非幻想異端的日常
2006年 9月 1日 (金)
 出社。仕事。銀行。仕事。歌舞伎町。仕事。日記。

2006年 9月 2日 (土)
 また撮影が雨で中止になった。誰のせいだ。

2006年 9月 3日 (日)
 渋谷のカラオケボックスでPVの試写会があったので、出席。とはいっても、俺はいろいろトラブルが重なってまだ完成してないので(昨日の日記参照)、他の人の作品を見るだけである。が、まあ他もまだ完全な作品はほとんど揃ってないようで、断片ばかりだった。本上映は23日。果たして、間に合うだろうか。

 渋谷またインド料理の食べ放題の店を発見した。「オー・カルカッタ」という店で、下北沢の「ににんがよん」などと同じく、ランチだけでなく、夜でもいつ行ってもインド料理がバイキング形式で食べ放題。味もそれなりにうまく、スパイシーなスープがあるのが非常によい。チャイがアイスのみで、ホットがなく、食後の楽しみがないのはかなり減点だが、きっと俺は、またここに食いに来る。

 渋谷で帰りさくらやに寄り、動画編集用に300GBのハードディスクを買った。300GBで一万円台とは。2GBで数十万だったよな、ほんの10年くらい前までは。

2006年 9月 4日 (月)
 昨日買ったハードディスクで早速、動画編集。iMovieを使い、数時間かかって3分の1くらいやり、そろそろ今日は辞めてまた仕事に戻ろうかと思い、最後の画像処理のボタンを押し、ちょっと席を立ったその時である。いきなりハードディスクのコンセントが抜けた。立ち上げ直してチェックしてみたら、やはりデータのアクセス中だったので、ファイルは見事に壊れてた。死にたくなった。
 しかしなんとか気をとりなおし、iMovieの新規ファイルを立ち上げ、破損した旧ファイルのクリップ・パーツのみを新規ファイルの方のパーツ・フォルダに移してみたら、なんとかパーツだけは復活した。ほどこした画像処理もほぼそのまま残っていた。破損したのはそれらをつなげ合わせているプロジェクト・ファイル本体のみだったようだ。やれやれ。ささっと1時間くらいで半分くらいまで編集をやりなおした。
 それにしても、なぜ、コンセントが抜けたのだろう。ちゃんとさしたはずだ。ほとんど触れた程度の衝撃で、コンセントが根元からざっくり抜けるものだろうか。ひょっとしたら、動画編集を一からやりなおせという創作の神様からのメッセージだったのかもしれない。出来もいまいち納得いかんしな。最初からやりなおすか、来週にでも。
 ますます間に合いそうもなくなってきた。ものをつくるって難しい。

 仕事もたまっているが、洗濯物もたまっている。おまけに休日だってのに、いくつかまた新しく仕事が増えた。忙しさは募る一方、金は無し、最悪だ。いいことがまるっきりないわけじゃないが。焼け野原にも、花は咲くものだ。

2006年 9月 5日 (火)
 俺が卒業した川越東高校は、バリバリの進学校で、かなり頭のいいやつじゃないと入れない。そこの卒業生だと言うと、知ってる人はホホウと驚く。あんなアタマのイイ学校を卒業したなんて、なんてアタマのイイヒトなんだろう、ってね。しかしそれはトンデモナイ誤解で、俺が入学した時、かの高校は新設校だったので、まだ偏差値は今より20近く低かった。しかも俺は単願(「他の高校は受けません」と約束するかわりに、偏差値をさらに低くしてもらう)による入学だったので、もうそれこそ、偏差値50以下のバカ高校さえ無理だと先生に断言されたほどのバカ中学生だった俺でも入学できたのだ。後輩ががんばってくれたお陰で俺はデカイ顔して川越東高校の卒業生だと自慢できるのだが、その裏舞台はあまり大きな声では言えないわけである。ちなみに俺は第一回卒業生で、しかも3年1組で名前の頭文字が「あ」だったため、事実上、川越東高校で最初に卒業証書を貰ったひとりなのだ。高校側にとっては不運という他ない。

 話しは変わって、6年ほど前に俺が仕事で制作した実にしょぼいホームページがあって、たいした利益も出ないまま惰性で1年くらい運営していたのだが、あるとき仕事で親しくおつきあいしているある方の目にとまり、それまでのつきあいもあって、「そのしょぼいサイト、うちで引き取りましょう」と言ってくださり、分不相応なお値段で買っていただいた。その後、そのサイトはリニューアルを重ね、月に数千万もの宣伝費を重ね、毎月数億の売り上げをはじき出す、超有名サイトになってしまった。今でもたまにかのサイトの創始者だと言うと、知ってる人はホホウと驚く。あなたがあの超有名サイト○○○○○を作ったんですか、と。これもまたトンデモナイ誤解だったりする。確かに今はスゴいサイトになっているが、その裏舞台はあまり大きな声では言えない、俺が最初に作った段階ではもうどうしょもないくらいしょぼいサイトだったのだ。

 今日、渋谷で知り合いに人を紹介してもらい、「この方があのサイトを最初に作った…」と解説され、やたら尊敬されおおいに困ったものだが、それでふと高校のことを思い出した次第である。

2006年 9月 6日 (水)
 PVの撮影最終日。ちょっと寝坊して現地にむかった。最初は緑の中でたたずむ女性の撮影で、次に海の撮影。先日撮影した街の撮影が中心になって、今日の海と緑の中の女性がその前後を飾るという構成で、これは現在を中心に過去と未来が交差するとみてもいいし、まあなんでもいい。重要なのは過去と未来をつなぐモチーフとして人形というアイテムが使われているという点だ。この人形は少し前にある人に貰い、そのまま段ボールに入れたまま飾るわけでもなく放置していたものを思い立って使用することにしたわけだが、人形には魂が宿ると言うし、PVの撮影と言っても人形を使う以上、一筋縄ではいかないと思っていたら、やっぱりいろいろと必然のような偶然が巻き起こった。
テスト撮影 まず撮影日だが、前2回、雨で撮影日が流れていた。昨晩、2回連続で雨天延期となった理由をつらつら考えてみて、これはひょっとしたら人形が嫌がっていたりなんかして、と思い、前2回は前日から人形をボストンバッグに入れて用意していたのだが、昨晩は段ボール箱に入れたまま、朝になってから出掛ける直前に人形をバッグに入れるというフェイントをかけてみたら、見事に晴れてくれた。でもまあこれはしかし考えすぎと言えないこともない。それに明らかにやってること、ポイントがズレている。
 問題は海の撮影で、海辺に横たわる人形というイメージを撮影していて、それがPV撮影の最後のシーンだったのだが、最後の最後のカットを撮影し終わったその瞬間、いきなり大きな波がドドーンとやってきて、波が人形をさらっていってしまった。慌てて駆け寄ろうとしたのも虚しく、一瞬で人形は波の間に消えた。
 撮影が終わったら人形はお炊き上げにでも出して供養しようかと思ってたのだが、まさかすべての撮影が終わった次の瞬間に自ら消えてゆくとは思わなかった。
 足首から海水と砂にまみれながら、あっけにとられて海を見つめる俺に、カメラマンのコータさんは言った。
 「今のカット、なかなかいいんじゃないですか。でもちょっとカメラが揺れたかもしれないので、一応、もう一回お願いします」
 彼はプロだった。カメラを真剣に覗きこむ彼は、人形が既に自然に帰っていったことに気がついていない。「もう十分ですよ」と俺は言い、ひきあげの合図をした。その後もコータさんはねばり強くカメラを回し続け、海辺の風景やカモメなどを撮影していた。万が一使えるいいショットが撮れるかもしれないという創作への飽くなき執着心である。俺はと言えば、靴の中が砂と海水でぐちょぐちょになり、コータさんも同じ状況であるにもかかわらず、早くどこかの洗面所に行って足を洗いたい気持ちで「もういいですよ行きましょう」などと言っていたが、後で撮影したVTRを見たら、彼が自主的に撮影したところは、もうこのショットがなかったらどうしましょうくらいなものがあり、まったく今回の撮影では彼に頭が上がらない。そういったおいしいショットは海の撮影だけでなく、緑のシーンでもこないだの街のシーンでもすべてにあった。勉強になる。
 女優さんも先月のテスト撮影の時はこの子で本当に大丈夫かと思ったが、撮影本番となるとなかなかおりこうさんで、スムーズにことは運んだ。結局、みなさんの力に支えられ、PVの撮影はすべて完了できたわけである。ありがたいことだ。
 帰り、レッドロブスターで洗面所を借りて足を洗い、昼食を食った。
 しかしおもしろいね、映像制作は。キーボードを捨て、撮影に出よう。
 幻想異端映像連盟からのお知らせでした。

2006年 9月 7日 (木)
 忙しいあいまをぬって、動画の編集をしこしこ少しづつだがすすめている。そしたらだんだんiMovieの調子がおかしくなってきて、みるみる重くなり、とうとうファイルを開こうとすると立ち上がらなくなってしまった。iBookで動画編集は無理ぽ?

2006年 9月 8日 (金)
 週刊モーニングで「天才柳沢教授の生活」の連載が月イチながら再開した。今週のエピソードはこの漫画の原点に帰ったような、実に柳沢教授らしい巻でおもしろかった。また柳沢教授がAB型であると初めて知り、目からウロコが落ちる思いがした。なるほど確かにこのキャラはAB型以外に考えられない。

2006年 9月 9日 (土)
 今日も遅くまで仕事したり編集したりで朝がきた。
 iMovieは相変わらず調子悪くて作業は先に進まない。
 仕事はそれなりに片付いたが支払いがたまっている。
 最近妙に物理的に息苦しく感じるのは何故だろう。

2006年 9月 10日 (日)
 妹2が甥のKODIを連れてアメリカから帰国してきたので、妹2とKODIと妹1と父と、上野はスキヤキの今半に食事に行った。この家族5人が揃うのは実にめずらしい。
 スキヤキだけでなくしゃぶしゃぶ、サーロインステーキ、松茸の土瓶蒸し、タラバ蟹などを食った。たまに父とめしを食うといいものが食えるので嬉しい。
いい牛肉 スキヤキは、もともと牛肉があまり好きでない上に貧乏なので、こんないい肉など滅多に食う機会がなく、これがどれほどいい肉なのか、さっぱり判断がつかないところが悲しい。すごくいい肉にも思えるし、中の上くらいの肉と思えばそれくらいな気もする。うまいからなんでもいいのだが。
 久しぶりの和牛で食い過ぎて、おまけにビールと純米大吟醸などを飲んでしまったため、かなり気持ち悪くなり、帰り、駅に降りると、立ちくらみがし、目の前が真っ暗になり、倒れそうになったので、ガードレールに座って暫く落ち着いて、そのままタクシーをつかまえて吐き気をこらえながらなんとか家に帰り、帰るなりベッドに横たわり気絶するように寝た。そういえばそうだ。牛肉をたらふく食うと必ず後悔するという法則が俺にはあったのだ。上等な牛肉をたらふく食ったのは7年ぶりくらいだったので、すっかり忘れていた。死ぬかと思った。
 たまにはいい牛肉も食いたいが、次の機会には控えめに楽しみたい。

 食いものの話しばかりで、家族の話しが何もない。
 そういえば妹2が電車の中で「お兄ちゃんの日記は芸術だね」と言っていた。
 なんの冗談だろうか。

2006年 9月 11日 (月)
 なんとかiMovieも動くようになり、というより問題はファイルの方にあったらしく、新しくファイルを立ち上げ旧ファイルからパーツを読み込んでイチからつくりなおしたら、その後はうまく作業が出来るようになり、とりあえず編集も一段落ついたので、タダ券で映画に行ってきた。

キャバクラ嬢のソニン 「バックダンサーズ!」という映画を見た。ソニンが出ている。見る前からたいした映画ではないことは知っていたにもかかわらず(それくらいは見る前からなんとなくわかるよね)、それでも改めて「ヒドい」と鑑賞中500回くらい叫びたくなったほどすさまじくヒドい映画で、クライマックス直前に寝た。起きたらラストシーンだった。まあどうでもいい。いや、映画が始まって10秒でもう「こりゃヒドい」と思ったくらいだから、117分の映画だから、500回だとかなり控えめかもしれない。
 ソニンが元キャバクラ嬢の、店で事務所の社長にナンパされてタレントになったという役どころで、他のメンバーが比較的真面目に踊りや芸能界を目指していたという設定にもかかわらず、ソニンの踊りが一番うまいところはおもしろかった。

2006年 9月 12日 (火)
 やっと日記が書けた。これを書いてるいま現在、既に18日。1週間も日記が書けないほど忙しかったなんて初めてじゃなかろうか。同じくらいの日数書かなかったことはたくさんあるが、今まではどちらかというと怠けていたからである。
 とにかくこの一週間は忙しかった。嘘みたいに毎日入れ替わり立ち替わり仕事が舞い込み、ついでにPVの編集などやってたもんだから、もう連日徹夜だし、めしを食う暇も(食ってたけど)寝る暇も(寝てたけど)本来ならなかった。生活のリズムは乱れまくり、体内時計は狂い、いつ寝ててもおかしくなく、いつ起きててもおかしくない、俺に電話する人はいっさいの判断基準を捨てなければならないような一週間だった。
 仕事は大きな制作の仕事が先週のうちに一段落して、今週からちょっと余裕ができるかと思ってたのだが、今週は広告代理店としての仕事や新しい企画や見積りが多く、一日中請求書だの見積書だの広告媒体資料だの書類関係を作成したり、メールを書いたりしてたような感じだった。いわゆるひとつの事務仕事ってやつだ。野良仕事よりは性に合っている。
 俺のように創作芸術を人生の大義として生きていると、逆に社会の経済を循環させる歯車となって、己を機械的なまでに淡々とさせ、その身を主体性無く仕事に埋没させる行為が妙に心地よく思えてきたりする。いいね、社会の歯車。

2006年 9月 13日 (水)
 栗ゴハンを作って食った。うまかった。そろそろ栗の季節である。夏はそうめんとスイカの季節であるように、俺にとって秋は栗の季節なのだ。そういえば今年の夏はそうめんはたくさん食べたが、スイカをまったく食わなかった。ひと夏に三度は下痢をするまでスイカを食わねば気が済まぬ俺としたことが、なんてこった。今からでも遅くはないから、近いうちにスイカを買ってきて下痢をしよう。

 下痢と言えば、先日とんでもない悪夢を見た。
 食事前のかたはこの先の文章を読まないほうがよいかもしれない。
 夢の中で俺は下痢をして、トイレでウンコをしていた。するといきなり、排水口から水が逆流し、便器から水が溢れだし、トイレが浸水していった。水のかさはどんどん上昇し、仕舞いにはトイレいっぱいに水がたまり、俺は水の中であっぷあっぷと息もできず、もがき苦しみながら水中にプカプカと霧のようにただよう下痢便を見つめていた。たまらずトイレのドアを開けると、トイレから勢いよく水が放出し、事務所が一面水浸しになった。しかもただの水ではない、うっすらウンコが混じった水なのだ。ウンコまみれだったらまだ見た目がはっきりしているだけに、マシだと言える。視覚的には、一般的な水浸し状態なのにもかかわらず、その実、水にはうっすらとウンコがとけ込んでいるという、これこそまさに想像に訴える気持ち悪さとでも言おうか。そんな悪夢のような想像を働かせる事務所の光景を、俺は呆然と眺めていた。
 書いててつくづく汚い夢だ。

2006年 9月 14日 (木)
 朝まで仕事して、寝て、午後起きたんだと思う。

 深夜ちょっとまたPVの編集作業をした。毎日のように修正点を思いつくので、少しづつ編集が変わっている。この後どんな改善点が見つかるか知れないので、レンダリングはギリギリまでやらない。でももうほとんど納得いく形に落ち着いてきた。明日あたり仕上げに入ろうかな。

2006年 9月 15日 (金)
 PVの編集作業が終わり(ってゆうかキリがないので終わりってことにした)、なんとかPVが完成した。まあこんなもんでしょう。

DRIVE OPENING MIX そんなわけで、俺が監督・編集をつとめた作品を含めた8つくらいのPVが今月末、下北沢のカフェ・バーで上映されているので、お暇なかたはぶらりと立ち寄ってみてはいかがだろうか。1クール30分くらいで、下記の時間ずっと流れているらしい。
 詳細は以下のごとくである。

日日:2006年9月30日
時間:12:00〜18:00の間ずっと
場所:下北沢Heaven's Door
http://heavensdoortokyo.fc2web.com/

題名:DRIVE
出演:国重雅彦(この日記では雅珍公)、他1名
音楽:安田さん
撮影:コータさん
監督:俺

 内容はまあ、何分こういったものをつくるのは初めてなので期待なさらぬよう。

2006年 9月 16日 (土)
 仕事してた。

2006年 9月 17日 (日)
 休日だってのに仕事がまだかなり残っているので、朝から仕事をしていた。

 午後、完成したPVを納品するため、渋谷のニューヨーク・カフェで主催者や他の参加者のみなさんと会った。上映する順番を話し合ったりした。
 帰り、食べ放題のインド料理屋「オー・カルカッタ」でめし。前回来た時はチャイはホットでありませんと言われがっかりしたのだが(9月3日の日記参照)、今日はなぜか注文できた。
 しばらく渋谷でカレー食うのはここになりそうだ。許せ、ムルギー。

2006年 9月 18日 (月)
 昨晩深夜1時頃、PVも完成し仕事もいまいちやる気せず暇をもてあましていたら、まだ売れてない俳優のぶらっきぃ!さんから電話がきて、いま新宿にいるとのことで、とつぜん事務所に遊びにやってきた。これこそ絶妙のタイミング。
 映画の話しやら女性のタイプやら、十時間にわたって一晩中語り明かし、今日の昼近く、事務所を出て、西新宿の富士そばで一緒に蕎麦を食い、帰っていった。
 自主映画の人間関係の話しをいろいろとしていたら、この業界、わりと狭いことに気がついた。結構みんな知り合いなのだな。

2006年 9月 19日 (火)
チャンドラムキ 暇ではないが、今週で終わりなので渋谷までラジニ主演のインド映画「チャンドラムキ/踊る! アメリカ帰りのゴーストバスター」を見にいってきた。
 なにせ久々のラジニの新作劇場公開である。見逃すわけにはいかない。んで、見た。
 いやもう、なんと言ったらいいのかね! 例えるなら、ヘタくそな画家がウンコをまき散らして画用紙にぶつけたらシュールな名画が出来てしまったというか。いやタミル地方のインド映画、ひいてはバカ映画というのはそもそもそういったものなのだが、それがこれはある種の究極に達している。その中で演技や音楽や踊りは微妙に素敵だったりするものだから(まったく精錬されてはいないが)、大げさでベタな演出と相まって、ときおりインド映画ならではの特殊な効果を産み出している。でもやっぱりヘタなので退屈する面のほうが多く、前半はかなり寝てしまった。
 ラジニはもう歳なのか、ムトゥの頃のようなイキのいいアクションが見られず、動きの悪さをごまかすためか、これでもかとばかりに大げさなCGや音響効果が使われていた。それは決してマイナス要素でもなかった。
 アメリカ帰りの精神科医がゴーストバスターとなって、館に棲む悪霊を退治するというストーリーをはじめ、ツッコミどころも相変わらずすさまじい。まったく、どうして欲しいと言うのだ、この映画は。まあどうして欲しかろうが、脱力して失笑するより他に選択肢はない。
 たまにはカリシュマ・カプールとかマドゥーリの映画も公開してくれ。

 徹夜でずっとiBookの前で仕事をしていた。制作はまったく無く、メールを書いたり書類を作成したり、事務仕事ばかりである。朝になる頃には背中から右腕にかけて、筋肉痛がかけめぐっていた。筋肉痛になるほどメールを書いたのは生まれて初めてだ。

2006年 9月 20日 (水)
リンダリンダラバーソール ひさしぶりに大槻ケンヂの本を読んだ。彼がまさしく自ら体験した日本のバンドブームの栄枯盛衰を小説風に描いたノンフィクション「リンダリンダラバーソール」。
 大槻ケンヂというアーチストが信じられなくなったのはいつ頃からだろう。昔はファンだった。もっと言うと、追っかけだったこともある。それが今は、彼の言うこと成すことどうも鼻につく。
 この本も、彼の必要以上に真面目に生きている人たちにツッコミを入れ茶化すシニカルな視線とか(昔は笑えたんだが今はなぜかぜんぜん笑えない)、自分をバンドブームに翻弄された悲劇のアーチストぶった、自己表現の情報操作とでも言おうか、数ある様々な側面の一部分を強調することによってわざとらしくひとつの方向性に読者を誘導するわかりやすいストーリー性とか、それでいてもっとカッコつけてほしい、さらけ出す必要のないこととか(まあようするに何かが圧倒的にズレてるのだ、俺の求めるものとオーケンの表現することとの間に)、達観するべきところで妙に幼稚だったり、突っ走って欲しいところでヘンに達観して落ち着いていたりする、じれったさとか、もう俺の中で大槻ケンヂはかなりヲワッたアーチストであることは確かなのだが、そのヲワり具合をさしひいても、
 これは、大槻ケンヂの最高傑作ではなかろうか?
 かの青春小説の傑作「グミ・チョコレート・パイン/グミ編」に匹敵する名著である。ようするに、俺はこの本が非常に気に入ったのだ。
 その、大槻ケンヂというアーチストに感じていた疑問、じれったさ、不信感、それらのマイナス要素をすべてその完全なるままに残した上で、この本は余りあるおもしろさに満ちている。とりあえず内容に関しては腹が立つのであえて何も言うまい。
 「くれぐれも大槻ケンヂに騙されるな!」と念を押した上で、人に勧めたい名作である(ちなみに騙したツケは「あとがき」で本人がフォローしておりますな)。

2006年 9月 21日 (木)
 渋谷のLUSHというライブハウスで行なわれた「毒蟲」というSMのイベントを観に行ってきた。こういったSM系の出し物を見物するのはかなりひさびさである。
 観に行った経緯は、先日ミクシィで新たに参加した自主映画の企画に同じく参加している俳優さんが出演しているということで、誘われたのだ。自主映画企画の集まりは別にあるので特に行かなければならないことはなかったのだが、ちょうどある理由でSM系のイベントを探していたところだったし、出演者を見るとかなり充実したラインナップだったので、これは絶好の機会とばかりに逝ってみることにしたのだ。
 LUSHに到着すると、いるいる、この場にふさわしい妖しい人達。ナースルックに女装したおじさん、全身包帯を巻いた女の子、その他ヲタク系、女王様風、普通のオッサン、セクシーな格好をした美女たち、もろもろ。んで、イベントが始まった。
 最初がかなりキツかった。ふたりの女の子がカッターナイフでお互いを傷つけ合う演技をし、ウソの血まみれになり(ここまではまあいい)、本物のネズミの死体をとりだし(問題はここからだ)、そのネズミの死体をハサミで切り刻み観客にバラ撒き、皮を剥ぎ、腹を割いて引きずり出した内臓をからだにこすりつけ、搾って滴るその血を飲み、あげくの果てには口にいれ咀嚼して口うつしでふたり仲良く共有している。グロいったらない。初っぱなからこれはかなり引いた。終わった後で解説のお兄さんが「いやあ、なんてサワヤカなおふたりさんでしょう」とナイス・ボケなフォローをかまして会場を笑いに包んでくれてかなり助かった。ちなみに後でわかったことだが、このMCのお兄さんが今回の自主映画に参加している俳優さんとのこと。さらにもっと後になってわかったことだが、彼がこのイベント「毒蟲」を主催してプロデュースしている張本人であった。後日彼と話したとき、この冒頭の出し物のことを文句言ったら、「あれは冒頭で如何にお客さんを引かせるか、という主旨だったんです」と説明してくれた。大成功ですよ、リカヤさん。
月花 とんでもない冒頭が終わって、次がかの有名な立花マリさん。女教師の役を演ずる立花マリさんが、制服を着た女生徒役の女の子を緊縛して鞭で叩き、脱がしてお腹に「わたしは悪い子です」と落書きをし、乳首に針を刺して折檻する。女教師と女生徒という普遍的なシチュエーションの中、立花マリさんの名人芸が光った萌えの逸品だった。
 その後、蛇をからだに巻き付けた女王様による調教や、からだ中にピアシングする痛いやつとか(画像参照)、正統派の緊縛&鞭&蝋燭ショーとか、まあいろいろおもしろかった。つくづくSMってのは芸術なのだと思った。それはパフォーミング・アーツであり、また同時にコンセプチュアル・アートでもあったりする。縄でガチガチに縛られ天井から吊された女の子など、まるでオブジェだ。
 途中の箸休めか、いきなりノイズ系のうるさいバンドの演奏が始まったところで自主映画企画の主催者であるりくさんとその仲間たちと合流。話しがノッてきて、そのままイベントの中盤を待たずして、外に出て飲みに行ってしまった。イベントの後半を観れなかったのはちょっと惜しかったが、人のいる方にウヨウヨ流れてゆく性分なので、そこはそれ、今日ひとりで来てしまった功罪ということでまあ結果が有意義であればなんでもよい。
 居酒屋でいろいろ語り合って、終電前に帰った。ちなみに本日の画像はリカヤさんのブログから勝手にかっぱらってきました。感謝!

2006年 9月 22日 (金)
 ひさびさに仕事で蒲田に行った。夜長さんの発祥地である。連絡してみようかと思ったが後の予定が詰まっていたので、さっさと新宿に戻る。
 本日は歌舞伎町の居酒屋にて某自主映画企画の顔合わせがあった。自主映画の集まりとは言っても、自主映画の話しはまったくせず、単なる飲み会である。
 主催者のりくさんの書いたプロットを読んだが、感覚的な作品で、なかなかおよろしい。ぜひ参加したいものだが、俺に出来ることってなにがあるのだろう。
 昨日のSMイベントの主催者&MCであるリカヤさんと映画論を戦わせたり、酒飲みの女優さんと語り合ったり、俺の主催している自主映画のコミュニティに登録しているやつと鉢合わせして、オフ会に一度も来ないことを文句言ったりしてあっというまに時間はすぎていった。
 主催者のりくさんの理論を越えた美学に支えられた感覚的なオーラによるものかわからないが、なんかしっくりくるものを感じたなあ。ツーと言ってもカーと来ないことが多いことに慣れてしまった自分の発する、最初からカーを期待しないツーまがいの発言に対して、カーと修正される気持ち悪さと、その果てにある気持ちよさをしんみり味わった帰り道だった。
 ザッピー浅野よ、どこへ逝く。

2006年 9月 23日 (土)
Sholay インド映画「Sholay」を見た。インド映画史上空前のヒット作であり、インド映画が世界のインド映画としてその名を轟かした現代インド映画の原点とも言える映画である。そう、ついに見たのだ、この映画を。
 どんな映画かと思ったら、もう完璧な西部劇。マサラ・ウエスタンというか、チャパティ・ウエスタンというか、ターメリック・ウエスタンというか、まあ名称はなんでもいい。ちなみにイタリアの西部劇はマカロニ・ウエスタンと呼ばれるが、英米ではスパゲティ・ウエスタンという呼び方が一般的で、マカロニ・ウエスタンという名称は淀川長治が考案した日本だけの呼び方らしい。まあそんなこともどうでもよい。
 近代インド映画の原点というのはまさにそんな感じで、後年のインド映画に見られた数々の名シーンがぜんぶここに入っている。そうか、みんなここからパクってきてたのかと、もうこの「Sholay」以降のインド映画の大半は、どこかしら「Sholay」の幻影を背負って制作されていると言っても過言ではなく、逆に近年のインド映画をあまりにも見すぎた俺としては、「Sholay」はどこを切っても見たことあるようなシーンばかりで、酷く新鮮味のない映画に見えてしまった。その穴を少なからず埋めてくれたのは前編を流れるウエスタンな雰囲気。俺はウエスタンの精神が生きた映画が好きなのだ。
 アミタブ・バッチャンの若々しいカッコよさとか、印象的な楽曲の非常にクオリティの高いミュージカルシーンとか、とてもよかった。とりあえず、わりと3時間20分の長さは気にならなかったので、充実した内容だったのだと思う。願わくばインド映画初心者の頃に見ておきたかった。

2006年 9月 24日 (日)
 妹が明日で米国に戻るので、実家に帰った。何年ぶりかに妹ふたりと母と四人で食卓を囲んだ。こんなひとときが残りの人生、あと何回あるんだろうな。それより、俺の新しい家族はいつになったら出来るのだろう。嫁さんが見つかって、且つ、生活の基盤が安定してからとなると、これはもう、いつのことになるやら、想像すら出来ない。

2006年 9月 25日 (月)
 ナマステ・インディアに行ってきた。日本最大級のインド・フェスティバルである。印度カラオケで知り合ったインド友達のみなさんに誘われたのだ。
 「ナマステ・インディア」と書かれたゲートをくぐると、たくさんの人ごみ、インドの雑貨やDVDの売店、インド料理、ステージの上ではインド舞踊を踊っている。なるほど、こんなイベントが毎年あったとは知らなかった。
なますて 花乃さんと合流し、散歩し、南インド料理を食い(画像参照)、ダンスショーを鑑賞し(画像参照)、DVDを物色し、ボリウッド・ダンスを鑑賞し、レイコさんたちと合流し、散歩し、ボリウッドダンスを鑑賞し、インド舞踊を鑑賞した。花乃さんの南インド料理に異物が入っていて、一時パニックになった。チャイが安かったので、買った。DVDは前からほしかったインド映画がぽろぽろと見つかり、少し買いすぎた。おかげで布が買えなかった。インドの歯磨き用の木切れみたいなものを配っていたので、それで歯を磨いていたら、苦い汁が出てきて、お腹が痛くなった。ボリウッド・ダンスはやたら踊りがヘタで、つまらなかった。インド舞踊はおもむきがあってとてもよかった。そんなこんなで5時間くらい遊んだ。
 その後、花乃さん(学生)は明日試験があるから先に帰り、最後に俺とレイコさん含め4人で渋谷のタージマハールでインド料理を食い、解散した。
 今日の日記はまったりモード。

 タダ券で映画「イルマーレ」を観にいった。韓国映画のリメイクらしい。もとの韓国映画はよかったのかな?と思わせる感じの物語で、かなり酷かった。どうしてこうも次から次へと酷い映画ばかり目にするのだろう。映画というメディアはきっと呪われているに違いない。

2006年 9月 26日 (火)
 銀行で金をおろして、西口ガード下近くの金融機関に入金に行き、ついでに歌舞伎町でラーメンを食って珈琲を飲んだ。ひさびさの○○なひとときだった。

2006年 9月 27日 (水)
 京極夏彦の新作「邪魅の雫」そういえば今日が発売日だったなと本屋に駆けつけようと思ったら、金が無かった。貯金箱やら財布の隅やらかき集めて、やっと千五百数十円だけあった。邪魅の雫は千六百八十円なので、買えない。朝食に納豆とサッポロ一番みそラーメンを買いに行ったとき、ついでにフルーツどっさりゼリーなんて買い物カゴに入れるんじゃなかった。デザートで188円はちょっと高いと思いつつ、好きなのでついつい買ってしまう。ああ。忌々しい。フルーツどっさりゼリー。その時、俺の瞳から邪魅の雫がこぼれ落ちた(なんだそりゃ)。

2006年 9月 28日 (木)
 小学校での英語教育に関して必須化するだのいや時期尚早だのと最近いろいろな意見を聞くが、反対派の言うことには実に異論を唱えたくなるようなものが多い。
 一番納得いかないのは「英語をやるまえに日本語をしっかり学ぶべき」という人。子供の脳を少し甘く見すぎてやしないだろうか。子供の脳の柔軟性とか吸収力を侮ってはいけない。日本語と英語では言語の構造自体がまったく異なるわけだし、英語をやるからと言って日本語が疎かになるなんてことはなく、逆に日本語をしゃべっているだけでは使わない脳の部分が発達して、幼い脳の発達には非常によいし、俺もアメリカに5年留学してわかったことだが、英語を知るということはまた日本語を客観的に別の角度から学ぶことでもある。英語教育が日本語習得の邪魔になるなんて意見は、それこそ頭のカタくなったオトナの視点でしかなかろう。最近は日本語が乱れていて、若者がろくに敬語も使えず、漢字も書けないという現状はあるが、それままた別の問題。英語云々言う前にゆとり教育とやらをなんとかしましょう。あるいは英語を必須にすると同時に「敬語」と「漢字」の授業を同時に新設したらどうだろう。余談であるが、俺はマリファナ解禁賛成派だが、マリファナを解禁すると同時に、所持量制限とマリファナ喫煙運転の罰則を厳密に制定することは必須だが、あれと同じことだ。
 ただ、英語教育にもいろいろやり方はあるわけで、俺は簡単な会話を中心にスタートするのがよい道筋だと思うわけだが、現状の日本の中学・高校の教師の大半がそうであるように、英語のしゃべれないようなクソ教師の英語教育では場合によっては確かに日本語の発達の邪魔になるようなバカなものもあり得るかもしれない、とは思ったりもする。
 そういえば先日、ちょっと興味があって、小学校の授業を見学したことがあった。公開授業参観というもので、これは小学校に通う生徒の両親だけでなく、誰でも自由に受付をすれば授業を見学できるという行事で、その小学校に来年通う年齢の子供がいるのでちょっと下見に、とウソをついて、中に入ってみた。最近の小学生は俺の子供の頃よりずいぶん活発なようで、ホームルームの授業ではみんな積極的に手を上げて発言しているし、廊下ではいきなり小学生に「誰のおとうさんですか?」なんて話しかけられたりして、俺の小学生の頃だったら「おい、あいつ知らない大人に話しかけてるぜ!」なんてクラス中の話題になってただろう。たくましいことだな。んで英語の授業だが、なんだか生徒が輪になって座り、ゲームのようなことをやっていた。生徒がそれぞれ「A」から「Z」までアルファベットになり、手拍子に合わせてAが「O!」と叫ぶと、Oの子はまた手拍子に合わせて「S!」と次の子を指名する。まああのくらいバカな英語教育なら、英語の「え」の字も学べないかわりに、日本語の妨げにもならんだろうから気に病むことも無かろうが。
 最後に一番肝心の「果たして英語を必須にする必要はあるのか?」という問題だが、これは考える視点の違いなので、どちらが正解というのはあり得ない。日本人なんだから英語を必ずしも学ぶ必要は無い、という意見も正解だし、いやこれからは必要だ、という意見もまた正解である。ただ社会がそういう方向に流れてゆくのは当然のなりゆきだし、英語はしゃべれたらしゃべれたで視野も広まるし、生きてゆく上で必要ではないが有効に使えるものである。俺としては「Why not?」と言いたいところなわけだ。

 めずらしく時事ネタである。

2006年 9月 29日 (金)
マドゥーリ 先日ナマステ・インディアで買ってきたインド映画のDVDを毎晩見ている。今日はマドゥーリのミュージカル・クリップ集をため息まじりに眺めながら、仕事に疲れひと息ついた寝る前のひとときを至福のうちに過ごした。この映像があれば俺はもうなにもいらない。世の中のほとんどの人々はこの世にこんな素敵なものがあるのだということを知らずに生きているのだなあ、としみじみ。今宵も事務所のテレビで、天竺の乙女たちが舞うのであった。

2006年 9月 30日 (土)
 最近ミクシィを見ていて軽く憤りを感じるのが、ニックネームに男だか女だか判断つかないような名前を使用している人が多すぎることだ。足あとにあるニックネームを見て女性かなと思って辿ってゆくと、男だったりする。男も女も平等に足あとをチェックするときはするので、まあいいのだが、やはり名前をクリックする際に無意識に「どんな野郎かな?」「どんな乙女かな?」という先入観はあるわけで、期待した性別が違ったりすると、軽いまぎらわしい感が漂う。足あとをチェックするときはまだよくて、コミュニティでの書き込みなどを読む際に、「これは男性の意見」「これは女性の意見」というのは当然その意見のバックグラウンドとして無意識に書き込み内容の補完的な一部として考慮に入れてしまうものなので、文章を吟味する上での微妙な誤差が生じることは否めない。顔が人間の看板だとすると、名前は人間の屋号なわけだから、特別な意図がある以外は、男は男らしい、女は女らしい名前をつけてもらいたいと思ったりする。八百屋にタコハチだとか、ウェブ制作会社に百花園だとか、インド料理屋にル・モンドだとか屋号をつけたらやっぱりまぎらわしいだろう。

 ミクシィといえば、やっと携帯版にアクセスキーがついた。
 さっさとつけてくれよ、まったく。


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