国鉄末期の救世主(?) JR東海119系

 時は昭和50年代中頃・・・豊橋と長野は辰野を結ぶ飯田線は、旧型タイプな電車の最後の聖地ともいえるような所でありました。

 しかし、その旧型タイプは旧型だけに、いいかげん50年近くオチてたりして、目立つトコで、「流電」クモハ52形とかはもおマジで50年オチになってた車ですし、比較的新しかっただろう80系というのも昭和25年からの車両、あれでも新しい部類を基準にしてざっと25〜30年・・・というオチ具合で、そろそろお取り替えの時期に来ておりました。

 で、飯田線と言えば結構な急勾配の線で、速度はともかくそこそこはツヨい電車じゃなくちゃダメ。適当なのを回すというにも115系ってヤツは余りが出て来てないし、113系ではつらい・・・

 それなら新車を♪ なんて思っても、そろそろダメになるかもなんて言う国鉄のフトコロ具合では、まるっきり新車ってのは無理な状態でもあったのでした。

 とはいえ、そのままというわけにも行かず、車体は新品、床下機器を最大限中古で見つけよう!というスタイルで組んだシリーズがこの電車になります。多分、かなりのパーツを中古で組んだという国鉄車はこれがハシリじゃなかろうかと思います。コイツ以前に105系というのがありますが、あれは補助電源装置くらいだったはずなので・・・

 ちょうど、この時期に古くなったって事で101系が廃車になり始めておりました。で、103系と言う電車のパーツは結構使い回しが効くってことで、そのパーツもふんだんに使ってるとか・・・

 基本的な機器、補助電源装置もコンプレッサーもモーター付きに載せ、基本2両というスタイルで登場しました。冷房はおかねかかるから載せないという方向性だったんですが、レイアウトからするに113系なんかとはあまり代わり映えしない無難な内装だったかと思います。

 勾配線区を走るということで、抑速ブレーキという機能もつき、抵抗器も大きめなのを載せ、飯田線のために考えたような造りをちゃんとしてあるそうです。

 出た当初は水色にシロの線が入ってましたが、これがカッティングシートってことで、結構イタヅラされたようです。JR以降、クリームにオレンジラインを入れて現在の格好になっております。

 一時期、「するがシャトル」なる東海道の運用を引き受けてたことがあったとかで、それ仕様の編成だけ冷房をとっとと載せたらしいんですね・・・それ以外の編成はインバータの冷房を載せて、その車両には+5000を車番につけてOKになっております。

 なんにしても、とにかく地味!! どう見ても速いわけもなく、沿線的にも派手さは微塵にも感じないんですが、天竜川沿いのお山の平和はあの電車がまもってるわけでして・・・

 この先、ちょっとなんかあれば313系が攻めに来るんだろうなぁなんて思っておりますが、そうじゃなければ当面この電車であろうかと思っております。50年使うとも思えませんが(笑)

 また、輸送の場状況からの問題ですが、1両で運転って仕様もこっそりもってりまして、そいつもゲットしてやろうかとおもったんですが、遅延が出てるとかであきらめちゃいました・・・

(H18.1.13)