「…………芝村」 そう言ったきり、病院のベッドの上で滝川は硬直した。 舞は無表情を作りながらも、内心はかなり狼狽していた。 なんと言えばいいのだろう。現在の舞の滝川に対する心情はかなり不分明だった。 滝川の取った行動を考えれば十発や二十発殴ってもいいような気もするが、滝川があんな行動を取ったのは何か理由があるはずだとも思えるし、その理由を知りたい気もするし、でも滝川が戦士にあるまじき行動を取ったのは同じ戦場に戦う者として腹が立つし、だけど滝川がひどく辛そうだったのはわかるからそれについて一言言ってやりたい気もするし―― 考えた末に出てきたのは、結局、 「たわけ」 という一言だった。 ――我ながら芸がない。まあ、自分には似合っているか。 滝川は硬直したままじっとこちらを見つめている。そこにぽんぽんと言葉を投げかける。 「なんだあの様は。この大たわけが。幻獣が消えたからよかったものの、本来なら友軍も、我々自身も危なかったところだぞ。自分がどれだけ愚かなことをやったか分かっているのか、そなたは」 ――どうも違う。今ひとつ自分の心情を過不足なく表しているという気がしない。 言葉が足りないのだろうか。それとも多いのだろうか。そういう問題ではないような気もするが、そもそも自分の感情が不分明なせいかなんと言うべきかどうもはっきりしない。 眉を寄せて口を閉じる舞に、滝川は半ば呆然としながらぽつりと言った。 「……俺、何したんだ?」 「覚えていないのか」 こくん、とうなずく滝川。 舞は少々苛立ったが、全く予測していないわけでもない答えだったのでぶっきらぼうに言った。 「お前は戦闘中に突然意識を失い、その後も離脱途中に錯乱してこちらからの入力をキャンセルしたりしたのだ」 「…………」 そう言われても滝川は呆然としている。 舞は苛立って、言葉を投げかけた。 「何か言うべきことはないのか」 「……幻獣は、どうなったんだ?」 「幻獣は消えた。こちらが何もしないのに溶けるようにな。理由は分からん」 「…………」 滝川はやはり呆然としていたが、舞はその口がなにやら言葉を紡いでいることに気付いた。 「……じゃああれはなんだったんだろう。幻獣? 幻獣なのか? じゃああいつは誰だったんだろう。俺に話しかけてきたあいつは。それともあれ全部ただの夢なのか? 違う、違うよ、あれは確かに、間違いなく――」 「滝川!」 舞にあからさまに苛立った声をかけられ、滝川はびくりとした。 今にも泣きそうな顔で、こちらを向く。 「もう一度言う。何か言うべきことはないのか」 「………ごめん、芝村………」 「何を謝っているのだ?」 「俺、最低な奴なんだ。少しはマシな奴になれたかなって思えてたけど、本当は全然変わってなくて、最初からずっと最低な奴だったんだ……」 「お前がそう言うのなら、そうなのであろうな。お前が言うべきことはそんなことなのか?」 「それだけじゃない!」 滝川が勢いよくかぶりを振る。そこに舞は冷たい声で言った。 「お前の内省に付き合うほど私は暇ではないぞ。おまえは私にパートナーとしてなぜ戦場であんな事態に陥ったのか分かる限り理由を説明すべきではないのか? そして二度とあのようなことを起こさぬよう対処するのが我々のすべきことだろう」 そう言った途端舞は強烈な違和感に襲われた。――自分の言いたいことはこんなことではない。 だが滝川は舞の内心の葛藤など当然知りもせず、うつむいた。 「そうだよな……本当はそうしなくちゃいけないんだよな」 「…………」 「……ここ、どこだ?」 滝川が急に話題を変えた。 「熊本市立病院だ。お前の心身に何か異常があるのではないかと帰還後病院に運んだのだ。検査の結果全て正常と判明したが」 「俺が意識を失ってから、どのくらい経ってるんだ?」 「二十四時間と三十五分だ。現在の時刻は午後四時三分だ」 「……お前、ずっとついててくれたのか?」 「それがどうした」 滝川は「う……」と泣きそうな声を漏らした。 「……ごめん、芝村」 「お前は何を謝っているのだ。意味のない謝罪など、私は受け入れる気はないぞ」 「うん……そうだよな。でも俺には謝ることしか思いつかない。芝村は俺にこんなにいろいろしてくれるのに、俺なんにも返せない。俺、お前に顔向けできないよ……」 「貴様……!」 舞はかっとなった。何を言っているのだこいつは。 自分は滝川に謝ってほしいわけでも何かを返してほしいわけでもない。そんなことも分からないのか。 ただ自分は―――― ただ? なんだ? 舞が自分の気持ちを量りかねて混乱しているところに、滝川はうつむいたままぼそぼそと言った。 「俺、馬鹿だった……うぬぼれてた。もう自分のこと一人前だと思ってたんだ。本当はまだ、こんなにガキで馬鹿なのに。俺、芝村が俺のこと好きになってくれてるんじゃないかと思ったんだ。ホント、馬鹿だよな。考えてみりゃ、俺なんか芝村が好きになるはずないのに」 「な――――」 舞は呆然とした。 何を言っているのだ、こいつは? いまさら、何を? いわゆる恋人関係にあって同じ機体に乗っているパートナーでずっと一緒に戦ってきてお前は私のカダヤだと言った時うなずいておきながら、何を言うのだ? ――――でも、そう言えば自分は滝川にきちんと好意を示したことがない。 舞はそのことに気付いて、愕然とした。言葉で好意を示したことも、ことさら親切にしてやったこともない。最初の告白に応えた言葉は『お前が分からないから知りたい』だった。それからもずっと睦言の一つも囁いたことがない。『カダヤにする』という言葉の意味だって滝川は分かっていないだろう。 だが、信頼していた。同じ機体に乗って自分の命を預けていた。自分の全てを賭けて鍛え上げようと思った。心から―――想っていた。 それが――全て空回りだったのか? 全部自分の勘違いで、通じていると思ったのはうぬぼれだったのか? 本当は何も、伝わっていなかったのか? 言葉が出なかった。心臓が割れるように痛かった。指先がひどく冷たく感じられた。体中が凍りついたように動かなかった。 滝川がのろのろと顔を上げる。その瞳には涙がいっぱい溜まっていた。 「俺――――」 ウゥゥゥゥゥゥゥ――――。 多目的結晶体から響くサイレンの音に、舞はのろのろと体を動かした。 出撃の合図だ。行かなければ。 「―――行くぞ、滝川」 舞は滝川の腕を掴んだ。滝川と顔を見合わせたくなかったからだ。 滝川はバッと舞の手を振り払って、言った。 「――――俺、行かない」 「――――なに?」 「行きたくない」 その瞬間、舞は全力で滝川の顔を殴っていた。バキッ、という鈍い音がして、殴った自分の手もひどく痛んだ。 「お前は何を言っているのだ! 行きたくないだと!? 本気で言っているのか!? 行きたくなければ行かないですむと、本気で思っているのか!? 我々が行かなければどうなるか、それを分かっていて行かないと言うのか!」 「………だって!」 滝川はボロボロ涙をこぼしながら、顔をくしゃくしゃにして舞を見た。本気で泣きじゃくっていた。 「戦いに出たら、人が死ぬんだぞ!? それまで生きてた奴が、死んじゃうんだぞ!? みんな生きていたいって思ってるのに、頑張って生きてきたはずなのに、それが全部なくなっちゃうんだ! そんな……そんなひどいこと、俺嫌だ! 人を殺すなんて、そんなひどいこと、あっちゃいけないのに……!」 「この大たわけ者! ならば布団を被って震えていればすむのか!? 誰もが命を賭して戦っている、それは当たり前のことだ! 生きるために、死の危険があることを覚悟して戦っているのだ、お前は今まで戦ってきてそんなことも分かっていなかったのか!?」 「分かってたよ! 分かってたつもりだったよ!」 滝川は泣きながら首を振った。涙が辺りに飛び散る。 「でもホントは全然分かってなかったんだ。ただ見ないフリしてただけだったんだ! 命を賭して戦うって、それが当たり前でホントにいいのかよ!? たくさんの人が本当は死にたくなくて逃げ出したいのに、仕方ないからって自分誤魔化して、そんで死んでく! 本当は覚悟できてる奴なんていない! なのにこんなにほいほい人が死んでくって……そんなひでえこと、あっていいのか……!? 命って、そんなに……軽いもんなのか!?」 「現実から逃げてなんになる! 戦わなければ死ぬのだ、だから戦う、それだけだろう! お前は隣で人が殺されても、そんなお題目を唱えていられるのか!?」 「じゃあ殺される前に殺しちまえばいいってのか!? 同じ人の想いなのに、殺し合うしか方法ないのか!? 殺されたから殺し返して、そんでまた殺し返されて、そんなやり方しかねえのかよ、両方とも生きたいって思ってるのに!」 「――何を言って」 「俺はそんなの……嫌だ……嫌だよ」 滝川はうつむいて、肩を震わせた。舞は猛烈に感情が昂ぶって、頭がくらくらした。怒りとも哀しみともつかない、強烈な感情だった。 「……滝川……お前は言ったな。誰かが死ぬのが怖い、だからやっておかなくてはならないことをするのだと。あれは嘘だったのか?」 「……言った……嘘じゃない……」 「ならばなぜ逃げる! お前が戦わなければその分誰かが代わりに戦って、死んでいくのだぞ! お前は自分の代わりに誰かを殺されて、それで平気で生きていけるのか!?」 違う。違う。本当に言いたいのは、滝川に伝えたいのはこんなことではない。自分はただ―― 滝川はボロボロこぼれる涙を手で拭いながら、必死にかぶりを振った。 「そんなんじゃない……! 俺は、俺はただ……!」 「ただ、なんだ!」 「――――――………………なんでもない」 ――舞は気がつくと滝川を殴り倒し、涙をこぼしながらあのプレハブ校舎へ走っていた。 拒否″された。 そう感じた。 その感情が自分をひたすら走らせていた。こぼれる涙も拭かず、ただひたすら戦場へ向けて。 走りに走って、ハンガー内に飛びこもうとした舞の腕を誰かが掴んだ。 「放せ!」 「舞。……どうしたの? 滝川は?」 速水だった。だが舞は溢れる涙を隠しもせずに、ひたすら暴れる。 「滝川はこん! あやつのことなどもう知るか! あやつは私など、もうどうでもいいのだ!」 自分の言った言葉に傷つき、傷ついたことにショックを受けて、暴れに暴れる舞。 「舞。……舞、落ちついて……」 速水はぽんぽんと舞の背中を叩き、舞をなだめた。静かな声で、言い聞かせるように言う。 「とにかく今は出撃しなきゃならない。三番機は今回は出さないことにする。大丈夫、こんなことになるんじゃないかと思って幻獣勢力の一番少ない友軍も多い場所を選んでおいたから。舞はとにかく今は休んで。誰かそばにいた方がいい? 一人の方がいい?」 「………私は………」 うつむく舞の背中を優しく撫でる速水。 「一人の方がいいみたいだね。とにかくできるだけ急いで行ってくるから、ね? 帰ってきたら話聞くから。大丈夫だから」 そう言って速水は本当に大急ぎでカーゴと指揮車を出発させた。舞はそれを見送りもせず、教室に駆け込む。 誰もいない教室でしゃがみこみ、声を出さずに泣いた。 |