非幻想異端的日常
2008年 3月 1日 (土)
 ゴールデン街に向かって歩いていたら、ホタルさんとばったり遭遇。ホタルさんとは先々月もばったり遭遇したばかりだ。新宿の雑踏で偶然に同じ人と2ヶ月おきにばったり遭遇するなんて珍しいことだが、俺にとってはあまり珍しいことではないところが俺は珍しいのかもしれない。

 で、久々にゴールデン街に行って、YOYOで飲んだ。【電気苺】に新しく出演していただくことになったゆうきさんという新人さんが今日は遅番で入っていると聞いたので、見にきたのだ。店に入り、彼女を一瞬パッと見てなぜかフラダンスを踊っている姿が見えたが、即座に「なんでやねんと」と妄想を打ち消し、席に座った。話してみたらやはり噂通りの腐女子のかたで、コスプレしている写メなどを見せてもらいつつ、とりとめなく飲みながら雑談をした。そのうちレイさんがやってきた。いろいろ総合してみて、アシュラ男爵の役でもやらせてみたい気がするが、とりあえず思考停止のまま今日は帰った。

2008年 3月 2日 (日)
★★★★★ テレビで邦画「それでもボクはやってない」がやっていたので見た。これは良かった。
 周防さんと言えばヒューマン・コメディの監督というイメージがあったが、彼の映画にはいつも妙な「間」があって、それがテンポをぶち壊しているとしか思えず、ただダルいだけで、俺はこれまで周防監督の映画をおかしいともおもしろいとも思ったことが一度もなかった。「Shall weダンス?」もぜんぜんおもしろくなかった。周防監督は小津安二郎に影響を受けているそうだが、俺から見てどこが小津安二郎なのかと首をひねるばかりだった。
 ところがこの映画はどうだ。がっしりとリアリティのある演出に、骨太のヒューマニズムがこびりついたような、錆び付いた鉄筋のような趣のある映画になっているではないか。見ていてじわじわと胸を襲ってくる虚しさがなんでこんなに気持ちよいのだろう。妙な「間」もまったくない。登場人物ひとりひとり、きめ細やかに人間を描いておりながら、小手先の演出にまったく頼っていない。これは間違いなく小津安二郎の境地である。
 これまで笑えないコメディを撮り腐っていた周防監督が、笑えないシャレにならない日本の裁判問題を扱い、見事な傑作をものにしてしまった。この映画の判決の薄ら寒いほどの客観性は、客観性というものの非情さを教えてくれる。しかしその結果を導き出す力を裏で支えていたのは、勇気を振り絞って告発した可憐な女子高生のひたむきな姿なのだった。

2008年 3月 3日 (月)
★ テレビで映画「白いドレスの女」を見た。まだ若くてセクシーだった頃のキャサリン・ターナー主演。彼女が彗星のように表れてハリウッドの有名美人女優の仲間入りを果たした直後の話題作で、今ごろになって初めて見るのもおもしろいものだ。当時はそれなりに騒がれた映画だが、今みると普通のサスペンスどころか、火曜サスペンス劇場まがいである。
 登場人物の行動や心理がなかなかおもしろく描けていたのだが、昨日ちょうど「それでもボクはやってない」などという駆け引きナシの骨太なヒューマニズムを見てしまったばかりだったので、図らずも比べてしまって美味しく食べることができなかった。MCCのパプリカとチキンのカレーはレトルトにしてはうまいが、一晩煮込んだ自作のカレーを食った後では薄っぺく感じてしまうのと同じことかもしれない。
 それにしてもひな祭りに見る映画じゃないよな。

 かおるんが引っ越しをしていらなくなった掃除機をもらいうけた。五年前に掃除機が壊れて以来、やっと五年ぶりに事務所に掃除機がかけられる。モノをどかさないでも、隙間に筒を差し込み、スイッチを押すだけでホコリが取り除けるなんて、なんて感動的な現象だろう。当たり前のことがキラキラ輝いて見える、そんなひとときを味わいたかったら、電化製品が壊れたら新しいのを買うのを5年我慢すればよいようだ。

2008年 3月 4日 (火)
★ こないだ人に借りた「るにん」という日本映画のビデオを見た。松坂慶子主演。島流しにあった罪人たちの流された島での生活と脱出劇を描いたもの。題材はそれなりに新しいかな。
 しかし松坂慶子のファンとして、この映画はちょっと戴けない。なんでアップがひとつも無いのだ。松坂さんの美しい顔をアップでバシッと撮ってやれよ、アップで。
 松坂さんばかりでなく、全体的にヒキの画ばかりでヨリがひとつもなく、カメラワークが単調で酷い。ひとつひとつのカットはほどよく構成され、絵画的に美しく決まっているのだが、それらをつなげたら同じような画面ばかりで退屈極まりない映像になってしまったという。何でも監督は俳優の奥田瑛二だそうだが、どこから見ても素人のつくった映画という感じがした。
 映像だけの問題ならいいのだが、演出も妙に単調で、せっかくの俳優さんたちの名演技が悲しいくらいクサくみえる。それもカメラワークとカット割りが単調だから余計そう感じるのかもしれない。しかし黒澤明の「乱」なんて同じようにヒキの画ばかりだったが、ぜんぜんおもしろく出来ていたし、やっぱり単純に演出にも問題があるのだろう。
 俺からみて、クリント・イーストウッド監督の映画もここまで酷くはないが、どことなく素人クサく感じることが多い。必ずではないが、俳優が監督した映画ってよく言いようのない素人クサさを感じることがある。俳優はなるべく監督するなってことだろうか。

2008年 3月 5日 (水)
 いきなり父上から電話があり、自主映画を制作しているという俳優さんを紹介された。制作中の自主映画ふたつともまだ完成していないのに、しかも仕事はピークに忙しいのに、また新たな展開だ。困った。忙しいのはよいことだし、嬉しい悲鳴のひとつもあげるべきだろうか。

2008年 3月 6日 (木)
 テレビで「ブルックリン物語」という映画がやっていて、「続・夕陽のガンマン」で主役のクリント・イーストウッドを見事に食った俳優イーライ・ウォラックが出ていたので、見てみた。80年代にしてはカビの生えた昔ながらのミュージカル映画で、ホコリを払っても床の間に飾るには見映えの悪い置物のような映画だった。

2008年 3月 7日 (金)
★★★ テレビでペキンパーの「ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯」がやっていたので初めて見てみた。最近、金が無いので、レンタルや映画館に足を運ぶ機会が薄く、仕方なくテレビの深夜放送をまめにチェックしているのである。しかしテレビもなかなか美味しい映画をやっているではないか。
 全盛期のマカロニウエスタンと比べてもとりわけ残酷で、それでいて今まで見たウエスタンにもなかったような渋いキャストと演出。そこになんとも優雅なボブ・ディランの哀愁たっぷりの音楽が流れるという、言葉にするとチグハグな要素がひとつの映像にがっちり溶け合って完成されている。これぞ円熟した巨匠の感性が心にしみいる味わい深い映画といえよう。
 惜しむらくは主役のビリー・ザ・キッドを演じた俳優にインパクトがまるでなく、またジェームス・コバーンの葉巻の吸い方がカッコ悪いので、そのせいか傑作には届かないが、荒野に生きる男の哲学を学ぶには最高の映画である。

2008年 3月 8日 (土)
 横浜中華街でタケシさんと中華料理を食い、食休みにしばらくぶらぶらしてから、喫茶店で仕事の打ち合わせ。とても素敵な武器のお店を見つけた。ひさしぶりに横浜中華街に来たので、ゴマまんじゅうをお土産に買って帰った。
 事務所に戻って5分だけ休んでまた外出。
 西新宿のルノアールでF社のMさんと打ち合わせ。彼は技術者で、いろいろおもしろい話しを伺った。これからのネット事業は新しい技術に着目しそれを生かしてゆくのが大切だと思われる。
 夜は歌舞伎町のレストランで鳥居みゆきのライブがあったので行きたかったのだが、急遽、税理士さんが来ることになったのでやめた。後で調べたらライブは2月中旬ですでに予約がいっぱいになってたそうで、すでに俺には関係のないことだった。

2008年 3月 9日 (日)
 横浜で自主映画のオーディションを見学させてもらった。ここの制作をやっている安東さんという俳優さんを先日父上に紹介してもらったのである。映画に参加できるのは本当に楽しい。この世のあらゆる楽しいことと比べても、映画の制作に参加すること以上に楽しいことはない。
 映画は横浜の飲屋街を舞台にした物語で、俺が今やっている【電気苺】もゴールデン街を舞台にした映画なので、似ていると言えば少し似ている。監督は2人の共同監督で、本日のオーディションに参加していたのは制作の安東さんと、監督さんふたりと、撮影監督のOさん。
 朝11時から夜の8時くらいまでの長時間、次から次へと俳優さんがやってきて、カメラの前で質問に答えたり演技をやってりしていた。
 ふと、夕方くらいにやってきた女優さんがいて、最初はぜんぜん気付かなかったが、途中からどこかで見たような気がしてきて、よく見てみたら、少し前にネット配信のテレビ「ひかり荘」でよく見ていた姫ネェさんだった。「ひかり荘」は仕事の合間に息抜きでよく見ていたが、中でも姫ネェさんの番組は一番好きだったのだ。彼女はこの世でもっとも艶やかにバナナを食べるセクシー女医さんキャラとして男性のハートをつかんでいる女優さんなのである。感激してファンだということを伝え、握手してもらった。来た甲斐があった。今日、一番の収穫だろうか。(姫ネェさんのブログ→http://ameblo.jp/himeney/
 斯様に、この自主映画はなかなかスゴいキャストが揃っているのである。他にもプロの俳優さんがたくさん出演が決まっている。実はかの宍戸錠さんまで出演する話しもあったようだ。まあ俺は【Re】と【電気苺】と仕事があるので忙しいのだが、時間のとれる限りお手伝いさせていただきたいと思う。
 それにしても横浜なんて滅多に来ないのに、昨日と今日、別の用事で連続である。横浜と縁が出てきたようだ。横浜に来るといつも龍が見れるので、嬉しい。

 オーディションが終わり、横浜のさくら水産で飲み会。その後、歌舞伎町に戻って別の飲み会に参加。夜はダブル飲み会であった。

2008年 3月 10日 (月)
 広川太一郎さんがお亡くなりになった。俺は昔の声優さんのほうが圧倒的に好きなので、古き良き時代の声優さんが亡くなるのはとりわけ悲しいものがある。俺の広川さんと言えば何を置いてもMr.BOOである。今宵はMr.BOOのDVD-BOXを見ながら、故人の功績を偲びたい。

2008年 3月 11日 (火)
 広川太一郎さんがお亡くなりになり、周囲では彼の死を悼む声が飛び交っている。その内容をひとつひとつ吟味してみると、「彼の声が大好きだった」「アドリブがめちゃくちゃ可笑しい」「広川さんあっての○○(←彼が声をやった作品の名前が入る)だった」等々、彼の声優としての功績を讃えるものばかりである。
 しかし、つらつら子どもの頃を思い出してみるに、広川太一郎さんが全盛期だった二十五年くらい前、少なくとも俺の周囲では彼の仕事を正しく評価する者はひとりもいなかった。Mr.BOOの映画など俺は父と映画館に見に行って心の底から笑って楽しんできたのだが、それがテレビで放映されたとき、父と一緒にテレビで見返していて、「なんだこの下らないアドリブだらけの吹き替えは」と非難轟々とまではいかないが、ほとんど呆れ返っていたのを覚えている。次の日、中学校でも同じテレビを見たクラスメートたちが「あの声はいったい何なんだ」とやはり呆れ返った反応を示していた。まず子ども時代を通して、広川さんの吹き替えを「おもしろい」とか「可笑しい」とか肯定的に語る声を聞いたことは一度もなかった。
 俺は別に広川さんの功績にゴミをつけようとしているわけではない。こういうのはとても面白い現象だと思うのである。
 広川さんは決して評判が悪かったわけではなかった。むしろ評判は良かったのだと思う。ただ彼の声は「何なんだ、あれは」とか「アホか、あの声」と人から囃し立てられ、呆れられることにより、その存在価値を発揮していたのだと思う。少なくとも彼の声は「好き」とか「嫌い」とかの二元論を超えて、「何なんだ」の境地の芸であった。
 芸や作品というものは、時とともに格調を高め評価が上がってゆくものと、時代にとり残されたりボロが出たりして人から忘れられてゆくものと二通りある。広川さんの声は間違いなく時を経てその評価を高め、「たまにテレビから聞こえてくるヘンな声のオッサン」だったところから、名人芸の域へと押し上げられ、人々の心にストレートな愛着として浸透していったのだ。一時代前の評価というものは、だいたいは資料や先人たちの声によって知ることが多いわけだが、それをリアルタイムで観察できるというのは、おもしろいことだと思ったわけである。

2008年 3月 12日 (水)
 池袋で撮影。照明もだんだん馴れてきて、納得がいくようになってきた。しかしつくづく、納得のいく照明というものは、ピンポイントでしかなかなか実現できないものだね。被写体がちょっと動くと、新たな検討が必要となる。映像制作は奥が深いものだな。

2008年 3月 13日 (木)
鳥居みゆきの社交辞令でハイタッチ インターネットテレビGYAOでやっている鳥居みゆき唯一の冠番組「社交辞令でハイタッチ」がやたらおもしろい。毎日のように仕事しながら別のパソコンで流して見ている。インターネットのテレビなんてこれまですっかり侮っていたが、なるほど放送禁止のカルト芸人・鳥居みゆきをレギュラーにするのはネット放送局にしか出来ない新鮮な荒技であったな。
 ほぼ月一回の放送で現在までに5回が収録されており、特に第二回と三回目がはじけてておもしろかった。支離滅裂な言語感覚に加え、頭をギチギチ掻きむしって発狂したかと思うと突然テンション低くなったり、常に意表をつく言動でテレビでは味わえない笑いを提供している。なにせ、鳥居は第二回目にして放送開始直後にスタジオから逃亡し、メイン不在でしばらく番組が進行してしまうという暴挙まで行っているのだ。まあ逃亡ってのもある意味オーソドックスな暴挙だが、そこが鳥居をして俺に「ノスタルジーを感じさせる狂気」と言わしめる所以でもあったりする。
 とりあえずYouTubeや自主映画ばかりがネット動画じゃないなんて、そんな当たり前のことを初めて教えてくれた「鳥居みゆきの社交辞令でハイタッチ」はおすすめである。

http://www.gyao.jp/sityou/catelist/pac_id/pac0008143/

2008年 3月 14日 (金)
 ひさびさにゴールデン街を徘徊。この時期はレイさんをはじめ、誕生日であるレギュラーの方々が重なっているので、お祝いに顔を出したのだ。こういう機会でもないとなかなか来れないのである。
 途中ホワイトデーのお菓子が路上で売っていたのでプレゼント替わりに買っていった。レイさんからチョコレートはもらった覚えはないのだが、誕生日なので帳尻が合うのだ。
 中断している【電気苺】だが、ここに来るとモチベーションが沸々とあがってくる。何かみえない力に創意の精神を押されているようだ。早く脚本の修正を終わらせてしまわねば。
 ヨーヨーの後で【電気苺】出演予定であるタケシさんのいるオレンジ王子に寄った。脚本の大幅直しで彼の出演もわりと微妙なのだが、微妙といえば何もかもが微妙なのである。
 三件目も寄りたかったが、金が続かないので帰った。

2008年 3月 15日 (土)
 ひさびさに事務所でずっと仕事な日。朝からまあよく営業の電話がかかってきたり、営業がやってきたりした。コピー機、コーヒー、求人、ウェブ制作、SEO対策、等々(順不同)。不景気だからどこも必死なのかもしれない。夜、妹1が父と食事をするというので、俺もたまにはと一緒した。御成門のイタリア料理店で、さびれた場所にあるにもかかわらず、有名な店のようで、大雨なのに大変混雑していたうまい店だった。ワインとコーラとチーズとパスタとピザと生ハムとラム肉とオリーブオイルをつけたパンをゴチになった。イタリア料理は嫌いな俺だが、ここは美味しかった。

2008年 3月 16日 (日)
 ネットテレビなんてものを見ながら仕事をしていると、はかどっているんだかはかどってないんだかわからぬままに時は過ぎてゆく。ただまあ、ネットテレビなんてものは掲示板の書き込みをネタにとりとめない話しをくりひろげているだけのようなものが多いので、喫茶店で隣の客の雑談に耳を傾けながら仕事をしている感覚に近いものがある。本当は仕事なんてしたくないので、この程度のまったりしたペースがちょうどいい。ここ数年、つらつら考えてばかりいる。いつになったら俺はビジネスの世界から解放されるのだろうか。なんのために俺はこんなことをやっているのだろうか。いまいちよくわからない。大抵のことはよく見通せているつもりだが、自分の仕事のことだけは、さっぱりわからない。何か意味があるんだろうと思うし、仮の意味は見出せてもいるのだが、本当のところ、意味もわからずただ受け入れているだけに近い。最近はひょっとしたらこれらはすべて自分のためじゃないんじゃないかと、そんな気がしてきている。解放されたときに初めてわかるのだろうか。

2008年 3月 17日 (月)
 目隠しをしてゴールを目指すのは難しい。暗闇の中うまくゴールに辿り着くために、なるべくゴールを直線上に据えてから、歩き出すのが得策である。そんな無謀にして無茶なことを毎週末、俺はやっている。
 あるいは俺のやっていることは数千年タイムスリープして自分が数千年前に作りかけて埋めた古代遺跡を自分で発掘して完成させる作業に似ている。なるべく傷を付けないように掘り出さねばならぬのだが、なにぶん数千年前のことなので、どういう形をしていたのか覚えておらず、石と化した泥にまみれてどこを削ればまずいのか、本体が顔を出すのか検討もつかない。これをさらに完成させるのは至難の業と言える。
 もうすべて投げようと思ったが、これも試練かと思うと、無下に止めるわけにもいくまい。産みの苦しみってやつだ。

2008年 3月 18日 (火)
 財布の中に200円しかなくなってそろそろ一週間になる。買い置きの食料に、弁当は塩で握ったおにぎりのみで、よくまあ生活できてるもんだ。生きるって気合いなのだな。

2008年 3月 19日 (水)
 今日は仕事で真面目な文章を書いた。真面目な文章の仕事なんて、思えば初めてかもしれない。文章を書き続けて早20年。俺はつくづく不真面目な文章ばかり書いてきたのだな。

2008年 3月 20日 (木)
 銀座に出向。相変わらずまったりと時はすぎてゆく。
 俺の会社の忙しさは日に日に倍増するばかりなのに、銀座ではいつもまったりなのだ。これはひょっとしたら時間の無駄なのではないかと前から薄々感じていたことを本日そこの社長にぶつけてみた。
 「僕、ここに毎週のように来ている意味ってあまりないんじゃないですか」
 「確かにそうだね」
 「じゃ、これからは必要なときだけ呼んでくれたらいいんじゃないでしょうか」
 「そうするか」
 ってことで、来週から水曜日は自分の会社の仕事ができることになった。
 これでひとつ、来週からは、水曜日はこれまで通り銀座に出稿しているつもりで、ずっと出来なかったメンテナンスの時間に費やすことにいたそうか。

2008年 3月 21日 (金)
 show縁会に参加。これは毎月末にやっている大縁会の平日バージョンで、参加メンバーもほとんど変わらない、いつもと同じ普通の飲み会である。今日はたまたま祝日でバイトも休みだったため、初めて参加できたのだが、参加者も主宰の愉快さん、ドラゴンさん、サバキさんのレギュラーおじさんメンバーばかりで、悲しいほどに大縁会と同じだった。しかしそれ以上のものを求めていたとかそういうこともなく、普通に飲んで楽しく語り合ってきた。

2008年 3月 22日 (土)
 電気苺の脚本の書き直し、ずっと思考が停止したままで何ひとつ進まないまま数週間の時がすぎていたが、なぜか今週になっていきなりスイッチが入り、たった3日で終わった。
 俺はつくづくスイッチが入るのが遅いが、いったん入ると、自分でも呆れるほど仕事が早い。なんだこの早さは。

2008年 3月 23日 (日)
 今ごろだが、外出用の接続環境をエアエッジからイー・モバイルにした。64kから7.2Mになって、かなり快適になった。週に3日もバイト先でモバイル接続で一日中仕事をしなければならない俺にとって、これは大きな効率化と言えよう。環境はどんどん整ってゆくが、それを有効化する時間的余裕が見出せない。創作活動だけに生きたいばかりにどうしても先走りする俺の気持ちが最大の障害かと思われる。

2008年 3月 24日 (月)
 夜、俳優のコヤマさんがひょっこりやってきた。名目は借りていたDVDを返しにきたとのことだが、その実、彼が最近とみに力を入れ出したマルチラインマーケティングの勧誘だと思われる。俺は興味はあったが長々と説明されるのは宗教臭くて不快を覚えるので、前回その旨を伝えた直後に長時間の演説を聞かされ辟易していたところに、今さら何を言われても暖簾に腕押しであった。でもまあ、そのうち気が向いたらやってみてもいいかもしれない。
 マルチラインマーケティングといえば、最近、仕事で古い付き合いのHさんに数十万のホームページ制作の案件を紹介され、紹介料がわりにやってくれと言われてひとつ始めたのだ。ところがそれは取り扱っている商品がサプリメント二つしかないばかりか、ズボラして毎日飲んでないので効果がよくわからず、人に薦めようもないので、時間の問題でフェイドアウトしそうな雲行きである。
 とりあえず本日はコヤマさんと朝まで映画や何やらについて語り合い、新たなDVDを貸しただけで終わった。

2008年 3月 25日 (火)
★★★★ テレビで邦画「亀は意外と速く泳ぐ」を見た。上野樹里、蒼井優主演。三木聡監督。
 なかなかツボに入った。話しが先に進みそうでぜんぜん進まないようなユルい雰囲気が絶妙だ。
 物語は平凡な日常に嫌気がさしている上野樹里演ずる平凡な主婦が、その平凡な日常を打破するためにスパイになるというもの。スパイになったは良いが、仕事がなく、またスパイはスパイだけに潜伏していないといけないので、絶対に目立った行動をとってはいけない。かくして主人公はスパイになっても平凡な日常を余儀なくされるのであった。
 すべての要素が意味ありそうで意味がなく、ストーリーは進みそうで結局まったく進まない。伏線もキャラ同士の関連性もありそうでやっぱりあまりない。これ全編ユルい小ネタの連続で、まさに空前の脱力系スパイ映画なのだった。
 キャスティングがことごとくピッタリ役にハマっているから内容がこれだけユルくてもひとつの映画としてビシッとまとまっていられるわけだな。主演の上野樹里をはじめ、蒼井優もみんなうまかった。
 傑作!には程遠い傑作?でありました。

2008年 3月 26日 (水)
 まだ撮影一割も済んでいない【電気苺】だが、撮影したわずかのシーンで予告編を作成した。予告編というより前フリ予告編、英語で言うと「teaser trailer」といったほどのものだ。



QuickTimeを持っている方はこちらの高画質版を右クリックでダウンロードしてご覧いただいたほうが画質がよい。↓
http://www.denki-ichigo.com/denki_teaser.mp4

 ちなみにこれだけ見るとやたらエロい映画に思えるが、実際の映画はほとんどエロくはない。
 水浮華さんとももにゃんのシーンをメインで使ったわけだが、この映画はまずキャストが最初に決まっていて、キャストの人間像に合わせてキャラを考案し、ストーリーを組み立てていったため、このふたりを使うシーンはエロくならざるを得なかったわけである。何せ究極のセクシー美女二人組なのだ。水浮華さんなど、出演が決まったときから「脱ぎますよ!」とはりきっていた。ヌードがあるとR指定になって映画の若年層離れが起きるので、ヌードは勘弁してもらった。
 普通は脱ぐ女優さんを探すのが大変なのだが、逆に「脱ぐ」という女優さんを脱がないようお願いするというのも、ある意味、恵まれた状況だったと言えよう。

2008年 3月 27日 (木)
 銀座への出向は先週を最後に中止になったと思われたが、今日もやはり呼ばれて銀座に。役に立っていないと思いきや、少しは役にたっている部分もあったので、その少しのために呼ばれたわけだ。少しだけに、少し手伝ってすぐに帰った。いつもなら一日中銀座にいるところだったので、この空いた時間を使って長いことやれなかった仕事をやろうと思ったが、事務所に帰ると管理しているサイトのひとつが思わぬトラブルに見舞われており、その修復でいつもより遅くまでかかってしまった。如何ともし難い。

2008年 3月 28日 (金)
 眠れないので、一睡もせずにバイトに行った。いつもより3時間早い出勤である。余裕の時間で銀行に行き、バイトのオーナーに頼まれていた数十万の振込をしてきた。始業時間までにまだ余裕があったので、机に顔を伏せて寝ることを試みたが、眠れず、そのまま不眠不休で仕事。当然、午後しばらくしてから眠気が悪魔のように襲いかかり、人がいなくなったのを見計らってちょくちょく居眠りしながら何とか夜まで仕事した。
 最近、生活のリズムを崩して困っている。

2008年 3月 29日 (土)
 バイト先の会社の壁に【電気苺】のチラシを貼っておいたのだが、それが最近テープの粘着力が弱まって落ちた。落ちたものをそのまま元の位置に貼り直すといいうのも思考停止な気がして、どうするか考えているうちに、そのままチラシは棚に放置したままになった。思考停止の反対はただの停止となりかねないという法則をひとつ学んだ。

2008年 3月 30日 (日)
 今日は花見があったのだが、バイトで行けなかった。今年の花見はナシかな、俺。

2008年 3月 31日 (月)
 俺がミクシィで運営している自主映画のコミュニティ・ゼロから自主映画をつくるの初期メンバーで長らく音信不通になっていたとみきさんからひさびさに連絡があり、ずっと前に貸していた彼の作ったイタチのCD-ROMを返してほしいというので家にやってきた。最後に会ったのが一昨年の2月だから、ちょうど2年ぶりくらいの再会である。
 しばらく映画のことや近況について語り合った。この2年、彼もいろいろあったようだが、思ったより元気そうでよかった。

 夜は大縁会に参加。場所は歌舞伎町の清瀧。参加者はだいたいいつものメンバー。午後6時くらいから閉店まで飲み会はずっと続いた。後で知ったことだが、レイさんやジローさんや紅麻呂さんなど、ゴールデン街のメンバーも同じ頃に清瀧で飲んでたらしい。もったいない。
 カツカレー、映画制作における技術面の妥協、人間演出、効率の良いミーティングの進め方、などについて語り合い、いつものようにおもしろくすごした。

 皆と別れてひとりゴールデン街に乱入。YOYOに行ったらヨーコさんがいたので、一緒にシネに移動して谷村新司を聞きながら少し飲んだ。ゴールデン街はたまに来ると何かと変化があっておもしろい。ドラマはカメラの前より、グラスの向こうにこそ息づいているのだ。それがゴールデン街なわけである。悠長にそんなこと言ってちゃいかんのだが。


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