非幻想異端的日常
2007年 11月 1日 (木)
 ゴールデン街。シネに行くと、いってみるくさんが帰るところでご挨拶。カウンタにはレイさん。暫くふたりで話す。暫くしてぼちぼち誰か来る。最後は初めての奥亭でアニソンを聞きながら締め。

2007年 11月 2日 (金)
 松尾スズキ脚本・監督の新作「クワイエットルームにようこそ」を見にいった。
★★★ 感想はひとことで言うと「あれ?」って感じ。あちこちで大絶賛の声を聞いてたし、松尾スズキの実力は折り紙つきなので安心して見たのだが、意外と、あまりおもしろくなかった。
 いっとくが、俺は松尾スズキのファンである。彼の演劇やテレビドラマや映画はこれまで幾つも見てきて、そのどれも俺は気に入ってきた。しかしこの映画は、これまで見てきた松尾スズキの作品と比べても、かなりレベル低くないだろうか。それとも、単に松尾スズキの手の内が読めてきてしまって、新鮮なおもしろさを感じなくなってきたってことだろうか。
 人間の演出も、カメラワークも、ストーリー構成も、これまで見てきた松尾スズキの作品にあったものの形骸化した記号にしか見えず、見ていて「こういう表現、前の作品にもっとおもしろい感じであったよな」とか、ストーリーも「このパターンできたか。でもちょっとクドいような」とか、とにかく映画を見てゆくにつれ、どんどん冷静に客観的になってゆく俺がいて、最後まで映画と俺の間に何かしらの距離感が広がってゆきっぱなしだった。期待しすぎたってのもあるかもしれない。最初の十数分はやたらおもしろかった。
 しかしどうも、この映画の松尾スズキはキレが無いような気がする。今度、俺がまだ見ていない松尾スズキの作品を何か見てみて、さらにこの映画をDVDで見直してみて、答えははっきりするだろう。まあ今までの経験から言って、DVDで何度も見ているうちに好きになってしまうような気もするが、「恋の門」の方が傑作なのは間違いないかも。

2007年 11月 3日 (土)
★★ 「ワンダーウォール」という映画のビデオを見た。1968年イギリス制作。セリフ無しだが、一応ジェーン・バーキン主演。音楽はジョージ・ハリソン。
 生真面目な老博士が自宅で発見した壁の穴から隣の家の美女の生活を覗き見するだけの物語を、サイケデリックにポップに当時としてはオシャレな感覚で描いた前衛作品。
 ジョージ・ハリソンの音楽はインドにハマっていた時期だけに、ウザいほどインド音楽っぽい。
 ジェーン・バーキンはフランスに渡ってゲンスブールに調教される前だけに、ロリータ趣味に染まっておらず、返ってこの頃の方が後年より大人っぽかったりする。
 まあ表も裏もかなりヘンな映画なのだ。

2007年 11月 4日 (日)
 久々に坂口安吾の「白痴」を読み返してたら、一昨年の今ごろ見た手塚眞が映画化した同名作品のあの奇妙な映像がちらちら頭にチラついて、新鮮なおもしろさを味わった。なるほどあの映画はそれ自体傑作とは言い難かったが、原作のビジュアルイメージを頭の中でバラエティ化させる効果はあったかもしれない。
 俺は小説の映画化とか、それぞれ別ものとして見れるたちなので、どちらかのイメージに縛られて困るということがあまりない。だから逆にこういった作品関の影響が印象にストレートに反映されその感覚を楽しめるのだと言える。ある種の脳内ドラッグである。

 頭の中に図形が飛び交っている。すべてを図形で認識する癖がつくと、言葉に窮することもままある。右脳と左脳がもっとスムーズに連絡とりあう鍛錬をせねばなるまい。

2007年 11月 5日 (月)
 【電気苺】のリハ2回目。今日は主役のいのっちとその相手役のタケシさんとJOYさん。いのっちのしゃべりかたは思っていたのとかなり違ったが、これはこれでセリフの語尾を少し変えれば問題なさそう。タケシさんは逆に、こないだ初めてお話しして、かなり脚本を変えないといけないような気がしたが、実際に読んでもらったらこのままでよさそうだった。ふたりとも細かな指摘すべき点はいろいろあったが、そこらへんを今日のリハで詰められなかったのは俺の未熟さなので、次回の課題である。どうもまだ完全にスイッチが入ってないらしい。JOYは中国人の役で、しかも北海道出身なので北海道なまりがあるため、北海道なまりを残したまま中国人の発音で演技するものだから、やたら独特なしゃべりかたになった。発音の補正を中心にリハを進めたが、最後は緊張もほぐれてだいぶよくなった。しかしやはり詰めが甘い。精進あるのみだ。

 皆が帰った後、めし食って、今日のリハのテープをチェックしながら脚本に赤を入れた。その後、ゴールデン街に行って、YOYOでワインを飲みながら、iBookを広げて修正作業をやった。

2007年 11月 6日 (火)
 鬱で朝カラダが動かず、初めてバイトに遅刻。一日中ずっと鬱で、夜は少し平常になったが、次の日の朝からまた鬱に戻った。だんだん引きずる期間が長くなっている。映画制作のときは創作超人スイッチが入るから大丈夫なのだが。

2007年 11月 7日 (水)
 鬱が治らん。まだ医者にかかるレベルではないと思うが、結構ツラい。

2007年 11月 8日 (木)
 手続きに必要な書類を調達するために朝から川越の市役所の出張所に行ってすぐ東京に戻り今度は新宿の法務局でまた別の書類を発行してもらい、その後めしも食わずにパソコン関係のヘルプで行った新橋でクライアントのオーナーが変わったので紹介され、夕方までかかって終わると銀座に寄りSさんと少し打ち合わせして我が事務所に戻った忙しい一日だった。

2007年 11月 9日 (金)
★★★ 映画「ゴーストワールド」を見た。
 アメリカの十代のコドモ以上オトナ未満な女の子ふたりのパンクになりきれないパンクな日常を描いた物語である。
 少し時代が古いような雰囲気と人を食った会話と味のある人物描写がツボに入った。ラストはつまらないが、ストーリーよりはディテールの映画なので、まあいい。
 テーマ曲がインドの曲で、冒頭にインド映画のミュージカルシーンが流れるところがなかなか好印象。
 名優スティーブ・ブシェミが出ていた。他の俳優もすべて素晴らしかった。キャストに恵まれた良作だと思う。

2007年 11月 10日 (土)
 ミクシィに本物の亀田大毅がいて申請出せばマイミクしてくれると、知り合いに教えてもらったので、早速申請出してみたら1日で承認されマイミクになった。数日後、金平会長にミクシィやってるのがバレたとかでミクシィを退会していた。日記は確かに亀田大毅っぽかったが、あれは果たして本物だったのだろうか。最近のミクシィは有名人のなりすましが多くなってややこしい。

2007年 11月 11日 (日)
 夜長さんが歌舞伎町の、最近お友達になったキラー・カンさんのお店で飲み会をやっているとの情報をキャッチし、バイトが終わった10時すぎごろ駆けつけた。
 キラー・カンさんはデカく、優しく、そして歌がうまかった。【電気苺】のフライヤーを渡したら、お店に貼ってくれるとおっしゃってくれて、感激。
 キラー・カンさんの店を出た後、ゴールデン街のクラクラに行った。ここは15年前、夜長さんと初めて会った日に飲みにきた思い出の店なのだ。われわれはその15年前に夜長さんと座ったタコ八郎の銅像の近くの席の近くのテーブル席に座った。
 今宵はひさびさに夜長さんと語り合えたのと、今まで何度か夜長さんの飲み会で顔は合わせてたのだがほとんどお話しをしたことのなかった春宮さんと初めてお話しできて、よろしいひとときだった。
 クラクラの前で夜長さんたちと別れ、ひとりでYOYOに行った。深夜だというのにやたら混んでいた。【電気苺】のキャストと映画について語り合いながら軽く飲んで、帰って寝た。

2007年 11月 12日 (月)
 ゴールデン街自主映画【電気苺】の第三回リハーサル。今回は午後3時から夜8時くらいまで長時間、メンバーを三度ほど入れ替えて行なった。場所は前半はYOYO、後半はシネを使った。三回目だけに方法論が確立されてきて、終わってからあまり後悔しないで済んだ。
 まず最初はYOYOにてヤマダ。ヤマダはヤマダでしかなく、ヤマダでしかなかった。最初からそれは明らかだったし、そのように脚本を書いたし、リハーサルもその通りになった。しかし少し、想像を超えていたかもしれない。次にまきんこ。途中からJOYさんとジローさんも参加。まきんこは間のとり方が絶妙で、演技も最初からピッタリはまっていて、びっくりした。ジローさんも予想以上に良い味を出していた。JOYさんは先週に引き続き二回目だったが、中国人しゃべりが格段に上達していた。次に場所を移動してゆうきさんと組長の刑事コンビ。ジローさんも少し絡みがあるので参加した。ゆうきさんはスイッチがなかなか入らず手こずったが、熱心に何度も読み返しているうちによくなった。組長は俺好みの渋い演技で良かった。とにかく今日も皆よかった。
 リハの後、飲みにも行かずに、すぐ帰ってVTRをチェックしながら脚本を修正した。今日でほぼ八割くらいのキャストとのリハーサルが終わった。全員のリハが終わってから脚本の最終稿を上げコンテを描くので、撮影まで秒読みの一歩手前といったところである。

2007年 11月 13日 (火)
 仕事中にチョコレートを食いすぎて、チョコレートの糖分で胃が荒れているところにゴールデン街に飲みに行ったりするものだから、もう最近は一日中、胃が痛い。たまらんので薬を買って、痛くなると飲んでいる。暫くチョコレートと酒を控えて薬をまめに飲んで、なるべく消化に良いものを良く噛んで食うようにいたそうか。

★ ジム・ジャームッシュ監督の「ナイト・オン・ザ・プラネット」を見た。ジム・ジャームッシュの映画はジム・ジャームッシュの映画としか言いようのないほど、いつ何を見てもジム・ジャームッシュの映画なのである。しかしこの映画は特に悪い意味でそうだった。ウイノナ・ライダーだけはとてもよかった。
 結局、ジム・ジャームッシュって80年代に彗星のごとく現れて、その独特の会話センスと味のある人間描写で話題を呼んだ監督だが、その後の90年代以降のタランティーノとかロドリゴ・ガルシアなどの似たようなセンスを持つ映画作家の台頭を鑑みれば、今さらジム・ジャームッシュもないんじゃないかという気がしてくる。
 もちろん、ジム・ジャームッシュはタランティーノやガルシアとは違うのだが、会話や人間描写が後者のふたりを始めとする他の似たようなスタイルの監督と比べてジム・ジャームッシュが特にうまいとか変わってるとか秀でたセンスがあるとは思えないのだ。
 特にここ数年、俺の映画観に非常に大きく影響を与えているのが、タランティーノの「パルプ・フィクション」から「ジャッキー・ブラウン」へと至るスタイルの変革ぶりである。それはもう、タランティーノはこのふたつの隣り合わせの作品で、普通の映画作家が数十年かかって成し遂げることをほんの数年でやってのけてしまった。この飛躍っぷりを目の当たりにし、目から鱗がボロリと落ちた俺の感性もまた、タランティーノとともに目覚ましい飛躍を遂げたのである。
 ジム・ジャームッシュの映画ってタランティーノの映画ではどちらかというと「パルプ・フィクション」に近い。俺は「ジャッキー・ブラウン」を50回ほどくり返し見てしまったことによって、「パルプ・フィクション」の演出が幼く見えるようになってしまい、今ではもうイマイチ冷めた視線でしか「パルプ・フィクション」を見れなくなっているのだ。そんな俺が、今さらジム・ジャームッシュの映画に萌えろというのもなかなか難しい相談だと思うのである。
 これはあくまでも俺独自の立ち位置の問題なので、ジム・ジャームッシュの映画に問題があるとはひと言も言っていない。ジム・ジャームッシュは現在の映画界に欠かせない才能を持った監督だし、たまに彼の映画を見ておもしろいと思うこともこれから先あるだろう。「ナイト・オン・ザ・プラネット」はたまたま、俺の立ち位置が悪い方向に反映された作品だったので、本日はこのような駄文を綴ってみたまでである。

2007年 11月 14日 (水)
★ ひさびさに一日中ずっと新宿にいた。たまっていた洗濯をし、銀行に行き、カレーを喰い、映画を見た。森田芳光監督の「間宮兄弟」を見たが、あまりおもしろくなかった。80年代、あれほどの傑作を世に送り出していた森田芳光に、いったい何が起こったのか。

2007年 11月 15日 (木)
★★★ コーエン兄弟の「ビッグ・リボウスキ」を見た。初めて見るはずだったのだが、なぜか見たことあるシーンばかりだった。明らかに、俺はこの映画を前に見たことがある。しかし、ストーリーはまったく覚えていない。ストーリーはまったく記憶に無いのに、なぜか映像はことごとく見覚えがある。俺はいつ、どこで、この映画を目にしたのだろう。そういえば、去年の10月に見た同じコーエン兄弟の「赤ちゃん泥棒」も同じように、ストーリーは初めて見るのに、映像はほとんど見覚えがあった。俺の中でコーエン兄弟だけに見られる現象なのだ。いったいどういうことなのだろう。

2007年 11月 16日 (金)
 朝からまた鬱が酷くて、これから始まる一日が絶望的だった。この状態でバイトに行って、まともに仕事ができるのか、とてもではないが出来るとは思えなかった。仕事どころか、めしを食うことも有り得なかったし、ベッドから起き上がることがにわかに信じられなかった。それでも何とか起きて支度をしていた。
 そうしたところに出掛ける直前、Yahooショッピングで注文していたセルジオ・レオーネの西部劇のDVDが届き、一気に鬱が治った。
 これは鬱が大したことなかったというより、セルジオ・レオーネの西部劇の力のスゴさとみるべきであろう。
 てゆーか、これは鬱なのだろうか。少し何かが違うような気がする。例えるなら、普通の鬱が生傷だとすると、俺のはカサブタが剥がれた状態。

2007年 11月 17日 (土)
 朝から仕事がたてこんで、バタバタしていた。午後から外出予定だったのだが、余計バタバタするばかりで、このままでは外出も危ぶまれるところだった。ところが、直前で俺のマウスを持つ手がミラクルのように動き、一瞬で仕事が片付いた。老子も「窮すれば即ち通ず」と言っているが、あれは本当である。なるほど、窮すれば通ずとは、火事場の馬鹿力のことでもあったか。

2007年 11月 18日 (日)
★★ 京橋の東京国立近代美術フィルムセンターでインド映画特集上映が行なわれており、インド友達のレイコさんと見にいった。見たのは「Aan」(アーンと読む)1952年制作のクラシックである。主演はディリップ・クマール。オリジナルは161分だが、今回は1954年に日本で公開された時と同じ88分の短縮版。短縮しすぎた。
 インド映画らしいツッコミどころ満載の展開で、88分に短縮してあるにもかかわらず、やたら長く感じた。いやむしろ下手に短縮してあったからかもしれない。しかし支離滅裂である意味おもしろかった。映像は古くて傷だらけで赴きあるし、ミュージカルシーンは楽しいし、時折見せる大仰な演出はそれなりに劇的である。
 こういう短縮版でもいいから、インド映画をもっと日本で公開するべきだ。
 ちなみに画像は貴重な50年前の日本公開時のポスター。

 インド映画鑑賞の後、レイコさんの奢りで近くの南インド料理レストラン「ダバ・インディア」で食事。ミールズを食った。カレー数種類、プーリー、ラッサムスープ、サラダ、ヨーグルト、チャツネ、ライスなどがバナナの皮にのせられ、それらを手でグチャグチャにかき混ぜ食う。めちゃウマ。俺にとって、この世で南インド料理以上のご馳走はない。
 今日、ひさしぶりに「ダバ・インディア」の南インド料理を食ってみて、ようやく以前、知り合いのインド料理評論家が言っていたことがわかった気がした。彼に言わせると、「ダバ・インディア」は本当の南インドとは言えないそうで、北インド料理の要素も少し入っているそうだ。何も知らない素人が「南インド料理が食いたい」と思って「ダバ・インディア」に足を運び、「これが南インド料理というものか」と思われたら料理評論家としては誠に遺憾なことなのだとか。
 南インド料理ビギナーだった俺としては、ダバ・インディア、カレーリーフ、ケララバワン、エーラージ、ダルマサーガラ、そして怪しいおぢさんのオフ会等で南インド料理を食べ歩いてみて、これまでイマイチ「ダバ・インディア」と他のところで食う南インド料理との違いがわからなかったが、今日、初めてなるほど、これは確かに北インド料理も入ってるなとわかった。去年から今年にかけてあちこち南インド料理を食べ歩いてきて少し舌が肥えてきたのかもしれない。
 まあでもとにかく、紛い物でも南インド料理はうまいのだ。

2007年 11月 19日 (月)
 数週間前からアメリカ在住の妹2が生まれたばかりの姪を連れて実家の川越に里帰りしていたのだが、忙しくてなかなか会う機会に恵まれず、今日やっと一日空いたので会ってきた。甥のコーディも一緒。俺はひたすらカメラを回しつつ、コーディと遊んでいた。母と妹2と子供ふたりで近所の和食のファミレスにめしを食いに行った。最近、鬱モドキでめしを前にすると喉がつかえたように食欲が無くなるのだが、好きな鰻重と茶蕎麦のセットを頼んでなんとか食った。妹2には顔がやたらやつれて老けて見えると言われたが、精神状態のせいだろか。生まれたばかりの姪は、コーディの赤子の頃と比べて反応が良く、美人になりそなおもむきあり。

2007年 11月 20日 (火)
 事務所で自主映画「Re」の音楽ミーティング。
 諸事情により長らく放置していた「Re」だったが、【電気苺】のリハもほとんど終わり、クランクイン前のこの時を逃したら次はまたいつ手をかけられるかわからないので、すかさずゼロ映音楽班のメンバーに集まってもらったわけである。
 参加はピロさん、マノさん、ガクさんの三人。ガクさんは歌い手さんで、いわゆるゲスト出演なので、実質上集まったミュージシャンはピロさんとマノさんのふたり。
 仮編集を流しながら、音楽の入る部分をひとつひとつ説明し、またお二人にはアーチストの立場から意見をもらい、必要な曲数を洗い出した。それらをとりあえず担当に振り分ける形で最後はまとまった。
 仮編集が終わって数ヶ月、やっと最後の仕上げに向けての第一歩を踏み出せたという感じでやれやれホッとひと息。

2007年 11月 21日 (水)
 ゴールデン街。赤花でレイさんと待ち合わせ。最近ここでヤマダが働いている。アジのひらきを食いながら飲む。ヨーヨーに移動。俺の誕生日ということで、皆が赤飯と真鯛とワインとケーキで祝ってくれた。ありがとうございます。最後は虎の穴だったが、あまり記憶が無い。

2007年 11月 22日 (木)
 バイト先の副店長が偶然に別のバイト先の近所に住んでて、駅の近くのうまいスパゲティ屋を教えてもらったので、早速蛤とキノコの生クリームスパゲッティを食ってみたら、うまかったがコッテリしすぎてて胸焼けした。バイト先ではひたすら画像加工の日々なのだが、今朝は少し撮影をした。

2007年 11月 23日 (金)
 俺の頭の中の配線はきっと他の人と違ったところに繋がっているのに違いない。どう考えたらそうなるのだ。みたいなことが最近、連発している。

2007年 11月 24日 (土)
 本日はレイさん家にミズホさんとエリさんを招いてゴールデン街自主映画【電気苺】のリハーサル。
 ふたりともやたら緊張していて、ぎこちないかと思ったら、普通に絶妙だったので面食らった。おふたりのエピソードは【電気苺】のお笑い要素の要のひとつなのだが、もう明日にでもカメラを回せる仕上がりだ。
 これでリハーサルはすべて終わり。後は撮影準備にあけくれるのみである。

2007年 11月 25日 (日)
 そらさんの舞台「見よ、飛行機の高く飛べるを」を見にいった。そらさんはババチョップや大縁会でよく顔を合わせていた女優さんで、以前一度ババチョップのワークショップで演技を見たときから良い女優さんだと思っていた。少し前にもちあがった自主映画の企画(電気苺ではない)にそらさんのイメージにピッタリの役があり、先日の大縁会で話しをもちかけたところ、快く出演を承諾していただき、今回の芝居鑑賞に繋がったのである。
 舞台は明治四十四年の愛知県の女子師範学校の寄宿舎での女学生たちの物語。芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した永井愛さんの著名な舞台らしく、席は完売だった。芝居というものの良さを未だ十分に理解できていない俺にもすぐにひき込まれる見事な台本と演出で、最後まで飽きずに見れた。明治の時代を感じさせる匂いのようなものが漂うリアリティがあり、こういう味が出せるなら俺もいつか舞台を作ってみたいと思った。そらさんの演技も自然でとても良かった。
 芝居の帰り、そらさんに挨拶した時「オーディションだと思ってやりました」と勿体ないことを言われ、照れつつもいつか必ず出演をお願いしたいと伝え、そそくさとその場を後にした。彼女の自主映画の企画は来年の冬になりそうなのだが、その企画がもし万が一立ち消えになっても、いつか彼女の演技で映画を作ってみたいと思う。

2007年 11月 26日 (月)
 本日は大事件があった。妹1が結婚したのだ。結婚式とくれば、俺がカメラをかついで出動しない理由はない。カメラをかついで、出動した。青山の式場に到着すると、父、母、妹2、従兄弟、従姉妹、甥、姪、叔母、義弟、その他皆がいた。
 俺は撮影隊なので、席はいらぬと言っておいたのだが、一応親族なのでそんなわけにはいかんと、席は用意されていた。下手に席を用意されると、こちらもうまそうな料理が出てくるので撮影が疎かになりがちだが、実際そうなった。
 よく考えたら結婚式を目の当たりにするのは十年前の自分の結婚式以来である。その間、一度だけ人の結婚式を已む無い事情ですっぽかしてしまったことはあった(スピーチまで頼まれていたのに)が、まあ、あの時は身内が急病だったので致し方なかった。
 俺は撮影とか創作とか、スイッチが入るまでが時間かかる。本日は結婚式の終わり頃になってやっとスイッチが入り、調子が出てきた。これから大事な撮影の前はウォーミングアップをするべきかもしれない。撮影中、新郎新婦以外では、父を気にかけていたが、いつもと変わらぬ父であった。妹が幼少の頃、山口百恵の「秋桜」を聴きながら数十年後に愛娘を嫁におくり出す自らを想像して涙していた父の姿を思い出すが、あれから様々な心境の変化があったに違いない。
 それにしても、妹の結婚式というのも、なんとなく直視できないものがあるな。照れくさいのか、なんなのか、その心の内の明細は我がことながら全く以て不明だが、いろいろと複雑なものがあるに違いない。とりあえず御目出度う。

 結婚式の後、表現者たちの飲み会「大縁会」に途中から出席。
 いつも通りのメンバーと、映画や何やらの話しをしながら飲んだ。
 ここに来ると必ず新しいアーチストの知り合いが増えるので良い。

2007年 11月 27日 (火)
 地獄のような鬱状態(未だにあの状態を鬱と呼ぶのかは疑問だが)を数週間経験して、ここ二三日少し落ち着いて、微妙な精神状態のまま日々を淡々と過ごしている。相変わらずやることは死ぬほど後から後からやってくるし、遠くに輝くものは変わらぬ眩しさで輝き続けている。こんな眩しいものを身に受けそれを見失うことなしに、尚も地獄を経験できたとは、振り返りみれば人生の不可思議のひとつであっただろうか。

2007年 11月 28日 (水)
 ゴールデン街自主映画【電気苺】のロケハンでヤマダん家に行った。彼女の演じるキャラクターの家に、当人の部屋を使うことになっているのだ。
 ヤマダは個性的な人物なので部屋も個性的だろうと思っていたが、想像以上に映画のイメージにピッタリで、しかも足し算的なピッタリではなく掛け算的なピッタリで、これならほとんど何も作り込まずに使えるほどだった。何も作り込まず本当にそのまんま使えるロケ地というのも、有りそうで凡そあまり無い。

2007年 11月 29日 (木)
★★★★ 夏目漱石原作、森田芳光監督の映画「それから」(1985年公開)のDVDを買ったので、さっそく見た。高校のとき以来20年ぶり。ここ近年「黒い家」や「間宮兄弟」を見てきて、ふと80年代の森田映画が懐かしくなったのだ。
 夏目漱石の原作にある古臭い明治文学のセリフ回しをそのまんま俳優にしゃべらせつつ、独特の映像美と演出で漱石文学の世界を映像化している。森田監督自身がこの映画をして「カッコいい映画」と言ったが、確かに夏目漱石の小説をカッコよく映像化する名人芸を嗜むだけの映画という感じだが、印象に残るシーンがたくさんあって、音楽も良く、多少ミスキャスト(羽賀研二とか)や微妙な演技(森尾由美とか)は鼻につくが、80年代的傑作だと思う。

2007年 11月 30日 (金)
 昨日の「それから」にひきつづき、森田芳光監督、沢田研二主演の「ときめきに死す」(1984年公開)のDVDを買ったので、さっそく見た。高校のとき以来20年ぶり。
 これも森田芳光の80年代的傑作なのだった。しかもインパクトは当然ながら「それから」をはるかに上回り、「家族ゲーム」にさえ匹敵する。森田監督の隠れた最高傑作と言ってもよい。
 20年前はテレビで見たので、カットされたシーンが多々あった。森田芳光は今はどうなのか知らないが、80年代は自分の映画がテレビで放映されるときは必ず自分で編集し、劇場公開版と少し印象の違ったバージョンを実験的に編集することが多かった。その最たるものが「家族ゲーム」で、クライマックスの食卓シーンをまるごとカットするという前代未聞の暴挙をやってのけたし、「そろばんづく」はめちゃくちゃシュールな編集だった。
★★★★★ こうして初めてDVDで完全版を見てみて、なるほどと思ったのは、この作品のテレビ版は組織のシーンがほとんどカットされていて、主役三人の人間模様のみに焦点を当てた編集だったような気がする。テレビ版は「ストレンジャー・ザン・パラダイス」みたいだったが、完全版は「時計じかけのオレンジ」のようで、印象が違っておもしろい。
 この映画の主人公は人ごととは思えないリアリティに満ちていて、俺にとってこの映画は映画でありながらどこか映画を超越してしまっている。俺にここまで自分を振り返らせる芸術作品なんて他にはないもんだ。


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