2009.10.21.

古豪野球部、エースは女子?
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でるた



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 日本高等学校野球連盟は大会参加者資格規定で、参加資格の適合条件に男子生徒のみという明文を改定した。改定文には生徒の前に男子という修飾語はなく、連盟では女子生徒の参加を全面的に是認する方向で一致した。背景には高校野球の参加規定に関して固陋する連盟の態度に世論の逆風があった。そして条文の改定から10年の歳月が過ぎた。この物語は、その年の高校野球を描いたものである。

          ◇

 県立豊水(ほうすい)高校野球部は30年前に甲子園に出場し、全国準優勝している古豪。しかし最近ではめっきり威勢を欠き、全国大会出場から20年間は遠退いている。学校は県の西部にあり、太平洋岸に面した場所にある。また、県の内陸側は土地が山岳を形成しており、海岸付近は台地となっている。気候は四季折々で寒暖差はあるが、その幅は小さく四季をとおして国内では比較的温暖な気候である。ただ、学校が海岸沿い近くにあるため風通しは良く、夏は熱気を海上からあがった冷涼な風がさらっていくから相対的に過ごしやすい。加えて、温暖な気候が蜜柑の栽培に適しており、県の特産品となっている。

 倉持卓(くらもち すぐる)は父親の直人(なおと)が運転するシルバーセダンの助手席で、床にある後傾角度の調節レバーをいじって背凭れを大きく下げた。
 仰向けになる時、息苦しいまでに腹部を締め付けるシートベルトを外した。
「どうした? 調子が悪いか?」
 直人が訊いた。卓は天井から見上げたまま、「おう」と声に出した。
 卓の背丈は177cm。恰幅はいいほうではないが、細身というわけではない。短く切り揃えられた黒の短髪は如何にもスポーツ少年らしい。面立ちは、濃い眉毛が印象的。着ている衣服は、金色のホックと桜の花弁が彫刻されたバッチの付いた黒い学ラン。
 運転席に座る直人は、淡い水色の長袖と茶色の半ズボンというラフな出で立ち。身長は160cm半ばと、背は卓より低いが顔は少し似ている。
「ここら辺の道は舗装されてないから、オウトツが酷いんだよな…」
 直人がそう言っている最中にも、車は道路のデコボコにゆっさゆっさと揺れた。卓は車窓から差し込むぎらぎらの陽光から目を背けるように瞼をぎゅっと閉じた。そのまま浅い眠りに思考がずぶずぶとめり込んでいく。
「もうすぐ豊水高校が見えるぞ」
 瞼の外から声をかける直人の言葉に卓は寝息でこたえていた。直人はハンドルを持ちながら流し目に眠っている卓の姿を見付けるとさっとフロントガラスに向き直った。車は排気音をたてながら相変わらず上下に揺すられながら進んでいく。
 しばらく時間が経った。厳密にはわからないが、そう思った頃に卓は瞼をピクピクと反射させた。
「おい、卓。高校が見えてきたぞ。目を覚ませ」
 直人の角張った手に身体を揺り動かされて、卓は目を開けた。
 寝起きで不機嫌そうな顔をする卓を直人は笑った。
「席を起して外を見てみろ。気持ち良いぞ!」
 直人に言われるままに卓が車窓を覗くと、蒼穹に昇天した陽の下に、連なった一軒屋と点在して見える更地に叢生する青草が絶え間なく流れていた。景観を瞳に宿しながら、卓はまどろんだ。川のように確実に流れているのに、風景はまるで変わらなかった。その光景は他愛なく、しかし自然と心が和んだ。

「卓。前だ。前を見てみろ」
 直人の言葉に反応して、卓はフロントガラスに目を移した。初めに、十字架の頭をもいだような屋根を接合した白亜の建造物が目に入った。小さくみえる窓が等間隔に平行に並び、地層のように距離をおいて重なっていた。左手に窓のない壁があり、そののっぺりとした白亜に金属製のいくつかの文字板が取り付けられていた。それは陽光が反射してよく見えなかったが、車が建造物を回りこむようにして道路を曲がると、はっきり見えた。「県立豊水高等学校」とあった。次にそれを囲繞するように立ち並ぶケヤキと電線に繋がれた電柱が目に入った。そして車は整備された道路をすいすいと滑走していく。肘掛の傍にある車窓を開閉する装置に左手の指先を押し込んで、助手席の車窓を下げると心地好い冷えた風が入ってきた。風は卓の短髪をしなやかに撫でた。俺はこの学校で甲子園を目指す。卓は豊水高校に進学すると決めてから再三再四確認するように心内で呟いたのを思い起こした。今、その想いが具現化していくのを感じながら、卓は校門に回りこんだ車のフロントガラスの先を見つめた。校門は、7m離れた両脇に漆喰に塗られたコンクリートの隆起と2mの高さがある黒金の鉄柵で構成されている。校門は半ば閉められており、車は進入できない。直人は校門を通り過ぎて、十数メートル離れた道路の端に、車を一時停車させた。そしてテールライトを点滅させる。
「卓。着いたぞ。ここは、お前がこれから入る学校だぞ」
「ああ。わかっている」
「俺はここで待っているから、気にしないで納得するまで十分見てこい」
 卓は直人に頷いて、車の扉を開けた。左足をにゅっと出して、その土地に初めて足先をつける。奇妙な感覚だった。一瞬視界がぐらりと反転したように感じた。気分が悪くなったが、卓は構わずに校門に歩いていった。辺りは静寂に包まれていた。僅かな小鳥の囀りや卓自身の靴音以外まるで音はしなかった。卓は校門で鉄柵の間隙を擦り抜けていった。その地点から数歩進むと突如誰かの視線を感じた。卓はその視線を感じた方向に身体を振り向ける。遠くに人影のようなシルエットが見えた。卓はその姿を凝視した。そしたら、急に金縛りにあったように身動きがとれなくなっていた。少女だった。瞳に映ったのは校舎の前に佇む少女の姿だった。着ている衣服は、どこかの学校の制服なのだろうか。上着とスカートは共に鈍色の生地で作られている。流れ込んだ冷風に少女の穿いているスカートがはためいていた。
「あ、あの…」
 卓は言葉を失った。少女の立姿が何故か神々しく巍然として感じられたからだ。
 少女はボブに調髪した黒髪を棚引かせていた。黒目勝ちのくるりとした目をじっと卓に向けていた。その両目に見つめられながら卓は確信していた。俺は彼女に恋をした、と。

 凝然とした卓を見兼ねたように少女は徐々に歩み寄ってきた。歩きながら少女は口元を動かした。
「君もここの新入生?」
 少女の婀娜っぽい唇の動きに、卓は胸奥を突き上げられた。
「そ、そうだけど…」
 そして気が付いた。先程の少女の言葉が疑義を呈していたこと。君も? 卓は顕然とした眼で少女を認めた。少女は歩きながら卓の数歩手前まで行き、歩調を緩めた。
「私も豊水野球部に入部する予定なの」
 卓の疑念を透かし見たように少女が言葉を継ぎ足す。卓が目を見開くと、少女はくすりと口元を笑わせた。
「君も野球部に入るんだね。知っているよ。
君のこと、見たことがあるから」
 先刻のしめやかな振る舞いから打って変わり、少女は感興の赴くまま卓を回るように歩き始めた。少女は流し目に卓を見ながら、嬉嬉としていた。
「あんたが、野球部に入る?」
 愕然とした様子で卓が訊いた。少女はあからさまに笑った。
「そう。ポジションは投手。そういえば君も投手だね」
 少女は立ち止まると、卓に向き直った。そして左手を差し出す。
「これからはお互いライバルなんだね」
 左利きなのか。卓はそう思いながら、差し出された少女の掌に自身の右手を握り合わせた。少女の手は木目細かくひんやりとしていた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。
私は比嘉李子(ひが りこ)。よろしくね」
 李子の身長は、164cm。女性にしてはそれほど低いというわけではない。体躯は華奢ではなくどちらかといえば頑健なのだが、傍からは女性らしくたおやかに見えた。それも制服の袖やスカートから覗く腕や脚がほんのりと赤みがかかった白さで、マシュマロのような風味に感じ取れたからだ。胸に突き出た双峰の乳房も柔和な風合いを漂わせていた。それに競うように突き出た臀部も同様。膝丈で折りひだの付いたスカートにおさまる恰好の好い尻は、男たちの注目の的になるはずだ。
 卓は改めて李子を見た。やはり可愛い。特に良くすいた黒髪のボブと大きく澄明な黒い双眸が異様に映えていた。ちんまりとのった小鼻も美しい弧を描いた唇も愛らしかった。
「なに見てるの? いくよ」
 李子は卓の右手を解いた。そして校舎の右手にあるグランド側に歩き出した。卓は立ち止まったまま、李子の後に続こうとしない。卓の呆然とした様子を見越して李子は唐突に振り返った。
「野球部を見学しにいくんでしょ? ついていかないの?」
「…あ、ああ」
 卓は正気づいたように、急に歩みを開始した。李子は卓と並ぶまで待っていた。二人は、10本余りの支柱より吊り下げられた20mのバックネットでグランドから遮られた迂回路を連れ立って進んだ。ベンチは、グランドの真北にある。緑色のネットの網目から運動場で溌溂と練習する野球部員達の姿が垣間見えた。金属バットが球に当たる快音や呼び掛けあう野球部員達の掛け声が木霊する。西側の通路には陽射しによりネットの影が通路にのびていた。通路を進むと、左手に校舎のバルコニーが見えた。校門の正面から見た校舎の側面は玄関であるため、数階を吹き抜けた広壮な空間だっただけに階数を計り兼ねた。しかしバルコニーによって校舎が四階建てなのを知った。道をぐるりと右に曲がると正面にベンチが見えてきた。ベンチはプラスチック製の長椅子だった。ユニフォームを着た三、四人の部員達がベンチに座って立て続けに大声をあげていた。グランドの円周となる通路を挟んだネットの反対側は、3mの金網フェンスで覆われていた。そのフェンスの先には道路があり、またその先には民家が見えた。
 道を進んでいった卓と李子は、ベンチの近くで立ち止まった。ベンチには先程見えた部員達以外に、野球帽をかぶり部員達と同じユニフォームを着た男性の後姿があった。メガホンを口元に当てて、部員達を威喝している。その人に、卓と李子は面識があった。
「蠣崎監督」
 李子がその男性の背中に声をかけた。

 蠣崎紀夫(かきざき のりお)が間の抜けた顔で卓と李子を振り返った。その顔は、卓と李子の顔に焦点を絞ると驚いたのか、どぎまぎした不自然な笑顔に変わった。蠣崎は白髪交じりの短髪を右手で掻いて言った。
「そういえば、今日来ると言っていたなあ」
 五十路を過ぎた顔が、愛想笑いで一層に深く皺が刻まれていた。李子は凛と顔を引き締めて頭を下げた。
「よろしくお願いします。比嘉李子です」
 卓もそれに倣うように頭を下げた。



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