「脱ぎなさい」「はい……」
ドロップアウター:作

■ 純情な少女1

 風に当たって、涙が乾くのを待った。こうして辛い時はベランダに出て、一人で泣いていた。前の学校でいじめられている時から、そうするのが習慣だった。
 あれから一ヶ月が過ぎたけれど、まだ立ち直れない。胸や下半身を弄くり回されたことや、おしっこさせられたことを思い出して……とても憂うつな気分になる。
 授業中とか、友達と話している時にも頭に浮かんでしまって、涙が出てくる。寝ている間うなされることもあって、祖母にまで心配かけてしまった。そんな状態が今も続いて、ずっと情緒不安定な感じだった。

 あの日……わたしが教室に戻れたのは、一日の最後の授業が終わる十分前だった。裁断室で気を失って、目が覚めた時には三十分が過ぎていた。
 服を着て席に着くと、涙があふれてきた。利香ちゃんが優しく背中をさすってくれて、「大丈夫だから」って心配させないように言ったけれど……もう限界だった。
 ちょうど英語の時間で、先生は四十代半ばくらいの女の人だった。
 優しいおばさんっていう感じの雰囲気で、わたしは大好きだった。その先生が、涙をこらえているわたしの傍に来て、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「無理しなくていいのよ。泣きなさい……」
 この一言を聞いて、我慢できなくなった。先生の肩にしがみついて、わたしは泣きじゃくった。あんなに思い切り泣いたのは、随分久しぶりだった。

「やっぱりここにいたんだ」
 振り向くと、利香ちゃんと島本さんが立っていた。
「みずくさいなぁ。何でも相談に乗るって言ったのに」
 島本さんはそう言って、ふくれっ面をした。その横で、利香ちゃんが肩をすくめた。
 三人で地べたに座って、スカートを広げた。
「まだ気分落ち着かない? 真由子ちゃん、この頃給食もよく残すし」
 利香ちゃんが、心配そうな目で言った。
「……うん。先月から五キロ痩せちゃって」
「ごっ……」
 利香ちゃんと島本さんが、同時に口元を覆った。
「あっ、でもいいの。ダイエットできたし」
「必要ないよぉ、元々細いんだし。利香なんか、試合近いのに太って先輩に怒られてたよね」
「絵美、今その話は関係ないでしょっ。真由子ちゃんも、あたしを見習ってちゃんと食べなきゃ」
 二人ともふざけ合っているけれど、わたしのことを気遣ってくれているのがよく分かった。
「そうする。ごめんね……」
 わたしは頭を下げた。涙がこみ上げてきて、唇をかんでこらえた。
「二人にまで心配かけちゃって。もっと早く忘れなきゃいけないのに」
「ちょっとやだ、やめてよ森川さん」
「お願い、聞いて欲しいの。あの時、島本さんは止めてくれたのに、わたし自分からあんなことを……」
 膝のスカートをつかんだ手の甲に、涙が落ちた。
「真由子ちゃん、あんまり自分を責めちゃダメだよ」
 利香ちゃんが、わたしのブラウスの袖をちょっと引っぱった。
「転校生だったら、嫌なことでも言う通りにしなきゃって思うの、分かるよ」
「それに先生達、どっちみち反抗しても言うこと聞かせるつもりだった感じだし……むかつくよね」
 涙を拭いて、頭を上げると……島本さんがわたしをぎゅっと抱きしめた。あの時、英語の先生がそうしてくれたみたいに。
「焦らなくていいよ。時間かかっても、私達が支えてあげるから。友達でしょう?」
「……うん。ありがとう」
 また涙が溢れて、こう答えるのが精一杯だった。

 二人と別れて、わたしは裁断室へ向かった。
 今朝、教室の前で柚木先生に呼び止められて、昼休み時間になったら来るようにと言われていた。用件を尋ねたけれど、その時は説明してもらえなかった。何となく……不安を覚えた。
 裁断室の前に来ると、中から話し声が聞こえた。ドアをノックして、先生を呼んだ。
「二年の森川真由子です。柚木先生はいらっしゃいますか?」
「……どうぞ。入りなさい」
「はい。失礼します……」
 部屋に入ると、私はちょっと面喰らった。見知らぬ人達が、奥の座敷に十人くらい座って、お茶を飲みながら話をしたりしていた。
「皆さん、この子がさっき話した森川真由子さんです。五月に転校してきたので入部して間もないですが、幼い頃からずっと日舞を習っていて、技能的にはこの子が一番です」
 手前に座っていた柚木先生が、手振りを交えて紹介した。
「森川さん、私が所属している流派の先生達よ。あなたは入部して二ヶ月だから知らないだろうけど、時々うちの部の指導に来てくださっているの」
「そうなんですか……」
 全員が、上品な和服姿だった。大半が女性だけれど、三人だけ男性の方もいらっしゃった。どの人も、柚木先生と同い年くらいか、もっと年齢が上の感じだった。
「さぁ、そんな所に突っ立ってないで。座敷に上がって、皆さんに挨拶なさい」
「あっ、はい」
 シューズを脱いで畳に上がって、深く一礼した。
「森川真由子と申します。今後ともご指導よろしくお願いします」
「あら、随分と礼儀正しい子ね」
 座敷の奥に座っている初老の女性が、そう言って微笑んだ。上座の位置だから、この人が会の主催者だと分かった。
「これは、踊りの方も楽しみね。このお嬢さんの技能チェック、立ち会うのは初めてだもの」
 わたしは一瞬、頭を殴られたような気がした。
 えっ、技能チェックって……まさか、あの時の……
「聞いたわね、森川さん」
 頭を上げると、柚木先生に告げられた。
「皆さんにわざわざ来ていただいたのは、あなたの技能チェックをしてもらうためなのよ」
「あの、やっぱり……」
 嫌な予感がして、声が震えた。
「服、脱ぐんですか?」
「そうよ」
 柚木先生は、あっさり答えた。
 体が小刻みに震え出した。一ヶ月前の恥辱を思い出して、泣きそうになった。
 まさか、また同じ目に遭うなんて……
「できるわね、森川さん」
 先生が、念を押す口調で言った。
「あなたなら、他の子も同じ事をされているのに、自分だけ逃げ出すなんてこと……しないわよね?」
 その一言に、何も言い返せなくなった。
 あの時だって、本当は逃げ出したかった。わたしも十三歳の女子だから、人前で裸になるなんて死ぬほど嫌だった。いやぁ、恥ずかしいです……って、泣き叫びたかった。
 でも、みんな一緒だと聞かされると、「嫌だ」って言えなかった。自分だけ逃げるのは、卑怯だと思った。

■つづき

■目次

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊