パープレクシティ
「いつか、このことばのいみもわかるかな。わかるといいなぁ」
 ののみは満面の笑みでそう言うと、小走りに仕事場へ走っていった。
 ふぅ、と滝川は息をつく。今日の戦闘を終えて、さっさとウォードレスを片付けて帰ろうとした矢先に不意打ちを受けた。
 あんまり長い間話したくはなかったのだが、にこにこ微笑んでいるののみの気持ちを沈めるようなことはできず、戸籍の話からのぞみという名前がどういう意味かまで話してしまった。
 ――俺なんかと話しちゃ、いけないのに。
 あんな子が、俺なんかに汚されちゃいけない。
 滝川はグランドはずれへと足を向けた。普段なら戦闘が終わればその日は帰って体を休めるのだが、今回の戦闘はまともに体を動かした気がしないほど楽だったのだ。
 幻獣勢力は日一日と弱くなっている。このままいけば熊本から幻獣勢力が一掃されるのもそう遠いことではないだろう。
 ――そうなったら俺はどうすればいいんだろう。ずっと人を殺してきたこの俺は。
 鉄棒に飛びついて、懸垂を始める。十回、二十回、三十回。軽々と楽々と懸垂を続ける。
 こんなんじゃ足りない。もっともっと体を酷使したい。それこそぶっ壊れるまで。
 そうでないと、また舞のことを考えてしまうから。
 無言で何度も体を上下させながら、何度も舞のことが頭をよぎった。
 芝村。なんであの時泣いたんだ。
 今まで俺は、あいつが泣いたところなんて一回も見たことない。どんなに大変な時でも、あいつはいつも前向きで。俺をいつも叱る役だった。
 でもあの時あいつは泣いた。必死に堪えてもあとからあとから涙がこぼれてた。ものすごく辛そうだった。
 ――そんなに、俺が傷つけてしまったんだろうか。
 くっと滝川は唇を噛んだ。
 苦しい。苦しい。苦しい。いちばん傷つけたくない奴を、汚したくない奴を、俺は傷つけてしまったのか。
 なにがいけなかったんだろう。なにがあいつを苦しめてるんだろう?
 でも俺は、それがわかってもなにもできない。なにをどうすればいいかわからない。
 だって俺は、人殺しなんだから。
 瀬戸口師匠。
 瀬戸口は滝川が絢爛舞踏章を授与された日にやってきて、こんなことを言ってきた。
『忘れるなよ。ラブ、だ。愛こそ全て、愛こそ幸せ』
 愛ってなんだろう。俺はそんな大したもの持ってないよ。みんなを救うなんてそんなこと俺にはできない。
 ただ俺は人が死ぬのが怖くて。嫌で嫌でたまらなくて。そのくせ他に方法を思いつかないという理由だけで、人の想いを殺してる。
 そんな、ただの人殺しに、人を救うことなんてできない――
 でも、だけど、俺はできることなら、俺が、自分が、どんなに苦しくてもいいから、あいつの分も泣いてしまえるならどんなに悲しくたっていいから、あいつの辛い気持ちを、苦しい気持ちを、少しでも、ほんの少しでも―――
 ―――それもただの、所詮はただの―――
「………ガキの感傷で、我侭なんだ」

「そうだね、君はガキだ」
 えんえんと懸垂を続けて一段落つくちょうどその時、そんな朗々とした声がグランドはずれに響いた。
 滝川ははっとそちらの方を見やる――だが見る前にそいつが誰かはわかっていた。
 ―――速水だ。

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