深い水底
晶:作

■ 第五章4

「責任取ってくれよな。もうおさまりがつかないから。」

馬乗りになって、彼女の胴体を押さえつけると、水着を脱がそうとする。

「さぁ、これからが本番だぜ。」

荒い息づかいと一緒に、真田君の声が聞こえてくる。
駄目よ、こんなの。絶対に駄目。頭の隅にこびりつくような真田君の声を、私は必死で追い払った。

怖いという気持ちを、何とかしなくてはいけないという気持ちが、ようやく上回った。
震える足を、何とか奮い立たせ、プールの入口へと走る。

「待ちなさい!」

「何をしているんだ、そこで!」

私の言葉は、誰かの大声にかき消された。私よりも先に、プールの扉を開けた人間がいた。
とっさに近くの木へと身を隠した。晶に、見てしまったことを知られたくない。そう思ったから。

「と、戸澤君・・・」

晶は、真田君に組みしかれたまま、呆然と立ち尽くす戸澤君の姿を見て、絶句した。

「お、奥山さん・・・。真田・・・。こ、これはいったい・・・。」

真田君が舌打ちをする。
軽い身のこなしで立ち上がると、バツが悪そうに、手を後ろで組んだ。

「すんませんね。でも、奥山さんから誘ってきたんですよ。」

「黙ってろ!お前には聞いていない。」

普段は見せたこともないような厳しい口調で、戸澤君が真田君を一喝した。

「奥山さん。本当なのか?」

晶は、うなだれるように、プールサイドに座り込んでいた。
戸澤君の問いかけに、力なく頷く。

「そんな・・・」

今度は戸澤君が絶句する番だった。ここぞとばかりに、真田君が攻勢をしかける。

「だから言ったでしょ。彼女から誘って来たって。」

そう言うと、戸澤君の横を通り抜けようとする。

「おい、待てよ。話はまだ終わってはいない。」

戸澤君は、彼の肩をつかみ制止しようとしたが、ものすごい剣幕で真田君がそれに応戦した。
火花が散りそうな睨み合い。目を覆いたくなる様な緊迫感が、その場を支配する。

だが、主将に逆らっても無益だと悟ったのか、先に態度を軟化させたのは真田君だった。

「悪いとは思ってますよ。だけど、誘ったのは奥山さんなんです。」

一歩さがると、肩をすくめるような仕草を取った。

「そうなのかもしれないが、しかし・・・」

「詳しい話は彼女に聞いて下さい。俺は、彼女の趣味に付き合わされただけだ。」

「だが・・・」

「俺、帰ります。いいですね?」

「分かった。ただし、明日、練習前に部室に来い。」

晶が自分が誘ったのだと認めている以上、戸澤君も折れるしかないようだった。

「分かりました。何度話しても同じことですけどね。」

おどけたような表情で、真田君がため息をつく。

やりきれない表情をしている戸澤君の横を通り過ぎると、彼はプールを出て行った。
しばらくして、戸澤君は伏し目がちに晶に言った。

「ごめん、奥山さん。心配で戻ってきたんだけど、まさかこんな・・・」

「・・・・・・」

晶は、魂の抜け殻になってしまったかのように、ぴくりとも動かない。

「プライベートな行動に、僕が口を出す権利はない。見たことは誰にも言わない。」

「・・・・・・」

「だけど、ひとつだけはっきりと言っておく。今後、プールで不謹慎な行為は慎んでほしい。」

優しい口調で語りかけていた戸澤君だったが、最後の言葉には厳しさがにじみ出た。

「戸澤君・・・」

ようやく顔を上げた晶は、泣きそうな表情だった。
戸澤君は、遠慮気味に、散らばっている衣類を拾い上げると、そっと彼女に手渡した。

「外で待ってる。一緒に施錠して、帰ろう。」

戸澤君がプールの外へ出ると、手で顔を覆って泣き出す晶。

その泣き声が、私の心にも容赦なく突き刺さる。私は、この瞬間、確信した。
私への告白を含め、ここ最近の晶のおかしな行動は、彼女の意思によるものではない。

彼女は、誰かに、無理やり、こんなことをさせられている。
それが誰によるものなのか、何故なのかまでは分からないが、これだけは確かだと思う。

今すぐにでも出て行って、彼女を慰めてあげたかった。
私には、すべて分かっているのだと。だから、もう一人で抱え込まなくて大丈夫なのだと。

だけどできなかった。
あんな姿を、私に見られることなど、晶には耐えがたい屈辱だろう。

出ていきたい気持ちを、必死で抑えた。今は戸澤君に任せるしかない。

数分後、晶と戸澤君が、プールを施錠し、体育館の方へと歩いて行った。
並んで歩く彼らの間に、会話は無い様子だった。いつもより、距離があるようにも感じられる。

戸澤君もショックだったと思う。
彼女に対する彼の気持ちが、尊敬というもの以上であることに、私はなんとなく気が付いていた。

それだけに、今回の彼女の行動には、大きく失望したことだろう。
男子の主将としても、一人の男としても。

晶の名誉のためにも、戸澤君の誤解を解かなくてはいけない。
晶にこんなことをさせている人間を、突きとめなくてはいけない。

真相を知るのが怖くて、足がすくみそうになるのだが、逃げるわけにはいかない。
晶は大切な親友だから。

彼女に聞けない以上、自分で調べるしかない。

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