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近づく


 ブリストーはあまり酒を飲まない、と聞いていた。日常でも、イベントでも。実際、イオシフがウィザードに入隊した時の歓迎会でも、あまり飲んでいなかった。水割りのウイスキーを一杯、二杯だけ。軽く話もしたが、酔っている様子はなかった。理知的で、静かで、つまりは仕事中の彼と何ら変わるところはなかった。
 だが、今の彼はいいペースで酒を飲んでいる。ウィザード隊全員で集まって酒を飲み始めて、そろそろ一時間程度。ブリストーは少なくともウイスキーを三杯は飲んでいる。少し離れたテーブルにいる彼を横目で見ながら、気がついた時に数えているだけなので、正確なところはわからない。
 イオシフは手元のビールジョッキを空にした。これで二杯目。
 ブリストーは少し酔っている、ように見える。キャリー、ボタン、ショア、他数名と談笑している彼は、中心になって会話を盛り上げていた。よく喋り、よく笑う。くるくると変わる表情。まるで別人のようだ、とイオシフは思う。見たことのない彼の一面。意外だ、と。ただただ驚きしかない。
「今日は隊長ご機嫌だねぇ」斜め前から、フォアキンの声。
 イオシフは視線を彼の方に戻した。今同席しているのはフォアキン、モリエンテス、ポーターの三人だが、彼らの話はそこそこにしか聞いていなかった。気がつくと注意はブリストーの方に向いている。
「あんな隊長初めて見ましたよ」ポーターが言う。
 彼は空軍入隊と同時に、ウィザード隊に配属された。最近転属してきたばかりのイオシフより少し長いが、それでも日はまだ浅い。
「酒席ではいつもああなんですか?」
「いーやー、そんなことないよ」フォアキンが答える。「いつもは理性飛ばさないように自重して飲むんだけどね。ごく稀にハメ外すんだよ。そのタイミングはイマイチ謎だけど」
「戦勝祝い…とか?じゃなくて?」
「それがそうでもないんだよね。隊長の七不思議の一つ」
「隊長マニアのお前でもわからんのか」モリエンテスが言う。
「うん、わからない。隊長は気難しいというか気まぐれというか、そんな感じだからまだまだ謎だらけだよ。だから面白いんだけど」
「ふーん。まあ、どうでもいいです」表情を崩さずにポーターが言う。
「おっとぉ?興味津々と見せかけて、無関心発言?それってデレツン?ツンデレ?」
 フォアキンがポーターに絡み始めたところで、イオシフの注意は自然とブリストーの方に戻った。店内BGMや他の客の声もあり、彼らの声まではよく聞こえない。ただ、ブリストーが楽しそうなことはよくわかった。
 今なら近づける気がする。
 近づいても許される気がする。
 もちろん、ただの気のせいかもしれない。
 自分は新参者の上に、厄介者だ。既に多大な迷惑をかけてしまった。イオシフが謝罪した時、ブリストーは、気にするな、と言ったが。それは、無理な話だ。
「隊長と話したいのか?」モリエンテスが訊いてきた。
「いえ…別に」
「何言ってんだ。さっきから隊長の方ばかり見てるクセに」
「…申し訳ありません」
「謝ることじゃないさ」彼は、にっ、と笑った。「お前さんはまだ入隊したばかりで、隊長とあまり話したこともないだろう?あの人は普段は無口で無愛想で取っ付きにくいことこの上無いしな。でも今日はアレだからいいチャンスだ。ちょっと話してくるといい」
 ほら行ってこい、とモリエンテスはイオシフの背中を思いっ切り叩いた。そして、豪快に笑い出す。彼はちょっと押しただけのつもりかもしれない。しかし、かなり痛かった。
「いってらっしゃーい」フォアキンまで乗ってきた。ひらひらと手を振ってくる。
 こうなったら席を立つしかない。いってきます、という言葉の代わりに溜息を吐いて立ち上がる。そのまま無言でテーブルを離れた。
 ブリストーがいるテーブルの方に近づく。
 だが、途中で足を止めた。
 談笑している輪の中に入っていくのはどうにも憚られた。元々集団には上手く馴染めない。モリエンテス達の方を一瞥する。三人で談笑を始めている。こちらを見ている様子はない。
 イオシフは方向を変えて、カウンター席の方に移動した。端の席に座って、ウイスキーをロックで一杯注文する。すぐに差し出されたそれを一口飲んで、小さく溜息。店内を見渡す。皆そろそろ出来上がってきた。友人のパーマーも楽しそうにやっている。彼のいるテーブルは今日の戦闘について語っているようだ。空戦の用語が断片的に聞こえてきた。
 グラスに視線を落とす。氷の塊が崩れてグラスとぶつかり、カチン、と音が鳴った。グラスを手に取って、残りを煽る。喉を焼くような刺激が心地よい。
「楽しんでいるか、イオシフ?」
 背後から突然の声。
 刺されたような気分だった。
 イオシフは慌てて振り返る。
(ブリストー隊長)
 声を出そうとして息を吸った瞬間に、盛大に咽てしまった。口元を手で抑えて、ブリストーから顔を逸らす。俯いて、咳き込む。
「おい、大丈夫かイオシフ?」ブリストーがイオシフの背中をさする。
 恥ずかしさと申し訳無さがこみ上げてくる。だが、咳が止まらなくて何も言えない。
 咳はしばらく止まらなかった。
 色々な意味で苦しい。 
「ゲホッ…ブリス…トー…隊長…」ようやく少し落ち着いてきたので、声を振り絞る。「…申し訳、ありま、せん…ケホッ、大丈夫です…」
「驚かせてしまったか?すまなかったな」
「いいえ…そんなことは…」
 ブリストーはまだ背中をさすってくれている。
 隊長の前で、何てザマだ。とても顔向けできないが、このまま俯いているわけにもいかない。イオシフは恐る恐る顔を上げて、ブリストーの方を見る。
 優しい眼差し。心配そうな表情。やがて優しい笑顔に変わる。
 この人はこんな表情もするのだ。知っている。あの時にも見せてくれた表情。
「私の顔に何かついているか?」今度はきょとんとした表情を見せる。
「…あ、いいえ」
 思わず見つめすぎた。イオシフは慌てて目を伏せる。
 本当に、なんてザマだ。何て醜態だ。俺は何をやっているんだ?
「とんだ無礼を……申し訳ありません」
 フフッ、とブリストーが笑う。
「無礼を受けたとは思っていない。気にするな」
「もうしわけ…」
 ブリストーの指がイオシフの唇を塞ぐ。
「謝罪は禁止だ」
 その指はすぐに離れると思った。しかし、離れなかった。イオシフは喋ることも動くこともできない。瞬きするのがせいぜいだ。
 ブリストーの指は温かい。
 彼の指は唇をなぞったかと思うと、そのまま顎の方に滑り落ちてきた。
「…ブリストー…隊長?」
 微笑を湛えた彼の顔が、近づいてくる。
 周囲の音が遠ざかる。
 彼の唇が近づいて、
 触れる?
 イオシフは吐息を漏らす。
 そこにブリストーの吐息が重なる。
 だが、唇は、触れなかった。
「冗談だ」ブリストーが囁く。
 彼の顔が離れていく。
 周囲の音はまだ聞こえない。
 自分の心臓が跳ねる音だけが聞こえる。
「今度こそ驚かせてしまったか?さっきからお前の反応が面白いから、つい調子に乗った。すまなかったな」
 イオシフは答えない。
 答えられなかった。
 今、何が起こった?よくわからない。
「イオシフ?」
 ブリストーがまた顔を近づけて覗きこんできたので、イオシフは反射的に顔を遠ざけてしまった。
 違う。
 本当は、近づきたいのに。
「…っ…」
「大丈夫か?」
 イオシフは黙って頷く。息を吸って、吐く。やっと周囲の音が戻ってきた。軽く周囲を見やると、皆それぞれ楽しんでいる。誰もこちらを見ていない。見られていない。だから、どうした?
「グラスが空だな。何か飲むか?」ブリストーが訊く。
「……ウイスキーを何か……ダブルで…」
「ウィルコ」
 ブリストーが注文すると、すぐにマスターから二人分のグラスを差し出された。
 イオシフはグラスを手に取ると、乾杯もせずに、一気に飲み干した。
「…大丈夫か?」
 ご心配痛み入ります。
 正直、全然、大丈夫では、ありません。
 なんだか可笑しくなってきた。笑い声が溢れる。
「隊長」
「何だ?」
「俺は……」
 貴方の事が、好きだ、と。
 言うにはまだ酔いが足りなかった。
「…少し話をしても?」
「ああ。俺もお前と話をしたい」
 それから話をした。取り留めのない雑談だった。長い時間話したと思う。楽しい時間だった。自分もブリストーもよく笑った。間違いなく、幸せな時間だった。
 けれど、朝、目を覚ました時には、何を話したかほとんど覚えていなかった。
 頭が痛い。二日酔いだ。
 起こした体を再びベッドに沈める。
 ブリストーの微笑と、触れそうになった唇だけが、思い浮かんで消えて、また思い浮かんで。
 そのうちに、涙がこぼれた。

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