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わるいゆめ


 声が聞こえてきた。小さい声。しばらく続いて、やがて悲鳴のような声に変わった。その声で、サイファーは目を覚ました。響く声が、鈍い頭を急速に動かす。声は上から降ってくる。ピクシーの声だ。サイファーは枕元に置いている腕時計を見た。時刻は間もなく4時。
 ベッドから出て、二段ベッドの上を見る。そこにはピクシーが横になっている。彼は奥の壁の方を向いていた。サイファーから見えるのは背中だけ。声はまだ止まない。目覚めているとは思えない。寝言だろう。喘ぎ混じりの、苦しげな声。泣き声のようにも聞こえる。何かに追われているような。それとも、何かに縋りついているような。とにかく必死な声だ。言葉の意味は、わからない。発音が不明瞭なせいで聞き取れないのかと思ったが、そうではない。知らない言語だからだ。ピクシーはベルカ語で寝言を呟いている。特に驚くことではない。ピクシーはベルカ出身だ。サイファーは彼自身からそれを聞いて知っていた。
 サイファーは部屋の小さい電気をつけた。それから、二段ベッドの梯子に足をかけて、上のベッドを覗き込む。ピクシーは固く目を瞑り、シーツを強く掴んでいる。額には汗が滲んでいる。喘ぎながら、短い言葉を吐き出す。同じ言葉だ。この言葉は、知っている。嫌だ、そう言っている?
 このまま見守っていても仕方ない。サイファーはピクシーの肩に手をかけた。静かに揺さぶる。
「ピクシー」
 彼の体が、びく、と一度大きく震えた。そして、目を見開くと同時に悲鳴を上げる。彼は飛び起きるように上半身を起こした。
「ピクシー」
 荒い息を吐く彼に呼び掛ける。
 振り向いた彼は、恐怖に怯えたような顔をしていた。今にも泣きそうな、潤んだ目をして。こんな表情の彼を見るのは初めてだった。頼りない少年のような顔。空では絶対にこんな顔はしないだろう。たとえ死にそうになっても、きっと。
「大丈夫か?」サイファーは訊いた。
「…あい、ぼう?」上擦った、か弱い声でピクシーが答える。「…あ……、俺、は…」
「うなされていた」
 ピクシーは瞬きを繰り返し、やがて目を閉じて、右手で目元を押さえた。
 呼吸は段々と落ち着いてきた。
「……何を言ってた?」ピクシーが訊いてくる。
「わからない。ベルカ語だったから」
 彼は溜息を吐いて、右手を下ろした。
「悪い夢を見たのか?」
「あぁ……」
 一瞬の間。それから、ピクシーは首を横に振った。
「…いや……、わからない。多分悪夢だった…。でも……どんな夢だったか、思い出せない」
「そう……」
「まだ夜中だよな?…起こして悪かったな、相棒」
「気にするな」
 漸く呼吸を整えたピクシーは、しかし憔悴しきった表情だ。サイファーから視線を外し、振り向いた顔を正面の方に戻す。虚ろな目。宙を見つめる。何処か、遠くを、見ている。
 ピクシーは何かを呟いた。
 サイファーに聞こえる声で、はっきりと。明瞭な発音で。ただ、意味はわからなかった。ベルカ語だったから。
 彼はもう一度何かを呟いた。また、ベルカ語で。
 低い声。哀しげな声。その中に、決意のようなものを感じたのは、気のせいだろうか。
「ピクシー?」
「寝るよ」
 ピクシーはサイファーの方を振り向かずに言った。
「本当に大丈夫か?」
「あぁ……」
 とても平気そうには見えない。けれど、彼がそう言うのならば。
「何かあったら、起こしてくれて構わないから」
「あぁ…」ピクシーがサイファーの方を振り向く。「ありがとうな」
 サイファーは頷いた。
 梯子から降りる。消灯して、ベッドに戻ろうとした。
 その時、上から呼び止める声が降ってきた。
「何?」サイファーは上のベッドを見上げる。
 暗くなったせいで、ピクシーの顔は見えない。
「相棒…お前は……」
 彼はそこで言葉を切った。
 沈黙。
「いや、いい。何でもない」
 ピクシーが体を横たえる。その後もサイファーは続く言葉を待った。けれど、沈黙が流れるだけだった。
 サイファーは自分のベッドに戻った。
「…おやすみ」
 この数日後、ピクシーは任務遂行中に突然姿を消した。
 あの夜、彼の話を聞かなかったことを、何もしなかったことを、サイファーは後悔した。

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