最後まで残ったスカ色113系・・・113系1000番台シリーズ

 個人的には、逗子市民として、このシリーズには必要以上の愛着があったりします。

 東海道仕様の電車と比較して、外観上の大きな差は・・・運転台の後ろの窓配置(ATCってヤツを載っけたからみだそうです)と、ホイッスルの窓の位置くらいでしょうか?・・・(テールランプの下にあるえくぼみたいなやつd(^-^)ねっ!)

 大船〜東京の間、東海道線の線路を走っていた横須賀線、朝のラッシュ帯になりまして東海道からもガンガン、横須賀線からもガンガン電車が入るようになり、どう考えても線路容量が足りなくなってまして、よっしゃ! 貨物線を別線で起こして、元々の貨物線に横須賀線を回して・・・総武快速線とつなげちゃえ♪ って企画になったようですね・・・

 総武の方は錦糸町から東京に乗り入れる関連で、都市部の開発は地下線にするがベスト♪ アナボコ掘って東京まで攻め込み、さらに品川まで線路を引っぱることに結構前から成功してまして、この電車の本来の使い方ができておりました。

 横須賀線の方はと言うと・・・結構工事が遅れてましてねぇ・・・たぶん(笑) 結局全通したのが昭和55年だかになります。

 で、そのころの113系1000台、総武快速用と横須賀線用で、エレェ違いがありました(笑)

 ・横須賀線の仕様は大体最初から冷房付きで入ってたけど、総武快速仕様のは冷房準備状態で載ってなかった

 ・横須賀線の方は伝統上グリーン車(昭和25年頃の70系の頃から2等車がありましたしねぇ)があったけど、総武の方はつないでも誰も乗りゃしねーよってんでなかった

 ・横須賀線は、11両か15両の時は東京〜横須賀or久里浜って決まってたので、行き先表示なんかまるっきり使ってなかったんですが総武のはそうはいかない(東京・品川〜津田沼・千葉・木更津・君津・上総一ノ宮・大原・成田など行き先てんこもり♪)のでしっかり使ってた

 そんなカラミで、直通工事が完了って時はそりゃもうてーへんでした(笑) 時の大船の車庫は、横須賀線と東海道で共用してまして、たまに車検のカラミで横須賀線に東海道線のクルマが1両くっついてたりしてたこともあったんですが、その手の車両が全部国府津ってトコにお引っ越し・・・で、千葉(幕張)にあった総武快速のクルマをある程度受け入れて・・・

 そうすると総武用のグリーン車がないってことで、その昔、横須賀線用に作ったハイグレードグリーン車サロ113形:定員48人で、特急グリーン並の内装)が、定員不足ってことで大阪に(・_・ )ノ" ゜ ポイッされていたのがあったんですが、大阪でも用なしになったってんで、呼び戻して千葉からの車両に連結、それだけで足りないので、大阪送りにしたかわりに作った普通グレードサロ110−1200台:これでも初期のそれにくらべればかなりよい:特急の普通車くらい)のグリーンをさらに増やしてセット♪

 千葉から受け入れた総武のクルマってさぁ・・・冷房ねぇのよ・・・ダセーって思いましたね(笑) ま、準備工事済みのクルマなので、快速進行で冷房が載っかったのもイメージ強いですけど・・・

 その後、さらにタマ数増やすってことで、「1500番台」なる後期形が出てきまして、ちと珍しい感じになりました・・・ラッパの位置が地上仕様みたい(実は地上用よりちと高い)になったんですよねぇ・・・

 おもしろかったのが、グリーン車がらみで、ラッシュがきつくなればきつくなるほど、ゼニあるヤツぁ座れるのに乗りたくなるのは世の常なんですが、もとより、逗子、鎌倉あたりのいわゆるエグゼクティブ級な人々は「グリーン定期」なる鬼のような乗車券をもらえたりするので混むのは当然なんですけどね・・・総武の方でも需要が出てきて結構乗ってくれてるらしいってハナシ・・・増収になってるぢぇん(笑)

 挙げ句にゃグリーンの座席数確保するのに2階にしてるし(@^m^)ププッ 

 そんなかんじで平和に走ってたこの電車も、そろそろ交換時期として、E217系という新型車が入ってきまして・・・根こそぎ横須賀線の場からはいなくなりました・・・で、総武快速線120キロ運転も実現したんですね・・・みぃんな成田エクスプレスのためかと思います・・・

 で、お払い箱になったこの113系はというと、千葉の総武ローカル(結構範囲広いんですよ)で4or6両の編成を組んでがんばってます、で、古い113系を(・_・ )ノ" ゜ ポイッ そりと東海道にコンバートして走ってたり(なにせそのまま持ち込めますからねぇ・・・組成同じだし)、一部、東北線にも追いやったらしいんですが、今や東北線にも新車が来てますから、真っ先に(・_・ )ノ" ゜ ポイッ 塗り替えてやった分ゼニの無駄だったんじゃねぇの?・・・って気がするほどの扱いでした(爆)

 一番コイー行き先が・・・流れ流れて伊豆急行(笑) 200系のイッパツ目は・・・明らかに横須賀線の中古車であります・・・・だって、ラッパのアナボコが低いトコにあるんですもん・・・

 ところで、一部のシリーズのカオの下の方にヒレみたいなのがついてますが、これを「アンチクライマー」とゆいます。○浜○行の車両も、1500形までは黙ってくっつけてましたが、昔の木造車両なんかだと、衝突したときに乗り上げちゃったりしてシャレにならなかったってんで、そこに噛み合えってワケでくっつけたモンだそうです。

 今の時代になぜ?・・・っつーと、いつだか、成田線ってトコで、30t(10tダンプにしてよ・・・!)も載っけたダンプが踏切に飛び出しやがってぶつかったんですね・・・で、運チャンはというと、完全に陥没した車体のトコに挟まれて、4時間もつらい思いしてお星様になったというハナシ・・・

 聞いたとき、私は泣きましたね・・・あまり他人事じゃなかったし(爆)

 その対策で、お面を強化してあるんですよ・・・あのへん。

 今の東日本の車両・・・そのカラミで、踏切をあまり通らない通勤タイプはカオの強化近郊タイプなどの踏切を通る可能性が高いヤツはクラッシャブルゾーンをつくって、さらに運転台のすぐ後ろは薄壁にして、レスキューをすぐ放り込めるようにしてあります・・・だから、運チャンのすぐ後ろはマジで壁なんですね・・・ギャラリーとしちゃ残念でしょうけど・・・

 さて、113系の天国だったこの千葉の地に、そろそろカム軸な電車はナシにしていきたいなぁというてこ入れが入ってきまして・・・15年使ったから(・_・ )ノ" ゜ ポイッするはずだった京浜東北線の209系をリファインして千葉に放り込む事となりました。209系も初期のヤツはマジで15年サイクルのイメージで造ってた様ですがその内強度アップとかをして、その気になれば30年でも大丈夫じゃね? という仕様になってた様で・・・その気になっちゃったんでしょうねぇ・・・

 ただ、インバータなんかは大分痛んでた事もあったのでその辺の機器は最新のに取り替えて、トイレもくっつけてなんてお金のかけようでした。

 改造に時間がかかったのですが、じわじわと、そして確実に入れ替わり、平成23年の夏をもってこのカラーリング(115系の場合、カオの塗り分けがビミョーに違う)の車両は消滅することとなりました・・・ なお、オレンジと緑の「湘南色」な113系は東日本にはありませんが西日本には割と残っております・・・

(H23.11.11)