ランチタイム
「おやじさん、俺アップルパイね!」
「あいよ!」
 味のれんのカウンターにつくやいなや、滝川が大きな声で言った。
 舞もチラリと一瞬だけメニューを見て、うむ、と一人うなずくと声を上げる。
「私もアップルパイを頼む」
「あいよ!」
 それを聞いて、滝川が意外そうな声を出した。
「なんだよ、お前もアップルパイなの?」
「うむ」
「……お前、まともに給料貰ってるんだからコロッケ定食とか頼めばいいのに」
「さほど体力を消耗しているというわけではない。アップルパイで十分エネルギーの補給はできる」
「ふーん……」
 あわよくば舞の食事を一口失敬しようと思っていた滝川は、あてが外れてややがっかりした顔をした。
 舞はそれに気付いているのかいないのか、無言のまま真正面の、調理場で料理をしているおやじをじっと見つめている。
 滝川は、ひどく所在無いものを感じてぽりぽりと頭をかいた。
 さっきは辺りを見まわしてみてふと芝村が目に入ったのでつい誘ってしまったが、こいつといったい何を話せばいいのだろう。
 初めて一緒に訓練した日から数日。その間に滝川は、舞と何度にもわたって訓練をしていた。
 それは芝村が一緒に訓練しようと誘った時にほぼ唯一運動力の訓練をしてくれる人間だからだったり、たまたまうまいところに居合わせたからだったり、なんとなくだったり、理由はいろいろあるのだが、『どうして一緒に訓練する気になったのか?』と改めて聞かれたら――よくわからない、としか言いようがなかった。
 もともと俺、こいつすげー嫌いだったんだよな。
 滝川は頬杖をつきながら、舞を横目で見た。
 なんかやけにエラそーだし、言ってることはなんか難しくてわけわかんねーし、世界を征服するとかアブねーこと言うし。
 今はどうだろう。
 ……わけわかんねー奴だけど、嫌いじゃないような気がする。
 ……なんで?
 滝川はうーんと頭を抱え込んだ。最初嫌だったけど、訓練しなくちゃって思ってたからそこにいた芝村を誘って。そんで、なんか何回も一緒に訓練するようになって。その間に何があっただろう?
 あ、と気付いて、滝川はぽんと手を叩いた。そうだ、こいつもしかしてすげえ奴なのかもって思ったんだ。
 舞との訓練というのはいつも、舞が提示するメニューを言われるままに二人でこなす、というものだった。最初はなんの気なしにやっていたが、何回目かの訓練の時に、自分の運動力が驚くほど向上していることに気がついたのだ。
 一人でやった時とは比べ物にならないその上昇率に滝川は驚くとともに、いやおうなしに舞の訓練方法の的確さを認めざるをえなかった。
 そうそう、そんでこいつすっげー頭いいのかもしんねえって思ったんだよな。こんなうまい訓練の方法考えつくなんてって。
 それから。他にも何かあった気がする。
 滝川は唸りながら頭をぼりぼり掻き、天井を振りあおいだ。
 あっ、と滝川は今度はぽんと膝を叩いた。三回目の訓練の時だ。
 あの時、滝川は訓練に疲れたせいかやや気分が沈んでいた。誰かと喋りたかった。訓練が終わって立ち去ろうとする舞の後姿を見ていると、別に立ち去ったところでどうもならないだろうに、行ってしまう、行ってしまうと無性に慌ててしまってつい声をかけたのだ。
『あ、あのさ芝村! お前なんで世界征服するとかわけわかんねーこと言ってんの?』
 と。
 舞は振りかえり、少しばかり顔をしかめると、演説でもするように説明を始めた。
 ……内容は、やけに小難しくてよく覚えていないが、挑まれた戦いを受けて勝つことを続ければ自動的に世界はわれらのものとなる、完璧で自明の理だ――と言われて、滝川が反射的に返した言葉――『メチャクチャ言うなよ』に対して舞が怒ったのだ。
『なんだと! 滅茶苦茶なことを言っているのはそなた達の方だ! 我らは挑まれて戦い、戦うからには勝つ故に勢力を伸ばすだけだ!』
 内容がどうとかではなく、舞が言葉を荒らげ、他の人間と同じように顔を紅潮させてこちらをきっと睨み言いつのるのに、滝川は驚いた。滝川は今まで、よくわからないことを倣岸不遜と言いたくなるような表情で憎たらしくなるくらい冷静に偉そうに言う舞しか知らなかったからだ。
『…勝手に戦いを挑んで負けて恨み言を言う、どこぞの奴の味方をするな』
 語調を沈ませて、うつむいてそう言われ、滝川は思わず、
『ご……ごめん……』
 と言ってしまっていた。
 こいつの言っていることはいつも難しくてよくわからない。わからないけど。
 こいつは一生懸命だ。自分の言っていることを、本当にそう考えて、実行しようとしてるんだ。
 それだけは、なんとなくわかった。
 だからなのかわからないが、滝川は舞を思う時、嫌い″という感情が先に立たなくなった。
 よくわかんないけどすごい奴かもしんない。そんな風に思うようになったのだ。
 滝川は頭の後ろで手を組んで、椅子を揺り篭のように前後に揺らしながらそう考えた。
 でもなー。手を解いて体の前で腕を組み、頭を左右に揺らしながら滝川は口の中で小さく呟く。
 やっぱりこいつ偉そうだし、言ってること難しいし。訓練してる時ってあんま喋んねえしな。二人っきりで昼食べるのってこれが初めてだし。何を喋ればいいんだかさっぱりわかんねえや。
 そうして溜め息をつきつつ舞のほうを向くと――舞はじーっとこちらの方を見つめていた。
「うわっ!」
 慌てて飛びのこうとして、椅子を不安定な状態にして座っていた滝川は、椅子ごとその場にひっくり返った。
「だ、大丈夫かね!?」
 調理場から身を乗り出して聞いてくるおやじ。
 それに目もくれず、舞はすばやく滝川に近寄ってすっと滝川の体に手をやり、助け起こした。
「なっ……」
 絶句する滝川にかまわず舞は数秒間じっと滝川の眼を見つめた後、すっすっと指を滝川の目の前で動かした。
 あっけにとられる滝川にかまわず、今度は滝川の耳元に両手をやると、パン! と打ち鳴らす。
「わっ!」
「ふむ。瞳孔反応はあるし、視覚聴覚ともに問題はない。目に見えるところに損傷はないが、他に妙な感じのところでもあるか?」
 つまりは、舞は滝川が怪我をしなかったか確かめたらしい。滝川は脱力しながらも答えた。
「ねえよ……つーか、それより!」
 滝川は顔を赤くして、舞に指を突きつけわめいた。
「何見てんだよ! 驚いてこけちまっただろ!?」
「ふむ、驚かせてしまったか。それは悪かった。謝罪しよう」
 ぺこりと頭を下げる舞に毒気を抜かれて、滝川は頬を赤く染めながら立ち上がって埃をはたく。
「別に、謝んなくたっていいけどよ……なんで見てたんだよ」
「お前があんまりころころと面相と仕草を変えるものでな。妙に興味を引かれどこまでやるのかつい観察してしまった」
「なっ……」
 滝川は顔を真っ赤にした。
「なんだよそれっ! 悪かったな妙で! どーせ俺はみっともない奴だよ!」
 もうこいつやっぱりむかつく!
「別にみっともないとは言ってないであろうが」
「言った! 妙だって言った!」
「勝手に私の言葉を解釈して勝手に怒るな」
「お前が先に勝手なこと言ったんだろ!?」
 意味のないことで頭が加熱してくる。二人は味のれんのカウンター前で睨み合った。雰囲気としては既に一触即発、という状況になってきている。
「ほいよ、アップルパイお待ち!」
 そこにことん、と音を立ててアップルパイの乗った皿が二つ置かれた。
 思わずそちらの方を向く二人。視線の先で、おやじがにかっと笑った。
「食べなっせ。仲良うね」
「…………」
 なんとなく恥ずかしくなって、二人は無言のまま席についた。
 とりあえず一礼してから、アップルパイにかぶりつく。
 滝川は横目で舞を見る。舞は無言でアップルパイを食べていた。なんとなく腹のあたりがむずむずしているような気分だ。
 今さっき言われた、おやじの言葉を思い出す。
『『仲良うね』か……』
 どうするのが正しいのかわからない。他の奴だったらうまいやり方を思いつくんだろうけど。
 しばらくぐるぐる回る頭で必死に考えてから、覚悟を決めて滝川が口を開いた。
「あのさ……」
「なんだ」
「お前、アニメだとどんなのが好き?」
「アニメとはなんだ?」
「へっ? お前アニメ知らないの? マジで? ゴージャスタンゴとか超辛合体バンバンジーとかも?」
「聞いたことがないな」
「なんだよ……じゃあさ、今度見てみろよ! 面白いぜ、絶対!」
「そうなのか? よくわからんが……」
「じゃあ、お前の好きなものってなんかある?」
「そうだな。数学はいいな。あれだけ美しい学問はそうない」
「げーっ、お前数学好きなのーっ!? 信じらんねぇ……マジで?」
「なんだ、お前は数学が嫌いなのか? そうか、それなら私が今度数学の講義をしてやろう。数学の面白さをたっぷり教えてやる」
「じょ、じょーだんだろぉ!? 勘弁してくれよぉ……」
 いつのまにか、二人は食事の手を止めて話をしていた。おやじが静かに置いたお茶のおかわりにも気づかない。
 おやじがふっと、優しげな笑みを浮かべた。
 二人はそのまま、昼休みが終わりかけ予鈴が鳴るまで味のれんでおしゃべりをしていた。


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