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雪の日


 モーテルの外に出ると、雪が降っていることに気がついた。いつから降っていたのだろう。まだ積もってはいない。口からは白い吐息。まだ日の出前。空は暗い。無音の世界。頭の中で響いたのは記憶の声。相棒の声。
(降ってきたか)
 雪の日には思い出が多過ぎる。
 車のドアの開閉音で、サイファーの意識は現実に戻った。ジョシュアが運転席に乗り込んでいる。サイファーの方を見ることも、呼ぶこともしない。けれど、車は発進しない。待ってくれているのか。同乗していいのか。サイファーは助手席側のドアを開けた。問題なく開いたし、乗り込んでもジョシュアは何も言わなかった。ドアを閉じて、シートベルトを締めると、車は発進した。
 走行中、サイファーはずっと窓の外を眺めていた。流れていく街の景色や、少しずつ降り積もっていく雪を目に映しながら、過ぎ去った雪の日のことを思い出していた。楽しかったこと。嬉しかったこと。哀しかったこと。あの日のことは、哀しい。PJが死んだ。ピクシーを墜とした。二人の相棒を失った。お前には感情がないのか、とよく言われるけれど、そんなことはない。あまり表に出さないだけだ。今も、窓ガラスに映る自分は無表情。でも、哀しい。
(二人と飛ぶ空は、もうないんすかね)
 ピクシーが離脱した後にPJが言った。
 そうだ、と思う。
 あの二人と飛ぶ空はもう、ない。


 車は二時間は走ったと思う。止まった場所は、町外れの戸建ての前だった。近くには他に建物はない。周囲は草原。今は緑色でも茶色でもなく、白色だ。雪はまだ降り続いており、遠くの景色も白に包まれている。
 ジョシュアは黙って建物の中に入っていった。サイファーも後に続いて中に入る。電気はつく、家具も揃っている、掃除も行き届いている。誰かの家なのか、宿なのか、一見しただけではわからないが、サイファーは特に興味が無いので訊かなかった。
「この中のものは好きに使っていい」ジョシュアが言う。
 今日、初めて彼の声を聞いた。
「ありがとう」サイファーは言った。
 どうやら、まだジョシュアの庇護を受けられるらしい。とはいえ、このままいつまでも彼に甘えるわけにはいかない。本当に、子どものように甘えているだけだ。今の自分は何の力も提供できない。そろそろオーシア大陸から脱出する方法を考えなければ、とサイファーは思う。契約終了後に、こんな風に逃げる羽目に陥ったのは初めてだ。本当なら今は自由の身なのに、とんでもなく不自由。
 いつになったら、飛べる?
 大人しくウスティオに戻って、彼らが求める無期限の契約を承諾すれば、飛ぶことには困らないかもしれない。けれど、一つのところに縛られるつもりはない。自分は主義も思想もない傭兵だから。
 ジョシュアは二階に上がっていった。サイファーもその後をついていく。二階には部屋が二つあるようだった。ジョシュアは奥の部屋に入っていった。手前の部屋を使ってよいのだろうか。サイファーは一応ドアをノックする。応答がないので、勝手に入ることにする。鍵はかかっていなかった。部屋には机と椅子、それからベッドがある。奥のカーテンを開けると、期待通りに窓があった。開けると、冷たい空気が入ってきた。風はほどんどない。
 窓を閉めて、ベッドの上に横になった。
 しばらくそのままぼんやりとしていた。
 腹の虫が鳴いて、空腹に気がつく。そろそろ昼だろうか。腕時計を見ると、正午をとっくに過ぎていた。何か食べたい。キッチンを見に行こう。サイファーは体を起こす。
 その時、ノックもなしにドアが開いた。入ってきたのはジョシュアだ。追手でなくてよかった、と安堵する。彼は無言でビニール袋を差し出してきた。サイファーも無言でそれを受け取る。袋の中にはサンドイッチと缶コーヒーが入っていた。まさか買ってきてくれたのだろうか?それともキッチンにあった?
「ありがとう」
 ジョシュアは答えない。彼は窓の前に立って、外を眺める。サイファーは小さく、いただきます、と呟いてサンドイッチを食べ始めた。食べながら、ジョシュアの背中を見遣る。
 彼は無口だ。空では饒舌だったが、地上では違うらしい。出会ってすぐにそれがわかったので、会話がなくても特に気にしないことにした。自分も積極的に会話をするタイプではない。
 サンドイッチを食べ終えて、缶コーヒーも飲んだ。サイファーは、ごちそうさま、と呟いて、ゴミを入れたビニール袋をとりあえず床の上に置いた。
 ジョシュアはまだ窓の外を眺めている。雪は降り続いている。彼も、雪を見て何かを思い出している?
「何故私についてくる」不意にジョシュアが言った。
 彼の目は窓の外に向いたまま。
「貴方が拒絶しないから」サイファーは答える。
「私達は敵同士だった」
「だった、けど。今は違う。ここは空……戦場じゃない。それに、ウスティオとの契約は終わった。俺は今何処にも属していない」
「そうか」
「それでも、貴方はまだ俺を敵だと思っている?」
 ジョシュアは答えない。
 敵だと思われても仕方がない。サイファーはそう思う。ウィザード隊を墜としたのは自分。彼らの計画を潰したのは、自分達。そして、ピクシーを墜としたのは。
(相棒……まだ、生きてるか?)
「貴方は、どうして俺がついてくることを許したの?」
「さあな」
 ジョシュアが振り返る。
 近寄ってくる。
 ベッドに腰掛けているサイファーの正面に立つ。
 ジョシュアの手が、サイファーの首に触れる。
「殺したかったのかもしれない」
 静かな表情。静かな声。
「殺すつもり?」
 サイファーはベッドに強く押し倒された。
 首にジョシュアの両手がかかる。
 ぱん、と乾いた音。
 サイファーは咄嗟にジョシュアの頬を殴っていた。
 敵だと思われても、殺したいと思われても仕方がない。
 でも、黙って殺されるつもりはない。
 ジョシュアが睨みつけてくる。確かな殺意を感じる。
 これは、自分が知っていた彼だ、とサイファーは思う。
 ウィザード・ワン。
 きっとあの時、あの空では、彼はこんな顔をしていた。
 一瞬、彼の両手に力が籠もった。人を殺せるだけの力だった。
 でも、一瞬だった。
 殺意が消失する。
 彼の手が緩み、離れていく。表情も落ち着きを取り戻した。
「殺さない」ジョシュアは言った。
「そう」
 では、どうするのだろう?
 どうしたいのだろう?
 ジョシュアは窓の外を一瞥する。サイファーも同じ方を見た。
 雪の日。
 あの、雪の日。
 世界は変わらなかった。
 でも、自分達の小さな世界は、確かに変わった。

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