4/13・U〜速水W
「……よろしくお願いしますね。いやだなぁ、僕は別にあなたが二週間前熊本ホテルで誰といたかなんてことをマスコミに話すつもりなんて最初からありませんよ。……これからも仲良く、しましょうね。あはは、怒らないでくださいよ。……僕の言葉、忘れないでくださいね」
 学兵の人事を司る準竜師の一人への連絡を終えて、速水は自分のベッドで寝ている滝川を見た。
 滝川をリンチにかけていた奴らは、動きに支障はないがいつまでも痛みが残るように痛めつけて逃げ帰らせ、手を回して最前線へ転属させた。奴らはスカウトだったから、錬度から見てさほど寿命は長くあるまい。
 自分の手で殺したくなかったと言うと嘘になる。ただ、さすがに新市街のど真ん中では人目が多すぎる。自分が殺したということを滝川に知られたいとは思わなかった。
 滝川の肉体的な損傷は大したことはなかった。皮膚が少し切れたぐらいで筋肉にも骨にも全く損傷がない。一応手当てはしておいたが、しなくても行動に差し支えるようなことはなかっただろう。
 それでもやはり体中に殴る蹴るの痕をつけて唇や耳から血を流している滝川は、ひどく痛々しかった。
 速水はあちこちにガーゼを当てた痛ましい滝川の姿をじっと見つめる。滝川はひたすら眠り続けていた。ほんの数時間前まで二十四時間も寝ていたというのに。
 速水は完全な無表情で滝川の体の上から下まで何度も視線をぶつけながら、舞が来るのをじっと待った。

 ドアチャイムが鳴った。
 速水はドアフォンのところに行って一応チャイムを鳴らしたのが誰か確認する。速水は司令になったのを機に、トップレベルのセキュリティを誇る最高級マンションに引っ越していた。
 予想通り、カメラの向こうにいたのは舞だった。
「今鍵を開けるから。中に入ってきて。部屋番号は……」
『すでに聞いた』
 ぽつんと言葉が漏れて、舞はうつむいたままカメラの前から姿を消した。管理人にはすでに話を通してあるから、間違いはないだろう。
 数分後、今度は扉のすぐ向こうからチャイムが鳴る。速水はカメラで舞であることを確認して扉を開けた。
「………………」
 舞はうつむいて、無言のままじっと立っている。舞らしくないといえばこの上なく舞らしくない態度だが、速水はそれについては何も言及せず舞を部屋の中に招き入れた。
 優しい笑顔を浮かべながら舞を滝川の寝ている部屋まで連れてきた。
「滝川、今寝てるんだ。ちょっと寝過ぎだよね。起こそうか?」
「……………いい。起こしたところで、何を言えばいいのかわからぬ」
 本当に、ひどく舞らしくない台詞だ。だが、速水は微笑んで、
「そう」
 とだけ言ってお茶の準備を始めた。

 合成でない本物の紅茶を本格的な英国式のやり方で淹れる。自然の紅茶の柔らかい香りが部屋の中に充満した。
「どうぞ」
 とっておきのヴィクトリア朝時代のボーンチャイナ。ベッド脇のサイドボードで使うのはふさわしくない品ではあるが。
 香りを味わい、口に含み、広がる風味を楽しむ。
 舞が口をつける様子がないのを見て、少し冗談めかして言った。
「冷めないうちに飲まないと、味が落ちるよ」
「……わかっている」
 舞はカップを手に取ると、口をつけて一気に飲み干した。速水は少し困ったように微笑み、訊ねた。
「舌を火傷したんじゃない? 大丈夫?」
「……お前はなぜ、私に連絡してきたのだ」
 舞はぼそっと、押し出すように言った。速水はまた微笑んで言葉を返す。
「必要だと思ったからだよ」
「なぜそんなことがわかる。私はお前に何も話していないのに」
 戦闘から無事帰ってきた速水たちを出迎えた舞は、速水たちの質問に何も答えようとはしなかった。滝川はどうしたのか聞かれても、何があったのか聞かれても、皆が根負けするまでだんまりを押し通し、何も知らせぬまま解散したのだ。
 ――もっとも、速水は最初二、三質問をするとすぐに席を外してしまったのでそれは後から聞いた話だが。
「うん、僕には詳しい事情は何もわからない。でも、君が滝川のことで苦しんでいるのはわかる」
「………………」
「だから、君は滝川の顔を見たいだろうと思ったんだ。自分を苦しめている男の顔をね。幸い今は寝ていて、こちらに気づきもしないわけだし」
 すっと立ち上がって滝川の隣に立ち、静かに滝川を見下ろす。
「殺そうか? 銃ならあるよ。いくら鍛えに鍛えた第六世代でも脳に撃ち込めば簡単に殺せる」
 その言葉に舞は、のろのろと滝川の方を見た。
 あちこちにガーゼが当てられた、ぼろぼろの、情けない、グースカ惰眠をむさぼっている滝川の姿を上から下まで見て――静かに、柔らかく、優しく、けれど悲しそうに微笑んだ。
「いや……自分でも意外だが、私はこやつを殺したいとは思っていないらしい」
「……そう?」
 舞は微笑んだまま、ゆっくりとうなずいた。
「ああ。それどころか、話したいとはまだ思わんが――生きていてほしい、と思っているらしい」

 舞は結局、滝川を起こすことなく帰っていった。
「……話したいとはまだ℃vわない、か」
 速水はひとりごちて、窓から帰っていく舞の姿を見つめた。
「それは、今は話す気にもならないっていうこと? それとも、今はまだ話す勇気が出てこないっていうこと? ……たぶん、後者だろうね」
 速水の顔は完全な無表情だ。その顔のままカーテンを引こうとして、やめた。舞の姿から目を逸らし、どんよりと曇った空を見上げて言う。
「明日にはあれが来る……タイミングがよかったのか悪かったのか。熊本の戦局、ひいては人類の運命は幼い恋人たちの気持ちにかかっていますって? おとぎ話にもならないな。――でも、真実だ」
 速水は口を閉じた。自分が独り言をよく言うのは自覚していたが、それにしても今日は喋りすぎだ。
 ベッドに寝ている滝川の様子を伺う。滝川は相変わらず眠っていた。まぶたがぴくぴく動いている。
 速水はしばしじっと滝川を見つめ、やがてすっと体を滝川の方に乗り出させた。至近距離から滝川の顔を凝視する。
 ガーゼであちこちを覆われた傷だらけの顔。よく陽に焼けた褐色の肌。ぼさぼさの茶色の髪。
 そういうものに何度も何度も視線を這わせたあと、すっと滝川の顔に手を伸ばした。
 滝川の褐色の肌に、速水の白く細い指が触れる。滝川のまだ幼く柔らかいあごの線をゆっくりとなぞった。傷のついていない方の耳たぶを指先で撫で、挟み込む。
 そしてゆっくりと頬のガーゼを外した。まだふさがっていない、血の滲んだ傷跡が見える。
 速水は、すっとその傷跡に顔を近づけた。滲んだ血をじっと見つめる。そして、舌を出して、あと少しで傷跡に触れる、というところまで舌を近づけて――
「………速水?」
 滝川の言葉に硬直した。

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