優等生の秘密
アサト:作

■ 21

 月曜日、貢太はいつもより少し早く学校へ来ていた。そして、真っ直ぐに教室ではなく職員室へと向かった。
「失礼します。梶原先生いらっしゃいますか?」
 言ってから、そのセリフを言うまでも無かった事に気付いた。職員室にいたのは、梶原一人だったのだ。
「仲原、おはよう。今日は随分早いな。どうしたんだ?」
 梶原は、にっこりと微笑んで、貢太を見つめた。梶原の手には、レトロなコーヒーの豆挽き器が握られていた。コーヒー豆の香ばしい香りが職員室には漂っていた。
「おはようございます。あの、金曜日にお話した件で、ちょっと……」
「あぁ……もしかして、もう気が変わった、とかかな?」
「……はい。すみません……」
 申し訳なさそうに萎縮する貢太に、梶原はやはり優しく微笑んだままであった。
「……ご両親に、感づかれたのかね?」
「いえ、そうじゃないんです。ただ……」
 なんて言おう? 本当のことなど、言って信用されるわけは無い。貢太は少し悩んでから、ゆっくりと口を開いた。
「ちゃんと、特進クラスに入れたのに頑張らないのは、特進クラスに入れなかった奴に対して失礼だって思っただけです。」
「……なるほど、な……」
 梶原はそう言って、少し困ったように微笑んだ。
「まあ、まだ誰にも仲原の進路の希望は言ってなかったしな。そんなに気にする必要は無いよ。」
「ありがとうございます。」
 貢太はそう言って、安心したように微笑んだ。それを見て梶原もさらに笑顔になる。
「コーヒー、飲むかね?」
「あ、じゃあ、頂きます。」
 5分ほどして、貢太の目の前にコーヒーカップが置かれた。
「ミルクとか、砂糖は……」
「あ、大丈夫です。」
「ブラック、飲めるのか。先生は、30過ぎるまでブラックコーヒー飲めなかったからなぁ。」
 少し照れくさそうに微笑む梶原は、とても優しい表情をしていた。雑談をしながら、貢太は、あわよくば京介と聡子の情報を聞き出そうと考えていた。
「先生……真田と、辻野って、いつもトップ争いしてますよね? どれくらいの点数いつも取ってるんですか?」
 貢太の言葉に、梶原は少し驚いたようだった。無理もない。ずっと成績最下位だった貢太が、週が変わった途端に他人の成績を気にし始めたのだ。梶原は少し悩んだ後、周りに誰もいないのを確認して口を開いた。
「そうだねぇ。真田は大体98点以上取るな。辻野は96点以上、といったところかな。」
「そんなに……」
 驚きのあまり言葉を失う貢太に、梶原は少し困ったように微笑んだ。
「多分、夏休みとかの長期の休みをかなり効率的に使ってるんだろうなぁ。」
「な、なるほど……」
 その後も少し会話を続けたが、貢太が望んでいるような情報は得られなかった。貢太はカップを梶原に渡し、職員室を後にした。その頃になると、職員室に他の教員もだいぶ集まってきていて、廊下には生徒の楽しそうな話し声が響いていた。

 教室に入ると、もう半数以上が席についていた。入り口を閉めると、廊下の喧騒が完全に遮断される。そういえば、特進クラスの教室は、防音設備がしっかりとしているんだっけ……思いながら、貢太は本を読んでいる聡子と京介を見やった。
(じゃあ、なんで金曜日、中の声が聞こえてきたんだろう……ドア少し開いてたのかな。)
 考えていると、チャイムが鳴った。そして、いつもどおり授業が始まり、いつもと変わらない時間が流れていく。先日までの出来事が、全部夢か幻だったのではないかと思うほど、普通だった。京介と聡子も、いつもと変わらぬ優等生だった。
「次の問題、仲原、解いてみろ。」
 ふいに名前を呼ばれて、貢太は顔を上げた。ホワイトボードに数式がかかれている。教師は早くしろと言わんばかりに、マーカーでホワイトボードをこつんこつんと叩いた。
「あ、はい。」
 のろのろと教壇に上り、問題を見つめる貢太の背に、女子の何人かが話しているのが聞こえてきた。
「解けるの? 最下位に。」
「絶対無理だって。だって、アタシ達よりアタマ悪いんだよ?」
「あはは、言えてるぅ〜。」
 勝手に言ってろ、と心の中で毒づいて、貢太は答えをすらすらとホワイトボードに記入していった。その手は、全く躊躇せず、解法も全て書いた。
「……正解だ。これだけ丁寧に書いていたら、解説も不要だな。次……」
 教師の解説が要らない、という言葉に、先程まで貢太の事をバカにしていた女子の表情が凍り付いていた。席に戻る時に、貢太はその表情を見逃してはいなかった。
 ふと、京介の方を見ると、京介は満足そうな笑みをその顔にたたえていた。
(なんなんだ、アイツ……)
 その笑みに、何か不気味なものを感じつつ、貢太は京介から目を背けた。

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