夢魔
MIN:作

■ 第6章 陥落(弥生・梓・沙希)11

 モニターに映る梓を見詰めながら、稔は狂に向かって
「もう良いでしょう…それに、今日はいつもの時間を、大幅に超えています…。もう眠りなさい…」
 溜息混じりに静かに告げると
「はいはい、解りましたよ…先生様。だけど、俺が言った事は、必ずさせろよ! お前の判断で、途中で止めても解るんだからな」
 今日が稔に向かって、念を押す。
 稔は顎を引いて頷き、狂を見詰める。
 暫く無言で見つめ合っていた2人だが、狂の目が、クルリと白目に変わり、ビクビクと震えると、項垂れた。
 数秒後力無く持ち上げた狂の顔は、ケンが取れ気弱な少年の顔に成っている。
「稔君…僕…僕、何時になったら…お兄ちゃんと、離れられるの…」
 狂の支配から解放された純が、ポツリと呟く。
(純…いい加減に気付きなさい…狂は最初から居ない事に…全て君が作った、別人格だって…)
 稔は思った事を口に出せず、黙って純を見詰める。

 項垂れて呟く純を尻目に、稔はマイクを手に取ると、梓に話し掛ける。
「梓…今はもう良いよ、自分の部屋に戻って下さい」
 机にのぼりお尻を突き出した姿勢で、震える梓の顔が跳ね上がり、部屋の隅にあるカメラに向く。
 稔は豚のお面に隠れて、見えない梓の表情を、知る由もなく静かに語りかける。
 稔の声はいつも落ち着き、静かに響く為、その受け取り方が聞く者によって、大きく変化する。
 稔自体、感情を込めるという、行為が出来ないため、その声の効果は、聞く当人に寄って千変万化の違いが現れる。
 今声を掛けられた梓も、稔の声を自分の望む物に変え、聞き入っていた。

(ご主人様…稔様…梓をねぎらって下さるのですね…。元はと言えば、私の無礼な振る舞いの罰なのに…有り難う御座います…)
 梓は自分の受けた罰により、心身共に疲弊していたため、主にねぎらいを求めていた。
 そして、稔の無感情な声の上に、自分の望む感情を乗せ、自分の心を癒し、主に対する感謝に変える。
『さあ、早くその部屋を出て…。もうすぐ部屋の主が帰ってくるよ。僕が誘導するから、その通りに動いて下さい』
 稔の言葉に、優しさを感じながら、梓はお面の下で嗚咽を漏らし、身体を机の上からおろした。
(稔様は…規律やルールに厳しいお方…だけど、それに応えれば…誰よりもお優しい…)
 梓は自分の中で、稔の人間性を組み上げて行く。
 それは、梓の中で膨れ上がり、虚像として構築され、梓の目を曇らせる。
 梓がフラフラと机から降りて、四つん這いになろうとすると
『今は普通に歩いて良い…罰は終わったから。早く移動して、それ程時間も残されていない…』
 稔の静かな声が状況の切迫を、梓に知らせる。
 梓は稔に促されるまま、足早に部屋を出ると、稔の指示する経路を辿り、自室に向かう。

『そこを右…次の角に来たら、立ち止まって』
 稔の指示は、淡々と梓に届き、梓はその指示通りに動きながら、さっきの事を考えていた。
(見られたわ…慶一郎さんに…はずかしい姿を…。こんな、はしたない格好で…変態の私の姿を…)
 項垂れ、頭の中をいっぱいにしながら、梓は黙々と稔の指示に従う。
(でも…どうして…。外科部長の慶一郎さんが、深夜勤に付くなんて…有り得ない筈…。なんで、今日は居たのかしら…)
 本来、役職のない勤務医が付く深夜勤に、この病院のナンバー3の柏木医師が付いているのを、不思議に思い
(まさか、私に会うため…。そんな事…無い…別れ話を切り出したのは…彼の方…。でも、ここのところ、病院長の嫌がらせで、殆ど毎日、日中は病院には居ないから…)
 梓は稔に指示され、上に下にと階を移動しながら、柏木医師が何故居たのかを考えた。
(でも、気になる…慶一郎さんの…真意が知りたいわ…)
 梓が思いを固めたのと同時に、自室の前に着いた。

 梓は自室に入ると、荒い息を吐きながら、座り込んだ。
 稔の誘導は、梓に対して事細かに行われ、梓の姿を認める者は無かったが、普通に戻るより3倍近い経路を辿った。
(はあ、はあ、や、やっと…戻って…来れた…)
 梓は自室に着いて、やっと人心地が着いて、胸を撫で下ろしていた。
 落ち着いた梓のお腹が、途端にキリキリと痛みを訴え出す。
(あうっ…む、無理もないわ…原液を入れさせられたんだもの…出したからと言って、腸内に浸透した分は…効果が残ってるんだもの)
 梓が自室の真ん中でお腹を押さえて、しゃがみ込むと
『大丈夫ですか…、まだお腹に浣腸液が残ってるんですね…。どうします…洗い出しますか?』
 稔が梓に問い掛けると
「で、でも…勤務中は病院を出る事は、出来ませんし…それに、私の部屋には器具も、水を使うようにも出来ていません…」
 梓はお面を被ったまま、苦しそうに呟いた。
『そうですか…僕の考えでは、充分に可能だと思ったんですが…。梓がそう言うのであれば、仕方がありませんね…』
 稔の静かな声に、梓は豚のお面をカメラに向け、慌てて問い掛ける。
「えっ! すみません…ご主人様…充分可能とは、どういう意味でしょうか…方法が有るのですか?」
 梓の驚いた声に、稔は静かに答えを返す。

『ええ、僕の今、居る場所から梓の病院まで、タクシーを飛ばせば、5分で行けます。梓は裏の職員通用口で僕を待ち、そのまま隣の棟のクアルームに行って、浴室を使えば何ら問題は無い筈です。構造的にも、人目に付きそうな箇所は有りませんし、鍵は用意できるでしょ?』
 稔の話を聞いた梓は、大きく頷いた後、何度も首を振った。
(そ、そうよ…出来るわ…確かにご主人様の言うとおりだわ…あそこなら、今の時間人は居ないし、お風呂もシャワーも使える…)
 梓は再度カメラに向き直ると
「で、でも…罰を受けている私が…そんな事までして頂くなんて…。宜しいのですか…」
 震える声で、梓が稔に問い掛ける。
『お面を外して、僕に顔を見せてください…』
 稔は梓の質問には答えず、顔を見せる事を指示した。
 梓は稔の指示に従い、豚のお面を外す。

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