人妻の事情
非現実:作

■ 人の妻として1

地下の狭い階段にヒールの音が響いた。
ハイヒールを履いたのは久々なので、若干足が痛む。
私の決死の覚悟は、震える両足が物語っていた。

「あぁ〜どうもどうも、お電話いただいた方ですね?」
「は…ぃ」

入って直ぐ、若い人に「例の件」を告げたら別室の事務所っぽい所に通された。
それから間もなく、丸々と肥えた眼鏡の男の人が入りながら言ったのだった。
私は慌てて立ち上がる。

「あ〜〜いやいや、そのままでどうぞ」
「あっ、はいっ」

さぞ重いのだろう、向かいのソファーにドカッと身体を預けて再び口を開く。
(この人が店長さんなのね……)

「いや〜今日も暑いですなぁ〜〜?」
「は……い?」
「はっはっは、いや緊張しているようなのでねぇ〜冗談冗談」
「……ぁ」

私の全身を嘗め回すような眠そうな視線。
気付けば肩に力が入り過ぎている。
フフンと、卑下笑みを浮かべながら眼鏡をかけ直す店長は……。

「えぇっと、新井理紗さんでしたっけ〜〜?」
「あっ、は、はいっ!!」
「うちにはネットで?」
「はいっ、そうですっ!」
「えぇっとね……お幾つです?」
「に、26歳です」
「という事にして、働いてもらいますかねぇ」
「ぇ?」

眼鏡の奥の眠そうな視線が「まぁいいけどね」と言っているようだった。

「色々な事情を抱えてる人がね、コッソリと高収入を期待して来る訳ですから?。
別に年齢なんかどうでもいいんですよホントにね?。」
「……すいません」
「いやいや、別に構いませんよホントに」
「本当は……30で…す」
「そして〜〜〜実は結婚なさってるでしょ?」
「ぇ?」

確かに電話した時は、26歳OLだと言っていた。
化粧も洋服もバッチリ若作りしたのだが……。

「いやいやいや、25前半に見えますよ?。
これホントね、はっきり言って驚いてるの僕。」
「じゃ…じゃあどうして、ですか?」
「色々な事情を抱えてる人と接してきてるからね、そういうのって解るのよ、僕」

店長の言葉に、妙に納得いってしまった。
嘘の設定や変に若作りまでして……穴があったら入りたい気分だった。

「貴女は十分美しいし、まだ25前でも十分いけるからサ。
だから働いてもらえるなら年齢はそれで行こうよ。」
「……でも、あのぅ……私、その……」
「うんうん解る解る、こういう店で働くの初めてなんでしょ?」

一々同じ言葉を連呼するのが癖らしい。
店長は言いながら、パンフレットをテーブルに置いた。

「これはね、お客さんに見せる物なだけどね」
「……っ!」

ネットで散々調べていたので、見なくても何であるかは理解できる。
改めて見せられると…… ……。
ボッと顔が真っ赤になり、全身が硬直する。
今日……ようやく意を決して面接まで漕ぎ着けたのだが……自分は恐ろしい事をしようとしている…… ……。
頭に夫の顔が過ぎる。
背徳の恐怖が私を支配した。
(やっぱり……こんなの…よく……ない)
私には、やっぱり出来そうにない。
やっぱり帰ろう、そして夫に謝ろう……。

「あ、あのっ……私やっぱり!」

立ち上がった私の二の腕をいきなり掴まれた。
体格によらず、それは素早かった。

「待って待って新井さん、うちは安心だからサ!」
「いえ、でもっ」
「大丈夫大丈夫、うちはね完全予約制で信用出来ない客は取らないから。
うちの会員になるにも身分照明とか色々と調査してるんだから、ネ?。」

それも確かにネットに出ていた。
お店でお客を管理していればある程度安心かも、私もそれが理由でこのお店に決めたのは事実だ。

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