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パリジャンは固いのがお好き

パリ二日目の朝、二日酔いで重い頭をもたげながらリビングに行くと、ヒロシ達はすでに出かけた後だった。テーブルの上には、朝買ってきたらしいパリジャンが一本とメモが置いてあり、冷蔵庫にある朝食を食べるように、夜は友人宅に招かれているので一緒に行こうということが書いてあった。冷蔵庫を開けると、美味しそうなニース風サラダと数種類のハムやチーズがきれいに並べられた皿が入っていた。見ただけで美味しいことはわかるのだが、二日酔いの胃袋には重く感じられたので、パリジャンを少しかじるだけにした。明け方に帰ってきてから派手にまぐわっていたにも関わらず9時には出勤しているという二人のバイタリティに、モロゾフは呆れるというよりむしろ尊敬の念を抱いた。コーヒーを沸かしながら携帯メールをチェックすると、20件以上のメールが一度に受信された。どうやら海外で使用する通信に障害があったらしい。送信者一覧にはお土産依頼メールを送りつける同僚女子社員の名前が連なっていたが、その中に待ち人の名前はなかった。

律儀なモロゾフは、同僚達に頼まれた買い物のために半日をシャンゼリゼやサンジェルマンデプレで費やした。途中二度ほど藤野の働く店を覗いてみたものの、藤野の姿は見られなかった。二度目に覗いた時には、ばつが悪いのでエクレアを買って出た。もう藤野とは会えないのかもしれない。そう思うと寂しさがこみ上げ、心の隙間を濃厚なチョコクリームで塞ぐように一気に食べたのだった。半日がかりで揃えたパリ土産の数々を置くために一旦ホテルに戻った。ヒロシが指定した時間までまだ少し時間があった。今からだと、どこで何ができるだろうか? 一人でいるのが寂しいと思う反面、絵になる景色とそうでもない景色が混在するパリという街を自由自在に歩き回ることに快感を覚えているのも確かなのだった。

ヒロシの友人だというフランス人夫婦は、16区の高級住宅街にある瀟洒なアパルトマンに住んでいた。出張シェフに作らせた料理とシャンパンを楽しみながら、ファッション談義に花を咲かせたり、皆で機嫌よくシャンソンを歌っていたかと思えば、話が過熱すると大声で口論を始めた。それでも、別れ際には全員笑顔で「また会いましょう」とお別れのキス。モロゾフはその感情表現の幅広さについて行くことができず、終始居心地が悪かった。
「今日はホンマ疲れたわ。笑ったり、怒ったり、パーティであんな口論するなんて正直引いてしもたけど」
「あんなん普通よ、普通。こっちでは言いたいこと言うのが当たり前。言われっぱなしやと甞められるから、絶対言い返さなアカンのよ!」
「…そうなんや、大変やなぁ」
この時ばかりは、どこから見てもオネエなヒロシが、バリタチを自認する自分より男らしく思えた。こういう環境で長年闘ってきたからこそ今のヒロシがあるのだろう。だが、口論のどさくさに紛れて、したたかに酔った夫人から「マサト、日本人男性のアレってヨーロッパ人より固いっていうのは本当なの? 私一度試してみたいんだけど…」と真顔で言われたことは、ヒロシに言えないモロゾフだった。


* * * * * * *


三日目の朝、モロゾフは、カチコチに固くなってしまった昨日のパリジャンでヒロシが作っておいてくれたフレンチトーストを温めて食べた。ヒロシ達は今夜は仕事で遅くなるらしい。藤野に会うことをほぼ諦めてからは本格的に観光モードとなり、午前中から美術館をはしごしたり、ショップを散策するのに忙しかった。明日の夕方には列車でオランダに戻り、一人空路で帰国する。パリの夜を過ごすのは今日が最後になる。多分今夜も寂しい気持ちになるだろうが、美しいパリの街はそんな自分を受けとめてくれるだろう。

誰も自分の愛を必要とはしていない
ただ石と鋼鉄で出来たこの美しい街が
自分を受け入れてくれる

タイトルに Paris が入っているというだけで選んだこの曲を、藤野とお揃いで買ったipod に入れて何度もリピートした。その歌詞は、まるで今のモロゾフの気持ちを代弁しているかのようだった。鋼鉄は、セーヌを右へ左へと歩いて渡った橋であり、石は、目の前にそびえ立つ荘厳なノートルダム大聖堂だ。昔パリに観光に来た時には時間がなくてゆっくり見ることができなかった。そして今、静寂につつまれライトアップされた夜のノートルダムは、怖いほどに壮大で優雅な美しさをたたえていた。

大音量のヘッドフォンで曲を聞きながらその世界に浸っていると、いつのまにか隣に一人の男が立っていた。びっくりしてヘッドフォンを外すと男が話しかけてきた。
「すみません、日本の方ですよね?」
ネイティブの日本人ではない発音だったが、とても流暢な日本語だった。
「ええ…そうですけど」
「さっき、あそこの本屋さんでムラカミハルキの本を読んでたから、日本人かなぁと思いました」
突然日本語で話しかけられたことにモロゾフは戸惑ったが、日本のサブカルチャーが人気のフランスで、日本語を話す外人がいても何ら不思議ではないのだと思い直した。もっとも、ここではモロゾフも外人なのだが。
「ああ、でもちょっと見てみただけなんですよ、僕フランス語わからないので」
ひょっとしてこの男は、その本屋からずっと後をつけてきたのか? 一人でいる男に声をかけてくるような男は、スリか泥棒か詐欺師に決まっている。でなければゲイのナンパか? 何かあった時のために相手の特徴を記憶しておかなければならないかもしれない。そう思うとモロゾフは、鞄を確認して身構えつつも、うす暗い街灯に照らされた男の顔を見ることにした。鈍く光るブロンドの髪に、ブルーグレーの瞳が宝石のように透き通った若い男だった。そしてそれは、モロゾフがそれまで出会った外国人の中で一番美しい顔だった。

「ワタシは、ムラカミの本は全部読んでます。全部フランス語版ですけど」
という男は、父親の仕事の関係で高校時代を日本で過ごし、パリの大学で日本語を専攻しているのだと言った。日本文学には興味も素養もないモロゾフだったが、日本の文豪作品の感想を具体的に述べる男に、先ほどまでの疑いの気持ちが半減した。話しながらノートルダムの近くにある橋まで歩き、その欄干に両手をついて、バトビュスと呼ばれる水上バスが行きかうのを二人並んで眺めていた。男が話す日本での思い出などを楽しく聞いているうち、男が少しずつにじり寄っていることにモロゾフは気付いた。次の瞬間、男はモロゾフの前に立ちはだかり、両手を腰にまわしてぐっと抱き寄せると耳元で囁いた。
「知ってます? この橋の上でシャクハチして、最終のバトビュスが通っている時にセーヌに向かって発射できたら、そのカップルは永遠に幸せになれるという伝説があります」
「ははは、いきなり何の話? シャクハチって意味わかってるの? …ってか、ちょ、どこ触ってるねんなっ…」
「向こうの橋の下に良いハッテン場があるんですけど、時間がないのでここで我慢して下さい。ワタシはあと30分したら帰らないといけませんので…」

「やっぱりこいつナンパ目的やったんや!」という心の叫びも空しく、モロゾフの分身は真夏のパリの夜空に剥き出しにされ、淫乱なブロンド男の顔はその正面で上下に激しく揺れていた。まだ深夜とはいえない時間帯、人通りもあるのにこんなコトに及んでいて警察にでも見つかったらどうする気だ? そう思うと大声を出すこともできず、モロゾフは息子に吸い付いている男を引き離そうと試みた。が、陰茎を包み込む唇や舌の動きの強弱があまりに絶妙で力が抜けてしまったのと、抵抗しようにも腰と足を固定する男の力には勝てず、モロゾフはされるがままに声を殺して喘いでいた。
そして、異国の地で思いもかけないシャクハチによって解放される事を悦んだモロゾフの精子達は、淫乱なブロンド男の口の中ではなく、最終のバトビュスにライトアップされた夜のセーヌへと勢いよく飛び込んでいったのだった。

「C'est cool! やっぱり日本人のチンコ、固くてマジスゲーですね。ドウモ、アリガトーゴザイマシタ!」
息をはずませながら男はそう言うと、モロゾフの息子を元通りの場所に収め、足早に地下鉄駅の方向へと去って行った。不本意ながら、モロゾフの方もお礼を言って良いほど感じており、その余韻に浸っていたかった。去って行った男の後ろ姿を眺めながら、もっと時間があれば、自分の方が固かったのかどうか確認できたのだろうか…などという妄想が頭をよぎった。
しかしすぐに我に返ると、荘厳なノートルダムに心打たれて数十分後に、そのノートルダムを前にして「野性の夜に」という映画で描かれたようなハッテン場に通う男とハッテンしてしまうなんて…と激しい自己嫌悪に陥った。いや、あれは突然向こうから襲ってきたのであってハッテンではない、事故なのだ。そう、事故にあっただけ…

モロゾフは地下鉄に乗る気にはなれなかったので、歩いてセーヌ右岸にあるホテルへと向かった。途中でヒロシから電話が入った。仕事が早く終わって飲んでいるから合流しないかとのことだった。あまり気が進まなかったが、今日あった事は全部、酔いつぶれて忘れてしまうのも良いかと思い、ヒロシ達と合流することにした。店の場所はいつも飲んでいるマレ地区ではなく、終夜営業のクラブやセックスショップが立ち並ぶモンマルトル地区にあった。地下鉄を乗り継ぐと結構時間がかかったが、それでもこの界隈ではまだ宵の口といった感じで大層賑わっていた。

店に到着すると、ヒロシ達は、極楽鳥のような女装のアフリカ系の友人達とお喋りに興じていた。昨夜のスノッブな集まりとはまた違った濃いノリに軽い眩暈を覚えたが、今日自分が犯した過ちを忘れ去るにはこれ位のノリでちょうど良いのかもしれないと思った。酔いつぶれてやろうと心に決めたものの、この夜はヒロシに先を越されてしまったので、エリックと二人でヒロシを抱えて店を出ることとなった。店を出るとすぐ隣に小さなセックスショップがあった。モロゾフはゲイ友から「おフランス製のコンドーム 」を買ってきて欲しいと頼まれていた事を思い出した。エリック達には少し待っていてもらうことにして、その店に入った。

店内は、今どきの雑貨屋かと見間違うほどポップで明るい内装だった。パリにしては愛想のいい女性店員が声をかけてきたので、お土産用のコンドームを探しているというと「カレの長さが一目でわかっちゃう!」という目盛付きコンドームが人気だと教えてくれた。支払のためにレジに持って行くと、レジの店員が手首に付けているブレスレットを見てモロゾフは息を呑んだ。
それは、初デートでモロゾフが藤野にプレゼントした、京くみひもの赤いブレスレットと同じものだった。

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