2008.06.26.

清めの時間
01
ドロップアウター



■ 1

 バカだよね、わたしって。これからすることを決めた今でもそんなふうに思います。
 わたしは、本当にバカです。逃げ出すこともできるのに、自分からわざわざ苦しいことを選ぶなんて。もしかしたら、バカじゃなくて、マゾかもしれません。

 六月も半分が過ぎていました。あの朝、わたしは教室の自分の席で本を読んでいました。
「玲ちゃん」
 少し遅れて登校してきた恵美ちゃんが、周囲を見回しながらひそひそと話しかけてきました。
「どうしたの?」
 恵美ちゃんは、クラスで一番仲の良い友達です。入学式の時から気が合って、それからよく一緒に過ごすようになっていました。
「あのね、えっと……今日の『清めの時間』、参加するの?」
 「清めの時間」というのは、今日から三日間、午後の授業を使って女子生徒だけが参加する行事のことです。一日目の今日は、わたし達1年生が参加することになっていました。
「……ちょっと待って」
 わたしは席を立って、恵美ちゃんを廊下に連れ出しました。特に男子には、聞かれたくない話だったから……。
「参加、するよ」
「えっ、どうして」
 恵美ちゃんは驚いて、声を上げました。
「玲ちゃん、『清めの時間』にどんなことされるのか、知ってるんじゃなかったの?」
「知ってる」
「じゃあどうして……玲ちゃんは、参加しなくてもいいのに」
「それも、知ってるよ。養護の先生に、教えてもらったから」
 一昨日、わたしは保健室で養護の先生から、「清めの時間」のことを聞いていました。
 それが、どれだけ過酷で、屈辱的なものなのかを……。

   ※

 私は、とある山のふもと町の中学校に勤める養護教諭だ。
 あれは、その日の二日前のことだった。昼休み時間、私が保健室で書類整理をしていると、一人の女子生徒が訪ねて来た。北本玲という名前の1年生だ。身体測定、内科検診と顔を合わせているから、見覚えがあった。
 学生らしいショートボブのよく似合う、真面目そうな少女だった。体つきは小柄で華奢だから、性格はおとなしそうに見えるけれど、話し方は意外にはきはきしている。
「聞きたいことが、あるんです」
 少しだけ表情が曇ったように見えた。
「あの、明後日の午後にある……『清めの時間』って、何をするんですか?」
「えっ、あなた……玲さんは、知らないの? ああそっか。あなたたしか、この四月にこの町に越してきたばかりだったわよね」
「はい。担任の先生に聞いたら、学校のじゃなくて、この町の行事というか、風習みたいなものだって。一応、この地方の伝統だから、参加しなきゃいけないんだって。でも、先生も詳しいことは教えてくれなかったんです」
 そりゃあそうだろう。男性教師が女子生徒に気軽に話せる内容ではない。
 私は、まずその風習の由来を説明することにした。
「昔ね、若い娘が男達に乱暴されて、殺されたの。その後、その娘と同じ年頃の少女達が、原因不明の病気にかかって次々に死んだらしいの。それが、その娘の祟りじゃないかって話になって、その祟りから逃れるために、この地方では、11から15までの娘は、三ヶ月に一度、この近くにある山の泉で体を清めなきゃいけなくなったの」
「……その娘さん、可哀想ですね」
 表情を曇らせて、玲はつぶやいた。
「玲さん、何だかとても……不安そうね」
 そう言うと、少女はこくんとうなずいた。
「友達に、このことを聞いたら、すごい暗い顔をして……だから、何か嫌なことでもされるのかなって、それで私、怖くなって……」
 この子、いい勘してるわね。私はそう思って、本当のことを話すことにした。
「じゃあ教えてあげる。でも、ちょっと辛い話かもしれないから、覚悟して聞くのね」
「は、はい……」
 玲は、一層不安げな顔になった。

 その表情に、私はサディスティックな欲望をかき立てられた。



 あれから二日が過ぎ、ついにこの日を迎えた。
 「清めの時間」は、今日から三日間に渡って実施される。今日は1年生の2クラスが参加する日だ。そう、あの女子生徒のいる……。
 昼休み時間になって、生徒の体調管理のため付きそうことになっている私は、準備を始めた。
 あの子は、どうするのだろう。玲という少女の、あの繊細で真面目そうな顔を思い浮かべて、私は楽しみになった。

「裸になるのよ」
 あの時、私がそう告げると、玲は体をビクッと揺らした。
「裸になって、泉の前で、全身を見られる恥ずかしさに耐えるの。それが死んだ娘への供養になるってわけ」
 玲の顔は、みるみる青ざめていった。
「その後、泉に入るんだけど……その前に、体についたけがれを落とすの。その時、体の色んなところを拭いてもらうのよ。恥ずかしいところもね。かなり強く拭かれるから、ちょっと痛いと思うけど。たぶん私と、あなた達の担任に」
「えっでも、担任の先生は、男の……」
「仕方ないのよ、それが決まりなんだから。女だけではけがれは落とせないって」
「そんな……」
「でも安心して。その場に立ち会うのは、養護教諭の私と担任だけだから。儀式の最中は、それ以外の人間は入れないようになってるの。ああでも、それでも、あなた達にとって屈辱的なことには、変わりないけどね」
 玲は、自分がそうされる場面を想像しているのか、黙りこくってしまった。
「でもね」
 私は、助け船を出すことにした。
「でも、あなただけは参加しなくてもいいのよ」
「えっ、どうしてですか?」
「あなたはこの町に越して来たばかりなんでしょう? この風習はこの町だけのものなんだから、自分はこの町の人間じゃないって言えば、参加しなくてもすむのよ」
「そう、なんですか……」
 玲は、少しほっとしたような顔をした。
 その表情を、すぐに曇らせることを知った上で、私は言った。
「でも、一つ条件があるんだけどね」
「条件、ですか?」
「うん。それはね……」

   ※

「条件、ですか?」
 わたしが聞くと、養護の先生は「うん、それはね」と答えました。
「この『清めの時間』に参加しなかった娘は、参加した娘と六十日間、話してはいけないことになっているのよ」
 私は一瞬、言葉を失いました。それは、裸にされて辱めを受けること以上に、私にとって耐えがたいことのように思えました。
「清めを受けていない少女は、あの娘に祟られる。祟られた者と関わりを持つと、関わった者も祟られるってわけ。バカげた迷信よね。でも、そういう決まりだから、どうすることもできないの」
 何も返すことができなくて、ただため息をついていました。
 養護の先生は、なぐさめるに言いました。
「どちらにしても、きついわよね。でも、あなたがこの学校で生活していく以上、どうしようもないの。どちらか一つ選ばなきゃいけないのよ。どっちを選ぶのか、この二日間じっくり考えなさい」

 それから二日間、私は悩みました。こんなこと友達には相談できないし、両親にも言えません。裸にされて体中を触られるなんて、想像しただけで気が変になりそうです。かといって、二ヶ月も友達から無視されるのも、耐えられそうにありません。
 すごく悩んで……私は、「清めの時間」に参加することを決めました。
 二ヶ月間、せっかく仲良くなった友達に無視されるくらいなら、あえて辱めを受けようって……。


 そして、「清めの時間」当日の朝、わたしは恵美ちゃんに覚悟を決めたことを伝えました。
「そんなの、やだ……」
 恵美ちゃんは、泣きそうな顔で言いました。
「玲ちゃんがあんなひどいことされるの、見たくない……」
「でも、恵美ちゃんだっておんなじことされるんだよ」
「あたしは小学校の5年生の時から経験してるから、慣れてるもん。すごい嫌だったけど、みんな一緒だし、お母さんにも、この町の女はあれを経験して大人になるんだって。でも玲ちゃんはこの町で育ったわけじゃないし、だから……あたし達の巻き添えになることなんかないって」
 わたしは、恵美ちゃんの肩をぽんとたたいて、微笑んでみせました。
「ありがとう、恵美ちゃんは優しいね。その気持ちだけでもうれしいよ。でも……」
 うれしかったけれど、でも恵美ちゃんには、わたしの気持ちは分からないと思います。
「わたし、二ヶ月も恵美ちゃん達に無視されるの、耐えられないよ。仲間はずれにされるなんて、いやだから」
「そりゃあそういう決まりだけど、でも、先生達が見てないところだったら大丈夫だから。こんな嫌なこと、逃げたからって誰も本気で玲ちゃんのこと責めないと思うし、だから」
「恵美ちゃんごめん、ほんとにごめんね。わたし……」
 みんなつらい思いをしなきゃいけないのに、自分一人だけ逃げるなんて、そんなの……そんなの、いや!
「とにかくもう決めたことだから。だからお願い、もう何も言わないで」
 私は恵美ちゃんを廊下に残したまま、きびすを返して教室に戻りました。
「玲ちゃん……」
 恵美ちゃんの涙声が聞こえました。

 わたしは……わたしは本当に、ばかです。でも、許してもらえるでしょう? 責任は、ちゃんと自分で取るつもりなんだから……。



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