花仙

鬼脳


 「───かそう?」
 玉蘭が首を傾げて、聞き返した。
 「そう、花相。お母さんも知らないの?」
 「耳なれない言葉ね」
 手相や面相という言葉は巷によくあるが、花相とは、やっぱり首をひねるしかない。花の相を観てどうなるというのか。
 「ふうん。花仙の玉蘭とまで謳われたお母さんも知らないんだ」
 好蘭は目に止まった薔薇を一輪手に取ると、その花びらをかじりながら言った。好蘭は物心がつく頃から花に囲まれて育ってきたためか、花を食べる癖が抜けなかった。恐らく子供心に口に入れてしまったものが定着したのだろうが、おかしな癖もあったものである。
 「好蘭、またそんなもの食べて。売り物よ。それに身体に毒です」
 玉蘭が薔薇をとり上げようとするのを、好蘭は身を引いて阻止した。店の中には色鮮やかな花々が、所狭しとそれぞれの美しさを主張している。店は繁昌していて多忙だったが、どうしても好蘭が食べてしまうので、玉蘭はなかなか娘に仕事を手伝わせようとしない。その代わり、好蘭は学校から帰ると、母の隙を見てつまみ食いを企てようと、店に入り浸るのが常だった。
 「だって、美味しいんだもん。───でさ、その占い師のことなんだけど、数日前から廷山の北の芝水のほとりに住みついて、やってくる者を無償で観てくれるんだって。それがね、すごい当たるって評判なの。花を持っていくだけでいいの」
 「花占いとかではなくて?」
 「それはスキ、キライ、スキ、キライ、ってやつでしょ。違くって、花を持っていくと、その花の相で運勢を占うんだって」
 「花の運勢占ってもらっても仕方ないんじゃないかしら」
 「だから違うって」
 好蘭は薔薇の花びらをむしり取って口に入れた。母が話の要領をなかなか得ないため、少々焦れったくなっている様子である。本当は好蘭の話し方の順序に問題があるのだが、本人は気付かない。
 「花の相から、それを持ってきた人の運勢を読み取るの。どんな花でも良い訳じゃなくて、必ずその人の家に3日以上飾ってあった花じゃないと駄目なんだって。花は生き物だから、その家の霊脈・地脈・神脈・龍脈とかいう気の流れや、住む人の運気みたいなものを投影しているんだって」
 「ふうん」
 玉蘭は胡散臭そうに唇を微かに歪めると、店の花々を見渡した。一応、理には適っている。一種の霊視みたいなものだろう。玉蘭は納得したのか、笑ってみせた。
 「面白いかもしれないわねえ」
 暫く玉蘭は店内にある無数の花々を眺めながら、何かを考えていた。縦横に角度を変えるその顔を、好蘭はジッと見つめていた。
 玉蘭は花のように美しい女性だった。花店を営んで数十年、花のことなら何でも知っていた。彼女は毎日店にある花一輪一輪に話しかけているような、花への愛情で凝り固まった人だった。彼女がそこにいるだけで、花は毎日飛ぶように売れてゆく。好蘭はそんな母を、心から尊敬していた。
 玉蘭は店の隅に挿してあった一枝の桃の花を手に取ると、暫く匂いをかいで、好蘭に差し出した。そして何かを含んだような笑顔で、
 「これを持っておいきなさい」と言った。
 「これを?」
 「食べてはいけませんよ」
 「わかってるよ」
 好蘭は玉蘭の膝に鞄をのせると、一目散に走り出した。
 芝水のほとりにやってくると、噂通り、人の住んでいる痕跡があった。地面に枝をさしてその上に枯れ草を乗せただけのような簡易な小屋に、「花相」と書かれた木の看板がかかげてある。目を見張ったのは、その周りを取り囲むように咲いている無数の花々だった。白薔薇、紅薔薇、山茶花、鈴蘭、雛菊、福寿草、梵天花、姫芙蓉。花店の娘である好蘭が、見たこともないような珍しい花もある。しかもこれらの花々は花期がまちまちであるにもかかわらず、この春の季節に時を同じくして咲いているのだ。
 好蘭は今までこれほど多くの花が一つ所に寄せ集まった光景を見たことがなかった。密度といい数といい、いつも店先に陳列してある花々と比べようもない。それらは毒々しいほどの彩りを発しながら、よく見るとある種の調和を保っているようにも見える。のどかな自然の光景に、そこだけが別世界ように目に映った。
 近づいてゆくと、中からひとりの老人が出てきて目が合った。白髪白髭が見事な、神仙を思わせる風貌である。好蘭はこれが彼の占い師かと頷くと、挙手の礼をとり、母が託した桃の花を手渡し鑑定を依頼した。それはとても美味しそうな桃の花で、道中、口に入れたい欲求を我慢するのが大変だった。
 占い師は桃の花を一目見ると、顎髭に手を添えて「ふうむ」と呟いた。そしてかっと目を見開いて好蘭を見ると、こう言った。
 「いかん。実に禍々しい花相をしておる」
 占い師は花弁の一枚一枚を指で慈しむようになぞりながら、難しい顔をする。「この花の持ち主はもう長くはない。せいぜい十日だ。奇怪な相が現れておる。まるで泥水に浸した灰のように生気を失った相が」
 好蘭は愕然として一言「嘘」と呟いた。
 「嘘ではない」
 老人は言った。「お主の家業は、花売りであるな」
 好蘭は言葉を失う。
 「そしてお主は花を食する奇癖をお持ちであるな」
 その言葉を聞くが早いか、好蘭は弾かれたように立ち上がると、一目散に母の待つ家に向かって走り出した。玉蘭が死ぬ? 大好きな母が死んでしまう? 占い師の言った台詞が頭の中で反復した。来る前は半信半疑だった。しかし占い師は、好蘭の家が花店を経営していることも、好蘭の奇癖もぴたりと言い当てた。それで予言だけが外れるなどと言うことがあるだろうか。
 走りながらいつしか頬を涙が伝い、風に切りとられ飛んでゆく。足がもつれ転びそうになりながら、滑り込むように母のいる店に舞い戻った。玉蘭は客の注文を受けて、花束を包んでいる最中だった。
 「お母さん!」
 好蘭は叫びながら、仕事中も構わず玉蘭の胸に飛び込んだ。玉蘭は微笑みながら、好蘭の頭をなでる。好蘭は何度も母の名を叫びながら、玉蘭の衣服を涙で濡らした。さっき占い師に言われたことを話すべきか、黙っているべきか、あまりのショックに頭の中が纏まらず、ただ泣くことしかできなかった。
 「好蘭」
 玉蘭は、振り乱れた好蘭の髪を指先で梳きながら言う。
 「占い師の人、やっぱり私が死ぬって言ったの?」
 好蘭は驚いて、涙で光った顔を上げ、玉蘭を見た。玉蘭は好蘭の両肩をつかんで引き離すと、さも可笑しそうに、腹をかかえて笑いころげた。
 「おかしいわね。本当にそんな鑑定をするなんて」
 「おかしい……って?」
 「さっき花の匂いを嗅ぐふりをして、花に『地文の相』を施したの。占い師はあの花から、虚として動かない大地のように、生気が閉ざされている様相を読み取ったのでしょう。わたしは花と生を共にして数十年。花にこれくらいの気を込めるのは簡単よ。さっき花は生き物だって言ったのはあなたでしょう」
 好蘭は目を丸くして、先ほどの老人との会話を母に話して聞かせた。玉蘭はクスクス笑いながら、
 「その老人、花からその持ち主を霊視する能力は本物でしょう。それでもこんな作為を見抜けないなんて、まだまだね。───でも面白いからいいわ。好蘭、今度はこれを持っておいきなさい」
 そう言って、玉蘭は包んでいた花束の中から小春桜を一輪抜き取って、また匂いを嗅ぐと、好蘭に手渡した。
 「お母さん、これは?」
 「それには『天地の相』を施したわ。きっと占い師は天と地が交わって森羅万象を生み出すような生気を感じて、混乱するでしょう。『確かにさっきと同一人物の花に違いないのだが、これはどうしたことか!』と」
 そう言って、玉蘭はからからと笑った。
 好蘭は放心状態で、小春桜を片手に、外へ出た。歩いているうちに、玉蘭はまだ死なないのだという事実がやっと実感を伴ってきて、嬉しさが込み上げてきた。同時に母の思いもかけぬ悪戯癖を見い出して、なんとも言えぬ可笑しさを覚えるのだった。
 好蘭は安堵のあまり、占い師の所へ行く前に、その小春桜をきれいに胃の中に平らげてしまった。