MS-T
百合ひろし:作

■ 序文2

どうして落ち着いてそんな事が出来る?闘い方なんて何時習った??

普通ならそう思うに違いないが、伊織の行動はまるで馬が産まれた後に誰に習うでもなく立ち上がる様に、ひよこが誰に習うでもなく卵の殻を割って出る様に何の疑問も持たず、自然に闘う姿勢を取った。ワイヤーを切ることは諦めたが。
「完成したのは本当だったのか」
女性はそう言って間合いを詰めて攻撃を二、三発繰り出し伊織は防戦するが、一瞬見せた甘さを見逃さず、側頭部に一発裏拳を入れその後更に反対側に蹴りを入れた。伊織は何とか倒れずに立っていたが意識は半分無くなって、フラフラと右・左と足を交互に出し無意識のうちに掴まる所を探した。その時伊織の右腕を捉えていたワイヤーがピンと張り、伊織は後ろに倒れ───その瞬間女性は伊織の体に後ろから支える様に組み付き伊織の右腕を離さないワイヤーよりも一回り太い縄を首に掛けて締め上げた。
「あ………ウググ……!!」
その衝撃で伊織は意識を取り戻し、首に巻かれた縄を外そうと両手を首にやったが今度は気道と頸動脈が塞がれて呼吸出来ないのと脳に酸素が行かないというダブルパンチを食らい折角取り戻した意識をあっという間に失ってしまった───。女性は伊織の意識が無くなった事を確認すると伊織の体から離れて見下していた。

伊織の鞄に付けられた熊の縫いぐるみは伊織の方をしっかりと見ていた。その目には両足を開き大の字になって倒れている伊織の姿が映っていてその足は痙攣している様だった。遠目に見ていたのでそれ以上は良く分からなかったが、その両足の間の白いパンティを見つめていた。

女性は伊織が動かないことを確認すると、
「完成したと思ったのに……。まだだったか?」
と呟いた。ある意味ここで伊織が死んでしまってもその程度の存在だから、まあ関係ないか。あとは依頼した人物に報告を上げるから適当にもみ消してくれ、と思って立ち去ろうとした。
その時───伊織の両手が動き、胸の前で手を左右重ねて自分の胸を一度押し肺に刺激を与えた。咳き込んだ後、後ろに手をついて立ち上がり、首に掛かったワイヤーを取り除き左手で右手を捉えていたワイヤーを引きちぎった。しかしそのワイヤーはピアノ線よりも強度の強い特殊繊維でかつ細い為引きちぎった伊織の右腕も無事ではなかった。右腕は手首より先をあっさりと失い血がドクドクと流れ出る───。しかし、痛がる素振りもない。さっきまでとはまるで別人で意識も有るのか無いのかわからない全くの無表情で半目───目は今の自分の立ち位置を確認するための器官でしか無い様に見えた。
「なんて力……」
マスクの女性は驚きこんなのに捕まったら自分が殺されると感じ背を向けて逃げた。しかし伊織は追いかけた───無表情で。女性は伊織を一瞬で落とすだけの身体能力を持ち、それだけの訓練を受けていたので足も速かった。しかし伊織はそれを遥かにしのぐスピードで追い付いて来た。
「い……嫌……っっ」
人間のスピードではないモノに追い掛けられる恐怖から女性は思わず叫んだ。幾ら頼まれたからと言って殺されてしまってはたまらない、女性は必死になって逃げた。しかし伊織の足音は確実に物凄いスピードで近づいて来る。血飛沫が女性の肩から首に掛かると同時に手を失った右腕が女性の首を捉え───首を折られる、と感じた瞬間、
「コロスナ!!」
と伊織の中からだろうか?声がして、
「え?」
の声と共に、絞めようとしていた伊織の腕から力が抜けた。女性は力が抜け膝から崩れ落ち両手を地面について肩で息をしていたが、一方謎の声により我に返った伊織は───、
「わ……私……、て……手が!」
と膝をついた状態で左手と手首から先を失った右腕を交互に見て狼狽していた。
「伊織、走ってきた道を戻って手を持って帰ってきなさい」
伊織の中から再び声が聞こえた。それは間違い無く博士の声だったが何故博士の声が体の中からするのか、そしてそれより何より自分は目の前で両手を付いてうなだれている女性と闘って何発か攻撃を受けたりその後少し記憶が飛んでその後ワイヤーで首を絞められた筈ではないか?なのに何故自分は女性を如何にも追い詰めていてしかも右手首より先を失っているのか解らず混乱した。それからふと右手首を見てみると、
「血が……止まってる……」
と、ものの数分で伊織の右手首から血は滴り落ちなくなっていた。混乱している伊織を見て女性は落ち着きを何とか取り戻し髪をかきあげて、
「やはり成功したのか───」
と言った。伊織はそれが何を示すのか理解していなかったが、博士に関係あることだろうとはおぼろげ乍ら思った。そして女性に、
「私……なにをしたんですか……?」
と聞いたが女性はそれには答えずに、
「殺されるのはゴメンだよ。あんた早く帰りな」
と言って、あんな依頼を受けたばかりに、とブツブツ呟いた後まるで忍者の様に消えて行った。
伊織は走ってきた道をトボトボと戻り失った右手を見付けて拾い鞄に入れた後、右腕の先を人に見られない様にポケットの中に入れて帰った。

その後、右手は元通りになった───。
「私……もしかして変わってる?」
その疑問には博士は笑顔のみで返事は無かった。

■つづき

■目次

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊