――この感情は憎しみではない。 どこにでも転がっている、憎しみのような生温い感情ではない。 ではなにかと聞かれると正確なところはわからない、だが―― ここまで誰かを引き裂きたいと思ったのは初めてだ。 肉を引き裂いて体を流れる血をむりやり入れ替えて七転八倒させたい。 体中を少しずつ細切れにして、傷跡を火で焼いて血を止め、激痛に泣き叫びながらも死ねずに苦しみもだえる顔が見てみたい。 それとももっとオーソドックスに、生きたまま内臓を取り出してその肉を自分自身に食わせてやろうか。 肛門と性器をナイフで引き裂いて、そこにペニスを突っ込んで犯すと言うのは? ―――そんなんじゃ足りない。 もっと、もっと、もっともっともっともっともっともっともっともっと――世界中の苦しみを合わせたよりも苦しませ、絶望にのたうちまわらせてやりたい。 その存在した痕跡すらも舞の目に触れないように、この世から完全に抹消してやりたい。 速水はぎゅっと拳を握りしめた。自分の骨のきしむ音が聞こえる。 滝川。 あいつが舞とつきあう、だって? 冗談だろう? ひどくできの悪い冗談だ。 あんな奴が――自分のできることとできないこともわかっていないガキが舞とつきあう資格があると思っているのか? 速水はぎり、と奥歯を噛み締める。 殺してやる。 これ以上ないほど残酷に殺してやる。 自分のしたことをいやというほど後悔させ、苦しませて絶望させながら殺してやる。 まずは――今日の戦闘からだ。 早朝ウォードレスのチェックの際、細工は既に終えている。 むろんまだ殺す気はない――そんなに早く楽にしてたまるものか。 だが、少しは恐怖を味わってもらう。 恐ろしいという事を、現実的な死の感触がどういうものか、知ってみるがいい。 「――司令、なんかやけに嬉しそうですねー?」 声をかけられて、速水は我に帰った。 オペレーターの瀬戸口もののみも、指揮車では銃手になる石津も、運転手の加藤も横目でこっちを見ている。 「――そうかな?」 「そうですよー。にこにこしちゃって。司令になってからは初の戦闘なのに、余裕ですねー」 声をかけてきた加藤が運転しながら器用に肩をすくめてみせる。 「別に余裕があるわけじゃないよ。ただ戦闘時何をするか考えてただけさ」 「そうですかあ? のわりには妙に楽しそうやったけど」 速水はにっこり微笑んだだけで、その言葉を黙殺した。 確かに自分は楽しんでいるのかもしれない。 滝川を殺すことを考えた時に感じる、身の震えるほどの快感を。 そしてそれと同時に、この期に及んでも感じている、滝川を殺すと同時に我が身を引き裂きたくなる、たまらないほどの衝動すらも。 滝川は何度も深呼吸を繰り返した。 いつもと同じ、自分の見ているものも聞いているものも自分の事じゃないようなぼやけたシャープな感覚。 だがそれでも自分は普段の戦闘よりもさらに緊張していると感じた。 滝川は右手で額の汗を拭った。 発汗はコントロールされているはずなのに、滝川はいつも戦闘前には汗が吹き出てきてしまう。 自分はまだ怖いんだろうか。 後ろの席に芝村がいるせいなんだろうか。 それとも、ウォードレスをつけていないせい? 滝川は今ウォードレスを着ていなかった。倉庫にあったはずの滝川の身の丈に合ったウォードレスが廃棄されていたのだ。 初の複座型の戦闘でそんな手違いが起こるなんて、と背筋に嫌な感覚が走ったが、これは戦争だ。 故障もしていないのに、ウォードレスがないという理由だけで最大の戦力である複座型を出撃させないわけにはいかない。 滝川はもう一度額を拭った。 この緊張感はなんなんだろう。 いつもより、さらにのしかかるようなプレッシャー。 速水はどうだったんだろう。 いつも、こんなプレッシャーの中で戦ってたんだろうか? 「敵幻獣数20、距離二千!」 「司令。ご指示を」 瀬戸口が馬鹿にしてるのかと思うほど、恭しく速水に礼をした。 速水はにっこり笑って指揮車の中を見まわす。 加藤も石津もののみも、あるいは固唾をのんで、あるいは無関心に、速水司令の初指令を待っている。 オペレーター席前のスクリーンを見た。現在の戦場の状況がつぶさに見て取れる。 敵幻獣の構成はナーガ六体、キメラ八体、ミノタウロス四体、そしてスキュラがニ体――今までにない、と言ってもいいくらい豪華な顔ぶれだ。 特にスキュラ。空中要塞と恐れられる中型幻獣最大最強の敵と、5121小隊は初めて遭遇した。 それに対してこちらは士魂号三機とスカウト二人の操るレールガンのみ、友軍はなし。 むろん全員ではないが、整備兵の中には不安になったり怖気づく者もいたようだ。 滝川はどう思っているのか。 あの空に浮かぶ真紅の瞳の後ろに、厳然と存在する死″に怯えているのだろうか。 速水は笑みを深くすると、マイクを手にとって全機に通達した。 「滝川機。単独で突撃、全敵幻獣を殲滅せよ」 滝川はなんといわれたのか、一瞬うまく呑みこめなかった。 「――へ?」 『聞こえなかったのか、滝川機。単独で突撃し、全敵幻獣を殲滅せよ。以上だ』 言われたことを、がんばって噛み砕いて頭の中に浸透させる。 滝川機。自分のことだ。 単独で突撃。一人で敵の中へ突っ込むこと。 全敵幻獣を殲滅。敵全部をやっつけるってこと。 つまり―― 自分一人で、いや舞もいるが、とにかく一機で敵を全滅させろってこと? やっと言ってることが呑みこめて、思わず滝川は叫んでいた。 「な――なんだよそれっ!?」 『滝川戦士。反問を許可した覚えはないぞ。戦場で司令の言葉に疑問を差し挟む愚もわきまえていないのか?』 いつもと同じ、物柔らかな速水の声。その声の調子はひどく冷静だ。 「だって――だって、たった一機で、なんて……」 「司令。ひとつ訊ねたい」 わけがわからなくなって半ば茫然とした滝川の声にかぶさるように、これまたひどく冷静な舞の声が聞こえてきた。 「なぜ三番機単独でと限る必要があるのだ? 相互に連携を取って初めて戦力は生かされる、それを知らないわけでもなかろう?」 『壬生屋機は前回の戦闘の故障からまだ完全に回復していない。善行機はこれが初の戦闘だ。どちらも本格的な戦闘には荷が重い。滝川機は調整もほぼ完璧だし、滝川は複座は初めてだが既に二番機で優秀な成績を上げてきている。任せられる、と判断したから任せるだけだ』 「そうか。理解した」 納得すんのかよ!? 滝川は無言で叫んだ。 凍りついたように動かない口を必死に動かして、せめて自分だけでも抗弁しようと口を開く。 「……ムチャだよ。俺、三番機動かすの初めてだし……それでなくてもたった一機で全滅させるなんて、そんなのムチャクチャだよ、ぜってー!」 「滝川……」 舞が何か言おうとしたが、その前に速水が口を挟んだ。 『怖いのか?』 「………!」 速水のくすっという笑い声が聞こえたような気がした。 絶句した滝川に、速水は言いつのる。 『お前は怖いんだろう? 要するに。ムチャだのなんだの言っているが、要は自分が死ぬかもしれないから逃げ出したいだけなんだ。まあウォードレスがないから撃墜されたら即死だからね』 即死、という言葉に滝川は硬直していた身をさらに硬くした。 速水の口調には今や明らかな毒があった。 これじゃ、まるで―― 『お前みたいなチキン野郎じゃ怖気づくのも無理ないか。何しろ初陣でパニックに陥って突撃するような奴だからねえ。しかも未だに閉所恐怖症だそうだし?』 「なんだとっ!?」 反射的に怒鳴り返したが、後を続けることはできなかった。 なんでそんなこと言うんだよ、速水。 かあっと熱くなる頭に耐えようと奥歯を噛み締める。 お前、本当は俺のこと、そんなに――そんなに嫌いだったのか? なんでだよ。 『実際よくまあそれでパイロットだなんて大きな顔をしていられたものだね。これまで死ななかったのは単なる僥倖。その無能を僕たちがフォローして何とか生かされてきたってことわかってる? そんな奴に大事な三番機を任せていいのか疑問に思うよ、まったく』 「速水……」 「司令、何が言いたいのかよくわからんが――」 滝川と舞の声を遮るようにして、速水の凛とすらしている声が通信機から響いた。 『――だから舞は僕がもらう』 『は……?』 あっけに取られた、という感じの滝川の声が車内に伝わった。 『お前、なに言ってんの?』 「なに言ってるもなにも、そのままだよ。舞は僕がもらう。君には舞は似合わないからね」 『なっ……』 指揮車内は静まり返っていた。加藤は車を道端に止め、石津も銃床から手を離して、二人の会話に聞き入っている。 というよりも、二人の会話はちょっと口を挟めない緊迫感があったのだ。 『な…なんでそんなこと、お前に言われなくちゃならないんだよ!?』 「決まってるだろう。僕のほうが舞を愛しているからさ」 がたっ、という音がスピーカーから流れ出た。 『な、なななな、なな、なぬにをいっておるのだおぬしは――――っ!?』 舞の調子の外れた素っ頓狂な叫び声。 それでも速水はまったく冷静さを失わず、笑みさえ浮かべて対応した。 「こんなムードのない告白でごめんね、舞。でも、そういうことなんだ。滝川なんかよりもずっとずっと、僕は君を愛してる。君のためならなんだってできるよ、もちろん――」 わざわざ間を取って、 「これだけの幻獣くらいやれといわれれば全滅させてみせるさ」 スピーカーの向こうから滝川の絶句する様子が伝わってくるようだった。 「僕はできるよ。全滅させられる。というより三番機に乗っていて、そんなこともできないくせに舞に好きだと言おうなんていうのがおこがましいんだよ。芝村の末姫の傍らにはそれにふさわしい人間が立つべきなんだ。君程度のレベルじゃお呼びじゃないんだよ」 『………っ………』 スピーカーの向こうから息を飲むような沈黙が返ってくる。 と、そこに一見余裕で、内心おそるおそる瀬戸口が口を挟んだ。 「痴話喧嘩もいいがね、時と場合をわきまえろよ。敵幻獣との距離千五百。もう話してる時間はないぜ」 速水は満足げにうなずくと、ひどく嬉しそうな笑みを浮かべてマイクに話しかける。 「聞こえたかい、滝川? さあどうする? やってみるか、それとも逃げ出すか? 君じゃ逃げ出すことすらままならないかもしれないけどね」 『………』 速水は耳をスピーカーに近づけた。 「え? なんだって? 聞こえないよ?」 『やってやる! やってやりゃあいいんだろ! ちくしょう、くそったれ!』 ブチッ、と向こうから通信を切った音。 瀬戸口はおそるおそる速水の顔を見た。速水はいつもと同じ、というよりいつもより嬉しそうににこにこ笑っている。 同じように様子をうかがっている加藤たちを見まわして、言った。 「まあ、あれぐらいはハッパかけとかないとね」 「ハッパ……」 「ですか……」 石津と加藤は顔を見合わせる。あからさまに信じていない顔だが、速水はまったく気にした風も見せない。 瀬戸口はひとつ溜め息をつくと、速水にそっと話しかけた。 「…ところで、速水。お前芝村の姫さんが死ぬかもしれないってことは考えなかったのか?」 そう問われて速水はまったく考えていなかったことを言われたというようなきょとんとした顔をし、やがてくっくっくっと声を上げて笑った。 「舞は死なないよ。ウォードレスは着けてるし――なにより僕が守るからね」 「はあ…そうですか…」 瀬戸口は肩をすくめて溜め息をついた。 「まったく、何なのだあの男は……あ…ああああ……愛して、るだと? なにを、なにを馬鹿なことを……」 舞はひとしきりブツブツと言ったあと、頭を振った。 「ともかく、やるぞ滝川。そなたの全力を見せてみろ」 滝川は頷こうとして、自分が震えていることに気がついた。 恐怖のせいだろうか、怒りのせいだろうか。 この際どっちでも関係ない、と滝川は唇を噛んだ。 自分が怒ってるのか悔しいのかもよくわからない、けど猛烈に体が熱かった。 負けたくない。 なぜ負けたくないのかまでは今は頭が回らなくて考えられない、それでも負けたくない。 体と心のすべてがそれ一色に塗り潰されていく。 負けてたまるか! こんちくしょう! 滝川は息を大きく吸い込んで、突進を開始した。 右手のジャイアントアサルトを腰だめに保持し、左手の超硬度大太刀は軽く持って揺れるにまかせる。 走りながら必死で頭の中で作戦を組みたてた。 敵の中にはスキュラがいるから、射程外でいったん止まって煙幕を焚く。そうすればナーガやキメラのレーザーも心配しなくてよくなるから、敵の真ん中へ突っ込んでいってミサイル。 ああでもミノタウロスの生体ミサイルはどうしよう。あれは煙幕に関係ないから――いやそれより、近寄って殴ってきたら―― 「滝川、スキュラがこっちを向いているぞ!」 びくっ、と滝川は顔を上げた。 スキュラがこっちを向いて――レーザー発射の予備動作に入っている! スクリーン上のスキュラの射程距離ギリギリの辺りで棒立ちになった滝川機を見て、瀬戸口は思わずうめいた。 速水が笑みを深くする。 一回前に跳んで煙幕。 真っ白になった頭に不意にメッセージが浮かんできた。 なんだ、と思う間もなく――考えるより早く体が従っていた。 士魂号を大きく跳躍させながら煙幕弾頭を取り出し、着地と同時にアサルトに装填して射出する。 それからわずかに遅れてスキュラのレーザーが、さっき滝川がいたところを焼き払った。 心臓の鼓動がうるさい。体中がサイレンになったみたいにドキドキして、へたりこみそうだ。 跳躍三回。 またふいのメッセージ。反射的に体が動く。 士魂号を助走から大きく跳躍させる。市街戦ではないので、もうすぐ近くにキメラやナーガたちが寄ってきているのがはっきり見えた。 一回。 こちらに照準を合わす前に幻獣たちを飛び越える。 二回。 照準が合わさっても撃ってくる前に跳ぶ。 三回。 幻獣たちの真ん中に着地して―― 防御姿勢。 肩の増加装甲を展開して、腰を落とした前傾姿勢を取る。 あとは―― 狙いをつけて、ミサイル。 「芝村ァ!」 叫ぶと間髪いれずに叫び返された。 「やっておる!」 言葉とほぼ同時に、どんっと機体が揺れてミサイルが発射された。 「…ナーガを撃破! キメラを撃破! ナーガを撃破! …っ! ミノタウロスを撃破!」 次々と跳びこんで来る撃墜データを瀬戸口が早口で読み上げる。 速水は笑みを張りつけたまま、ぐっと拳を握りしめた。 ミサイルが命中して次々と消えて行く幻獣を捉え、気がぬけてへたり込みそうになる滝川の脳裏に、またメッセージが走った。 足を止めるのはまずい。 一瞬の間があって、 攻撃されてやられたら、舞も死ぬ。 ――滝川は自分の体から血が引いていく音が聞こえそうな気がした。 大きく左に跳んで、そのままそこにいたミノタウロスに斬りつける。 ミサイルで既に瀕死の重傷を負っていたミノタウロスは、たちまち四散した。 そうだ。勝つとか負けるとか、そんなこと言ってる場合じゃないじゃないか。 上半身だけをひねり、浮いているスキュラにアサルトで銃弾を浴びせる。 俺は、芝村と一緒の機体に乗ってる。 体を撃ちぬかれ落下するスキュラを目の端で確認し、また大きく跳んで大太刀をキメラに叩きつける。 俺がミスしたら芝村も死んじゃうんだ。俺が好きだって思った奴がいなくなっちゃうんだ。 だったら―― 死ぬ気で戦って生き残るしかねえだろうが、こんちくしょう! 今はそれ以外のことは――関係ないっ! 暴れ出したくなるような重圧感の中で、滝川はもう一度士魂号を跳ねさせた。 「……18機撃墜。惜しいところで銀剣には届かなかったな」 瀬戸口がデータをチェックしながら肩をすくめた。戦闘が終了したあとは、オペレーターは戦闘データの整理に追われる。 司令席に座って相変わらずにこにこしながら部下の仕事を眺めている速水に、そっと言ってみる。 「……実際に全滅させるとは思ってなかったんだろう?」 「………」 速水は答えない。瀬戸口はもう一押ししてみることにした。 「俺も初の複座型の戦闘でここまでの戦果を叩き出すとは思ってなかったよ。あいつ、思ってたより才能あるんだな」 「……うるさいよ、瀬戸口?」 速水に微笑みながらそう言われ、瀬戸口は黙って仕事に戻った。 手を動かしながら、考える。 『あいつ、今回の戦闘で途中から動きが変わった。死ぬことを前提とした動きから、生き残ることを前提とした動きに』 思わず顔をしかめてしまう。 『それ自体はまあいいことなんだが――ミサイルを撃つ時までの、あの淀みのなさは。あいつ、ことによると、本当に――』 どちらにしても、今自分が考えてもせん無いことだ。 瀬戸口は頭を振って、考えるのをやめた。 |