哀しみの空
<<悪いな。ここでお別れだ>>
無線のノイズでほとんどかき消されていたが、しかしその声はハッキリと聞こえた。確かに、ピクシーの声だった。続けて、皆狂ってやがる、とイーグルアイの吐き捨てる声が聞こえてきた。全くそのとおりだ、とサイファーは思う。ピクシーは狂ってる。僚機である自分を撃ってきた彼。勝手に離脱した彼。意味のない謝罪の言葉を残した彼。全く、馬鹿馬鹿しくて声も出ない。そのうち、イーグルアイから無線指示があった。帰還せよ、と。それ以外にも何か言っていたけれど、頭には入ってこなかった。
嫌な予感はしていた。ホフヌングでの作戦が終わった後から、ずっと。ピクシーは落ち込んでいた。暇になると思考に耽っているようだった。サイファーはよく他人から無口だと言われるが、あの日からはピクシーの方が余程無口だった。笑顔さえ見せなくなっていた。
あの戦いから二日後くらいのことだ。ミーティングが終わった後に、ピクシーから話しかけてきた。内容は案の定、あの作戦のこと。
「お前は何とも思わないのか?」ピクシーは言った。
「特には」サイファーは即答した。
考え無しに即答したわけではない。それは用意した答えだった。ピクシーが何故そこまで気を落としているのか、相棒がそんな様なのに、自分は何故平然としているのか、それなりに考えてみたのだ。
街全体を巻き込んだ無差別攻撃。逃げ惑う人々。全てを焼く炎。悲しみの声。憎悪の声。
気分が良いか、それとも悪いか。どちらかと言えば、答えは"悪い"だ。けれど、仕方のないことだ、と割り切れる。これは戦争だ。勝者がいれば、敗者がいる。生き残る者がいれば、死ぬ者もいる。喜ぶ者がいれば、悲しむ者もいる。そして、自分は傭兵だ。その戦争の中で仕事をしている。契約に従い力を振るう。金を貰うために勝つ。また飛ぶために、生き残る。生きるために、飛ぶ。それだけだ。正義も悪もない。綺麗な仕事だろうが、汚い仕事だろうが、仕事は仕事だ。そう理解しているから、平静でいられる。
でも、ピクシーは割り切れてない。だから、割り切ろうと努力している。これは一緒に飛んでいるうちに気が付いたことだ。彼は戦争に正義を求めている。人々の幸福を求めている。平和のために戦うと言ったPJを否定していたが、でもPJと同じだ。理想のために飛んでいる。だから、ピクシーは落胆している。
彼は自分と同じだ、サイファーはそう思っていた。けれど、違った。
自分は人のためには飛べない。自分のためにしか飛べない。
どうして、自分以外のために飛べるんだ?
「相棒」力ない声でピクシーは言った。「……俺は、哀しいんだ」
でも、どうしようもない。
自分達は傭兵だ。哀しくても飛ばなければならない。
言えることは一つしかない。
「ピクシー」彼の目を見て、サイファーは言う。「PJにも言ってただろう?受け入れろ、これが戦争だ」
そう言った時の、ピクシーの表情。
きっとあれが、絶望というやつだ。
「……ラジャー」ピクシーが答える。
そっちか、とサイファーは思った。
その答えはつまり、理解しただけ、ということ。受け入れるつもりはない、と。
「ピクシー」
彼は答えず、手を挙げてそのまま立ち去ってしまった。
戦争を受け入れられないのなら、どうするつもりだ?
仕事を棄てて地上に降りる?ウスティオの侵略を止めるためにベルカに寝返る?ウスティオもベルカも抑える第三勢力を探す?戦争そのものを消し去る?
無理矢理考えてみた案は、どれもこれも非現実的としか思えない。憧れのおとぎ話とも違う。単純に、あり得ないのだ。たくさん道があっても、それを自由に選ぶことができても、結局道は一つだけ、それしかないと思っている自分には。
「…貴方の考えも、行動も、俺には解らない」
サイファーは独りごちる。前方には基地の滑走路が見えてきた。そろそろ着陸態勢に入らなければならない。減速しろ、と管制官からの誘導無線が飛んでくる。喧しい。普段は何とも思わないが、今は騒音にしか聞こえない。
そう、苛立っている。
何をそんなに?
決まってる、ピクシーのことだ。
戦う理由を見つけた?
何を今更。
傭兵が戦う理由なんて一つしかないのに。
でも、彼は傭兵の仕事を棄てた。
何のために?
平和のため?
理想のため?
そのために、相棒を墜とすのか?
<<ガルム1。機首を下げて減速しろ>>
<<うるさい!!>>
管制官の指示を無視して、サイファーはピッチアップして機体を上昇させた。出鱈目にロールしながら、さらに上空へ飛ぶ。
<<ガルム1!何をしている、戻るんだ!>>
今度はイーグルアイの声だ。サイファーはそれも無視した。雲を突き抜けたところで、機体を水平に。そのまま真っ直ぐ飛んだ。青い空。眩しい光の中。隣に赤い片翼のイーグルはいない。たった独り。広すぎる空を。
「馬鹿野郎!!」サイファーは怒鳴った。
今まで生きてきて、怒ることも哀しむことも当然あった。何度もあった。けれど、こんなにも酷い気分になったのは初めてかもしれない。これは怒りか?哀しみか?憎しみか?解らない。ただ、最低の気分であることは間違いない。
これは戦争だ。
裏切る奴もいる。
裏切られる奴もいる。
それだけのこと。
解っている。
けれど。
「……馬鹿野郎」
信頼していた相棒の裏切りまで、それも戦争だと簡単に割り切れる程、自分は達観した人間ではなかったらしい。
無線が入ってきた。イーグルアイだ。
<<サイファー、聞こえているか。頭を冷やせ。今すぐ戻るんだ>>
<<……ウィルコ>>
ピッチダウンして、雲の中へ。
突き抜けると、今度は地上が見えてきた。
そして、つい、隣を見てしまう。
誰もいないのに。
いつもの声も、ない。
「…ピクシー……」
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