4/15〜善行
 善行は無言で考え事をしながらプレハブ校舎の周りを歩き回った。今は昼休み、小隊員たちはあちこちで昼食をとりながらお喋りに興じている。
 風に乗って、話し声の断片が聞こえてきた。

「……ミサイルもなしであれだけの戦果を叩き出すなんて、さすがというべきかしら……」
「……だけどあれってどういう機体なんですか。数百mの距離を一跳びで越えるなんて……常識じゃ考えられません……」

 善行はふ、と息をついて、歩き出す。そうだ、常識では考えられない。常識を超えた能力をあの機体は有している。
 そしてその機体を乗りこなし、予想以上の結果を出してみせた滝川もまた――
 善行は頭を振った。

「……結局さー、あいつなんでこの前出撃しなかったわけ? その前も戦場でわけわかんないこと言ってたし、今回だって最初の頃……」
「……き、きっと、滝川くんには滝川くんの事情が……」

 事情、か。
 滝川はここのところ確かに不安定だ。速水に謀殺される危険性がなくなったにもかかわらず、トラブルを頻発させている。
 何かがあったことは確かだろう――だが善行はそこに踏み込めるほど彼と親しくはなかった。
 善行に理解できるのは、滝川が極めて不安定な精神状態にもかかわらず十六機撃墜し、戦況をひっくり返してみせる――その能力の凄まじさだけだ。
(……常識外れなまでの決戦能力)
 それは彼が――ヒーローであることを示すのだろうか。たった一人で戦争に勝つ、あの絢爛たる舞踏の者だと?
 閉所恐怖症を克服できないため戦車技能資格をなかなか取れず、初陣で錯乱して突撃し、自分が司令の時には何度も注意を加えた――あの滝川が?
 分からない。そもそもあんな話をまともに受け取るほうが間違っているという気もする。所詮、伝説だ。ただの伝説、おとぎ話――

「……あの馬鹿が。どうせ今回も芝村絡みに決まってるんだ。すぐ錯乱状態に陥るような信頼性の低い味方は、敵より始末に負えない。そのくせあんな戦果を出しやがって……あの、馬鹿が!……」
「……あいつはあいつで考えとると。ただ……なんも言われんこつはちと、さみしかね……」

 善行は笑った。滝川は友達に恵まれている。彼のことを心から案じ、いつでも相談に乗ってくれる人間がいるというのは少なくとも気休めにはなる。
 ――頑張ってほしい。自分は気休めを言うほど滝川に近づくことすらできないのだから。
 ふいにそんなことを考えてしまい、苦笑する。自分は滝川を心配しているのか? さして親しいわけでもない、速水に謀殺されそうになっていた時すらほとんど見守ることしかできなかった彼を。それはあまりに、都合のいい感情だ。
 自分はただ、この小隊のことを考えているだけだ。この小隊が無事に生き残ることを。そしてこの戦争を無事乗り切ることを。
(……今の自分はパイロット。歯車にすぎないというのに)
 善行はまた苦笑した。歯車は自分の目の前のことだけを考えるのが勤めだが、自分は相変わらず小隊の状況や熊本の戦況などの報告を確認せずにはいられない。自分は結局、良くも悪くも司令なのだ。そういう教育しか受けてこなかった。
 寝る前に戦況マップを見て、自分ならどこに転戦するかを考える。速水の転戦の仕方を見ながら、自分ならこうはしない、と禁じたはずの思考を浮かび上がらせてしまうことも一再ならずあった。
 だが、自分ならやらないことばかりする速水司令は、確実に結果を出してきている。
 速水の転戦の仕方はシンプルだった。とにかく頭を叩く。幻獣勢力が少しでも多いところ多いところへと転戦する。たとえその先に友軍が存在しなくとも。
 連携もへったくれもないその転戦が効果を表しているのは数値外の戦力がいるからだ。戦場に現れた幻獣を全て狩りつくすもの。
 善行はあることに気づいて慄然となった。つまりこれは――そういうことなのか? 速水は彼が――滝川がいるから無謀とも思える転戦を繰り返しているのか? 彼をそれほどまでに信頼しているのか?
(……それなら彼が滝川くんを殺すことはありえない)
 彼は滝川を中心にして部隊を動かそうとしているのだから。
 数値を超えた能力を軸にして戦況を変える――通常ならありえない方法だ。だが、彼はそれで結果を残している。誰にも文句は言えないほどに。
 ―――自分にはできなかったことだ。
(……ならば私は何をすればいい?)
 優秀な歯車にもなれず、司令として指揮することもできず。
 友人として彼の力になることもできず―――
(………僕は………)
 何をしたいんだ? 何のためにここに来たんだ――?
 思考の沼に沈んでいると、そこに、声がかかった。
「辛気臭い顔してるな。ま、俺も似たようなもんだけど」
「……瀬戸口くん」
 顔を上げて声のした方を見る。瀬戸口がいつもと同じように、口元に笑みを浮かべながら立っていた。
「……君はいつもと同じように見えますが」
「そうだといいんだがね。残念ながら俺は今もっとも俺らしくないことをしてるところなのさ」
「俺らしくないこと?」
「反省」
 善行は片眉を吊り上げた。
「それは確かに、らしくないですね」
「そ。反省するくらいなら最初からやんなきゃいいんだがね。つい反射的に、俺の何より嫌ってることをしちまったんだから反省しないわけにはいくまい」
「なんですか、それは」
「戦いたくない奴を戦わせようとしちまった。それで俺は地の底より深く落ち込んでるのさ」
「……もしかして、滝川くんのことですか?」
 瀬戸口は苦笑を浮かべた。
「そ。俺はあいつにみんなを生かしてほしかった。けどだからあいつに殺せって言っていいってことにはならないだろ。価値を押し付けられることを何より嫌ってるくせに、人に同じことをするなんて最低だ――と俺はくよくよと落ち込んでいるわけさ。口に出したわけじゃないから滝川に謝るわけにもいかないし」
「……命よりも、自分らしさですか?」
 苦笑する善行に、瀬戸口は真剣な顔になって言った。
「自分の命をどう使うかは自分が決めることだ。他の誰にも口出しはできやしない。たとえそのせいでどんなに人が死んでもな。人を救ってほしいと思うなら、自分のできること全部死力を振り絞ってなりふりかまわずやってみて――それで初めて願う資格が生まれるんじゃないか? 少なくとも俺なら自分のできることをしない奴のお願いを聞きたいとは思わんね」
「――――」
 善行は数瞬、絶句した。
 そして、口の端に小さく笑みを浮かべて瀬戸口に尋ねる。
「滝川くんがどこにいるか知りませんか?」
「ああ、あいつならグランドはずれで懸垂やってたぜ。――会いにいくのか?」
「ええ」
 善行は礼を言って走り出した。すべきことが見えた――そんな気がした。
 自分がなぜ滝川のことを気にするかがようやく分かった。確かに自分と彼は大して親しくはない。だが――自分は、滝川がどんなに努力してきたか知っている。
 天賦の才など欠片も見当たらなかった少年だ。隠された素質があったのかもしれない、本当は選ばれた人間だったのかもしれない。
 だが、それも彼が死に物狂いで訓練を重ね、謀殺の危険を乗り越えてようやく手にしたものだ。彼が苦労していないなど、誰にも言えない。言わせない。
 善行は、今初めて気づいたのだが、彼に畏敬の念を抱いていたのだ。誰よりも弱かったのに、苦しみながらも圧倒的な強さを手にした彼に――
 グランドはずれの、鉄棒の前に立った。滝川が無言でひたすら懸垂をしているのが見えた。
「滝川くん」
 声をかけると、無言で滝川は鉄棒から降りた。こちらの様子を窺うように、じっと見上げてくる。
 善行は微笑んだ。自分には彼の能力を完全に活かしてやることはできない。彼のそばにいて励ましてやることもできない。彼の隣で戦うことすらろくにできない。
 だが、自分にもできることはある。少なくともその可能性がある。
 自分にできることをするため、全力をつくそう。そう思えた。
 ――彼のように。
「滝川くん。私は今、決めました」
 無言でこちらを見上げる滝川。
「私は私の戦友のために…。あなた方のために私のできる全力をつくします。友人として…権力者の端につながる者として」
 滝川はちょっと目を開いて、小さな声で言った。
「委員長が何言いたいのか……俺、よくわかんない」
 善行は小さく笑った。
「意味が分かりませんか…いずれ、分かるでしょう」
 ――そう、明日になれば。

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