走狗
MIN:作
■ 第1章 出来事1
俺の名前は叶良顕(かのう りょうけん)、当年取って29歳。
坊主だった親父が、跡を継がせるために付けた名前だ。
だが、そんな夢を見ていた親父は、突然失踪した。
まあ、事前に連絡のある失踪って、聞いた事はないが…。
当時から、今の仕事をしていた俺は、住職不在の寺を維持していく事も出来ず、碌々檀家も居ない寺をとっとと手放した。
寺の土地と法人株を売った金で、都内にマンションを買った。
そこで、結婚したばかりの妻と妹の3人で、慎ましく暮らしていた。
それこそ、平穏無事を絵に描いた様な、ごく普通の生活だった。
だが、そんな俺の暮らしは、長く続かなかった。
2年前単身赴任で、アメリカに渡っていた時、家で事故が有って2人共死んじまった。
今の俺は、天涯孤独でアル中の入った不良刑事。
2年前の事故のショックから、未だ立ち直る事が出来ない。
赤門の法学部を出て上級職を通った俺が、今じゃ所轄の係長。
年を食った部下から、なじられる毎日を送っている。
頭の上で目覚ましが鳴る。
どうでも良い事なのに、毎日ガナリ立てる。
(はいはい、起きるよ。また、10歳も上の部下に怒られんだろうな)
スーツを着て家を出る。
ユラユラと揺れる鍵穴に、なかなか鍵が入らない。
溜息を吐いて、頭を持ち上げると、その拍子で目の前がグニャリと歪む。
俺は、鍵を掛ける事を諦め、手に持った鍵束をポケットに落とす。
酒臭い息を吐きながら、電車に揺られ、職場に着いた俺を、いつものように見つけ、怒鳴り散らす部下。
「キャリアかなんだか知らないけど、階級付いてるんだから、ちゃんとしてくれよ!部下に言われて恥ずかしくないのか!」
朝の恒例行事。
(こいつは、きっと俺に文句を言う事で、自分をアピールしてるんだ。くだらない仕事、くだらない毎日、誰か俺を殺してくれ)
いつもの様に頭の中で、力無い俺の声が響く。
今日も何もしないで、一日が終わった。
帰り支度を済ませて、玄関に向かう。
玄関先で年食った部下が、俺のスーツの袖を掴み、引き留める。
「叶係長…。あなた本庁では、逮捕術の指導員だったんですって…。一度手解きして頂けませんか?」
(嫌な笑いを浮かべて、俺に話しかけるな)
「こんどね…」
捕まれた腕を振り解こうとしたが、部下は頑として離さない。
(仕方ねぇ…。こいつ、ボコるか)
部下に引かれるまま、俺は道場に行った。
俺は、たっぷり20分間、年上の部下にボコられた。
(アルコールの抜けてない身体じゃ、無理か。身体が…、思うように動きゃしねえ)
挙げ句の果てに、捨て台詞まで貰った。
覚えちゃいないけどな。
痛む身体を引きずって、家まで帰って来た。
玄関の扉を開けようとした時、扉に白い紙が貼ってある。
俺は紙をひったくり、その内容を読もうとしたが、いかんせん暗くて読めない。
取り敢えず家の中に入り、電気を着けた。
見渡す部屋の全貌。
ゴミばかりで反吐が出そうだ。
俺は、ポケットに突っ込んだ紙を見る。
其処に書かれて居るのは、たった一行のURLだった。
俺は、鼻で笑ったっが、妙に気になってパソコンの電源を入れた。
実に、1年4ヶ月ぶりの起動だ。
パソコンの起動音の後、OSが立ち上がる。
俺は、パソコンをネットに繋いで、紙に書かれたアドレスを打ち込んだ。
その時、パソコンのメール着信を知らせる音が響いて、俺はメールボックスを確認した。
新着メールが、73通。
1年4ヶ月で多いのか少ないのか解らない。
そこら辺が俺の交友関係の範囲だろう。
今着いたばかりのメールを見ると、単身赴任時代の女の同僚だった。
[今の仕事を辞めて、渡米して来ないか?]との誘いのメール。
よく見ると、メールの1/3は、彼女の物だった。
苦笑混じりに、他のメールをチェックすると、1年前から毎月1日に、差出人不明のメールが届いている。
俺は、その律儀さが気になって、一番古いメールを開いた。
メールの中身は、URLが一つだけ。
新手の詐欺かとも思ったが、玄関に貼っていた紙と、符合する点が気に成って、クリックした。
ここから、俺の人生は、大きく音を立てて崩れて行った。
いや、既に崩れていた人生の方向が、変わったのだ。
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