■ 01
外に出ると、どんよりとした黒い雲が空一面に広がっていた。
「降りそうだなァ……」
両手に抱えた荷物を持ち上げて、早足で大通りを歩いてく。
大通りに連なった店の商人達はこれから降り出すであろう雨に備えて、品物を屋内へと非難させるのにてんやわんやである。
「オラも急がねっと……」
安着物や履物などは、元々、汚れているし、雨が降ろうが構うことなどなにもない。
むしろ、雨水で綺麗になるというものだ。
しかし、買ったばかりの食材が台無しになってしまうのだけは避けなければならない。
小走りで表通りを駆けぬけていく。
「いけねぇ……」
風呂敷から、玉ねぎが一つ、こぼれ落ちてしまった。
前を向いたまま、数歩下がって、出来るだけ荷物が崩れないように上半身を固定したまま屈んで玉ねぎを回収する。
風呂敷に戻そうと奮闘したものの、食材が乱雑に積み込んであり、なかなかに難しい。
運良く戻せたとしても、また転げ落ちるかもしれない、玉ねぎはそのまま服の中に突っ込んで、再び前に歩きかけたそのときだった。
「とっとと、出てけっ!」
男の叫び声に思わず、風呂敷を落っことしそうになる。
見れば、呉服屋の亭主が、年端もいかぬ少女に向かってどなりつけているのだ。
「お願いします。私、何でもしますから……」
「いらんっいらんっ。お前さんみたいな小童に何さできるねっ!」
「…………」
「わかったら、さっさと行ぐだ!! 商売の邪魔んなるが!」
少女は小さく亭主に頭を下げてとぼとぼと歩き去っていく。
「どうしたね? 大きな声さ出してぇ」
亭主に尋ねてみる。
「ああ、あのガキがね、仕事をしてぇって言うもんでな」
「仕事?」
「ああ、ウチにはお前さんみたいなのにでける仕事はのうっちゅうたら、ワシの服さ掴んで頼み込んでくるのよ」
「しかし、あすてな子供に、ちょっとばかし大人気ないべ?」
「なら、あんだが雇えばええ」
そう言われて、思わず黙り込む。
「あいなもんには、関わらんほうがええ。この間だってなぁ、隣の政ちゃんが宿無しのガキを泊めたら、次の日の朝には銭と一緒におらんようなったいうでな」
「そげなこと……あの娘が盗人とは限らんだろう?」
「ああいうのんに同情するとアホ見るのはこっちだべ。サブちゃんもきいつけんといかん」
「ウチには盗まれるようなもんもないさな」
呉服屋の主人に軽く会釈して、再び歩き出す。
気分の悪いものを見てしまった。
あの狸親父め、銭ならいくらでも持っているのだから、仕事くらい与えてやればいいものを。
表通りを外れたとこに小さく寂れた大衆食堂がある。
「ただいまァ」
そう言ってみるものの、返事をする者は誰もいない。
買ってきた食材を流しに並べてみる。
「っ!? ちっくしょう……絹バアのやつ、こんな色の悪い野菜をよこしやがってっ!!」
貧乏人はいつだって馬鹿にされる。
もっといい身なりをしていたら、絹バアだってもっとマシな野菜を見繕っていたはずだ。
大きく溜め息を付いて、食堂内を見回す。
当然、客など一人もいない。
両親の代からの昔馴染みの客がたまに来てくれるが、それが全てだった。
表通りから外れたこんな汚い食堂に好き好んで食べに来る物好きなどいない。
借金ばかりが増えて、こんな店、いっそ畳んでしまおうか……何度もそう思った。
しかし、自分にできることといえば、飯を作ることだけだ。
この食堂を捨ててどうする? 他に何ができる?
トタンの屋根に雨が打ちつける音がする。
「とうとう、降り出したなァ……」
まだ閉店までは時間があるが、こう降り出してしまっては、もう客は寄り付かないだろう。
……というのは言い訳で、どのみち客が来る宛てはないのだが…
「今日は店じめぇにすっか……」
のれんを取りに入り口に戻るところで、ふと足を止めた。
「な……」
なんということだろう、先ほど、呉服屋の前で仕事を探していた例の少女がのれんの下でぽつんと膝を抱えて座っていた。
「あんのガキッ……」
あんな薄汚れた子供が入り口に座っていたら商売も上がったりだ。
もちろん、元々、店を閉めようとしていたのだから、そんな怒りは不条理である。
不条理であると分かってはいるが、もやもやした気持ちをどこかに発散させないと、こっちが参ってしまいそうだった。
「文句言うてやるっ」
店の扉に手をかける。
そのままガラッと勢いよく扉をひらいて、驚いた表情のガキに怒鳴ってやるつもりだった。
その……つもりだった……
「……?」
だが……その少女の目に光るそれを見てしまって、そんな酷いことができるだろうか。
泣いてるのか?
少女は泣いていた。
咽び泣くのとは違う、歯を食いしばって悔し涙を流すのとも少し違う。
表情は凛としたまま、静かに涙を流していた。
彼女の目が赤くなければ、それは雨のしずくだと勘違いしてしまうほど
少女はただ真っ直ぐ前を向いて、静かに涙を流していた。
その姿が、なんとも美しいと思った。
自分の半分にも満たない子供に向かって「美しい」などという言葉が果たして適当であったかどうかは分からない。
だが、涙を流す彼女の姿は自分にとって美しいとしか表現できないものだったのだ。
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