かみおりの巫女
Simon:作

■ かみおりの巫女1

ざあぁ

 滝の飛沫に打たれながら、凍えきった身体に鞭打って、祝詞を唱え続ける。
 氷点下にありながら、けして凍らぬ霊山の滝は、僅かでも気を緩めれば命まで刈り取ってしまうだろう。
 神降りの儀――千年を超えて、この国を支えてきた儀式
 今年選ばれるのは私だろうと思っていた。だからこそ、失敗など絶対にできない。
 その想いが通じたのか

ふあ

「……あ」
 何か……大きくて、歪みのないものが、私の中に満ちた。
 滝の水が、身体に触れることなく弾かれる。指先から、髪の一筋にまで、ゆらり、と。
 神というものが何なのか、私は知らない。けれど、確かにこれは、そうとしか呼びようのないものだ。
「亜矢、見事に成し遂げたようだな」
「宮司さま……はい」
 滝壺の前に、いつの間にか。齢90を超えてなお矍鑠たる、私たちの束ね。
 でも宮司さまは、穏やかな微笑で私を押し止めて
「いや、礼を取らねばならぬのは、わしの方よ。今のそなたは、神降りの巫女なのだから」
 じわじわと、達成感と、喜びが湧き上がってくる。
「自分では分からぬかも知れんが、滝に打たれて3日。早く温まらねばな」
 手を差し伸べて、私を水の中から引き上げてくれる。嬉しいけれど、繋いだ手が、何だか恥ずかしかった。



「宴の準備はできておる。皆、今か今かと待ちわびていたのだ」
「それって、私が遅かったっていうことですか?」
「や、これはすまん。そんなことはないぞ」
 宮司さま相手に、冗談が言えるとは思わなかった。こんなに気さくな方だったなんて。
 く 手を引かれて……え? ここを曲がるの?
「あの、どちらへ? この先は……」
 女人禁制の奥の院。それに、今の時期は閉じられているのでは。
「亜矢は特別じゃよ。それに、元々奥の院は、神おりの儀のために設けられたものだからな」
「そうだったんですか」
 全然、知らなかった。去年もそうだったのかしら。
 そう言えば、去年選ばれた巫女って……あれ?
「どうした?」
「いえ、その……」
 おかしい。名前が思い出せない。確か、私にとても優しくしてくれて……長い黒髪の……顔も、思い出せない。
 足が遅くなりそうになっても、宮司さまにぐいぐいと引っ張られて。どうして、そんなに強く手を握るんだろう。
「……皆、亜矢のことを待っておる」
 逝きたくない と、そう思った……



 月の光りの中に、黒々と聳え立つ……これが、奥の院。
 何だか、とても重い。

ぎ いいい

 近づくと、両開きの板戸が重い軋みをあげながら……ジジ……灯りが点っているのに、どうして中がこんなに暗いんだろう。
 とん 軽く背中を突かれて、23歩、よろめくように。
「……う…あ」
 空気が、めちゃくちゃ重い……押し潰されそう。

ぎぃぃ……ばたん

 僅かに流れていた風が、閉ざされちゃった。へたり……立ってられなくて。どうして……何が起こってるの? 私はちゃんと神降りの儀を成し遂げたのに……

「それでは……これより神おりの儀を始めよう」

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