狂喜への贐
非現実:作

■ くたびれた街1

ビュウと冷たい風がビル街を通り抜ける。
12月の初週だけあって、行き交う人も疎ら。
皆、背中を丸めて、ただ黙々とそれぞれ目的地へと歩を進めている。
違法スレスレに立ち並ぶ雑居ビルはその殆どの明かりが消え、冬の夜空をひっそりと街灯だけが照らし続けていた。
もっともこの雑居ビル群の明かりはいつの時間でも付くことはもうないのだ。

「寒いですね」
「あ〜〜寒くなったもんだなぁ、この街も」
「はい?」
「なんでもないわぃ」

コートの襟首を立て直して”田端”は車のドアを勢いよく閉めた。

「?」

バタンというドアの閉まる音で聞こえなかったのだろう。
運転席から先に降りていた”上野”は怪訝な表情でこちらを見ていた。
寒くてどうにも説明するのも面倒だった、この際何処でも良いから部屋に入りたかった。

「ボサッすなや、行くぞ」
「あ、あぁはいっ!」

田端の後を追って上野は目の前のラブホテルへと続いて行った。
本当にこんなに寂しくて寒い街になってしまったのはいつの頃くらいだろうか。


2時間後 同場所

「いゃあ〜それにしても参りましたね、いきなり過ぎですよ〜」

その声は言葉とは裏腹に上機嫌そのものだ。
重そうなショルダーバックを肩に掛けているが足取りも軽そうである。
そして向かう途中で何度も耳にした言葉を口にするのだ。

「どんな風なんですかねぇ〜結構勉強してきたんですよねぇ〜僕〜」

寒い。
寒過ぎる。

「僕、初めてなんスよぉ、いっやぁ〜〜何か凄いッスよねぇ」

冬のこの街は寒過ぎるのだ。
加えて隣が煩い。
思わず頭をハタきたくなる衝動に駆られるが、ロングコートから手を出すのも辛いほどの寒さである。
目的の場所はもう向かいだ。
周りは寝静まっているビル群のその一角は、まるで消えそうな細々とした明かりを灯して頑張っているように見えた。
ふと”目黒”は足を止めてビル群を見回した。
その拍子に咥え煙草の灰がポトリと音も無く落ちる。

「あり、どしたんすか目黒さん?」
「静かだな」
「そりゃ・・・もう午前2時過ぎてますしねぇ、終電も無いッスからね」

まだ2時過ぎか・・・目黒はそう思っていた。
駅のすぐ傍というだけに人の行きかいはチラホラと見える。
だけど違うのだ。
目黒はこの寒さの理由を知っている。
真冬でも、どんな遅い時間でも明朝まで、ここはこんなに寒い街ではなかった筈なのだ。

眠らない街。
かつてそう呼ばれたこのS区K町。
夜が更ければ更けるほど人通りはごった返し、雑居ビルからは禍々しいネオンが煌々と照らされていた。
街灯など存在価値すらない程に・・・。
そしてそこを行き交うのは若い男女の人混みで、この夜の楽しみをそれぞれが謳歌していた。
時にナンパ・時に騒動や喧嘩、如何わしい店の呼び込みなど、まさに眠らない街であった。
(いつごろだっけかな・・・こんなに寂れた街になったのは)
昔の感傷に浸ると、この寒さは尚堪える気分だ。
(つまらない街になったな、ホント)
目黒は短くなった煙草を吐き出して向かいのファミレスへと足を運んだ。

「ちょっ、ちょっとちょっとっぉマズイっすよ煙草のポイ捨てはぁ!」

はしゃいでいた”五反田”が慌てて煙草を拾っていた。

ピンポーンという来客を知らせる音とほぼ同時に大学生風のウェイトレスが現れた。
だが目黒はウェイトレスが最初に口にするであろう言葉を遮るように手で制して、視線の向こうへと足を進めたのだ。

「あ、ドモおじゃましま〜す・・・」

後ろから五反田が場違いな声が聞こえる。
かつて始発電車を待つ態度の悪い客でここも繁盛していたのが嘘のようだ。
だだっ広い店内には数える程度の客しかいなかった。
その中の1グループに目を付けた目黒は真っ直ぐ向かった。

「失礼ですが・・・佐伯様ですね?、佐伯クミコ様」

女2人のテーブルの前に立ち、目黒は確認するように言った。
弾かれるように1人の女性が顔を上げた。
向かいに座る女性はハッとして急に警戒する表情を見せている。
見込み通り間違いない。

「突然失礼しました、私は前日にお電話を頂いた目黒と申します」

そう言いながら名刺を2枚内ポケットから差し出す。
佐伯という名前に反応した女性はそれを両手で受け取り深々と会釈をし、表情が強張った女性は名刺をチラリと見てテーブルに置いた。

「わざわざ日時おろかこんな時間に指定してしまって・・・すいません」
「いえ、これも仕事ですから、なんせ24時間動けるのは常識ですし」
「は、はぁ・・・」

佐伯クミコは曖昧な返答をした事に無理もないと、目黒はそう考えていた。
電話での内容を知るに、エリート勤めの旦那の妻なのだ。
組織がしっかりしている分、いつでもどこでも働くという概念は持っていないのだろう。
所詮は地べたに這いずり回り細々と生活する人間という存在を知らない奥様だ。

「取りあえず・・・4人席に移動してもよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
「・・・ ・・・」

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