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つよく、よわい、ひと


 眩しい陽の光の下、木枯らしが吹く。ラリーは思わず、寒い、と呟いた。茶色の木の葉が舞う。夏には美しい緑だった木々は、もうほとんど裸になっていた。
 家の前に到着し、門のインターホンを鳴らす。首都オーレッドの郊外にある、やや大きな一戸建て。ジョシュアの実家だ。かねてからの約束で遊びに来たのだ。
 すぐにジョシュアが出てきた。
「よう、ジョシュア」
「久しぶりだな、ラリー。よく来てくれた」
 抱擁を交わして、お互いの顔を眺める。ラリーはジョシュアを見下ろし、ジョシュアはラリーを見上げる。溜息と共に苦笑したのは、ジョシュアの方。
「この前追い付かれたと思ったら、もう抜かされたか」
 ラリーは得意気に微笑んだ。その差はまだ2センチか3センチ程。それでも、間違いなくラリーの方が背が高い。
「素直に祝ってやるつもりだったが……無理だな。思いの外悔しい」
「俺はすごく嬉しいぜ」ラリーは8歳年上の兄貴分の頭を撫でた。
「調子に乗るんじゃない」ジョシュアはラリーの手を軽く除ける。
「いいじゃないか、今だけだ」懲りずにもう一度、ジョシュアの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「やめろ。悲しくなる」ジョシュアがまた苦笑する。
「はいはい。わかったよ」
 ジョシュアと会うのは先の夏以来、数ヶ月ぶりだ。成長期のラリーとは違い、彼の容姿は前に会った時と特に変わらない。前髪は相変わらず横分け。髭はない。冬着でもわかる、均整のとれた体。あれから太ったようにも、痩せたようにも見えない。
 見た目は変わらないけれど、しかし以前よりもまた貫録が増したように思う。オーシア国防空軍に入隊した、そのせいだろう。ラリーが憧れる戦闘機のパイロットに、彼はなった。今日の彼はもちろん私服だが、軍服姿も見てみたいものだ。写真があったら見せてもらおう。そして、軍や戦闘機や空戦、色々な話を聞かせてもらおう。
 家の中に入った。
 他に人の気配がしない。ジョシュアに訊くと、彼の両親は買い物に行っているとのことだった。
「私の部屋に行っててくれ」
 彼はそう言うとキッチンの方に向かった。ラリーは指示に従い、彼の部屋に向かった。階段を上がって2階へ。ラリーが孤児院にいた頃から何度か遊びに来ている家なので、勝手知ったるものだ。
 ジョシュアの部屋も、彼自身と同じく何も変わっていない。小さな図書館のような部屋。机の前に黒のトラベルバッグが1つ置いてある。もちろん、ジョシュアのものだろう。空軍に入隊してからは寮生活をしている彼だが、休暇の今日明日は実家に泊まると聞いていた。
 ソファに座ってジョシュアを待つ。10分程経った頃、紅茶セットを持って彼は戻ってきた。
「待たせたな」彼はローテーブルの上に紅茶を置いて、用意を進める。
「いや、全然。ありがとな」
「コーラがなかったからこれで我慢してくれ。砂糖もたっぷり用意したから」
「もうガキじゃないんだから、砂糖なしでも飲める」
「でも、甘い方が好きだろう?」
「まあ、好きだけど」ラリーは唇を尖らせる。
「拗ねるな。別に甘党は悪い事じゃない」ジョシュアは笑った。
 でも、子ども扱いしてるだろう?ラリーはジョシュアの顔を睨む。
 そしてふと、彼の顔色がよくないことに気が付いた。気のせい、ではない。少し青白い。先程は再会の興奮もあって気が付かなかったが。
「ジョシュア。何か顔色悪いぜ。大丈夫か?」
 一瞬、彼の手が止まる。
 だが、すぐに動き出す。
「そうか?」
 彼はティーカップをラリーの前に置くと、隣に座った。
「別に何ともないが」彼は答えた。
「ならいいけど。でも……疲れが溜まってるとか。大変だろ?空軍は」
「まあ、学生の頃よりはずっと厳しいな。お前の方はどうだ?ハイスクールは」
 ラリーは孤児院を出て、全寮制のハイスクールに進学していた。
「ああ、楽しくやってるよ」
 それから、紅茶を飲みつつ会話をした。楽しかったが、少し物足りない。ほとんどラリーが一方的に話していたからだ。ジョシュアの話も聞きたかったのだが、彼が質問攻めにしてきたので、話題を変えられなかった。変えようとしても、すぐに戻されてしまった。こんなに一方的なのは珍しいことだ。彼は、自分の話をしたくないのだろうか。たまの休みくらい仕事の話はしたくない、ということか?入隊が決まった時はとても嬉しそうだったのに。普段物静かな彼が、電話越しに熱く語ってくれたことを思い出す。今日もあの調子で色々と語ってくれるのではと期待していたのだが。
 それとも、もしかしたら体調が悪いせいで語る気力がないのかもしれない。相槌を打つだけで精一杯なのかも。疲労に加えて、風邪でもひいたのかもしれない。寒い日が続いているから。
 会話が途切れたところで、ラリーは立ち上がった。
「悪い。トイレ借りるぜ」
「ああ。どうぞ」
 トイレはこの2階にもある。廊下を進んで、奥の方だ。ラリーはさっさと用を足した。戻る途中、階段から1階を覗く。ここから部屋の様子は見えないが、とりあえず人の気配はしない。
 部屋に戻った。先程までソファに座っていたジョシュアは、窓の前に立っていた。外の方を見ている。もしかして、そろそろ彼の両親が戻ってくる時間だろうか?
 ジョシュアの両親にも早く会いたい。ラリーはジョシュアのことはもちろん、彼の両親のことも大好きだった。多忙な人達なので、数える程度しか会ったことはないが、しかし彼らはいつでも優しく接してくれた。
「おじさんとおばさん、帰ってきたか?」
 ラリーも外を見ようと、ジョシュアの肩に手をかけて覗き込んだ。
 ふと、息を呑む音が聞こえた。ジョシュアから。
 彼は勢いよく振り返り、肩に乗っているラリーの手を叩き払った。
 まるで化物でも見たかのような彼の表情。
「な、なんだよ」ラリーは一歩後ずさる。
「…ラリー、……」ジョシュアは小さく息を漏らす。「…すま、ない。少し…驚いただけだ」
 少し?
 それどころではない様子だが。とりあえず、その言葉を素直に受け取ることにする。
「悪かったよ。大丈夫か?心臓動いてるか?」わざとおどけた調子でラリーは言った。
「あぁ…」
 ユーモアに富んだジョシュアのことだから、気の利いたジョークでも返ってくると思っていたのだが。しかし、表情は凍りついたまま。上の空の返事。
 彼の目が潤み、
 涙が零れ、頬を伝う。
「ジョシュア…?」
 明らかに様子がおかしい。彼の呼吸が徐々に浅く、速くなる。やがて小さく呻き声を漏らすと、口元を右手で強く押さえた。
 ラリーが呆気にとられている間に、ジョシュアはふらふらと部屋の外に出て行った。
 一体何がどうなっている?
「ジョシュア」
 ラリーは我に返り、彼を追って部屋の外に出た。廊下の奥の方から嘔吐しているような声が聞こえる。
「ジョシュア!」
 数歩で行ける距離をばたばたと走っていく。彼は洗面所にいた。洗面台に向かって嘔吐している。
「おい…!」
 彼に駆け寄って、背をさする。彼は濁った黄色の液体を吐いた。固形物は混ざっていない。まさか朝から、もしかしたら夜から何も食べていないのか?
「ジョシュア、しっかりしろ」
 背をさすり続けると、彼は、びくり、と体を大きく震わせた。そして、激しく嘔吐する。
「……や…、」
「え?」
 ジョシュアの嘔吐が止まる。無理矢理止めたようだ。彼は洗面台に顔を埋めたまま。苦しげな呼吸。呻き声。
「…ぅ…、背中……、触…る、な…」
「え、あ」ラリーは慌てて彼の背から手を離した。「ご、ごめん」
 2度、3度と大きく呼吸をして、ジョシュアはまた嘔吐した。
 しばらく吐き続けた。
 出すものがなくなっても、搾り出すように声を漏らした。
 ラリーは何もできず、ただ側で佇んでいた。
 ようやく落ち着いたジョシュアは、自力で水栓をひねり、水を出した。口の周りを流して、口内をゆすぐ。それから、その場に力なく膝をついた。
「……大丈夫か?」ラリーは訊いた。
 息も絶え絶えのジョシュアは、声もなく、ただ小さく頷いた。
「…俺、医者を呼んでくる」
 ジョシュアが振り返り、驚いた表情を見せる。彼は縋るようにラリーの手首を掴んだ。
「やめろ、ラリー」
「何言ってるんだよ!?アンタ、そんな状態で…」
 ジョシュアは顔を下に向け、必死に首を横に振る。
「頼む…誰も、呼ばないでくれ…」
「馬鹿言うなよ!」
「お願いだ…、ラリー」
 顔を上げたジョシュアは、酷く弱々しく、切なげな表情をしていた。
 こんな彼は、初めて見た。
 こんなに小さく、頼りなく、儚げな彼は。
「お前が、側にいてくれ…頼む…」
 ラリーは少しだけ考えて、しかし頷いた。
「…ありがとう」ジョシュアが俯き、手を離す。
 ラリーは屈んだ。ジョシュアに手を伸ばす。体に触れる寸前で手を止めた。
「…触れても、平気か?」
 言葉で答える代わりに、ジョシュアは手を握ってきた。ラリーは右手で彼の体をそっと抱きしめる。壊さないように。守るように。
「……ラリー…、すまない…」
「いいよ。気にするな、兄貴」
 ジョシュアが長い溜息を漏らす。小さく震える体。微かな嗚咽。また、涙を流しているのだろう。
 ジョシュアは強い人だと、ラリーは思っていた。
 けれど、強い人にも弱さはあるのだ、と。
 彼も人間なのだと。
 この時、初めて思い知った。

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