2007.03.30.

狂気の住処
02
ビーウスの友



■ 2

 月が見下ろす廃墟の中で、大月と加藤、角田の三人は部屋の各所に据え置かれた受け皿に乗った蝋燭に火を灯していく。
 電線が敷かれていないこの地域は、光源を火に依存する他ない。
「やっぱり発電機がほしいですよ…」
 思わず加藤は本音を漏らした。
 廃墟に数十本もおかれた蝋燭に百円ライターで一々火付けする手間を考えたら、妥当と言えなくもない。しかし大月も角田も顔をしかめた。
「馬鹿野郎、いくらすると思ってんだ? そんな愚痴垂れてる暇があったら、さっさと晩飯の支度をしろ」
 大月が加藤をどやす。加藤は渋々退いた。
「加藤、お前の言い分もわかるが、俺達は貧乏だ。よく考えるんだな」
 角田が言いながらフェリーから引き下げた積み荷の打ち紐を摘む。加藤は角田の作業を手伝いに、置かれた荷物の前に屈んだ。
 フェリーの積載物であるナップサック型の荷物には水と食料以外余分なものは滅多に入っていない。
 加藤には何処からこれらの物品が運行されてくるかわからなかったが、外部の誰かが何だかの契約に基づいて、仲間と手引きしているだろうことは予想していた。
 加藤は手慣れた感じに紐を解く。いつもながら角田は加藤の紐解きの手腕に驚かされる。
「どうしてそんなに簡単にいく?」
 角田は子どものように見真似してみるが、紐は余計に絡まるだけだ。加藤はその様子を横目で窺っていた。
 見るところ角田は細かい仕事には不向きな男のようだ。
「角田さん、僕に貸してみてください」
 遂に見兼ねたのか、加藤は角田の前に上体を割り込ませ、代わりに荷物の紐をほぐしてやった。おそらく荷物を詰め込んだ側の癖であろう、結び目が必要以上に複雑だった。
 角田は加藤の手先の器用さに感心したのか一度頷くと立ち上がり「荷物の取り出しはお前に任せる」などと勝手なことを言い残して持ち場を離れた。
 外に出ていく角田を恨めしそうに見送って、加藤は作業を再開した。
 入れ違いに石製の平板を引きずった大月が部屋の入り口を潜った。歯を食いしばる大月の面相はまさに野獣そのものではないか。加藤はなるべく目を合わせないようにする。
 普段、一寸暇があればとやかく詰ってくる大月は、作業に入れ込んでいる時は一言も口にしない。縞馬のように静かだ。
 それ故、何かしらやることがあるということは退屈さを紛らわせてくれると同時に加藤にとってはまたとない安らぎの一時なのである。
 加藤はあらかた荷物を解くと、中身を取り出し始めた。
 予想していたがやはり缶詰だらけだ。しかし、缶詰の多くは異種の食材が入っている、つまり果物や魚肉、スープであったりするためバリエーションは豊富だ。このことは長い隔離生活をしている仲間達に飽きを忘れさせてくれる利点でさえあった。
 また、たまに新聞や雑誌の切れ端、広告紙などが物資の包装用に使われている。周回遅れではあるが、外界の貴重な情報である。
 加藤はそれを一覧するのが楽しみだった。

 宮坂は新島を振り返る。
「新島、もう少しだ。ボートに乗れば、住処まで直ぐだからな」
「はあ…はあ…はあ」
 新島が息を荒らげた。廃墟までの実質距離の中間に差し掛かった二人は約定通り女の担ぎ手を切り替えた。しかし、宮坂が見込むほどの体力は新島に備わっていなかった。
 ぐずぐずする新島に溜まりかねて宮坂はその軟弱な男の穴を撲って、林道の先を駆り立てた。
 新島は震える両膝を何とか交互に進ませる。宮坂が先に回り込んで激励し、その向こう側には帰路のために用意されたモーターボートが浮かんでいた。
 やっとこさ新島がボートに辿り着く。新島の草臥れた背中から女を預かり、宮坂がボートに横たえる。
 新島は顔からボートに倒れ込んだ。宮坂がボートからはみ出した新島の足を納める。
 ガスタービンを始動させると、ボートは唸りだした。

 ボートは緩やかに停止した。
「新島…新島」
 宮坂が新島の肩を揺する。新島はうっすらと目を開けた。上体を怠そうに起こす。
「着いたんですか?」
 半眼で周囲を見回す新島を宮坂の足が横切った。宮坂は備え付けてあった櫂でボートを岸に引き寄せる。
「じゃ、一仕事やるか…。新島、手伝え」
 新島の髪をくしゃくしゃにして、宮坂が女の脇を持ち上げた。
 新島は寝惚け眼に女の足を見つめ、抱え込む。
 二人はボートから女を運び出した。
 住処までの道のりは短い。宮坂は新島のふらつく足つきを見て、担ぎ手は無理だと踏んでいた。自身が女を担いで廃墟を目指す。
 二人がしばらく獣道を進むと、乏しい蝋燭の明かりが点々と灯る廃墟が見えてきた。
「リーダー、すいません。自分、面目ないです」
「いいって…」
 宮坂の言葉に新島の身体が反応した。
 頭を垂れた新島が、目を見開いて宮坂を仰ぐ。
「リーダー、一生付いてきます!」
 心を打たれたのか新島の目が水気を帯びた。
「ただし…。この女を抱くのは諦めろ」
 神仏に帰依する信者よろしく凝視する新島を、宮坂は通り過ぎていく。
「そ、そんな…っ」
 直ぐ後ろを新島の声が追い掛けてきたが、宮坂は取り合わなかった。
 宮坂の目に廃墟の前に立つ男が映る。

「リーダー、遅かったですね」
 迎えに出ていた加藤が二人に駆け寄った。

 月に懸かった雲は仄かな妖気を匂わせる。
 川瀬は車の運転席から、密かに女を物色していた。眼鏡越しに女を見つけては品定めする瞳孔は獲物を狙う肉食動物のそれに酷似している。
 ネオンの明かりが行き交う人の影を列ね、川瀬の眼鏡レンズに被さる。
 ふと、川瀬は表情を止めた。ある女性の姿がクローズアップされ、川瀬の目が緩やかにその残像を求めるかのように追う。
 川瀬はエンジンをかけると、ゆっくり車体を前へ出す。ハンドルを切ると、女の姿が路地の死角から見えてきた。
 川瀬はハンドルに爪を食い込ませた。女の後ろ姿を遠くに捉えたまま、間隔を詰めることなく、人気がなくなるのを辛抱強く待つ。
 暗い街路を女のハイヒールだけがツカツカと響く。川瀬は前照灯を減光し、徐々に女の背後へ忍び寄る。
 女は怯えていた。背後を車が追尾していることは薄々感付いていた。逃げ出しては、すぐさま追いつかれ、連れ去られてしまうのではないのか。女は肩に提げたバックを頻りに強く抱く。
 そう考えている内に車両はどんどん距離を縮めていく。女は足を止めた。
 振り返って、その男を見たら逃げよう。そうすれば警察が手配してくれる筈だ。女は拳を握り締め、決意した。鼓動がだんだん高鳴っていく。
 顔を後ろに向けようとした時、女は正面に何者かが寄ってくるのを察した。
 女はビクッと身体を震わせて、振り返るのを止める。一体誰だろう、女は不安に駆られた。外灯の下で女が注視していた人影が立ち止まる。青白い光に照らされた何者かの正体は明らかに男であった。
「どうしました?」
 男が不思議そうに女を見た。地域の人だろうか、ジャージを着てほのぼのとした雰囲気が漂う。女は九死に一生を得た思いで、ほっと息をつく。
「あの、助けてください。後ろの車に追われているんです」
 女は男にだけ聞こえるように声を殺した。車の運転手に聞かれない為だ。
 男は暗黙の了解で頷いた仕草を見せると、女の向こう側を爪先立ちになって見遣った。
「どこの車ですか?」
「すぐ後ろの車です」
 女が男に説明する為、背後を顧みた。車は尚も近付いている。
 女は車を指すように腕を持ち上げるが、その動きは途中で止まった。
 女は愕然としていた。車の運転席には誰も乗っていないのだ。
「一体、どういうこと…」
 そう思った瞬間、女は先程の男に抱き抱えられた。女はすぐさま口を布のようなもので塞がれる。悲鳴はくぐもり、近所に聞こえない。
 女は意識が遠退く中、必死に男に抗った。
 髪を振り乱し藻掻く女の目には自分の身体に纏まり付く、男の眼鏡が映っていた。
 その男こそ、川瀬であった。

 川瀬は女に車両を自動的にゆっくりと接近させ、自分は運転席を下り、女が車に注意を取られている間に、女の正面へ裏道を使って回り込んでいた。
 女には近所の人間であるかのように見せ掛ける為、無知の他人を装う。
 そして、女が助っ人を得た安堵で油断したところを、川瀬自身が他人の面を剥ぎ、仕留めるというわけだ。

 川瀬は反芻しながら、気を失った女を抱き寄せた。

 宮坂は椅子に伸びていた。椅子に座った新島が心配そうに目をやる。
「リーダー、大丈夫ですか…?」
 新島の問い掛けに宮坂は反応しない。新島はたじろいだが、やがて耳に宮坂の微かな寝息が届く。
 眠っているんだ。新島は安心して肩の力を抜いた。
「リーダーが不憫だぜ」
 大月が皮肉る。新島には自覚があるため、言い返すことはできない。
 大月は反撃しようとする気配のない新島を羊のように蔑み、女を運ぶ。廃墟の二階は情事の場所と使われていた。二階からは一階に下りる階段がないため、一階の仲間が梯子を切り離してしまえば、容易に女が逃げられないからである。
 巨漢の大月は女を担ぎながら梯子を上るという芸当を成す。仲間の中では角田もできるが、適当ではない。
 大月と入れ違いに加藤が入ってきた。加藤は部屋の外から大月の罵を聞いてしまった。
 加藤は俯く新島を見るなり、居たたまれなくなって声を掛ける。
「新島さん、気にしないでください。僕も同じような失敗があるからわかるんです。
新島さんは頑張りましたよ。ただ…」
「やめとけ」
 ワインの入ったグラスを手に持った角田が容喙する。
 角田は宮坂に歩み寄る。宮坂の手にグラスを握らす。
「リーダー、ワインです。飲めば、疲労が少しは回復するかも知れません」
 宮坂はぼんやりと目を開け、ワイングラスを手元で回しそれを飲み干した。再び目を閉じ、いびきをかく。
 角田は宮坂から空のグラスを受け取ると、加藤に向き直った。
「大月の言っていることは正しい。お前らが力無しじゃ、リーダーや俺達の負担が重くなるだけだ。少しは鍛えるぐらいの学習は必要だろ…?」
 加藤が大月から目を逸らした。大月は部屋の出口に向かって歩き出す。
「ただ…」
 大月が勝手口前で足を止めた。加藤が振り向く、闇を背景に角田の頑健な体格が蝋燭の光に映える。
「ただ…、慰められるってのは、男の名折れだ。少なくとも新島にとってはな」
 最後に角田は寂寥の目を加藤に向け、部屋を出ていった。
 今まで見たことがない角田の儚い眼差しに加藤は射竦められた。
 言葉が出ない。加藤の理解する角田とはまるで別人のそれが加藤を動転させた。
 加藤は下向く新島を見て、首を振った。
「すいません、僕が馬鹿でした」
 加藤は新島にぺこりと頭を下げ、角田の背中を追うように部屋を出る。
「新島…」
 唐突に宮坂が口を開いた。新島は驚いて顔を向ける。
 宮坂は目を瞑った表情のまま、唸っている。寝言なのかも知れない。
 新島はそれを思って苦笑うと、徐に顔を帰した。



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