4/12・U〜ののみ
 びくり、とののみは体を震わせた。
 声が聞こえる。
 暗い、心の声が。
「滝川機! 立ち止まるな! 狙い撃ちされるぞ!」
「何をやっている滝川機! 死にたいのかこの大馬鹿者! さっさと返事をしろ! ……滝川っ!」
 指揮車内は騒然としていた。大量の敵増援が出てきてただでさえまずい状況だというのに、三番機が急に敵陣のど真ん中で棒立ちになってしまったからだ。
 三番機からの返答はない。瀬戸口が舌打ちをして、コンソールを叩いて緊急通信回線を開く。
『……滝川! 滝川っ! 何を呆けているこのたわけっ!』
 通信機の向こうから、ノイズ混じりの舞の声が聞こえてきた。
「……舞は無事なようだな」
 速水が押し殺したような声音でそう言うと、通信用マイクを手に取って怒鳴る。
「芝村万翼長! 聞こえるか! 状況を報告せよ!」
『……司令か? 状況もなにもあるか! こやつが……滝川が、一声叫んだきり突然まったく動かなくなったのだ! 蹴っても殴ってもぴくりとも反応せん!』
「……瀬戸口! 滝川の身体状況を報告せよ!」
 速水が言う前に計器のチェックをしていた瀬戸口は、一瞬絶句して、ぼそりと言った。
「……寝てる」
「……なに?」
「脳波がレム睡眠中の波形を示してる。寝ながら夢を見てるとしか思えない」
「…………」
 速水は一瞬ぎゅっと目を閉じ、かっと開くと矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「芝村万翼長! 敵幻獣の攻撃範囲内から離脱せよ! ガンナー席からでもそれくらいの操作はできるはずだ! 壬生屋機は十時の方向へ進み、ミノタウロスを斬りまくれ! 他の幻獣にはかまうな! 善行機は二時方向のスキュラにバズーカで一射、継続してそのスキュラに攻撃を集中させろ!」
『りょ、了解!』
『了解しました』
『待て! 三番機のミサイルなしでこれだけの敵を相手にするのは……』
「難しいな。だが、滝川の操縦なしで敵中でミサイルを撃とうとすれば集中攻撃されることはほぼ確実だ。三番機を失っては元も子もない、とにかく今は離脱しろ!」
『く……了解!』
 三番機がくるりと後ろを向いて走り出す。それを合図にしたかのように、他の二機とスカウトも動き始める。
 だがののみはそれに気付きもせず、ぎゅっと自分の体を抱きしめた。
 寒い。
 ひどく悲しい、冷えた心が伝わってくる。
 ののみは口の中で、小さく呟いた。
「よーちゃん……」

「……滝川機の神経接続が性能低下!」
 瀬戸口が滝川機の性能低下報告を――今まで一度も出されなかった報告を大声で告げる。
 ガンナー席からの非常入力でのろのろと戦線を離脱しようとする三番機に、幻獣たちは次々と攻撃を加えていた。
 むろん友軍にも、5121小隊の他の機体にも次々と攻撃が加えられ、確実に戦力を削っていく。
「……全機、撤退準備にかかれ」
『司令!』
 速水の冷静を通り越して冷徹に聞こえる声に、舞が即座に反応した。
『友軍はまだ戦っている! 最大の戦力である我らが先に撤退してどうするのだ!』
「友軍にも警告は送る。最大の戦力だからこそこれ以上の損害を受けることは熊本全体の戦力比に関わってくるんだ。……どちらにしろ、じきに準竜師から撤退命令が下る」
『く……!』
 舞の心底口惜しそうな声。善行がややかすれた声で言葉を挟んだ。
『……初めての、負け戦ですね』
「無駄口を叩くな。壬生屋機は目の前のミノタウロスを倒したら三時の方向へ抜けて撤退ラインまで走れ。善行機はそのまま後ろを向いて逃げ出せばいい。芝村万翼長は……っ!?」
 速水が一瞬大きく目を見開いて硬直した。三番機が急に、敵攻撃範囲を離脱する少し前、ちょうどスキュラのレーザーの有効射程距離ギリギリのあたりでぴたりと移動を止めたのだ。
「何をやっている芝村万翼長! 背中から狙い撃ちされるぞ!」
『私がやっているのではない! パイロット席から入力をリセットされたのだ!』
「滝川が起きたのか!?」
『いや、さっきと様子はまったく……』
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
 絶叫が通信機を通して指揮車の中に響いた。――滝川の声だ。
「滝川っ!?」
『滝川、何をやって……』
『違う! 違う違う! あれはそんな大したことじゃない! あれは俺が悪かったんだ、俺のせいなんだ、俺がバカだったから……!』
「……滝川?」
『何を言っているのだ!?』
 通信機の向こうからがたん、ごとんという大きな音が聞こえてくる。滝川が暴れているのだ、とののみは理解した。そして暴れながら、多分他の人にはわけがわからないことを喚き散らす。
『そんなんじゃない、そんなんじゃ……! 俺はただ頑張らなくちゃって思って……! 違う……違う、違う……! やめて……やめてくれよぉっ!』
 舞が、速水が、瀬戸口が叫び、滝川に呼びかける。ののみには、それが届かないだろうことがわかっていた。
「ふぇ……うぇぇぇん……」
 ののみは声を上げて泣いた。
「ののみ? どうした?」
 瀬戸口がすぐに気付いて自分を抱き寄せてくれる。それでもののみは泣きやめなかった。うっくうっくと泣きながら、必死に訴える。
「めーなこころが見えるの……よーちゃん、ないてるの……げんじゅーさんたちも、めーなの……こえが、きこえるの……」
 ののみは泣きながら瀬戸口を抱きしめた。ひどく、悲しい。
 みんなみんな、伝わってくる心はみんな、泣いてしまうほど悲しかった。
「めーなの……かなしいのは、めーなの……」
「ののみ……」
 瀬戸口はぎゅっとののみを抱きしめた。それでもののみは泣き止めない。
 めーなこころ″がいっぱいだ。そしてそれは、とても悲しい。悲しい心がののみの心に伝わってきて、ののみはひたすら泣いた。泣き声が通信機を通して戦場に響いた。
 ――と、速水が感情を押さえつけた声音で言葉を漏らした。
「…………何が起きたんだ?」
 ののみはまだ泣きながら速水の視線の先を見た。そこにあったのは、レーダーマップだった。
 ――レーダーマップから、一つずつ、幻獣が消えていく。
 壬生屋の戸惑ったような声が聞こえた。
『幻獣が……消えていきます。倒した時とは違う、なんの悲鳴も上げず、溶けるように……』
『これは……一体……』
 善行も困惑した風な声を出す。
 ナーガ、キメラ、スキュラ、ゴルゴーン、ミノタウロス。種類も順番もバラバラに、どんどんと幻獣が消えていく。
 レーダーマップから完全に幻獣を示す光点が消えた時、瀬戸口が呟くように言った。
「……幻獣反応、完全に消失しました」
 しばし、指揮車内も通信機の向こうも完全に沈黙した。一分近い間をおいてから、速水が半ば独り言のように言う。
「…………滝川は?」
『…………寝ているようだ』
 舞がそう答えても、ののみはまだ悲しくてたまらず、うっくうっくと声をあげていた。

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