love letter
缶コーヒーを手に共用スペースに行くと、そこにはカルロスがいた。他には誰もいない。時刻は0時少し前。彼は、うーん、と唸りながら伸びをした。手にはペンを持っている。体を反った彼と目が合った。
「おー、グリフレット」そのままの姿勢で彼は言った。
「どうも」
挨拶をして、イオシフはカルロスの方に近づいた。特に話し込みたい気分でもないので立ち去ろうとも思ったが、彼が何をしているのか少し気になった。席にはつかず、彼の横に立つ。テーブルの上には便箋と封筒が一組。便箋はまだ白紙だ。
「手紙ですか」イオシフは言った。
カルロスが姿勢を戻す。
「うん」
ならば、覗き見しない方がいいだろう。イオシフは視線を便箋から外す。
しかし、手紙など一体誰に出そうというのか。オーシアから離反し、国境無き世界に属した自分達は、今は外部の人間との接触は難しい。それとも、まさか組織内部の人間にわざわざ手紙を認めているのだろうか。酔狂ではあるが、カルロスならばあり得ない話ではない。
根掘り葉掘り尋ねるのも野暮かと思い、イオシフは黙っている。手の中の未開封の缶はまだ温かい。
「座らないの?」カルロスが訊いてきた。
「ええ。もう行きます」
「あ、そう」
「では」
「それ、飲まないの?」彼はイオシフが持っている缶を指差す。
「後で飲みます」
「ここで飲めばいいじゃん」
「後でいいです」
「あ、そう」
「では」
「寂しいからもうちょっと居てよー」
返事をせずに冷たい視線を送る。
「お願い」カルロスは腕を軽く引っ張ってきた。
イオシフは溜息を漏らす。
「わかりました」
「わーい。ありがとう、グリフレット」
腕に頬を摺り寄せてきたので、イオシフはそれをさりげなく振り払った。カルロスの人懐こいというか、馴れ馴れしいというか、そういうところはどうにも苦手だ。
イオシフは彼と同じテーブルではなく、その隣のテーブルの席についた。
「あれ、こっちに座ればいいのに」
「同じ席だと手紙が見えてしまうので」
「別に見てもいいよ?隠したいものじゃないし。ていうか、誰に出すかも、何を書くかも決めてないし。いやー、書こうと思っても急には思い浮かばないもんだね」ペンを回しつつ、カルロスが笑う。
「…内容どころか相手も決まってない手紙って、何ですか」
馬鹿馬鹿しい。とは口には出さないが、しかし溜息は漏れた。イオシフは手の中で缶を回して弄ぶ。そろそろ冷めてきた気がする。
「もうすぐ鬼神と戦うだろ?だから、遺書でも残しておこうかなって思ったんだけど」
手を止めて、カルロスの方を見る。利き手ではない左手でペンをくるくると起用に回している彼の表情に悲愴感は全くない。いつもの飄々とした笑顔。
数日後に進撃してくるであろう鬼神を迎え撃つのは、自分達ウィザード隊に決まった。不可避の戦い。恐らく、犠牲も避けられない。全滅も大いにあり得る。そもそもウィザードの役目は勝利ではない。鬼神の足止めだ。だから、遺書を残すという発想は間違いではない。けれど。
「死ぬ気ですか」イオシフは缶をテーブルの上に叩きつけるように置いた。「貴方らしくもない」
カルロスは常々長生きしたいと言っていた。生きて、ブリストー隊長の生き様を見届けるのだ、と。隊長のためならば喜んで死ぬと言った自分を、馬鹿だと一蹴したのも彼だ。死んだら終わりだ、死んでも隊長は喜ばない、と。その彼が死を考えるのは、後ろ向きの逃げ腰としか思えなかった。
「うーん。そうか。そうだね。じゃあ、やめよう」
そう言いつつ、カルロスは便箋にペンを走らせた。ほんの数行。綴った言葉は恐らく一言か二言。それだけ書いて、彼はペンを置いた。便箋を折りたたんで、封筒に入れる。
「はい」
差し出されたそれを、イオシフはじっと見つめる。
「…遺書なら受け取りませんよ」
「遺書じゃないよ。ラブレター」
「ラブレターだって、死んだら遺書になります」
「死なないから大丈夫。ていうか、今読みなよ」
ほら、と突き出されるそれを、イオシフは渋々受け取った。
「…私宛てなんですか?」
「うん、グリフレットも」
「私だけではないと」
「うん。みんなへ」
「…では、皆と一緒に読みます」
「まあ、それでもいいけど」
「そろそろ戻って寝ます」イオシフは立ち上がった。
「俺も行く」カルロスも立ち上がる。そしてイオシフの腕に抱きついた。「愛してるよー、イオシフ」
「やめてください」
冷たくあしらっても、カルロスは懲りずに、愛してるよ、と繰り返した。
彼は誰にでも愛の言葉を唱える。息をするように。女にも。男にも。恋愛なのか、親愛なのか。それはわからない。ただ、嘘ではない、とイオシフは思っている。
あの日は手紙を読まなかった。その後も。今までずっと読まずにいた。皆へ、と言われたものを一人で読む気はしなかった。そして、皆で読むような時間もなかった。結局ウィザード隊は鬼神に敗れ、挙句の果てにV2の発射も阻止された。
鬼神に撃墜されたが、イオシフは生き残った。他のウィザードの仲間も、ほとんどは生き残り、何とか合流できた。
だが、ルシオと、
そしてカルロスは、
死んだ。
カルロスが書いた手紙は、今この手の中にある。イオシフは封筒をじっと見つめる。
基地に置きっぱなしにしてはどうなるかわからないので、持ち歩いていたのだ。鬼神との戦いの際にも。綺麗な白だった封筒は、皺くちゃになって汚れてしまった。しかし、状況を考えれば、こうして形を残したまま手元にあるのは、奇跡と言ってもいいだろう。
封を開ける。
小さく、一呼吸。
顔を上げる。窓の外を見る。月が輝いている。三日月だ。この手紙を貰った夜は、空を見なかった。
封筒から手紙を取り出す。
明日の朝にでも、皆と一緒に読むべきかもしれない。
結局、遺書となってしまったこの手紙を。
でも、今、読みたかった。
便箋も皺になっているが、汚れはない。
便箋を開く。
美しい筆記体で書かれていたメッセージは、たった一言だった。
手が、吐息が、震える。
涙が零れ落ち、便箋を濡らした。
カルロスが生きていたら、知っている、と皆で笑っただろう。
だが、今は。今となっては。嗚咽を漏らすことしかできなかった。
『ウィザード隊へ
愛してるよ
カルロス・フォアキン』
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