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「みんな、お昼にしないか?」
 午前の授業が終わってすぐ、瀬戸口が1組教室に残っていた面々に呼びかけた。
「よっしゃ、オッケイ!」
 真っ先にそう答えたのは滝川だった。
 嬉しそうに顔を笑ませて、ぴょんと自分の席から飛び降りる。
「オッケイって、滝川。お弁当持ってきてるの?」
 滝川の隣に座っている速水が、自分の弁当を取り出しながら首を傾げつつたずねた。
「え、みんな弁当なの?」
「まったく、滝川ったら。少しは学習しなよ。君がお昼にしようって言って弁当だからって断られることが何回あったと思ってるの?」
 速水はくすくす笑いながらきょとんとした顔の滝川に言う。
「なんだよー、みんな冷てえの。たまには一緒に味のれんで食ってもいいじゃんか」
「悪いな、少年。今度は朝に売店でサンドイッチでも買ってきてくれよ」
 ぽんと滝川の頭に手をのせて言う瀬戸口。
「ちぇっ……。しゃーねえ、芝村! 弁当ないモン同士、味のれんでアップルパイでも食おうぜ!」
「…ふむ、いいだろう」
 誘われて教科書を片付けていた舞も軽くうなずき、二人は連れだって教室を出ていく。
 それを微笑みながら目で追う速水に、瀬戸口が近寄って、耳のそばでささやいた。
「……気になるか?」
「え? 何が?」
 にっこり笑った顔で瀬戸口に振り向く速水。その顔はどこからどう見ても心の底から笑っているとしか見えない。
 瀬戸口は軽く肩をすくめると、そこにいたみんなに聞こえるよう声を張り上げた。
「じゃあ食堂兼調理場に行くとしよう」

 瀬戸口の昼食の誘いに応じたメンバーは、速水、若宮、来須の三人だった。
 食堂でそれぞれ席につき、みんなで礼儀正しく一礼してから食べ始める。
 若宮は一心不乱に飯を口の中にかっ込んでいるし、来須は寡黙だしなので、話すのは自然と瀬戸口と速水の二人になった。
 TVの話題、今朝見た女性の話題。
 ごくくだらないことを話していたが、ふと話題が途切れた。
 速水が特に新しい話題を持ち出そうとせず黙ってサンドイッチを食べていると、瀬戸口がくだらないことを話していたときとまったく同じ調子で言った。
「速水、お前滝川のことどう思う」
「どうって?」
 きょとんとした表情になってたずねかえす速水。
「何か、変ったと思わないか?」
「……そう?」
 速水は小首をかしげて口の中のサンドイッチを飲みこんだ。
「まあ、前より訓練とか熱心にやってるのは確かだよね。技能の訓練とかもやってるみたいだし。別に、いいことだと思うけど?」
「俺も別に悪いことだ、なんて言ってないがね」
 瀬戸口は小さく肩をすくめた。
「ただ、少しばかり妙だと思うだけさ」
「妙って?」
「そうだな……」
 瀬戸口はわずかに眉をひそめ、箸を宙にさまよわせた。
「まず……異常なくらい効率いい訓練をしてるってことかな」
「効率いい訓練?」
 おうむ返しに尋ねる速水。
「ああ。本当に限界ギリギリまで訓練してる」
「限界ギリギリ?」
 速水はまた小首を傾げてみせた。
「……でもさ、僕一回も滝川が倒れるところとか見たことないよ。そりゃ疲れてフラフラになってるとことかは見たことあるけどさ」
「そりゃ体力の限界までやるんならな。毎日ぶっ倒れては運ばれるってことになるだろうさ。あいつは時間を限界ギリギリまで使ってるんだ」
「……よく、わからないんだけど?」
 少しばかり眉をひそめて速水が言う。瀬戸口は箸を小さく振りながら、講義しているような口調で答えた。
「本来体力訓練の基本は長期間にわたって、根気よく″だが、俺達は本来の人間とは筋肉の組成がそもそも違うから基本的には訓練すればするほど筋力も筋持久力もアップする。ぶっ倒れるまでっていうのもそりゃそれなりに体力はつくが……ああいう軍隊式の訓練っていうのはフォローする人間、指導者がいて初めて成立する。あれはどちらかというと指導者に対する畏怖の念と反発心を同時に植え付けて訓練に邁進させるためと、軍隊の規律を体で覚え込ませて体から先に軍隊らしく動けるよう仕向けるため、ってのが大きいんだからな」
 瀬戸口が最後のくだりにさしかかった時若宮が飯をかっ込む手をぴたりと止めたが、しばらくしてからまた再開した。
 瀬戸口は話を続ける。
「滝川は倒れそうになった時点で体力を回復し、気絶するかしないかギリギリのところを綱渡りでもするみたいに渡って訓練してる。気絶するっていうのはしばらくの間体がコントロール不能の状態に置かれるってことで、訓練の観点から見たら――無駄な時間だ。あいつは無駄な時間をまったくと言っていいほど作ってないんだ。毎日朝六時まできっちり訓練してる」
「朝六時だと?」
 不意に、若宮が手を止めて口を挟んできた。口の周りには飯粒をつけたままなのに、表情はまったく変化がないのでひどく不調和な感じだ。
「睡眠時間はどうしてるんだ。授業中しょっちゅう舟を漕いでいるのは見たことがあるが、そんなもので疲れはとれまい」
 まるで詰問するような口調に、瀬戸口は肩をすくめた。
「あんたが知らなかったとは意外だな、若宮十翼長。第6世代のクローンは神経細胞のつくりも本来の人間とは違う。本来の意味での睡眠時間は2時間あれば十分なんだ。その2時間は深い睡眠状態に落ちていることが必要だし、完全に筋肉疲労や神経疲労が回復するわけじゃないが、それは十分な筋持久力と神経耐久力があればカバーできる」
「む……」
 口元をしかめて黙り込んだ若宮の脇から、速水がまじまじと瀬戸口を見つめ言った。
「瀬戸口って、よくそんな詳しいこと知ってるね……」
 瀬戸口はわざとらしくにやりと笑った。
「なあに、もてる男ってのは意外なことをよく知っているもんさ」
「でもさ、滝川が6時まで訓練してたのを知ってるってことは、6時までずっと滝川のことつけまわしてたってこと?」
 にっこり笑って言う速水に一瞬絶句したものの、すぐに瀬戸口は微笑んで答えた。
「俺の愛は守備範囲が広いのさ」
「なんかストーカーみたいな台詞だね」
「………」
 無邪気な笑顔でそう言われて固まった瀬戸口にかまわず、速水は売店で買ったパックの紅茶を一啜りして言う。
「でも、なんにせよ結構なことじゃない。どういうわけかは知らないけど、滝川が真面目に訓練する気になったんだからさ。まだ二番機パイロットは欠員状態なわけだし」
 二番機パイロットは小隊が結成されて一週間以上経つのにまだ補充されていなかった。別に無職の人間が二番機パイロットになるのを待っていたわけではなく、単にそれぞれ自分の部署の仕事をまともなレベルにまで引き上げるのに必死で、そこまで手が回らなかったのである。
「滝川が士魂徽章取ってパイロットになってくれれば、他の部署を手薄にせずにすむものね。戦場に出る人間の生存確率が上がるし、いいことだと思うけどな」
 あっけらかんと言う速水に、若宮もしかめていた顔を苦笑気味に崩して言う。
「まあ、そういうことだな。滝川が俺より厳しい訓練をしたと聞くと忸怩たるものがあるが、俺もあいつに負ける気はないからな。こちらにとっても刺激になる、良いことを聞いた」
「いや、そういうことを言ってるんじゃなくてな……」
 硬直から回復した瀬戸口が、ピントのずれた若宮の答えに眉をひそめて言う。
「妙だって言ってるのさ、俺は」
「何が?」
 若宮と速水に声を揃えて問われ、瀬戸口は肩をすくめ言った。その口調はさっきまでと同じで、乱れがない。
「なんで軍隊式の訓練が広く使われてるかって言ったら、普通の人間にはいきなり自分の限界まで訓練を行うなんてことはできないからだ。自分の全てを訓練にかけるなんてのは、一般人には精神的に不可能なんだよ。で、滝川は数日前まで、その一般人とほぼ同じ行動をとってたわけだ。自分の体を酷使することもなく、気まぐれにちょっと訓練してすぐやめるって風にな。そんなあいつが、なぜいきなり時間をギリギリまで使って、自分の限界を巧みに見極めて効率のいい訓練をすることができるようになるんだ?」
 若宮は、ふと、こいつの口調がいつもとまったく変らないのは自分の感情を抑えこんでいるせいじゃないか、と思った。自分の行動を普段と同じように矯正することで、感情をコントロールしているのだ。
「正直、俺はあいつが自分の意思で訓練してるようには見えないね」
「自分の意思じゃないなら誰の意思だって言うんだよ」
 瀬戸口はいつもとまったく同じ口調でまた肩をすくめ言った。
「それがわかってればわざわざこんな話しやしないさ」
 沈黙が降りた。
 速水は無言でサンドイッチをぱくつき、若宮は残りわずかになった飯をゆっくり噛み締めながら食べている。瀬戸口もおかずの炒めたソーセージを口に運んだ。
 ふいに、かたり、と音がした。
 反射的に集中する視線の先にいたのは、来須だった。いつのまにか弁当を食べ終わり、箸をしまった音だったのだ。
 来須は無言のまま一礼して立ち上がり、食堂を出かけて――
 不意に、足を止め、振り向いて言った。
「……あいつは、強くなる」
 3人は少しばかりあっけにとられて目を丸くしたが、かまわず来須は続けた。
「……たぶんな」
 そう言って、今度こそ食堂を出ていく。
 残された3人はしばし黙って座っていたが、やがて速水が一礼して言った。
「ごちそうさまでした」
 すっと立ち上がり、瀬戸口に言う。
「別になんでもいいじゃない。滝川が一生懸命訓練しようっていうんだから。今までよりずっとマシだよ」
「そうだな」
 若宮も弁当を食べ終わり、立ち上がった。
「さっきも言ったが、俺はあいつに訓練の量でも質でも負けてやる気はないがな。真面目に訓練する人間が増えるのは大歓迎だ」
「若宮さん、昼休みの間、ちょっと訓練でもします?」
「よし、俺の力を見せてやろう」
 速水と若宮は連れだって喋りながら食堂を出ていき、後には瀬戸口が残った。
 瀬戸口の顔はさっきまでとはまったく違う、張り付いたような無表情になっていた。
 紫色の、底冷えのする眼で宙を睨んでいる。
 やがて、小さな声で一人ごちた。
「……本当に、ただ一生懸命訓練しているだけならいいんだがな」
 そう言ってすっと立ち上がり、また一言。
「まあいいさ、どうせ俺にできるのは見守ることだけだ」
 瀬戸口は缶コーヒーの残りを一気にあおって、宙を見つめ、祈るような、ひどく敬虔な声で言った。
「願わくば、あいつが血の涙を流すことがありませんように……」
 そう言うと瀬戸口はコーヒーの缶をひょいと食堂の隅のゴミ箱に投げ入れ、食堂を出ていった。


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