「あと何分ぐらいでできるんだ?」 茜のぶっきらぼうな問いに中村は後片付けの手を休めてオーブンを覗きこんだ。 「んー、十分ちょいってところかいね」 「ふーん……お前仕事はサボるくせにこういうことにはマメだよな」 「ははは、まあ相性ってやつばい。ぬしゃかて頭脳労働は得手でんこういうことは好きじゃなかろ?」 「僕に不得意なことなんかないぞ。お前と一緒にするな」 「ま、そういうこつにしょっかいね」 「ふん」 茜は食堂の椅子に足を組んで座り、調理場の中村をじっと見つめる。 中村は茜に背中を向けたまま、後片付けを再開した。 「しかし、すまんね。わざわざつきあってもらって」 「別に。今日のぶんの仕事は終わってたからな。僕は整備士だから、これ以上訓練してもさほど意味はないし」 「そげんこつ言って、滝川とはよう一緒に訓練しちょるやなか?」 「……それは、お前もだろう」 「ほんなこつ」 中村がわずかに笑んだ気配。容器を洗う音が絶え間なく聞こえる。 茜はその背中をじっと見つめながら、小さく息を吐いて髪をかきあげた。 「……まったく、あんなバカに付き合うなんてお前もたいがいお人よしだな」 「滝川はバカかいね?」 「バカに決まってるだろう。……その実体も知らず芝村と付き合うなんてバカ以外の何者でもない」 一瞬ガチャガチャいう容器を洗う音が止まり、すぐ再開した。 茜は忌々しげに、というより半ば苦しげにのろのろと言葉を連ねる。 「あいつは芝村の本性を何もわかっていない。芝村っていうのは殺人者と独裁者の集まりだ。あの女だって、それは例外じゃない。必要となれば恋人でも眉ひとつ動かさずに殺す、冷酷非常としか言いようのない人間だ。見かけに騙されて、血迷ってやがる」 中村は答えなかった。聞こえるのは容器を洗うがしゃがしゃという音だけ。 「おまけに速水とあの女を巡って恋の鞘当てだって? 馬鹿馬鹿しい。いっそ散々にやられてあの女を奪われればいいんだ。速水ならあの女と一緒にいても殺されはしないだろう。腕の一本や二本失ってもあいつにはそのくらいいい薬だ」 中村はやはり答えない。 茜はだんだんと喋る早さを上げてきた。 「あいつは芝村に連なるってことがどういうことかまるでわかってないんだ。芝村に庇護される代わりに芝村の敵を丸ごと引き受けるってことなんだぞ。それどころじゃない。味方であるはずの芝村からだって一歩間違えれば殺されるんだ。行動の全てに最大限の注意を払ったってまだ足りやしない。そこのところがあいつは全然わかってない。わかったところであのバカにそんな器用な真似できるわけない。だから遅かれ早かれ死ぬしかないってことになるんだよあのバカは!」 ダンッ! と強くテーブルを叩く。 ギリギリと歯を噛み締め、瞳には激情を燃やし、ギッと中空を睨んでいる。今にも誰かに殴りかかりそうな勢いだった。 中村は水を止めると、振り向いて茜のそばに寄ってきた。茜の隣に座って、同じように、だがいくぶん穏やかな瞳で宙を眺める。 「ばってん、滝川は幸せそうたい」 「……ああ」 拳をさらに強く握り締め、低い声で言う。 「わかってる。それはわかってる。あいつ芝村と付き合ってから前にも増してバカ元気になったよな。速水に攻撃されてるのに、しょっちゅう嬉しそうな顔してるよな」 「あいつはほんなこつ芝村を好いとうとやろね」 ダン! と茜がまたテーブルを叩いた。 「好き!? 好きだって、馬鹿馬鹿しい! 十年早いんだよあのバカガキには! 命がなくなるんだぞ、芝村と付き合ってたら! 勝ち続けている間は生かされておいても利用価値がなくなったら即首切りだ! その前だっていつ謀殺されるかわからないんだぞ! 今だって速水に攻撃されてるくせに……あのバカは!」 「うわ! なんだ茜、大声張り上げて」 びく、と茜が体を震わせた。 滝川が食堂兼調理場に入ってきていたのだ。 中村は大きく笑みを浮かべて立ちあがる。 「はは、まあいつものことばい。それよりぬしゃがこげん場所にくるなんて珍しかね」 「あ、そうだよ! おれ、芝村探してたんだ。茜、中村、芝村どこにいるか知らねえ?」 「知らん」 「俺も知らん。いないんかいな?」 「……っていうかさ……なんか、俺避けられてるみたいなんだよな」 「……なんで」 茜に問われて、滝川は困った顔になった。 「俺だってわかんねえよ。けどさ、なんか……朝会って挨拶したら顔真っ赤にして先行っちゃうし、昼一緒に食おうとしたら逃げるみてーに教室出ていっちゃうし。昨日もそんな感じだったんだぜ、顔を見たら急に真っ赤になって走って行っちまって。俺、なんにもしてねえのに」 「……そりゃ浮気だな」 茜が皮肉っぽく呟き、滝川は目を丸くした。 「う、浮気?」 「ああ。浮気したから罪の重さに耐えられなくてお前と顔を合わせられないんだ」 「ンなバカな……! 芝村は、そんなことしねえぞ! ……たぶん……」 「お前も確信はないわけだ」 そう言ってやるとぐっ、と言葉に詰まってしまう。 「でなきゃアレだな、お前がすげえひどいことを無意識にしていてメチャクチャ怒ってるとか」 「ええっ!?」 滝川は驚愕の表情で顔を硬直させた。 「そんなー! おれ、そんなことしたのか!? ど、どど、どうしよう茜ー!」 「知るか」 「中村ー!」 中村は苦笑するように頬をかいてみせた。 滝川は半ばパニックに陥ったようにおろおろしながら辺りをうろうろする。 「どうしよう、どーしよおー! 俺、本当に芝村に嫌われてたら……どーすりゃいいんだよー!」 「そうなりゃ破局だ。オメデトウ」 そう言われて滝川はきっと茜を睨みつけた。 「人事だと思って勝手なこと言うなよ! 俺、芝村と別れるなんて絶対ヤだからな!」 「弁当作ってもらえなくなるからか?」 「え……いや、そりゃそれもあるけど……」 正直に顔を赤らめて答える滝川に、茜はため息をついた。 「……なんにしろ、ここでくすぶってたってしょうがないだろ。そんな時間があるならとっとと芝村を探しにいけ」 「茜……」 滝川は、言われて緊張した顔で頷いた。 「うん、そうだよな。サンキュ、茜」 「……フン」 と、その時チーン! とオーブンが鳴った。 「え? 何ナニ?」 「おお、ナイスタイミングでクッキーが焼けたばい」 中村はオーブンの扉を開け、天板を取り出した。 「ほれ、一個持ってくばい」 「サーンキュ!」 滝川はクッキーを一個掴み取り、口に運んだ。 「うん、うまい!」 「そらよか」 「じゃーな、中村、茜! 俺、芝村探してくるから!」 言うや滝川は食道兼調理場を飛び出して行った。 とたん、茜は大声でわめく。 「なにが芝村探してくるだ、バカじゃないのかあいつは! そういう呑気なことを言ってられるほど状況に余裕があるのか!? あの女もこんな時に滝川から目を離しやがって!」 ガン! とテーブルを叩く。 「おまけになんなんだ僕は。何であいつを励ましてるんだ!? あんなやつ芝村にこっぴどく振られちまえばいいと思ってるくせに!」 「茜」 ポンポン、と中村が背中を叩く。 「滝川は自分で決めて、頑張っとる。それなら俺らはそれを見守って、たまに手助けするくらいしかできんじゃろ」 「………」 「あいつは本気で芝村とつきあっとる。そのせいで起こる障害も乗り越える気でいるんじゃなかろうか。付き合ってやろ、な?」 「………っ!」 茜はガスガスと足を踏み鳴らした。 瞳の表面がちりちりと熱いのは、気のせいだということに決めた。 |