皮膚の壁
一月二十日:作

■ 4

この煙草が真美の踵であり土踏まずであり足指の先であったら…
はしたなくも煙草を吸う度私の股間は熱くなり、冷たい液体を滴らせる様になった。

念というものは通じるのだろうか?
知らず知らず私は、煙草を吸う唇に念を送っていたのかも知れない。
唇はやはり唇を呼ぶのだろうか?
真美と唇を合わせる日は意外にも突然やって来た。
が、そこへ至る過程はなんとも焦れったいじわじわしたものだった。

ある日私はたまらなく真美に電話をしたくなった。
出向して姿を見なくなって一ヶ月が過ぎていた。
お互いの携帯番号は仕事のために初めに教え合っていた。が、プライベートではもちろん、仕事でそれを使うこともそれまでなかった。
初めての電話は、仕事にかこつけたプライベートだった。
私は真美と話すのではなく、話しながら所在無げに動いているであろう真美の足と話したかったのだ。
正確に言えば、所在無げに動く真美の足の力の具合によって現れる赤や黄色の皮膚の色だ。そしてストッキングの中の体温と蒸れ具合とその香り…
行動を起こす前に私はもう真美の一部分に飲まれていた。飲まれる感覚…それは一部分がどんどん細微化して行く感覚だった。
足は足先になり、指になり、指紋になり、指紋の間の細かなゴミになりという風に。
まずその足から入り、腿に行き、腹に行き、胸に行き…と、勝手に想像が先走っていた。

思い切って真美の番号をダイヤルした。
「はい…」
無表情な真美の声がした。
「あ…いや…どう?」
仕事はどうだい? って気楽に聞くつもりが、ずいぶん暗く篭った話し方になってしまった。
「何がですか?」
真美の声は冷たく鬱陶し気だった。
微かに心の中で敗北感を感じた。しかしなんというのだろうか? それが妙に心地良かった。

「いや…ちょっと心配だったから…慣れた?」
「はい…まぁ、なんとか。」
「…なんか聞きたいこととかある?」
「いえ…ありませんけど。」
垂直の石垣を登る様な険しい会話だった。
でも私は少しでも引き伸ばそうとしていた。この際、良い様に思われようとか賢く見られようとかいう、真美に対した初めの頃抱いたプライドの様なものは、一切無かった。
とにかく真美の口許が綾なす音を一つでも多く耳に入れたかった。
「あの…何かご用でもあるんですか?」
真美から聞かれハッとすると同時に嬉しかった。
真美から口を開いたのはこれが初めてだったから。
「いや、別にないよ。ただ、ちょっとね、気になってただけだから、これで気が済んだ。よかったよかった。」
「…」
「あ、もう切るね。ごめんね、急に。」
「あ、いいえ、ありがとうございます。」
「じゃ…」
胸が高鳴っていた。
真美の足どころではなかった。
しかしこの時初めて思った。
声…声って重さがあるし形があるんだと。
そして胸を突き刺す鋭角も持っていると。
実は後日真美も私に言った。
「あなたのね…声が…くすぐるの…どうしようもなくね…こそばゆいの…むずむずするの…聞きたいな…また電話欲しいな…ううん…電話したいな…」
まさか真美からこんな言葉を聞くとは、この時は微塵も思わなかった。

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