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さよなら世界


 カチカチ、カチャカチャ、ぶつかり合う食器の音が煩い。下品だぞ音を立てるな、と叫びたいくらいには煩く聞こえる。でも、気のせいだ。それは分かっている。実際はそんなに煩くない。ただの日常の音。むしろ静かな方だ。静かすぎる。だからこそ、環境音が目立つのだ。ピクシーはスプーンでパンが乗っている白い皿を、カチ、カチ、と小さく叩く。本当に下品かつ煩いのは自分だけだ。食欲はあるけれど、どうにも食が進まない。とりあえず、パンを一切れを食べ、トマトスープを一口だけ飲んだ。サラダとゆで卵は手付かずのまま。
 広い食堂を見渡して、それから自分のテーブルに視線を戻す。真正面には不貞腐れ気味のPJ。彼の隣には相変わらず無表情のサイファー。自分の隣にはルーカンがいる。国境無き世界とガルム隊、この奇妙なメンバーで朝の食卓を囲む羽目になったのは、魔術師の気紛れのせいだ。今やガルム隊は彼の意思一つでどうにもできる。V2発射直前、ガルム隊はウィザード隊と死闘を繰り広げ、その末に落とされた。サイファーもPJもベイルアウトに成功したが、あえなく国境無き世界に捕えられたのだった。PJはともかく円卓の鬼神……サイファーが、あの相棒が負けるとは思わなかった。いまだに信じられない。見えないところで、手の届かないところで、全て終わった。嬉しいとも、哀しいとも思わない。まだ、何の感情も湧かない。テレビで大きなニュースを見ても、まるで現実感が湧かない時と同じ。でも、現実なのだ。だから、サイファーはここにいる。
 国境無き世界の新しい世界作りは順調に進行中だ。予定通りV2は発射された。それから1週間。毎日世界は大きく変わっている。今日の世界は1週間前の世界とは全く違う。明日も。明後日も。世界は変わる。
 でも。
 ピクシーは窓の外を見る。太陽の光。青い空。遠くに見える山々。今までと変わらない朝の景色。そして、古い馴染みと、かつての仲間と、かつての相棒。目の前だけを見ていると、何も変わった気がしない。ほんの少し気まずいだけの、ただの日常。
 席に着いてから、まだ誰一人声を発していない。マシンガントークのPJさえもだ。彼は発言の機会を伺ってはいるようで、時々ちらちらと各人に視線を投げたり、口を開きかけたりしている。全くらしくない挙動だ、とピクシーは思う。普段どおり空気を読まず言葉を発射すればいいのに。
 サイファーは黙々と食事を進めている。もうすぐ全部食べ終わりそうだ。相棒が喋らないのはいつものことなので、放っておくことにする。
 ピクシーは皿を叩いていたスプーンを止めて、隣を見る。ルーカン。彼は一体どうしたのか。普段はどうでもいいことから大事なこと、そしてワケのわからないことまで、色々と話を振ってくるのに。今は読書中の時のように、静かに食事に集中している。そんなに美味しいか?そういえば、とピクシーは思い出す。以前エスパーダ2……マカレナが言っていた。魔術師は無口な男だ、と。その時は彼女の言葉を一笑に付したが、でも今なら納得できる。
 ピクシーは溜息を吐いた。この食卓からベイルアウトしてもいいだろうか?静かな食卓が嫌いというわけではないが、しかしこのメンバーでこれは気まずい。会話が始まったら始まったで、もっと苦しいかもしれないが。
 ふと、PJと目が合った。口をパクパクと動かしている。何か喋ってくださいよ、とでも言いたげだ。ピクシーは、お前が喋れ、と目を細めて視線で伝える。彼は深く2度頷いた。意思がきちんと伝わったかはわからないが。
「ンッンッ、ゴホン!」PJが突然咳払いをする。
 皆の手が止まった。視線は当然彼の方に向かう。
「えーっと、その、今日は、いい天気ですね」PJが言った。
 それは最低のフリだぞ、小僧。ピクシーはPJを睨みつける。それは最も話が続かない世間話だ、とピクシーは思っている。首を横に振って、溜息。どうしようもなく悲しくなった。
「うん、そうだね」PJのフリにサイファーが答えた。
 優しいな、相棒。
 ルーカンは何も答えなかった。ただ、口元が微かに上がった。
 マシンガンPJはもう弾切れを起こした。助けてくださいよ、と言わんばかりにこちらに視線を向けてきたが、ピクシーは助けなかった。ただ、馬鹿、と声は出さずに口だけ動かす。どうやらそれは正確に伝わったらしい。PJは思い切り顔を顰めて睨んできた。馬鹿、ともう一度口を動かす。
 再び沈黙が続く。
 次にそれを破ったのは、溜息の音だった。
 サイファーだ。
 彼は寂しそうな瞳で、皿を見つめている。彼の前にある、空になった皿を。
「……足りない」
 やはりか。ピクシーも小さく溜息を漏らす。
 相棒は細い見かけによらず、食欲旺盛だ。朝からよく食べる。肉があれば必ずそれを食べる。おかわりは必須だ。円卓の鬼神は食卓の鬼神でもある。こんな質素な食事で足りるわけがなかった。
 ピクシーはサイファーの前にそっと自分のパンを皿ごと差し出した。
「食うか?相棒」
「えっと、サラダでよければ食べます?」PJもサラダの皿をサイファーの前に置く。
 サイファーはピクシーから皿を受け取り、微笑んだ。嬉しそうに。
「ありがとう。いただくよ」
 彼は早速パンを手に取り、無表情に戻って食べ始めた。
 不意にルーカンが笑い出した。
「ガルムは仲良しだな」彼は言う。「番犬というよりは、三匹の子豚だ」
 ガルムを抜けた俺もガルムの仲間として数えたか。ピクシーは眉を顰める。これは喜ぶべきか、悲しむべきか、怒るべきか。
「それなら、俺は一番年下だし、しっかり者の三男ってことですね」PJはまるで表彰された時のように誇らしい顔で言った。
 豚扱いされたんだぞ?分かってるのか?
「お前の何処がしっかり者なんだよ」ピクシーはとりあえず異議を唱えておく。
 PJの言動には何故か何かしら文句をつけたくなるのだ。
「俺達が子豚なら、貴方はオオカミ?」ルーカンを真っ直ぐ見据えて、サイファーが言った。
「俺を釜茹でにしたいのか?子豚の次男」ルーカンが不敵に微笑む。
「別に。それに……オオカミを釜茹でにするのは確か三男だったと思うけど」
「成程。それでは三男に問おうか」
 三人の視線が一斉にPJに向かう。
 彼は一瞬狼狽えたが、しかし急に真剣な表情でルーカンを睨みつけた。これはきっと、戦闘機に乗っている時……敵と戦う時と同じ顔だろう、とピクシーは思う。
「正直、したいですよ。だって、俺達を落として、世界を滅茶苦茶にして……」PJはそこで言葉を切った。表情が崩れて、泣きそうな顔になる。「だから……俺は……、まぁいいや、いや、よくないけど、全然、……ていうか、何なんだよこの食卓」
 PJは俯いて、それきり何も言わなかった。
「ルーカン」サイファーが言う。
「何だ?」
「おかわりは?」
「あちらだ」
 サイファーは席を立ち、皿を持ってルーカンが示した方向に歩いて行った。もちろん、彼には見張りがついている。それにしても、二人が捧げたパンとサラダを平らげても、まだ足りなかったか。彼はパンを3個と、同じ皿にサラダを盛って戻ってきた。席に着くと、黙々と食べ始める。
 PJは俯いたまま、いよいよすすり泣き始めた。畜生、と呟く。誰も彼に声はかけない。サイファーも。
 これが、ただの日常?
 違う。
 世界は変わり続けている。
 目の前の世界も。
 ピクシーはスプーンでスープ皿を、カチ、カチ、と叩き始める。
「さっきから行儀が悪いぞ、ラリー」ルーカンに窘められる。
 それでもピクシーは止めなかった。
 響く小さな金属音が、古い世界が壊れていく音に聞こえた。

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