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 首筋から打ち込まれた薬はすごい効き目だった。士魂号の操縦席はシミュレーターより狭いのに吐き気が起きない。見るもの全部にフィルターがかかってるような感じで、まるで自分の事じゃないみたいだ。
 頭が寝惚けてる時みたいにぼおっとしてるのに一部分だけは妙に鮮明で、これから自分は戦場に出ること、幻獣を一匹でも多く倒さなければならないこと、戦術の授業で習ったこと、射撃の訓練でなんとなく覚えたコツ――そして今朝寮で食べた朝食の味、訓練でへたりこんだ時に見た空の色、吐いた時のなんとも言えない胃のえずき――そんな関係のないものまで次々と浮かんでくる。
 感覚も一部分だけがやけにクリアだった。ウォードレスと自分の肌の間をつたう汗の感触、やけにうるさく耳に聞こえてくる心臓の鼓動、ひどく冷たく感じられる体、そういった全てがバラバラに、しかし鮮明に感じられる。
 小刻みに震える自分の体を抑えようと力を入れる――だが震えは激しくなる一方だった。額からも汗が次から次へと溢れてくる。
 額をぬぐうと、今の自分の体の失調原因は何かという問いがふいに浮かんでくる――
 自分は怖がっているのだ、と気付いたのはそのすぐ後だった。

「敵幻獣数20、距離二千!」
 瀬戸口が状況を報告する。
「全機微速前進、右方向に展開」
「了解、全機微速前進、右方向に展開!」
 善行の指示をオペレーターの二人が復唱した。出撃回数は既に片手にあまる数、おのおの自分の仕事を果たす手順によどみはない。
 ふと、善行が小さく顔をしかめ、脇の通信用マイクを手に取った。
「滝川戦士。少し下がって、壬生屋機と速水機の後ろにつきなさい」
『ひゃ…ひゃいっ!』
 加藤が思わず吹き出しそうになるのを咳払いでごまかす。瀬戸口も口の中で笑いを噛み殺した。
「今回の戦闘ではサポートに徹するように。……少し落ちつきなさい」
『ひゃい!』
 瀬戸口は表示されている滝川のデータを見て思わず口笛を吹きそうになった。普通薬の影響で身体状況はよっぽど興奮していても平常なのに、心拍数・体温・発汗、どれも尋常でない数値を示している。
 これはちょっとまずいかな、と頭の中だけで呟いた。
『大丈夫だよ、滝川。実際の戦闘だって基本的にはシミュレーターと同じなんだから。シミュレーター通りやろう』
『……うん』
 速水の言葉に答える滝川の返事は、妙に遅かった。

 幻獣の姿はビル群に遮られて見えなかった。ただ数と位置、種別だけが簡単な記号で目の端に表示されている。
 味方の分布も表示されていた。数は敵幻獣の半分以下だ。だが戦力評価としてはそう差はないと頭のどこかが冷静に判断した。
 坂上の授業で習ったことが妙に鮮明に思い出される。人と同じあらゆる戦術を駆使できる人型戦車の強さ。
 敵はせいぜいナーガやキメラクラス、かろうじてきたかぜゾンビが一機いるくらいだ。友軍には戦車もいるし、決して勝てない戦いではないと思える。
 なのになんでこんなに自分は怖がってるんだろう。
 足が目で見てもわかるほど大きく震える。体は冷たい感じなのに、口の中が妙にひりつく。額から冷や汗が吹き出ているのがはっきりわかる。
 なんなんだ、この感じ?
 俺はどうして怖がってるんだ?
 そりゃ死ぬかもしれないけど、そんなことわかりきってたことじゃないか。これは戦争なんだから。世界のみんなを守る為に命をかけて戦わなくちゃいけない――そういうものなんだろう?
 でも俺にそんなことができるのか? こんなに弱いこの俺に。
 思考がぐるぐる回り始めた。できるできないじゃない、やらなくちゃいけないんだ――できるわけないじゃないか俺なんかすぐに死んじまうに決まってる――自分で志願しておいていまさら――俺はパイロットになりたかっただけだ戦争したいわけじゃない――しょうがないじゃないか今は世界中が幻獣と戦争してるんだから――じゃあ俺がこのままなんの意味もなく死んでいくのもしょうがないのか何もしないままで――
 そしてそんな無駄に空転する思考を頭のどこかのひどく冷静な部分が今はそんなことを考えてる場合じゃないだろうとバカにしたように見つめている。
 そのひどく奇妙な、だが慣れ親しんでいるような気もする感覚に滝川は混乱した。
 ふいに、ビル群が途切れ景色が開けた。ちょっと向きを変えればまたすぐビル群に行き当たるが、とりあえず視線が通るようになり――まだはるか遠くにいる幻獣の姿が見えるようになった。
 赤い単眼が、ギロリと揃ってこちらを見るのを、滝川は確かに見たと思った。

 ふとレーダーを見て、善行が小さく眉根を寄せた。滝川機が他の二機より前に出ていたのだ。
 通信用マイクを手にとってスイッチを入れる。
「滝川戦士。少し下がりなさい。一人で突出しています」
 返答はなかった。全く。
 善行は一瞬ぎゅっと顔をしかめ、また話しかける。
「滝川戦士、聞こえないのか。後ろに下がれ、早く!」
 返答はない。
 さすがに変だと思ったのか瀬戸口も滝川機へ通信する。
「滝川機、応答して下さい。滝川機?」
「滝川戦士!」
 やはり返答はない。
 善行はちっと舌打ちしてマイクに怒鳴った。
「壬生屋戦士! 滝川機に接触して外部から停止、信号を送ってコックピットハッチを開きなさい!」
『は、はいっ…あ、た、滝川さん!?』
 壬生屋の声が慌てふためく。レーダー上で滝川機が小さく動いた。
 微かな動きが数秒のうちに大きな動きになり、大きな動きがあっという間に急激な移動になる。
『う……うわぁぁぁぁぁぁっ!』
 絶叫とともに滝川機は幻獣に向けて猛突進を開始していた。

 滝川はなんで自分がこんなに走っているのかわからなかった。
『止まりなさい、滝川機! 止まれ!』
 耳元で善行指令が絶叫しているのは聞こえたし、命令も覚えていたから、ああ自分は今命令違反をしているのかな、ってことは軍法会議にかけられて銃殺とかされちゃうのかな、それはいやだなあ――などと人事のように頭のどこかで考えてはいた。
 だが、それでも足は止まらなかったし、さっきからひっきりなしにあげている絶叫もおさまらなかった。
 さっき、幻獣の赤い目がこっちを見た時、自分は『もう駄目だ』と思った。なぜかそう思った。
 そしてもうとにかく、あの赤い目が見えないところまで逃げるか、あれを全部叩き潰すしか方法はない、と――なんに対しての方法かは自分でもさっぱりわからないのに、そう思ったのだ。
 で、そう思った後――いつのまにか走り出していた。
 つまりそういうことなのだろうか?
 自分はあいつら――幻獣を全て叩き潰すために走っているのか?
 できるはずがないだろうに、とどこかで嘲笑する自分がいたが、そんな声にまったく関係なく自分の体は右手のジャイアントアサルトの安全装置をはずし――射角と距離を確認し――敵が射程範囲に入るやいなや、トリガーを引いていたのだ。
 絶叫しながら。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 全力疾走する滝川機に向けて大声で二度叫んだ後、善行は一瞬血がにじむほど強く唇を噛み、冷徹な声で全機に向け通信した。
「全機前進。速度二分の一。滝川機に攻撃が集中した隙を狙って一気に間合いを詰め、殲滅します」
「……滝川は見捨てるって事ですか」
 瀬戸口がひどく底冷えのする声を出した。善行も負けずに冷然とした声で答える。
「一人のために他の全員を危険にさらすわけにはいきません。これは彼自身の冒したミスです」
「自業自得、と? ……なるほど、結構な論理だ」
 瀬戸口の声の調子に脅えたのか、ののみが瀬戸口の膝にしがみついて不安そうに瀬戸口を見上げた。
 瀬戸口は優しく笑って、大丈夫だよとののみの頭を撫でる。
 撫でながら瀬戸口はこっそり奥歯を噛み締めた。
『ここで死ぬのか? こんなところで、本当に? それでいいのか、滝川……?』

 滝川は絶叫しながら銃を乱射していた。
 機関銃の弾がヒトウバンを吹き飛ばし、その後ろにいたナーガの頭を破壊する。消えていく幻獣の姿を目に入れていながらも、滝川は叫び続けた。
 ――ふと、幻獣の赤い眼が目に入った。
 赤い眼が次々にこっちを向く。自分の方を向いてくる。表情のまったくない目で、こっちを見つめてくる。
 こっちに来る。
 急に背筋にざぁっと悪寒が走る。すぐにこの場から逃げ出したくなる。
 体中に重苦しい鎧が乗っかったような気がして、滝川は何も考えずに右肩を前にした前傾姿勢を取っていた。

 幻獣が一斉に滝川機のほうを向いて攻撃を開始するのを見て、善行は奥歯を噛み締めたが音は出さなかった。
「損害は!?」
 鋭い声でオペレーターに尋ねる。
 言われる前に瀬戸口は計器類のチェックを行っていたが、一瞬小さく息を呑んでから答えた。
「……損害、軽微。性能低下なし、故障なし。問題なく戦闘続行可能」
 善行も一瞬息を呑んだが、すぐに叫んだ。
「全機全速前進! 目の前の幻獣を全滅させろ!」
『了解!』
 各機の声が唱和した。

 滝川の頭にかぁっと血が昇った。
 自分は今何を考えてたんだ。
 逃げ出したかった。幻獣がただこっちを向いただけで、自分は逃げ出したくなっていた。
 全速力でどこかに逃げ出して隠れて震えていたくなったのだ。何もかも捨てて、負けて、何もしないで――
「ちくしょう……」
 滝川はぎりっと歯を噛み締めた。
「ちくしょう……!」
 体中に力を入れる。
「ちくしょぉぉぉっ!」
 滝川は士魂号を全力で跳躍させていた。落下地点近くにいたナーガにそのままの動作で超硬度大太刀を叩きつける。
 一撃でナーガは消滅したが、動きを止める事はなく、飛び跳ねては大太刀を叩きつけた。
『またなのかよ! また結局俺は……』
『敵は撤退を開始した。掃討戦に移行しろ』
 準竜師の声がひどく遠くに聞こえた。

 結局、それが今日の戦闘の全てだった。突出した滝川機はジャイアントアサルトで小物を数機撃破した後超鋼度大太刀の攻撃に切り替え、また数機を撃破。この時点で幻獣は撤退を開始し、後は掃討戦をこなすだけだった。
 滝川機は掃討戦中も幻獣を攻撃し、いくつか撃墜。他機もむろん攻撃は行ったが、出遅れたためさほど撃墜数は稼げなかった。
 こちらの被害はほとんどなし。終わってみれば見事な大勝だった。

 ガキッ、と鈍い音が響いた。速水が自分が殴られたように眉を寄せる。
 殴られた滝川は小さくよろめいただけで耐え、うつむいた。そこに殴った本人の善行が、いっそ冷徹と言いたくなるような声をかける。
「顔を上げなさい」
 滝川はのろのろと顔を上げた。
「わかってはいるようですね、自分のしたことが命令違反だと」
「………はい」
「なぜあんなことをした」
 温度をさらに下げた善行の問いに、滝川はつっかえつっかえ答える。
「……俺、あいつら――幻獣の赤い眼見たら、なんかもうダメだって思って……もうなんかじっとしてたらメチャクチャになっちゃいそうでそう思ったらもうワケわかんなくなって……」
「もういい」
 切り捨てるような声音で善行が遮る。
「つまり恐怖のあまり錯乱して敵に突進したわけだな?」
「……そう……です」
「……話にならんな」
 善行がくるっと後ろを向いた。
「明朝作戦会議を召集、滝川戦士を二番機パイロットから解任する」
「………!」
「話は終わりだ。全員カーゴに乗りこめ」
 スカウト二人は言われた通りカーゴに向かい走る。壬生屋は戸惑ったように速水は困ったようにその場で顔を見合わせた。舞はいつもの倣岸と言いたくなるような顔で、じっと滝川を見つめている。
 滝川は硬直していた。どこか怯えたような表情だった。
「どうした? 早く行け!」
 善行はそう言うとすぐそばの指揮車の出入り口に歩き出す。そこに声がかかった。
「ま……待って下さい!」
 滝川だ。
 善行はくるりと振り向いて、相変わらず冷徹な声で言う。
「なんだ、滝川戦士」
「あのっ……俺、自分がどんなにバカなことしたかわかってます。他のみんなにも迷惑かけちゃったし、本当だったらパイロットおろされて当たり前だっていうのもわかってます。だけど……」
「何が言いたい」
 滝川は顔を真っ赤にしたまま、妙なかたちに表情を歪めて早口で言いきった。
「お願いです! もう二度とあんなことしませんから……俺をパイロットから…おろさないでくださいっ……!」
 言うや地面につきそうなほど頭を下げる。
 滝川の声を聞き、速水は滝川は涙をこらえているんだな、と判断した。声がひどく揺れている。既に半泣きかも知れないと思える程度に。
 善行はまたくるりと後ろを向いて、やはり冷徹な声で答える。
「明日から若宮十翼長の訓練を受けろ。その結果を見て判断する」
「え……?」
 滝川が顔を上げる。
「それまで二番機パイロットの配置は保留とする」
「え……」
 しばらくよくのみこめない様子で立ち尽くしていたが、速水に耳打ちされまた顔を歪めて頭を下げた。
「……ありがとう、ございます……」
「…言ったはずだ。全員カーゴに乗りこめ!」
 慌てて飛びあがりカーゴに走るパイロットたち。
 善行は遠ざかっていく足音を聞きながらもう暗い空を仰ぎ見て、はぁっと溜め息をついた。
「ご苦労なことですね。わざわざあんな儀式までやって」
 善行が声を掛けられた方を向く。そこにいたのは瀬戸口だった。
「もともと二番機パイロットを配置変えする気なんかなかったんでしょう? 精神的に追いこんで訓練に邁進させる。士気の上げかたまで軍隊式ですか」
「現在の状況下では他の部署からパイロットを引っ張ってこれるほど余裕はありませんから。彼を訓練するしかないなら、自発的にやらせるに越したことはないでしょう」
 善行はまだ温度の低い声音でそう答えると、指揮車のタラップを昇りかける。そばを通る時、瀬戸口が感情を押し殺した声で言った。
「あいつをどうするつもりですか」
「鍛えて働かせるだけです。死なない程度にね」
 そう言って善行は指揮車に乗りこんだ。残された瀬戸口は肩をすくめ、空を仰ぐ。
「死ななきゃいいってもんでもないと思うがね」
 心の中で小さく続ける。
『とりあえず今回は生き残った。これからあいつはどうなっていくんだ……?』
 瀬戸口はもう一度空を仰ぐと、指揮車の中に入っていった。

「主任、二番機のチェック終わりました!」
 新井木が原のところに駆けてきて報告した。
「そう…戦場での仕事はとりあえず終わりね。全員定位置に座って、カーゴ出すわよ」
 運転席に向けて歩いていく原に、新井木が飛び跳ねるように歩きながら話しかける。
「でも驚きましたよねー、二番機本当にほとんど損傷してないんですもん。攻撃が集中した時にはあ、こりゃもうダメかな、って思ったのに」
「そうね。確かにちょっとぞっとしたわ。士魂号が一機おしゃかになると思うと」
「あはは、ボクもボクも。また仕事が増えるーってね!」
 笑い転げた後、新井木はやや訝しげな顔になって首を傾げた。
「でも本当になんでだったんだろ? あんなに敵いっぱいいたのに」
「たぶん、増加装甲で防がれたのね。姿勢と位置の関係で攻撃が全部増加装甲の上に集中したのよ。運がよかったとしか言いようがないわね」
「へえ……」
「まあ、こんな幸運がいつまでも続くと思ってもらっちゃ困るけどね。あんな風に突進してちゃ命がいくつあっても足りないわよ。もっとマシな戦い方を身につけてもらわないとね」
「あはは、それ無理ですよー。あいつどっからどう見たって悪運だけがとりえって奴ですもん!」
 おどけた口調で言う原に、言うや新井木は吹き出した。

 速水は隣に座っている舞に小声で耳打ちした。
「どうしたの、舞、考え込んじゃって」
「いや……」
 舞は小さく答えただけで、考え深げに目を閉じ続けている。
『人が何と言おうと……擬態……殺す殺されるということではない……』
「……舞、なにか言った?」
「いや」
 舞はゆっくり目を開けて、宙を見つめた。
「……まだ、よくわからん」
 石でも踏んだのか、カーゴが小さく揺れた。


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