2005.01.04.

瑞希と悠希の放課後
01
木暮香瑠



■ アイドルとマドンナ

 金曜日の放課後……。学園のロビーで二年生の黒川悠希(くろかわゆき)は、友達と掲示板に視線を向けていた。人一倍大きな黒目がちの瞳が、掲示板に貼られた紙を見詰めている。掲示板には、先日行なわれた生徒会役員の選挙結果が貼られていた。

 今は共学であるが、十年前まで女子校であった渋山学園では女子生徒が生徒会長になるのが通例になっている。男子生徒も生徒会長に立候補できるのだが、役員として時間を割かれるのを嫌い立候補するものは少ない。十年前、共学になった時から学園は、お嬢様学校から進学校への脱皮を図った。また、スポーツにも力を入れた。進学コースとスポーツ特化コースが学園の二本柱として順調に運営されていた。そのため、男子生徒は特に進学の為、スポーツをする為に入学してくる傾向が高く、生徒会役員などに時間を割かれるのを嫌った。今回も、女子生徒が生徒会長に選ばれた。

 つい数分前までは、クラスのみんなが歓喜の声を上げていた掲示板前だが、いまはみんな帰路について静まり返っている。
 さっきまでの喧騒が嘘のような静けさの中、結果を見詰める悠希のその表情には、わずかな不安の色とこれから課せられる責任の重さに立ち向かう決意が浮かんでいた。
「選ばれちゃったね、生徒会長に……」
 親友の多香子がすまなそうに言う。
「うん、選ばれちゃった……。でも、選ばれたからにはがんばらなくちゃ……」
 悠希は、責任の重さを自覚していた。

 悠希は、学園でも人気のある少女である。ショートにした髪が明るく元気な悠希に似合い、見るものを魅了した。160cmの平均的な身長……。しかし、細い身体に長い脚・小さな引き締まった顔が、遠目に見るとファッションモデルのようなスタイルに見せた。それでいて、気取ったところがない。誰にでも優しく、明るく接する。そしてその大きな瞳に見つめられれば、誰もが悠希に魅了された。生まれ持った性格と容姿によって悠希は、学園に入学して以来アイドル的存在だった。

 そんな悠希を、クラスメートが生徒会長候補に推薦したのだ。成り手のない生徒会役員に、各クラス一人を立候補させるのが学園の暗黙の了解になっていた。候補者を決めるホームルームの時、悠希に憧れを抱く男子の一人が悠希を推薦した。
「悠希ちゃんなら、瑞希先生がお姉さんだし……。先生たちにも意見を聞いてもらい易いんじゃない? 悠希ちゃん、やってよ」
 悠希の姉・瑞希は、この学園の英語教師をしている。親族を担任することは学園の規則で出来ないことになっているため、今は三年生の授業を担当している。
「そうよ、悠希が生徒会長ならみんな協力するよ」
 誰も成りたくない生徒会役員である。みんな、その意見に乗った。クラスの中では、学園内で悠希が一番有名なのも事実であった。学園のアイドルとして、悠希を知らないものは全学年を通して誰もいないだろう。悠希をクラスの代表として推薦するのは、何の不思議もないことに思われたのだ。

 悠希自身は、生徒会長になる気などなかった。成績も中の上の自分には、荷が重く感じていた。また、自分なんかが選ばれるわけないとも思っていた。
(笹岡さんも立候補するって聞いてるし、きっと彼女が選ばれるわ……)
 笹岡真莉亜(ささおかまりあ)が立候補することは、悠希の耳にも入っていた。学年で、いつも十番以内に入る成績の真莉亜が立候補すれば、彼女が選ばれるのが当然の結果だと悠希は思っていた。また、真莉亜の両親は地域の名士で、学園にも多額の寄付をしていた。真莉亜もお嬢様として、悠希と同様に学園内で知らないものはいなかった。
(どうせ私は選ばれないわ)
 クラスメートの必死の推薦を断りきれず、悠希は立候補することを承諾したのだ。

 しかし、悠希の思惑は外れてしまった。男子生徒の得票をほとんど集めてしまい、大差で選出されてしまった。

「悠希、がんばってね。協力するから……」
 多香子が悠希を励ます。
「ありがとう。忙しい一年になりそうね」
 二人は、励ましあいながら掲示板を後にした。

 その二人の後姿を見詰める数人の女性がいた。各々別の場所から、悠希の背中に視線を投げかけていた。

 一人は着任三年目の英語教師の悠希の姉・黒川瑞希(くろかわみずき)だ。タイトスカートに包まれたすらりと伸びた脚で凛と立ち、ブラウスを押し上げる豊かに盛り上がった胸を隠すように書類を抱えて、悠希の後姿に暖かい視線を向けている。

 胸の前で本や書類を抱えるのは、瑞希の高校時代からの癖である。85cmを超えるまでになった胸に男性の視線を感じ、大きくなった胸を誇示するのが気恥ずかしく、知らず知らず隠すようになっていた。教職についてからは男子生徒の視線を浴びるようになり、その癖はさらに顕著になった。しかし、いつも隠している訳にはいかない胸は、男子生徒の間では評判になり、細い腰と肉付きのいいお尻とが大人の女性を感じさ、二十四歳の若々しい女教師は学園のマドンナ的存在であった。

(大丈夫かしら、悠希はまだまだ子供だもんナ。でも、悠希ちゃん、がんばって……)
 妹が生徒会長に選ばれたことに不安を抱きながらも、そっと応援のエールを送った。悠希を陰から見送った後、女教師は背中まである艶やかな黒髪をなびかせながら職員室に向かった。

 もう一方は、生徒会長に立候補していた対立候補の笹岡真莉亜とその取り巻き達だ。自分が選ばれると思っていた真莉亜の視線には、悔しさと敵意が込もっていた。
(何であんな娘が選ばれるの? わたしの何が劣ってるの? わたしのほうが美人だし、成績だって優秀よ)
「そうよ、真莉亜さんのほうが適任よ」
「変よね、黒川さんが選ばれるのって……。ちょっとかわいいだけじゃない」
 取り巻き達が、落選した真莉亜を慰める。しかし真莉亜には、慰めの言葉さえ頭にくる。
「とこがかわいいのよ、あんな娘!」
 真莉亜は、吐き捨てるように言った。

 子供の頃からお嬢様として育ってきた真莉亜には、悠希の存在が疎ましかった。中学時代まで、いつも自分が学校の中心にいた。地域の名士の子息として、先生にもちやほやされて来たし、男子の注目も浴びてきた。しかし高校になってからは、男子生徒の注目は黒川瑞希、悠希の姉妹に向けられている。そのことが許せなかった。

 瑞希は、真莉亜が見ても大人の魅力を感じ認めざるをおえない。十代の自分達にはない、落ち着きと優雅さがある。男子生徒の注目を浴びるのは理解できる。しかし、同い年の悠希までが男子の注目を浴びていることが、真莉亜にライバル心を抱かせた。
(許せないわ……、あんな娘……)
 真莉亜に歪んだ敵意が芽生えた。

 自宅に帰った悠希は、夕食の支度をしていた。二年前、父親の海外赴任が決まった時、母親も父に付いて行く事を決めた。すでに瑞希が教師になっていたこともあり、瑞希と悠希の共同生活が始まった。落ち着いたしっかり者の瑞希が一緒であることに母親も安心し、悠希を残して海外に行くことを決意させた。

 瑞希は教師の仕事で遅くなることが多い為、夕食の担当は悠希がすることになっていた。瑞希もすでに帰宅しており、今はシャワーを浴びている。
「お姉ちゃん、用意できたよ」
 テーブルに皿を並び終えた悠希が、浴室に向かって声を掛けた。
「遅いんだから……」
 出てくるまでに時間を要すると判っている悠希は、声を掛けた後、箸をテーブルに並び始めた。

 全ての用意が済んだ時、電話が鳴った。
「はい、黒川です」
 電話の相手は、瑞希の恋人・飯山隆からだった。
「あっ、飯山さん。お姉ちゃん、今、シャワーを浴びてるよ」
 飯山隆は、瑞希の大学時代の先輩で、今は隣町の高校教師をしている。隠し事をしない姉は、悠希が中学の時に妹に隆を紹介した。今では、悠希も隆のことを本当の兄のように慕っている。
「ねえ、あしたデート? お姉ちゃんに誘いの電話でしょ」
 電話の向うから、『そうだよ』と屈託のない返事が返ってくる。電話の向うの隆の顔が浮かんでくるような清々しい声だ。悠希は、少し表情を曇らせた。飯山さんが姉の恋人でなければよかったと思うことがある。姉の選んだ人は、悠希にとっても理想の男性だった。

 その時、バスタオルだけを巻いた瑞希が、浴室から出て来た。
「お姉ちゃん、飯山さんから電話だよ」
 悠希は、受話器を瑞希に渡した。
「あら、そう……」
 受話器を受け取った麻希は、バスタオルを巻いたままの姿で隆と会話を始めた。

 妹の悠希から見ても魅力的な女性だと思う。バスタオルの上端には、包みきれなかった肉隆が深い谷間を刻んでいる。そして下端からは、適度に肉付きのよい脚が、すらりと伸びている。姉と飯山さんなら、お似合いのカップルだと自分を納得させる。
「お姉ちゃん、裸にバスタオルだけだよ、今……」
 悠希は悪戯っぽく、姉の横で受話器に向かって大きな声で言った。
「もう、悠希ったら……、隆さん、聞こえちゃった? ごめんね」
 瑞希は照れながらも会話を続けた。

「着替えてくるから待っててね」
 電話を終えた瑞希は、部屋着に着替えるため自分の部屋に向かった。

 部屋着に着替えた瑞希は、悠希とテーブルを挟んで向かい合っていた。
「悠希、大丈夫? 生徒会長って大変よ」
 食事中の会話は、やっぱり悠希が生徒会長に選ばれたことが話題になった。
「うん、みんなも協力してくれるって言ってるし……。それに選ばれたことは光栄なことだし……、がんばるわ」
「そうね、選ばれてなったんだものね。がんばらなくちゃ、選んでくれた人たちを裏切ることになるもんね」
 瑞希の励ましに、悠希も心強い気持ちになった。しかし、悠希が生徒会長になったことを快く思っていない人間がいることに、瑞希も悠希もまだ気付いていなかった。



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