内側の世界
天乃大智:作

■ 第2章 きよしちゃんとキーボー2

 橋を渡って川向こうの一本道を進むと、前から普通バイクが走ってきた。真っ黒のヘルメットを被っている。マフラーが破けているらしく、バリバリと物凄い騒音とオイルを撒き散らしていた。
 バイクは、僕の正面に向って来た。僕の進路を塞ぐ形であった。そのバイクは、僕の目の前で、後輪のブレーキをキーッと掛けると、横滑りして止まった。バイクの後輪から、アスファルトを擦り付けた黒いタイヤの線と白い煙を立てて、オイルの匂いを充満させた。
 カワサキ・Z400GP。
 僕は、立ち尽くした。
 ライダーが、黒塗りのヘルメットを脱いだ。
「きよしちゃん」
 僕は、きよしちゃんに駆け寄った。
「どうしたの? これ?」
「野暮な事、聞くなよ」
「へー、かっこいい」
 僕は、嘗め回す様にバイクに触った。
「乗らないか? 」
 きよしちゃんは、僕にもう一つのヘルメットを手渡した。
 僕は、タンデムシートに飛び乗った。
「ゴー」
 僕は叫んだ。ヘルメットを被ったきよしちゃんは、右手の親指を突き出すと、後輪をスピンさせながら、発進させた。
 堪らなかった。
 きよしちゃんは、かっこよかった。
 僕は、風になった。飛んでる様だった。足元の大地が、後方へ物凄いスピードで追いやられる。爽快な気分であった。きよしちゃんと一体になれた。破けたマフラーの轟音が良かった。加速感。重心の移動。バイクから伝わってくる振動。
 う、う、わーっ。って感じだった。

 その夜、僕は、夢を見た。
 いつも見る夢であった。静かな廃墟となった異国の村。無惨に食い千切られた村人たちの屍体。大人から子供まで、生存者は居ない。烏が屍体を突いている。着ている服と破壊された建物で、相当昔のことだと分かる。自動車や自転車、街灯などの金属製品は見当たらない。物凄い死臭。血臭と腐臭。その中を、僕は無表情に通り過ぎる。もう慣れっこであった。こういう場面を見慣れているのである。
 次の瞬間、僕は、暗い洞窟か、石造りの建物の中に居る。壁が見えた。石造りの壁。手で触れてみる。ザラッとした感触があった。
 僕は夢を確かめたのだ。
 もう何回も見た夢である。自分が夢の中に居る事も分かっている。
 この後、僕がどうなるかも―
 この夢には、感触が有る。触覚だけではない。この夢には、臭覚、味覚も兼ね備えている。
 だから、また始まったと分る。
 丹念に組み合わされたブロック状の壁は、いつもの様に、隙間がない。乾燥した石壁には、細かい砂が付着していた。僕は、掌を擦り合わせて砂を落とした。
 其処は、通路であった。映画で見たピラミッドの内部の様に見えた。その通路が、闇の中、更に深い闇へと続いている。気味の悪い闇である。暗闇に潜む“なんとなく嫌な感じ”とは、まるで違う。
 不吉な予感―
 禍々しいものが、待ち受けていると言う確信に満ちた闇であった。其処は玄室へと繋がる通路、闇の気配が、僕に襲い掛かってくる。
 僕は、一瞬立ち止まった。闇に目を凝らす。真っ暗なのに、僕には、周囲の状況が見えた。その中を僕は、独りで歩いて進んだ。地獄の様な暗さであった。闇が息吹をもって、動き出した。
 来た。僕は思った。
 闇が、形を整える。闇が、魔物へと変身した。
 毛むくじゃらの化け物、角と牙を持つ恐ろしく大きな悪魔、翼を広げた大きな蝙蝠の様な鳥人、獣の咆哮を上げる獣人。皮膚が黒い鱗に覆われた鬼が、仁王立ちしている。
 魔獣であった。
 その鬼の股間から、拳を握りしめた大人の腕ほどもある男根が、首を左右に振り回し、陰茎の根元から伸びている気味悪い触手が、蠢いた。その巨大な男根が、口を開けて吼えた。饐えた獣の臭気が、漂った。凄まじい殺気が、僕に向かってきた。
 その魔物から、誰かが、僕を守ってくれる。
 誰かが、僕の中に居る。
 そうじゃない、誰かの中に僕が居るのだ。
 その誰かは、強かった。
 魔物を次々に倒して行く。魔物の腕を千切り、首を捻じ切り、腹を割いて内蔵を引き摺り出す。生臭い血の臭気が、僕を包み込む。その誰かは、矛を持ち、魔物の体を切り刻んだ。僕は目の前で繰り広げられる身の毛もよだつ光景から目を逸らした。鬼が啼く地獄絵であった。気分が、悪くなった。吐き気がする。でも、僕は目を逸らせなかった。逸らすことが、出来ないのだ。その誰かの視点と僕の視点が一致しているのだ。
 そして、その誰かが、突然、居なくなった。僕は、無防備になった。僕は、不安になった。
 四方八方から、魔物が、襲い掛かって来た。魔物は、手に恐ろしい先の尖った武器を持っている。
 その武器が振り上げられた。そして、僕を目掛けて、振り下ろされた。僕は、悲鳴を上げた・・・

 ハッとして、いつも、其処で目が覚める。「ここは何処? 私は誰?」の世界である。今見た悪夢が現実なのか、目覚めた今が現実なのか、判断が付かなかった。それ程に、リアルな夢なのである。夢の中にいる時は、間違いなく現実だと悟る。しかし、夢から覚めて、迷う。映画『マトリックス』のキアヌ・リーブスになった気持ちである。
 僕の体は、汗でびっしょり濡れていた。僕は、布団から出て、窓の外を眺めた。この夢を見ると、決まって不安になる。何か途轍もなく危険な事が、起こるような気がする。何か途方も無い大惨事が、起こるような予感がする。
 僕は、何かをしなければ、ならないんじゃないのか?
 何か遣り残した事があるんじゃないのか?
 そんな気持ちになる。
 そして、心配する事は何も無いんだと、自分に言い聞かせた。それでも、不安は消えなかった。
 次の日から、僕は盗みに参加しなくなった。きよしちゃんは、何も言わなかった。
「これ、キーボーが欲しいと言ってたヤツ」
 きよしちゃんは、そう言って、プラモデルをくれた。ガンプラである。
「嬉しいけど持って帰れない」と言った。すると、ここで作るという事になった。
 僕は喜んだ。
 プラモデル以外にも、いろんな物をくれた。
 グローブ、バット、ボール、漫画、本、シャーペン、ノート、Tシャツ、シューズ、ジーンズ、ゲーム、自転車、ミニカー、スタジャン、ベルト、パン、ジュース、お菓子、そして、夢・・・
 ひと時の贅沢な夢であった。
 僕は、母さんに隠れて使った。見付かりそうな物は、いろんな場所に隠した。絶対に母さんに見付からない所に、である。
 僕は、悪夢の事をきよしちゃんに相談した。
 きよしちゃんは、カワサキ・Z400GPのシートに腰を掛け、ヘルメットをタンクの上に置いている。暑い日差しがタンクを焼き付け、きよしちゃんの額から汗が流れている。
「キーボー、お前、前世で何か悪い事をして、地獄に居たんじゃないのか? 」
「・・・」
 僕は、海岸を眺めた。海岸道路の防波堤に腰を下ろして、コーラを一口飲んだ。
「閻魔大王って、どんな顔をしてた? ん、ハ、ハ、ハ・・・」
 きよしちゃんは、無邪気に笑い、タバコをふかした。
「・・・」
 きよしちゃんは、相手にしてくれなかった。僕は、もう一口コーラを飲んだ。
 僕は、きよしちゃんに相談するのを止めた。
 僕の気持ちは、誰にも分からない・・・
 夏であった。
 遠くに見える海水浴場が、人で溢れていた。黄色いビキニ、白いワンピース。日焼けした肌が、乳房の膨らみが、太腿のピンク色が、揺れている。
 ビーチサンダルが砂を蹴り、ビーチボールが跳ねた。

 悪夢は、行き成り襲い掛かってくる。
 それは、突然の事であった。
「キーボー、これ、いいんじゃないか? 」
 今日も戦利品を分け合っていたら、いきなり、ドスン。床が揺れた。橋の下の「家」の板を、ぶち抜き、覗き込んできた大人が居た。その大人と目が合った。
「居たぞ。橋の下だ」
 その大人は、直ぐに、頭を引っ込めると、「家」を壊し始めた。
「逃げるぞ」
 きよしちゃんが言った。遂に、保護監察官が来たんだと思った。僕ときよしちゃんは、無理矢理、引き摺り出された。人間の力とは思えない程の強さであった。それでも、喧嘩慣れした僕たちは、一瞬の隙をつき、上手く大人の手を逃れた。
「しまった」
 その大人が言った時には、僕たちは、駆け出していた。見ると、大人は三人居た。近くの駄菓子屋に駆け込んだ。店の裏から出て、二手に分かれて逃げた。二手に別れた方が、逃げられると思った。しかし、大人達は、僕には目もくれず、きよしちゃんだけを追い掛けた。ずーっと向こうの方まで、走って逃げて行くところまで見えた。きよしちゃんは、 足が速い。
 狙いは、きよしちゃんだけであった。
「きよしちゃん、頑張れ! 早く、逃げろ! 」
 僕は叫んだ。公園の手前で、きよしちゃんは、タックルをされて倒された。三人がかりで、押さえ込まれてしまった。
 僕は、走った。全速力で走った。僕は、きよしちゃんを助けるんだ・・・
 しかし、間に合わなかった。止めてあった車に、きよしちゃんは詰め込まれ、連れ去られた。僕は、為す術無く、ただ立ち尽くした。
 とうとう来るべき日が、来てしまった。何時かは、きよしちゃんは、保護されるだろうと、母さんが言ってた。その予言が的中した。その予言が的中した事が、腹立たしかった。きよしちゃんの最後の言葉は、
「キーボーは、あっちに逃げろ!」
 自分と一緒だと危ないと知ってたんだ。そして、僕は、一人ぼっちになってしまった。僕ときよしちゃんの数ヶ月の青春は、終わった。

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