内側の世界
天乃大智:作

■ 第6章 夜空(やくう)5

日本の山深い秘境の奥の奥に、その古城は聳(そび)え立っていた。
日本の城ではない。
中世ヨーロッパ風の城にも似た、石造りの尖塔を幾つも備えた古城であった。その古城は、川の上に建造され、城の下を川が流れている。巨大な谷を繋(つな)ぐ巨大な橋に見えなくもない。
苔が蔓延(はびこ)り、木々に覆われていた。
重厚な、城壁に囲まれた橋といったところか・・・
僕は、目を覚ました。
この世の終わりを迎えた様な絶望感が、僕の精神にまとわり付いていた。
暗闇であった。
目を開けても、閉じても変わらない闇であった。
いや、目を閉じた方が、目の奥で、光の断片が映る。
「お目覚めですか? 」
「・・・」
 丁寧な、優しい声であった。
僕は、声のする方に顔を向けた。
赤い光の点が、二個並んでいる。
薄っすらと幽鬼の様な白い影が、漂っている。
「今宵は、ここで休まれると良いでしょう? 」
「・・・」
 僕は、時間感覚、空間感覚を失っていた。
ここはどこ? 私は誰?
 そして、僕は、突然、気付いた。
大声を出していたのであった。
「きよしちゃんは? 」
 僕の声は、喉の奥に閊(つか)えた。声が掠れて、思うように出せない。
「私たちが救出したのは、あなただけです。急流に流されていたのは、あなた一人でした」
 僕は、絶句した。
「あの岩棚に・・・きよしちゃんが・・・助けにいかないと・・・」
 僕は、身を起こそうとしたが、体が重くて起き上がれない。
「だめだ・・・早く・・・行かないと・・・」
僕は、譫言(うわごと)のように囁(ささや)いた。
「さあ、休んでください」
白い影の優しい言葉である。僕は、ベッドに押し戻された。
 僕は知っている。
きよしちゃんがどうなったかを・・・確か、きよしちゃんは、岩棚に叩き付けられて・・・あれでは、頭蓋骨陥没、脊髄骨折、その他の骨格も砕かれていた筈である。
その音も聞いた。
そんなあ・・・きよしちゃんが死ぬなんて・・・いや、天狗がそう簡単に死ぬ筈がない、だってそうだろう・・・きよしちゃんだよ! きよしちゃんが、死ぬなんて・・・僕の頬を涙が伝った。
「さあ、お休みください」
白い影の言葉は、催眠術のように僕の体を包み込む。
 きよしちゃんが、死ぬなんて・・・僕はどうすれば良いんだ。

「あんたは、誰なんだ? 」
 次に目覚めたときの、僕の第一声である。その第一声を発するのに、随分長い時間が掛かった。目覚めてから、僕がきよしちゃんの死を受け入れるのに要した時間である。
それでも、まだ信じられない。
そんなことが・・・起こるなんて・・・人の命なんて、いや、天狗の命なんて・・・こんなに脆(もろ)いものなのか・・・
「ご挨拶ですね? お礼ぐらい言っても、いいんじゃないですか? 」
 落ち着いた声に、僕はハッとした。
「そうだな・・・、ありがとう」
とりあえず、礼は言わなくちゃ。
「いいんですよ。私は、夜空(やくう)と申します。吸血鬼です」
 僕は、上掛けを跳ね除けて、上体を起した。
痛ててて、体の節々が痛んだ。
「ご心配には及びません。我々は、敵ではありません。敵なら、あなたを殺すチャンスはいくらでもありました。・・・そう、あなたの首筋にも牙の跡はありませんよ。今は、休んで下さい」
 僕は、胸を冷たい手で押されるままに、再び、横になった。
ぞっとする様な、冷たい手であった。死人の手である。
吸血鬼? 
鬼や悪魔、天狗の後は、ヴァンパイアかよ・・・僕は、途方に暮れた。これでは、狼男が現れるのも時間の問題だ。
「何か見なかったか? 」
「何か、ですか?」
「例えば、天狗とか・・・」
 僕が眠っている間に、吸血鬼・夜空は、僕を救出したところ―城郭を支える巨大な橋脚から上流へ遡(さかのぼ)り、あの岩棚を調べてきていたのである。
「いえ、何もありませんでした」
「本当に? 」
「はい、ただ・・・」
「ただ何だよ・・・早く言えよ」
「ただ・・・岩棚に血糊がべっとりと・・・付いていました」
 沈黙・・・やっと、僕は喉から声を絞り出した。
「誰か居なかったのか? 」僕の最後の望み・・・
「はい、誰も・・・」
「・・・」
やっぱり・・・きよしちゃんは、殺されて喰われたんだ。
長い沈黙。

「あの・・・」吸血鬼・夜空がその沈黙を破った。
白い影は、考え込んだ様子である。何かを話そうか、どうしようかと思い悩んでいる様子である。
僕にはどうでも良いことである。だから、沈黙に付き合った。
僕の意識が、きよしちゃんの死を受け入れ始めていた。
「どうして、俺を助けた? 」
僕は、頭に浮かんだことを聞いた。
「内側の世界(インサイド・ワールド)は、ヴァンパイアを有害生物と認定したからです。でも、あなたは、親切でした」
「何を言ってる? 」
僕には、理解できないことであった。
「ま、聞いて下さい。あなたとは、一万年以上のお付き合いがあります」
 僕は、14歳なんですけど―
「その恩返しだと思って下さい」
「俺の事を知ってるのか? 知ってる事を、全部話してくれ」
「あなたは随分変わられました。外見が、ですけど・・・でも、私には、あなたの魂が見えます。あなたは、復活なさったのです。お忘れのようですが、時期に記憶が戻るでしょう。
我々は、内側の世界(インサイド・ワールド)を追われたのです。一部の心ない者たちの所為で、ヴァンパイアは、有害生物とされたからです」
 白い影は、記憶を辿(たど)る様に話し始めた。
僕は、うん、と言って先を促した。
「プリウスと言う若い白人のヴァンパイアが居ます。
彼が、西欧系のヴァンパイアの血統を持っています。彼が鬼神様のご命令に背き、人間を食料にし始めたのが原因です。
私が、アジア系の吸血鬼の血族を率いています。
私は聖魔に追われ、命からがらアジアに逃げ延びたのです。私の一族は疲れ果て、生きる望みもありませんでした。血に飢え、自滅的になっていました。
そして、あなたに巡り会ったのです。
あなたは、鬼神様の息子。我々は、覚悟しました。私の一族は聖魔に追われ、200人に減っていました。戦っても勝ち目はありません。あなたは、『生きよ』と言われました。人間と共存して、永遠を生きよと・・・」
 白い影は、赤い視線を僕に向けた。
「そして、あなたは、『理想郷』を作れ、と言われました。私は、秘境に吸血鬼のコロニーを築きました。今も、続いています」
「ここが、そうなのか? 」
「ええ、そうです。あなたは、このコロニーの守護神なのです。さあ、眠って下さい。あなたは、もう直ぐ、目覚めます」

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