内側の世界
天乃大智:作

■ 第5章 別れ6

死ぬなら死んで構わない。
もう直ぐ地面に激突すると思ったところで、きよしちゃんに掴まれた。
僕は足を掴まれて、逆さ吊りになった。
そして、ゆっくりと地面に降ろされた。
黒い悪魔は、赤い悪魔を引き摺り出すと、背後から腹部に鉄拳を叩き込んだ。
赤い悪魔は、体をくの字に曲げ、口から胃袋の内容物を吐き出した。
その時、母さんを取り落とした。
僕は、あっと叫んだ。
母さんは、壊れたベランダに引っ掛かっていたが、直ぐに緑地帯の躑躅(つつじ)の上に落ちた。
僕は、きよしちゃんの腕を振り切って走った。
黒い悪魔も、一瞬、母さんに気を取られた。
その一瞬の隙に、赤い悪魔が、とん、と地を蹴って舞い上がる。
その後を、黒い悪魔が追う。
風圧が、辺りを薙(な)いだ。
二機のヘリコプターが離陸するようであった。
二匹の悪魔は、天高く舞い上がり、遂には、見えなくなった。
僕が、母さんの傍に膝を突いて、脈を取る。
大丈夫、生きてる。
僕は母さんの胸の上に、癒しの掌を翳(かざ)して、念じた。
母さんは、直ぐに目を開けた。
気絶していただけの様であった。
しかし、母さんの目には、得体の知れない影が宿っていた。
「母さん、僕だよ、もう大丈夫だよ」
 母さんの瞳が、大きく見開かれた。
 恐怖。
 嫌悪感。
 不安。
 憎悪までもが、母さんの瞳の奥にあった。
「悪魔だ、お前も、あんな悪魔になるんだ・・・」
 母さんは両肘を使って、僕から身を引いた。
 恐ろしいものから、逃れるように・・・
 僕は、唖然として佇(たたず)んだ。
僕の顔から血の気が引くのが、分かった。
僕の頬は、痺れて痙攣した。
 ご近所の人達が、顔を覗かしている。
その中から、派手なブランド品に身を固めた、鎖の付いた眼鏡を掛けた大家さんが、騒がしく出て来た。
小太りの小母さんであった。
何か喚(わめ)いている。
「弁償だよ、金は有るんだろうね」
「今度こそは、出てって貰うよ」
 そんな事を叫んでいる様であった。
母さんは立ち上がり、謝っている。
僕は、その様子をボーっと見ていた。
人間の姿に戻った、きよしちゃんが百枚1束の1万円札を3束渡すと、小母さんはニッコリした。
「直ぐに出てって。今すぐに」
 小母さんは、捨て台詞を残すと姿を消した。
きよしちゃんが、母さんを連れて行った。

しばらくして、きよしちゃんが戻って来た。
僕は、まだ、ボーっ、としていた。
母さんは、どうしてあんな目で僕を見るんだ。
僕は化け物じゃないんだ。
僕は人間だ。
僕は、青ざめた顔を、きよしちゃんに向けた。
「お前の母さんは、悪魔に殺され掛けたんだ。無理もない。今は気が動転しているから、そっとしておこう。自分が何を言ってるのか分かっていないんだ」
「・・・」
 僕は、早くここを立ち去りたかった。
僕の事を誰も知らないところへ・・・
「これ、お前の母さんからだ」
 きよしちゃんは、僕にバックパックを渡した。
中にお弁当が入っているらしい。
「母さんの事、悪く思うなよ」
「・・・」僕は、黙っていた。
「お前の母さん、今から荷造りして引っ越すんだと・・・、誰も知らないところへ行きたいんだって・・・」
「・・・」
「お前に『さよならを伝えてくれ』と言われた」
 僕の心は、決まった。

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