2010.05.16.

「脱ぎなさい」「はい……」
02
ドロップアウター



■ 転校生の女の子

 その日は、朝からずっと雨が降っていました。先週衣替えが終わったばかりで、夏服だと少し寒いです。
 わたしは、とある小さな町の中学校に通っています。生徒の人数も少なくて、二年生は一クラスだけです。しかも、わたしも含めてほとんどの子が、保育園の頃からずっと一緒です。
 昼休み時間も半分が過ぎていました。天気が悪いせいか、ほとんどの子が教室に残っています。友達とおしゃべりしたり、宿題を済ませたり、みんな思い思いに過ごしていました。
 わたしがトイレから戻ってくると、隣の席で、真由子ちゃんが本を読んでいました。
 真由子ちゃんは、クラスの中で一人だけ、二年生になって転入してきた女の子です。わたしと席がたまたま隣になったこともあって、何度か話しているうちに自然と仲良くなりました。あまり口数は多くないけれど、優しくて、おさげにした髪のよく似合うかわいい子です。
「その本、面白い?」
「えっ、うん……」
 話しかけると、真由子ちゃんはなぜかびくっとして、顔をわたしの方に向けました。
「邪魔しちゃった?」
「ううん、びっくりしただけ。ずっと読みたかった本だから、つい夢中になっちゃって」
 しおりの挟まったページを見て、わたしは「あれ?」と思いました。夢中で読んだというわりに、めくられているのは最初の数ページだけでした。真由子ちゃんがその本を読み始めて、そろそろ一週間近くなるはずなのに。
 真由子ちゃんがこの学校に転校してきたのは、五月の連休明けの頃でした。
この時期に転入することになったのは、お父さんの単身赴任中、お母さんが病気で入院することになったからだそうです。それで、今はおばあちゃんと一緒にこの町で暮らしています。お父さんが戻ってくるまで、しばらくはそうしているみたいです。
「知ってる? この本、来月映画になるんだよ」
 本を机に置いて、真由子ちゃんは妙にはしゃいだ口調で言いました。
「その作者の人、小学校からずっと好きで読んでるの。この本だけ見つからなくて、先週図書館で見つけた時、やったぁって声に出して、周りの人に変な目で見られちゃった。ねっ、DVDになったら一緒に観ようよ。たぶん市立図書館で借りられると思うから」
「うん、いいけど……」
 わたしは、ますます違和感を覚えました。普段は大人しい真由子ちゃんが、こんなに興奮して話すのは珍しいことです。それに、たぶん真由子ちゃんは、その本をまだあまり読んでいません。
まるで、何か嫌なことがあって、どうにかして気を紛らわそうとしているみたいでした。


その日、真由子ちゃんはずっと変でした。自分の席で一人黙り込んでいたかと思えば、さっきみたいに妙にはしゃいだり。「森川さん、いつもと雰囲気違うよね」って、わたしだけでなく、クラスの他の子達も話したりしていました。
 真由子ちゃんがこの学校に来て、今日で二週間になります。口には出さないけれど、お母さんの心配もしながら新しい生活に慣れなきゃいけないし、きっと大変なんだろうなって思います。転校してきたばかりで、色々と気も使うだろうし。
「わたし、ちゃんとこのクラスになじめてるかなぁ……」
三日前、熱を出して早退する真由子ちゃんを玄関まで送った時、ぽつりとそう漏らしたのを聞きました。前の学校でいじめられたことがあるらしく、転校して友達ができるかどうか不安だったかもしれません。
「大丈夫だよ。真由子ちゃん、いい子だし。うちのクラスで、真由子ちゃんを悪く言う子なんていないと思うよ」
 わたしは、そう言って真由子ちゃんを励ましました。実際、わたしだけじゃなく友達も少しずつ増えて、部活の先輩からも好かれているって聞きました。ただ、大人しいから嫌なことされても我慢しちゃうんだろうなって、心配にはなるけれど。


「そういえば、この前はありがとう」
「えっ、どうして?」
 突然言われて、ちょっとびっくりしました。
「えっ、どうして?」
「ほら、この前わたしが熱出した時、保健室まで付き添ってくれたから。まだちゃんとお礼、言ってなかったし」
「なぁんだ、あんなの別に大したことじゃないよ」
「ううん。あの時は頭がぼうっとして、利香ちゃんが一緒じゃなかったら廊下で倒れてたかも。だから、すごく助かったよ」
「そうかなぁ。でも、どういたしまして。真由子ちゃんに言われると、すごくうれしい」
 なんだかちょっと照れました。真由子ちゃんは、ちょっとしたことでも律儀にお礼を言ってくれます。うれしいけれど、もうちょっと甘えてくれていいのになって思ったりもします。


 それに、真由子ちゃんだって、わたしが急に生理になった時そっとナプキンをくれたりして、結構わたしを助けてくれています。知り合って間もない子に、ここまでしてもらっていいのかなぁって思うくらいに。
「でも、ほんと利香ちゃんには助けてもらってばっかりだね。一緒のクラスでよかった」
「一クラスしかないから、嫌でも同じクラスになるよ。それより、風邪はもう治った?」
「うん、熱は下がったからもう平気。まだちょっと、喉が痛いけど」
 そう言って、真由子ちゃんはちょっと恥ずかしそうに笑いました。わたしが一番かわいいなって思う表情です。
 いつもの真由子ちゃんに戻ったみたいで、少しほっとしました。様子がおかしかったのは、久しぶりに学校に来て疲れたんだって、その時は思いました。
「でも……」
 ふいに、真由子ちゃんは少しうつむき加減になって、ぽつっと言いました。
「この後、もっと心配かけると思うけど……」
 ふと、真由子ちゃんの顔に一瞬影が差したような気がして、わたしはどきっとしました。
「えっ、今なんて……」

 その時、廊下側の扉が開いて、保健体育の先生が中に入ってきました。生徒指導をしている怖い男の先生だから、急に教室が静かになりました。授業が始まるまでまだ十五分近くあるから、どうしてこんなに早いんだろうって思いました。


 その時間、元々は外で体育の予定でした。でも、今日はずっと雨が降り続いているから、代わりに保健の授業に変更されていました。
 先生が教室に入ってくると、真由子ちゃんはびくっと肩を揺らして、表情をこわばらせました。
「どうかしたの?」
 さすがに気になって、わたしは真由子ちゃんに聞きました。
「あっ、うん……わたし、体育の先生に呼ばれてるみたいなの。授業の始まる時でいいって聞いたんだけど、いつ行けばいいんだろう」
 なんだか慌てたような口調で、真由子ちゃんは答えました。
「怒られることでもしたの?」
「うん、そうかも。反省文とか書かされたりして」
 おどけた言い方だったけれど、真由子ちゃんの頬は少し引きつっていました。冗談のつもりだったのに、ひょっとして図星なのかなって思いました。
 先生は、黒板に何か書いたりして、特に変わった様子はありませんでした。
「うそ、本当に?」
「やだ、信じないでよ」
 わたしが心配すると、真由子ちゃんは少し笑いかけて、首を横に振りました。
「たぶん、昨日まで休んでたから、何か課題を渡されると思う。でも、なんかショック。わたし、利香ちゃんから見てそんなに悪いことしそうに見えるんだ」
「まさか。むしろ逆だよ。真由子ちゃんがそういうことするの、全然想像つかないから。先生に怒られるところ、ちょっと見てみたいかも」
 知らず知らずのうちに、わたしは真由子ちゃんとの会話を引き伸ばそうとしていました。どうしてか分からないけれど、真由子ちゃんをこのまま先生の所へ行かせてはいけない気がしたんです。
「でも、前の学校ではよく注意されてたよ。わたし結構おっちょこちょいだから、よく廊下で滑って転んだりしてたの。養護の先生に、女の子なんだから、怪我しないようにもっと気をつけなさいって」
「あぶなーい。でもそれ、怒られたうちに入る? あたしなんて、しょっちゅう居眠りとかして先生に怒られてるし。真由子ちゃん授業の時いつも真面目だから、すごいと思う」
「わたし、それしか取り柄ないから」
 真由子ちゃんは、そう言って苦笑いを浮かべました。
「利香ちゃん、部活頑張って疲れてるんだよ。少しは休まないと、体持たないよね」
「分かってくれる? 真由子ちゃんが先生ならよかったのに」
「うん……」
 ふいに、真由子ちゃんが気のない返事をして、ちらっと先生の方を見ました。やっぱり何かあるんだなって、その時分かりました。
 わたしの視線に気づいて、真由子ちゃんは少しうつむきました。気まずい空気が流れて、一瞬どうしていいか分からなくなりました。
 その時……先生がわたし達の方を見て、言いました。
「森川真由子、来てるか」
「はい」
 そう短く返事して、真由子ちゃんはすぐ席を立ちました。
「筆記用具を持って、先生の所へ来なさい」
「はい……」
 先生に指示されて、真由子ちゃんは筆箱を開けて、シャーペンを一本取り出しました。


「取り柄なら、他にもあるよ」
 わたしがそう言うと、真由子ちゃんは怪訝そうな顔をしました。
「その髪。おさげにしてるの、よく似合ってる」
「ああ、これ……」
 真由子ちゃんは、束ねた髪の一つを軽くなでて、うれしそうに言いました。
「ありがとう。この髪型、自分でも気に入ってるの。お母さんが、してくれたから」
 真由子ちゃんのおさげは、髪を頭の後ろで二つに分けただけの単純なものです。でも、それが真由子ちゃんの素朴なイメージにぴったりで、すごくかわいいんです。
「今度、違う髪型もしてみたら? 真由子ちゃん、三つ編みとかも似合うと思うし、あたしみたいに思い切ってショートにするのもいいかも」
「小学校の時は、三つ編みにしてたこともあるよ。でも、しばらくはこのままにしときたいな。お母さんが、一番好きな髪型だし……」
「お母さん……?」
 少し考えて、「あっ」と思いました。真由子ちゃんのお母さんは、病気でもう長いこと入院しているんです。
「入院する日の朝、『当分できないから』って、結ってくれたの。お母さんも、この髪型が一番似合ってるって言ってくれて。今なかなかお見舞いにもいけないから、せめてこれぐらいはお母さんの希望通りにしようと思って」
 真由子ちゃんは、少し寂しそうに言いました。
「でね、前の日久しぶりに、一緒にお風呂に入ったの。ちょっと恥ずかしかったけど、小さい時みたいに背中を洗いっこしたりして。わたしの体を見て、お母さん、『真由子も大人になっていくんだね』って。なんか切ないよね」
 そこまで言って、真由子ちゃんは小さく舌を出しました。
「ごめん。わたし今日、しゃべり過ぎだね。ほんとどうしちゃったんだろう」
 話を聞いて、わたしも少し切なくなりました。今の真由子ちゃんにとって、そのおさげだけが、お母さんとつながっていられる唯一の証なのかもしれません。
「気を使わなくていいから、好きなだけしゃべってよ。言いたいことはちゃんと言わないと、体に毒だよ」
 わたしは、ちょっとおどけて言いました。
「そのおさげ、道理で似合ってるはずだよね。お母さんなら、娘のことよく知ってるはずだし」
「あっ、そうなのかも。利香ちゃん、良いこと言うね」
 そう言って、真由子ちゃんはまたうれしそうに微笑みました。
 話が長引いてしまっているから、わたしは気になって、ちらっと先生の方を見ました。そろそろ何か言われるかなと思ったけれど、先生は別に急がせるつもりもないらしく、わたし達を気にする様子は特にありませんでした。
「じゃあ、そろそろ行ってくるね」
 シャーペンを手に取ると、真由子ちゃんは筆箱を机の中にしまって、わたしを振り向きました。
 真由子ちゃんの不安を聞き出すことが、わたしにはどうしてもできませんでした。真由子ちゃんは、あまり人に心配をかけたがらない子です。言いたくないのなら、そっとしといてあげようって思いました。
 でも、本当にこれで良かったのかな……
「利香ちゃん」
 ふいに名前を呼ばれて、わたしははっとしました。顔を上げると、真由子ちゃんがとても穏やかな目で見つめていました。
「すぐ戻ってくるから、待ってて」
 そう言って、真由子ちゃんは優しく微笑みました。まるで、心配しなくていいよって、言ってくれているみたいに。
「うん……」
 わたしは、ただうなずくしかありませんでした。



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