹に子供が生まれた。とうとうオフィシャルにオジサンになってしまった。

2005年 12月 15日 (木)
 冬になり痔が悪化してきた。寒くなると血行が悪くなり、血流が滞り、肛門が鬱血し、外痔核が形成され、立ってるとすぐに脱肛するようになる。脱肛したまま暫く生活すると、だんだんひりひりしてきて、不快なこと極まりない。久々にステロイド入りの軟膏を使用し、まめな半身浴を心がけ、漢方の内服薬まで飲んでいるのだが、一向に改善される気配がない。なんでだろうと考えたら、食生活だと今日気がついた。明日から食物繊維を多くとろう。特にステロイド入りの軟膏は二週間以上使用すると免疫力が低下し返って害になるので、さっさと治したい。ちなみにさっさと手術せいという声がまた周囲で上がりそうだが、手術はするのは術後の回復を考えると、春から夏にかけてがベストだと思うので、現状では却下いたします。

2005年 12月 16日 (金)
 俺はよく人からドタキャンされる。だいたい1〜2ヶ月に一度は誰かしらから約束をドタキャンされる。そういう運命なのだろう。

2005年 12月 17日 (土)
 体調が悪くて、身体が思うように動かず、効率が悪い。無理だけはしないと決めてるので、落ち着いて、優先を考え少しづつやるべきことを片付けている。そんな今日このごろ。

2005年 12月 18日 (日)
 タミさんが大阪から東京にやってきて、事務所に遊びにきてくれたのでインド料理を食いながら久しぶりにお話しした。タミさんとは、懐かしのあの、サドマニアのマスコットガール、みんなのM奴隷、美少女タミさんのことである。最近ミクシィで再会したのだ。
 久々に会ったタミさんは、髪の毛を茶髪にしていて、美少女度が大幅にアップしていた。
 前回来てくれたのはちょうど五年前の今頃。まだ会社設立したての頃だ。その時も今回も、同じお連れさんと一緒だった。その時はどんな話しをしたのか忘れたが、きっと今回と同じような話しだったのだろう。印象に残っているのはSMの話しで、あの時の会話がなかったら、拙作「華の穴」は生まれなかった。今回はその時のお礼が言えてよかった。


 夕方、蛍さんが遊びに来た。韓国土産を渡し、事務所で彼女の制作した映像作品の断片を見ながら、語り合った。映像のBGMには俺が貸したクラウス・シュルツのCDが流れていた。ジャン・ミッシェル・ジャーのZOOLOOKまで流れていた。最近になってわかってきたことだが、蛍さんとはなにげに音楽の趣味が近い。ゲンスブールも好きだしな。

2005年 12月 19日 (月)
七人のマッハ! 暇なのでタダ券で映画「七人のマッハ!」を見てきた。ちょっと残酷で心が荒むような展開。アクションは断片的にすごいが、非常にあわただしい感じ。つっこみどころも満載。ストーリーはむちゃくちゃ。わざわざ金かけて人の命をオモチャにしてこんな映画つくっていったいどうするつもりだ。

2005年 12月 20日 (火)
 テレビが壊れた。これで下らない番組を見なくてすむ。実に目出度い。

 某ラジオ出演。抹消したい過去のひとつとなることを承知で、とりあえず面白そうなことは首を突っ込むところが俺の性格の困ったところである。

 昼はパークタワーのスパイスヘブンでインド料理。夜はアルタ横のインドカレーハウスでインド料理(ここはグレートインディアだったはずだが、いつのまにか店名が変わっている)。

 タバコをやめてから食欲が出た。太るかも。

2005年 12月 21日 (水)
 某アニメのDVDを購入。夜、早速全部見た。期待しすぎたせいか、思ったよりまったりと鑑賞した。

2005年 12月 22日 (木)
 アフィリエート広告の営業マンがやってきた。
 二人組で、両方とも大阪出身らしく、漫才コンビのような雰囲気を醸し出している。営業トークより漫才をやってほしかった。
 最近、大阪の人に縁がある。だからと言ってこの二人とは縁は無いだろうが。

2005年 12月 23日 (金)
 銀座。最近復縁したクライアントのパソコン指導。ついでに新たな注文を貰う。

 新大久保でお友達の薫さんとめし。韓国で買った朝鮮人参を砂糖でまぶしたお菓子を渡す。彼女は耳が不自由なので、コミュニケーションはすべて筆談。会うたびにノート一冊まるまる消費する。自主映画のコミュニティにもひとり耳の不自由な方がいることだし、最近本気で手話を習おうかと思っている。今でも「僕の名前は浅野です」とか「バスが無いので歩きましょう」くらいは言える。コミュニケーションの手段が増えるのは面白い。


 事務所に戻り、明日から三連休なので、気合い入れて仕事を片付けた。

2005年 12月 24日 (土)
親切なクムジャさん 三連休一日目。ちょっと仕事。
 頭休めに、映画を見に行った。韓国映画「親切なクムジャさん」。断片的というか、流れが唐突な感じで、俺の嫌いな作り方だ。ぜんぜんノレなかった。残念。オールドボーイは面白かったのになあ。

2005年 12月 25日 (日)
 クリスマスイブ。一緒にケーキとチキンを食べる相手もいないので、ひとりでのんびり事務所で中国史の本を読んだりインド映画のDVDを見たりして孤独な聖夜を満喫していた。
 いきなり女友達のおこめさんからひとりで寂しいから遊びに来いとメールがあり、出かけようかと思っていると、やっぱり来るなとメールがあり、仕方ないのでDVDでも借りようかとTSUTAYAに行くと、やっぱり来いとメールがあり、何も借りずに家に戻ると、やっぱり来るなとメールがあり、なんなんだと思っていると、やっぱり来いとメールがあった。結局遊びに行くことにした。ちなみにおこめさんというのは一年ちょっと前くらいにネットで知り合ったお友達で、二十代の若さで会社を経営している才女である。最近は前世や守護霊に興味があるそうで、たまにチャットで会社の経営理念やスピリチュアリズムに関して語り合っており、数ヶ月前一度だけお会いした。
 待ち合わせして、彼女の車で朝までドライブをした。腹が減っていたのでどこかでめしを食いたかったが、彼女はどうもひたすらドライブがしたいらしく、音楽を聴きながらひたすら車を走らせた。江ノ島まで行って、夜の海を見たり、神社を徘徊したりして、寒かったがなかなか楽しいひとときをすごした。
 こういうクリスマスも悪くない。てゆうか、これは恋の始まりであろうか。いや、気のせいかも。なにせ彼女は俺好みの長身でスレンダーな乙女で、顔はアイドル系ときている。どう考えても話しがうますぎる。まさか本当に、こんな可憐な乙女にバドガールのコスプレさせたり、レースクィーンのコスプレさせたり、ベリーダンスを踊ってもらったり、ちゃんこ鍋を作ってもらったり、一緒に手をつないで映画を見たり、あんなこと、こんなこと、しちゃっていいのだろうか。うーむ…。悩んでも仕方ないので寝よう。

2005年 12月 26日 (月)
ぱにぽにだっしゅ! ついにテレビアニメ「ぱにぽにだっしゅ!」が最終回を迎えた。先週はもうこれで最終回でいいんじゃないかってほどの凄まじい暴走ぶりだったが、今週はまたゆるやかな、ある意味ふさわしいラストだった。
 近頃このアニメにどっぷりとはまっていた。このところ映画の感想が少なかったのも、ぱにぽにだっしゅ!のビデオとDVDを繰り返し見ていたからである。俺の中ではエヴァンゲリオンや宮崎駿や押井守の諸作品を遥かに超え、この十年に見たアニメではまず最高傑作、このジャンルとしては人生のベストと言っても過言ではない。
 この作品は画像を見てもわかるように、表面的には美少女キャラを中心とした萌え系アニメの様相を呈しているが、その内容は「元祖天才バカボン」に始まった日本の超・不条理ナンセンスギャグアニメの最終形態と言えるべきもので、そのシュールなギャグとパロディの密度の濃さは、他の作品の追随を永久に許さないクオリティに達している。もう何度繰り返し見ても新たな発見があり、巧みに伏線の貼られた構成とキャラ性の豊かさは、脱帽せざるを得ない。俺はこのアニメを毎週ビデオに録画し、最低十回は繰り返し見ていた。
 このアニメの面白さはひとえにキャラクターの豊富さにある。桃月学園を舞台に、メインキャラである1年C組のめんめんを中心とし、1年A組、B組、そして特に個性派揃いのD組が登場する。メインキャラとしては少々濃すぎるキャラを脇のD組に押しとどめ、あくまで事件はC組の連中を中心に進行し(特にベッキー)、それに脇キャラであるA組・B組や、個性的なD組のキャラが絡んでゆくというバランスの取り方もうまい。第8話のベホイミのエピソードのように、たまに突発的にD組の誰かが主役を貼ったりする巻もあったり、D組の芹沢とA組の来栖の抗争などを毎週巧みに中心の事件に絡め、各エピソードに奥行きを保たせたり、花を添えたりしている。
 そして忘れてはならないのが、古今東西の映画・アニメ・漫画・テレビ・文学からパクったパロディの数々。日曜日の夜この番組を見て、次の日会社でどれだけのパロディを拾えたかを会社の皆と語り合うのもこのアニメの楽しみ方のひとつであった。それはあたかも、古の中国の四書五経や諸子百家を暗唱した知識人同士が解り合える詩文のごとしとでも言おうか。「お口にチャック・ノリス」「タラバガニ、美味しゅうございました」「アサー!!!(谷岡ヤスジ)」なんてパロディ・ギャグが地上波のアニメで聞けるなどと、誰が想像しえたであろうか。
 監督である新房昭之の暴走ぶりと、そして脚本の金巻兼一の深い人間洞察力に厚みを加えられたキャラ描写、このふたつの才能が炸裂交差し、これほど見事なアニメが完成したのだと思う。そして更に無視できないのが、声優陣のクオリティの高さ。すべての声優が、ひとりひとりのキャラに活き活きと生命を吹き込んでいる。また、オープニングのテーマ曲を三曲も変え、それぞれをメインキャラ6人の声優に歌わせたり、エンディングテーマ曲を二回変え、サブキャラであるA・B・D組に歌わせたり、声優陣を使った実験的な試みも多々あった。特に興味深かったのが第21話、芹沢がベッキーに扮装しPTAをやり込める巻では、芹沢茜の声をやってる沢城みゆきがベッキーの真似をしている声と、ベッキーの声優である斎藤千和が芹沢茜の真似をしている声を使い分け、そのふたつの声をオーバラップさせたりと、絶妙である。また、双子でありながらぜんぜん性格の違う柏木姉妹を同じ声優にやらせ、活発な姉と大人しい妹を演じ分けたりさせているのも面白い。
 新房昭之監督と言えば内容の暴走ぶり以外にも忘れてはならぬのが、そのコントラストの強い色彩感覚である。ぱにぽにだっしゅ!は映像的にも優れたアニメだった。デザインセンスも斬新で、ともすれば過剰氾濫になりがちな登場人物の多さを、画面の中心となるキャラに、小さく描かれたキャラ達が絡むという手法や、細かなカット割りを駆使し、テンポよくストーリーを進行させている。時には小さくなったキャラがそのままRPGの画面となり、ゲームのパロディ風に物語が進んでゆくなど、遊び心も忘れない。時にはモンティパイソン風に実写画像などをアニメに重ね合わせ、シュールな効果を出している。映像に関してはここでは語り尽くせないほどいろいろあった。
 俺は途中からこのアニメを見始め、DVDはまだ8話までしか出てないので、ちょうど中間あたりでまだ見てないエピソードがけっこうある。これから毎月DVDが発売されるので、最終回が過ぎたと言っても、まだまだ暫くはぱにぽにだっしゅ!で楽しめそうだ。
 最後に、この文章を読んでなるほど、ぱにぽにだっしゅ!というのはそれほどまでに面白いアニメなのか、どりゃ、いっちょ自分もレンタルで借りて見てみるかな、と思った読者諸氏。このアニメはそれほど甘くはない、ということだけはお断りしておこう(意味がわからん)。
 とにかくこの素敵なアニメをリアルタイムで見れた幸運に感謝するとともに、愛しのベッキーよ、永遠に。また来月、会いましょう。

2005年 12月 27日 (火)
 忘年会に呼ばれ、六本木におもむいた。誘われたのはほんの数日前。なんと、SMクラブの忘年会である。SMクラブの忘年会なんて呼ばれたのは初めてだ。
 少し遅れて六本木の上品な料理屋にたどりつくと、美しい女王様が十人ほどずらりと並んでいる。かなり浮世離れした光景で、壮観だった。やはり女王様だけあって、全員パワフルなオーラを発しており、それでいて皆さん気さくで和やかな雰囲気だった。
 女王様とはあまり話さず、オーナーのTさんと従業員のKさんと主に語り合っていた。俺も禁酒を破って、ビールを一杯だけ飲んだ。久しぶりだったので、少量でかなり酔っぱらった。
 飲み会の後、女王様たちは夜の六本木へと、颯爽と去って行った。しかし女王様ってみんな背が高い。ヒールも履いているので、全員顔が俺と同じかそれ以上の高さにあり、中には身長180cm近くの方までいらっしゃった。そんな女王様たちが十人束になって六本木の街へと消えてゆく光景は妙にカッコよかった。
 我々男三匹は近くの喫茶店でココアを飲みながら語り合い、最後はラーメンを食って、解散した。俺はひとり朝まで漫画喫茶で仕事をし、始発で帰った。

2005年 12月 28日 (水)
 最近、人生が静かだ。

2005年 12月 29日 (木)
 仕事納め。俺は年末年始も関係なく仕事しているが、会社じたいは一応今日で今年最後である。
 6時半頃ピザを注文し、以前お得意先の広告代理店に貰った贈り物のドンペリを空け、皆で飲みながらささやかな打ち上げを催した。
 ドンペリはずいぶん前に貰った物で、部屋に長いこと放置して最近冷蔵庫に入れたので、味がずいぶん落ちてたのかもしれないが、とてもうまかった。先日女王様の忘年会で久しぶりに酒を飲んだばかりだが、また酒を飲んでしまった。ドンペリは思ったよりアルコールが強く、またもやかなり酔っぱらった。タバコもやめたことだし、酒くらいは少しくらいならたまに飲んでもよいかな。なんてちょっと思ってたりする。
 ピザを食い、ドンペリを飲みながらケンちゃんが持って来たアニメのビデオを見た。デクスターと蟲師。変わった取り合わせだ。今話題の蟲師は初めて見たが、クオリティ高かったな。

2005年 12月 30日 (金)
 冬休み初日。映画にでも行きたかったが、寒いし、最近二度ほど酒を飲んでしまったからか、痔の調子も良くなかったので、ずっと事務所にいた。
 休みに入ったというのに仕事のメールや電話は一向に減る気配がない。みんな頑張ってるなあ。

2005年 12月 31日 (土)
クルーザー 大晦日。クライアントの忘年会に招待された。
 先日SMクラブの忘年会に招待されたばかりだが(27日の日記参照)、なんと今回はキャバクラである。キャバクラと言っても今回はスタッフ中心で、キャバクラ嬢がウヨウヨいるわけではない。そのかわり、場所はクルーザーだ。これはこれでかなり素敵である。
 六時に竹芝桟橋に到着。いつもの担当さんに挨拶し、待ち合い場に座っていると、ぞろぞろといろんな人がやってきた。黒スーツを着た店員さん。美女も数人。同業者もいて、何人か紹介された。
 七時ちょっと前クルーザーに乗り込んだ。入口には音楽隊がブンチャカと演奏をしている。すげえ。タイタニックみたいだ。
 全員着席し、乾杯のあと、ひとりひとり自己紹介。料理はフランス料理っぽい。最後はすべりっぱなしの隠し芸大会とビンゴでフィニッシュだった。
 しかし十年広告業界にいて、クライアントに忘年会に呼ばれたことなど1度くらいしかなかったのに、今年は2回も。だいたい忘年会自体、俺はほとんど呼ばれたことが無い。内容も内容だし、生きていればいいことあるもんだ。


…はっ!?

「プライド男祭り」をビデオ予約するの忘れてた!!!
誰か録画したかた、貸してくださいm(_ _;)m


戻る
wwwnikki ver 0.641(20020410) (c)AuSYSTEM 2002