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行く先


 夕方、出かけるピクシーを見かけた。
 彼は一人だった。暗い顔。昨夜のミッションが終わってからずっとだ。戦闘後はいつも軽い調子で話しかけてくる彼だったが、昨夜は違った。無言だった。出迎えた仲間達にも応えなかった。報告会でもほとんど無言だった。今日も、朝からずっと、彼とはまともに会話をしていない。
 サイファーはピクシーの背中を見送る。声をかけようと思えば、かけられた。けれど、そうしなかった。声をかけてはいけないような気がしたからだ。
 ピクシーは一体何処へ行くのだろう?
 滑走路の方に出て、格納庫へ向かう。そこにはピクシーの愛機、F-15イーグルが収まっている。彼はこのイーグルと共に、昨夜もたくさんの戦闘機を落とした。戦闘機だけだ。地上への攻撃は、させなかった。対地攻撃をしろと、そう指示した。その方が確実だと判断したからだ。地上攻撃は民間人を巻き込む可能性があった。ピクシーは躊躇する。いや、していた。コンマ1秒の躊躇が大きな隙を生む。彼はPJに戦争の非情さを説いていたが、あれは彼自身に言い聞かせているようだった。
 自分に迷いはない、とサイファーは思う。命令であれば、撃つ。撃てる。相手が戦闘機でも、建物でも、人間でも。それが傭兵の仕事。
 イーグルの翼を眺める。赤く塗られた翼。片羽の妖精の血の色に見えた。
 格納庫を出て、空を見上げる。分厚い雲が星を隠している。雨が降りそうだ。そういえば、ピクシーは傘を持っていなかったな。
 自販機で水を買って、宿舎の近くにあるベンチに腰かけた。さっさと部屋に戻って休んだ方が得策なのだろうが。いつ緊急指令が下るかもわからない。もしも今攻め込まれたりしたらたまらない。片羽の妖精は行方不明のまま。彼の愛機は飛び立つこともなく、爆撃を受けるかも。代わりに乗ってやってもいいな。イーグルは昔何度か乗ったことがある。あれはなかなかの優等生だ。相性も悪くない。
「あれっ?サイファー。こんなところで何してるんですか?」
 滑走路の方からやってきたのはPJだ。サイファーは右手に持っているペットボトルを見る。
「水を飲んでる」
「はぁ。部屋で飲めばいいのに」
 ごもっともだ。
「ピクシーは?」
「さあ」
「出かけたんですか?」
「ああ」
「ふーん」PJは基地の外の方に一瞬だけ視線を向けた。「隣、いいです?」
「どうぞ」
 彼は少し間を空けて腰かけた。サイファーは水を飲む。残りは半分程。
「俺、昨日のことがまだショックで」
 サイファーはPJを一瞥する。相槌は打たない。そんな隙もなく、彼は語り続けた。
 無差別攻撃なんて酷い。
 戦争にもルールはある。
 ミッション遂行中に無線で話していた内容と同じだった。そして、美しい理想を語る。マシンガンのような勢いで。ピクシーなら、お前の言葉こそ究極の暴力だ、と怒ったかもしれない。
 サイファーは黙ってPJの話を聞く。彼は明るくていい奴だと思う。話も面白い。ただ、ペースが違う。聞くだけで精一杯。自分が話す隙はない。空でもこのくらい隙無しだったら、彼の方が鬼神と呼ばれていただろう。
 急に、静かになる。PJがマシンガンを撃ち終えたらしい。彼は力なく一息吐いた。サイファーの方を、ちら、と見て、なんだかばつが悪そうに頭をかく。
 彼は立ち上がった。
「まあいいや。じゃあ、俺先に戻りますね」
 サイファーが反応する前に、PJはさっさと駆け出して、宿舎に入っていった。サイファーは挨拶代わりに軽く手を挙げる。遅すぎる反応だ。空だったら、ミサイルを何発撃ち込まれるかわからない。


 空になったペットボトルを横に置いて、腕時計を見る。時刻は22時を過ぎていた。PJが去った後にも何人かに話しかけられたが、長話はしなかった。つまり、数時間の間、ほとんど一人でぼんやりしていたということ。何を考えただろうか、と振り返ってみるが、何もない。長時間無心でいられるのは得意技と言ってもいいかもしれない。
 空を見上げる。相変わらずの曇天。でも、雨は降ってこなかった。
 そろそろ宿舎に戻るか。
 ペットボトルは通りがかりにあったゴミ箱に捨てた。
 宿舎の手前で立ち止まる。
 こちらに向かって歩いてくる人影が見えた。
「……相棒」
 少し驚いたように声をかけてきたのは、ピクシーだった。
「おかえり」サイファーは言う。
「何してたんだ?」
「そこで」サイファーはベンチの方に視線を向ける。「水を飲んでた」
「こんな時間に?お前の行動は本当に謎だな」ピクシーが笑う。
「何処に行ってた?」
 訊かれたのだから、こちらも訊いてもいいだろう。
「……あぁ。ちょっと……、飲んできた」
 ピクシーの反応は、少し遅かった。ほんの数秒。それでも地上では生きていられる。平和だな、地上は。
 どうやら彼は隠し事をしているらしい。けれど、飲んできたというのは嘘ではなさそうだ。少し頬が赤い。彼は酒を飲むとこうなる。そして、今は酒と煙草のにおいがする。酷く酔っているわけではなさそうだが。水は彼のために取っておけばよかったかもしれない。
「さぁ…戻ろうぜ、相棒」
 ピクシーはサイファーの肩を軽く叩いた。
 彼は、自分をまともに見なかった。
 見れなかった?
 サイファーを置いて、ピクシーは先に歩いていく。
 ふと思い浮かんだ、青い魔術師の機体。
 そのイメージをすぐに打ち消す。
 いい予感がしない。
 サイファーも歩き出した。宿舎に入って、すぐにピクシーに追いつく。彼と並んで歩く。
「ピクシー」
「ん?」
「今度は俺も連れてってくれ」
「…あぁ。もちろんだ、相棒」
 彼の返事がまた遅れたのは、きっと酔いのせいだけではない。

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